第11話:目をつけられた成金〜掲示板の噂と忍び寄る影〜
VRMMO『アルカディア・オンライン』のサービス開始から二日目。
ゲーム内の経済の中心である『商業都市ロンデル』のオークションハウスで起きた事件は、瞬く間に現実世界のネットコミュニティへと波及していた。
アルカディア・オンライン専用の巨大匿名掲示板。その中の『情報交換・雑談スレッド』は、未曾有の書き込み速度でログが流れていた。
『783:名無しの冒険者
おい、さっきロンデルの競売でエピック武器が出品されたってマジ!?』
『784:名無しの冒険者
マジだ。俺、たまたま広場にいてメインディスプレイで見たわ。『銀狼の長剣』とかいうヤバいステータスの剣。推奨レベル35だったぞ。』
『785:名無しの冒険者
はぁ!? 今トップ層でもレベル20台前半だろ? そんなのどこでドロップすんだよ! バグか!?』
『786:名無しの冒険者
しかも落札価格が150万ゴールド(現実換算15万円)だぜ……。落札したのはトップギルドの『蒼穹の剣』らしい。ギルドマスターがリアル口座からぶっ込んだって噂だ。』
『787:名無しの冒険者
15万円って……ただのデータにそこまで金出すか普通。でもそれより気になるのは出品者だよ。誰がそんなチート級の武器手に入れたんだ?』
『788:名無しの冒険者
俺、出品した奴を見たぞ。初期装備の布の服を着た、小柄な女プレイヤーだった。アバター名は【ツムギ】。横に同じく初期装備の男を連れてた。』
『789:名無しの冒険者
布の服!? レベル一桁の初心者がエピック武器持ってるわけないだろ! 絶対チーターだ! 運営に通報しろ!』
『790:名無しの冒険者
いや、掲示板の検証班によると、あの武器はロンデルの鍛冶屋ガンツの裏メニューらしい。ただ、好感度をMAXにするためにレア鉱石が大量に必要で、今のレベル帯じゃ絶対に入手不可能なはずなんだが……』
『791:名無しの冒険者
もしかして、システムエラーを突いた増殖バグとかか? だとしたらあいつ、完全にBAN(アカウント停止)対象だろ。』
掲示板では「謎のチート初心者」として、ツムギの名前と容姿がすっかり特定され、話題の中心となっていた。
サービス開始直後という、誰もが情報を手探りで求めている時期において、彼女の常軌を逸した荒稼ぎっぷりは目立ちすぎたのだ。
しかし、そんなネット上の喧騒など露知らず。当の本人であるツムギは、ロンデルの街の路地裏で、ホクホク顔でシステムウィンドウを眺めていた。
「えへへ……。15万円、15万円……♪ さっき即座にリアル口座に送金申請したから、これでチケット代も遠征費もバッチリよ。でも、まだまだ稼ぐわよ! 次は推しのグッズをコンプリートするための資金ね!」
「……お前、本当にそれしか頭にないんだな」
その後ろで、相沢航太は深々とため息をついていた。
彼のHPは、ツムギが無理やり飲ませた苦い薬草のおかげで、なんとか半分程度までは回復していた。しかし、精神的なダメージは全く癒えていない。
「なぁ結城。さっきからすれ違うプレイヤーたちが、チラチラこっちを見てヒソヒソ話してるんだが……。絶対、さっきのオークションのせいだぞ。俺たち、目立ちすぎてるんじゃないか?」
「あら、そう? 注目されるのは一流の証よ。それより相沢くん、あんたのそのボロボロの木の剣、ちょっと見栄えが悪いわね。ほら、これ使いなさい」
ツムギはインベントリから、一本の『鉄の剣』を取り出し、コウタに放り投げた。
オークションで稼いだ150万ゴールドのうち、手数料を引かれた数パーセントの端数をゲーム内に残しておいたのだ。それでも数万ゴールドという大金であり、その金でロンデルの武具屋に並んでいたそこそこ良い装備を適当に見繕って買ったのである。
「えっ!? て、鉄の剣!? これ、相場3000ゴールドはするやつだぞ! いいのかよ!」
「安い投資よ。あんたにはこれからも私の『荷物持ち兼囮』として大活躍してもらわなきゃならないんだから、最低限モンスターの攻撃を一発くらいは耐えられるようになってもらわないと困るの」
「……喜んでいいのか悲しんでいいのか分からねえよ……。お前自身は装備更新しないのか? 相変わらずその泥まみれになりかけた布の服と木の棒だけど」
コウタの指摘通り、ツムギの見た目は初期村にいた時と全く変わっていない。
所持金が数万ゴールドもあるのだから、強力な鎧や魔法の杖を買うこともできるはずだ。しかしツムギは首を横に振った。
「言ったでしょ、強い武器や重い鎧は維持費がかかるの。それに、重い鎧なんて着たら動きが鈍くなるじゃない。敵の攻撃なんて『当たらなければどうということはない』のよ。私はこの軽装が一番動きやすいの」
異世界で四年間、重たい甲冑を着せられて行軍させられ、肩こりと腰痛に悩まされた経験があるツムギにとって、防具は「軽さ」と「可動域」こそが最重要ステータスだった。システムの防御力数値など、彼女の卓越した回避スキル(実体験)の前には意味をなさない。
「さあ、無駄話は終わり。次の目的地へ行くわよ。ロンデルの北にある『寂れた廃坑』ね」
「廃坑? ダンジョンか?」
「そう。そこには中盤以降の装備強化に必須となるレア鉱石『紅蓮鉱石』が眠ってるの。今なら市場に出回ってないから、掘り出せば一つ1万ゴールド(千円)で売れるわ」
「また金策かよ! たまには普通にクエスト受けてレベル上げようぜ……」
ブツブツと文句を言いながらも、鉄の剣をもらって少しだけ機嫌が良くなったコウタは、ツムギの後ろをトボトボとついて歩き出した。
二人の姿が、ロンデルの北門を抜けていく。
――その一部始終を、街の防壁の影からねっとりとした視線で見つめる者たちがいた。
赤黒いドクロの紋章を頭上に掲げた、五人のプレイヤー集団。
彼らこそが、PKを専門とする悪名高きギルド『ブラッド・ハウンド』のメンバーであった。
「……行ったな。初心者装備のガキ二匹」
リーダー格の男が、舌舐めずりをした。
彼の名はゲイル。高レベルの魔術師であり、強力な範囲魔法を操ることで知られている。彼が率いるブラッド・ハウンドは、美味しい狩場を独占し、そこにやってくる初心者やソロプレイヤーを多人数で包囲しては殺害し、アイテムとゴールドを奪い取るという外道なプレイを繰り返していた。
「おいゲイル。本当にあいつらがエピック武器の出品者なのか? どう見てもレベル1の雑魚にしか見えねえが」
部下の一人、巨大な斧を持った戦士が疑わしそうに尋ねる。
「間違いねえ。オークションハウスで出品ターミナルを操作してたのをこの目で見た。あのアバター名【ツムギ】って女だ。あの生意気なガキ、150万ゴールドもの大金を手に入れたんだ。RMTで現実の口座に送金したにしても、ゲーム内には数万、いや数十万ゴールドの端数を隠し持ってるに決まってる」
「へへっ、数十万ゴールドか。俺たちが一日中初心者狩りをして稼ぐ額の何十倍だな」
「そういうことだ。あいつらが向かったのは北の『廃坑』エリア。モンスターが強くて普通の初心者は近づかない場所だが……あんなペラペラの装備で迷い込むとは、運の悪いガキどもだ」
ゲイルは邪悪な笑みを浮かべ、杖を握りしめた。
VRMMO『アルカディア・オンライン』におけるPKの仕様。
それは、プレイヤーを殺害した場合、相手が所持しているゴールドの10%、およびインベントリ内のアイテムをランダムでドロップするという、非常にハイリスク・ハイリターンなシステムだった。
相手が数十万ゴールドを持っていれば、殺すだけで数万ゴールド(数千円)が手に入る。歩く現金輸送車のようなものだ。
「いいかお前ら。あいつらはチートかバグ技でレアアイテムを手に入れただけの、戦闘ド素人の成金だ。廃坑の中に入って、他のプレイヤーの目につかなくなったところで一気に包囲して叩き潰すぞ。徹底的に痛めつけて、所持金を全部吐き出させてやる」
「おうっ!」
五人のPKプレイヤーたちは、獲物を狙うハイエナのように、ツムギたちの後を密かに尾行し始めた。
彼らは知る由もなかった。
自分たちが今追っている獲物が、非力な羊などではなく、かつて異世界で魔王軍の幹部クラスすら単騎で屠ってきた、最凶の『戦闘狂』であることを。
◇ ◇ ◇
ロンデルの北に広がる荒野を抜け、小高い山の中腹に口を開ける巨大な洞窟。
それが『寂れた廃坑』と呼ばれる採掘エリアだった。
内部は薄暗く、じめじめとした空気が漂っている。あちこちに古いトロッコの線路や、朽ち果てた木の支柱が残されており、かつてここで大規模な採掘が行われていたことを物語っていた。
さらに、奥からは『ストーンゴーレム』や『ケーブスパイダー』といった強力なモンスターの蠢く音が聞こえてくる。
「うわっ……なんか気味の悪いところだな。おい結城、本当にここにレア鉱石があるのか?」
「あるわよ。ほら、相沢くんは松明を持って、私の後ろを照らしてなさい」
ツムギは慣れた足取りで廃坑の奥へと進んでいく。
彼女の脳裏には、またしても異世界時代の過酷なトラウマがフラッシュバックしていた。
(……思い出すわね。十歳の冬、あのクソジジイ(宮廷魔術師)に『ミスリル鉱石を一日十キロ掘ってくるまで飯抜きじゃ!』って言われて、この真っ暗な洞窟に放り込まれた日々。手がマメだらけになって、ツルハシの振りすぎで背筋が肉離れを起こしたわ……)
その血のにじむような強制労働の末に、ツムギは「鉱脈を見極める目」を完全にマスターしていた。
岩盤の僅かな色の違い、壁を叩いた時の反響音、湿度の変化。それらすべてを総合して、どこに価値のある鉱石が眠っているかをミリ単位で把握できるのだ。
「ストップ。ここよ」
ツムギは坑道の行き止まりにある、一見何の変哲もない岩壁の前で立ち止まった。
インベントリから、ロンデルの道具屋で買っておいた安い『鉄のツルハシ』を取り出す。
「そこら辺のプレイヤーは、手当たり次第に壁を叩いてるからスタミナを無駄に消費するの。鉱石の『目』を読んで、一番脆い部分にピンポイントで衝撃を与える。そうすれば……」
ツムギはツルハシを軽く振りかぶり、岩壁の特定のポイント(ほんの僅かに変色している部分)に向かって、カンッ!と的確に打ち込んだ。
その瞬間、岩壁が蜘蛛の巣のようにひび割れ、ガラガラと崩れ落ちた。
崩れた岩の中から、ルビーのように真っ赤に輝く鉱石がゴロゴロと姿を現す。
『システムメッセージ:レアアイテム【紅蓮鉱石】を3個採掘しました!』
「おおおおっ!? すげえ! 一振りでレア鉱石が3個も!?」
「ふふん、これがプロの技(強制労働の賜物)よ。ほら相沢くん、あんたはアイテム倉庫なんだから、どんどんインベントリに拾って詰め込みなさい! 一つ千円よ、千円! 落としたら承知しないわよ!」
「はいはい、分かったよ……。なんか俺、完全に下働きのアシスタントだな……」
コウタが愚痴をこぼしながら、地面に落ちた紅蓮鉱石を拾い集め始めた。
ツムギは次の鉱脈の目を探し、再びツルハシを振るう。
カンッ! カンッ! という小気味良い音が廃坑に響き渡り、次々とレア鉱石が掘り出されていく。
ツムギの頭の中は、採掘した鉱石をオークションで売り捌き、現実の口座残高が増えていく妄想でいっぱいだった。推しのライブのSS席チケット、全メンバーのアクリルスタンド、限定販売のパーカー……。
欲望の赴くままにツルハシを振るうツムギの顔は、あまりにも邪悪で、そして幸せそうだった。
――だが、その至福の金策タイムは、突如として破られた。
「……ん?」
ツムギの手がピタリと止まる。
ツルハシを打つ音に混じって、坑道の入り口側から、複数の足音が近づいてくるのを彼女の『野生の勘』が察知したのだ。
足音の主たちは、わざと足音を殺そうとしている。モンスターのそれではない。プレイヤーだ。しかも、完全に自分たちを包囲するような陣形を組んで接近してきている。
「おい、結城。どうした? 手が止まってるぞ」
「……相沢くん。ちょっと後ろに下がってなさい」
ツムギはツルハシをインベントリにしまい、代わりに初期装備の『木の棒』を取り出して、ゆっくりと振り返った。
コウタも異変に気づき、ハッとして松明の明かりを前方に向けた。
暗闇の中から、ゆらりと五つの人影が浮かび上がる。
大斧を持った重戦士、双剣を構えた盗賊、弓を引き絞る狩人。そして、彼らの中央に立つ、禍々しいオーラを纏った高レベルの魔術師・ゲイル。
彼らの頭上には、赤黒いドクロの紋章――ブラッド・ハウンドのギルドマークが浮かんでいた。
PKモードをオンにしている証拠である。
「ひぃっ!? PK……プレイヤーキラーだ!」
コウタが悲鳴を上げ、ガクガクと震えながら後ずさった。
掲示板で読んだことがある。彼らはゲームのシステムを悪用して他人の財産を奪う、ゲーム内の盗賊団だ。レベル1の自分たちなど、一瞬で消し飛ばされてしまう。
「へへっ……大人しくしてれば痛みは一瞬で済むぜ、初心者ども」
大斧の戦士が、下品な笑い声を上げながら一歩前に出た。
「150万ゴールドの成金さんよ。俺たちブラッド・ハウンドに、その儲けを少し『寄付』してくれねえか? 抵抗するなら、デスペナルティで持ってる金とアイテムを全部バラ撒かせてやるよ」
ゲイルが杖を突き出し、勝ち誇ったように宣言した。
五対二。しかも相手は連携の取れた高レベルのPK集団。こちらはレベル1(に見える)の初期装備コンビ。
誰がどう見ても、ツムギたちの絶体絶命のピンチであった。
「お、おい結城……! どうするんだよ! 逃げ道がないぞ! やっぱり、お前がオークションで目立ちすぎたから……!」
パニックに陥り、鉄の剣を構えながらも腰が引けているコウタ。
しかし。
彼の前に立つ結城紬の背中は、微塵も震えていなかった。
いや、それどころか。
「……ふふっ。あははははっ!」
廃坑に、ツムギの場違いな高笑いが響き渡った。
PKメンバーたちが「なんだこのガキ、頭がおかしくなったか?」と怪訝な顔をする。
ツムギは木の棒を肩に担ぎ、最高に邪悪な、底知れぬ強欲さを孕んだ笑みを浮かべて、ゲイルたちをねめつけた。
「PKされると、所持金と装備の一部をドロップするシステム。……それは知ってるわ。でもね」
ツムギの瞳孔が開き、眼の奥に『¥』マークがギラギラと燃え盛る。
「それってつまり、あなたたち全員を返り討ちにすれば、あなたたちが今までカツアゲしてきたお金と、その高そうな装備を、私が『合法的に全部奪い取れる』ってことでしょ?」
ツムギにとって、目の前にいるのは恐ろしい殺人鬼などではない。
自分の口座残高をさらに潤してくれる、都合の良い『歩くATM』でしかなかったのだ。
「カモがネギ背負ってやってきたわね。さあ、一円残らず置いていきなさい!」
レベル1(に見せかけたレベル15)の元勇者と、悪逆非道なPKギルドとの、泥臭くえげつない対人戦の火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。




