第6話:クラスメイトとの再会〜都合のいい囮、見つけました〜
翌日。現代日本のごくありふれた中学校の教室。
昼休みの喧騒の中、結城紬は自分の席に突っ伏し、死んだように眠っていた。
無理もない。昨夜、彼女はVRMMO『アルカディア・オンライン』にログインし、初日から隠しボスである『泥大蛙』を五千回木の棒で叩き続けるという、常軌を逸したマラソンを完走したのだ。
睡眠時間はわずか三時間。VR睡眠という技術はあるものの、精神的な疲労までは完全にリセットされない。特に、トラウマの権化のようなバケモノとミリ単位の死闘を繰り広げた後であればなおさらだ。
(……眠い。でも、あの後換金された8500円のおかげで、推しのライブグッズが買える……。ふふっ、リュウくんのアクリルスタンド、絶対に手に入れてみせるわ……)
まどろみの中で、大好きな『ギャラクシー・ボーイズ』の推しメンの笑顔を思い浮かべ、だらしなく口角を上げる紬。
そんな彼女の鼓膜に、斜め前の席から男子生徒たちの騒がしい話し声が飛び込んできた。
「なぁ相沢、お前『アルカディア・オンライン』始めたってマジ?」
「ああ、昨日の夜からな。いやー、VRMMOってすげえな! 風の匂いまでリアルなんだぜ!」
「マジか! 俺も今日パッケージ届くんだよ! で、稼げそうか? RMTで月十万くらい余裕でいけるってネットニュースで見たんだけど」
「それがさぁ……全然ダメ。最初の村の周りにいるスライムを一匹倒して5ゴールド(0.5円)とかだぜ? しかもプレイヤーが多すぎて、湧いた瞬間に取り合いになるんだよ。時給換算したら10円もいかないブラック労働だぜ、あんなの」
その声の主は、紬のクラスメイトである相沢航太だった。
航太は、クラスの中心グループにいる、明るく社交的な男子だ。運動神経もそこそこ良く、ゲームの腕前にも自信があるタイプ。普段は紬とそこまで深く話す間柄ではないが、席が近いこともあり、顔と名前は当然一致している。
「しかも痛覚設定を最低にしても、モンスターに殴られたら結構痛いし、剣を振るのにもスタミナ使うからすぐに息切れするんだよ。あのゲーム、リアルに寄せすぎてて難易度高すぎ!」
「えー、マジかよ。じゃあ俺、魔法使いにするわ。後方から安全に撃てばいいんだろ?」
「魔法はもっと地獄らしいぞ。呪文の詠唱を噛んだら不発になるし、MP回復アイテムが高いから赤字になるって掲示板で荒れてた」
航太の愚痴を聞きながら、紬は机に突っ伏したまま、心の中で冷たく鼻で笑った。
(バッカみたい。スライムなんていう小銭を奪い合ってるからいつまで経っても稼げないのよ。それに、剣が重い? 息が切れる? 当たり前じゃない。あの世界は『本物の異世界』の物理法則をそっくりそのまま再現してるんだから。ゲーム感覚で剣を振り回して勝てるほど、あのブラック職場は甘くないわよ)
紬は十歳の頃から四年間、その「リアルすぎる異世界」で、文字通り泥水をすすりながら実戦を経験してきた。
ゴブリンの棍棒を頭に受けて脳震盪を起こしたこともあれば、魔法の詠唱中に舌を噛んで自爆しかけた魔術師をフォローしたこともある。
平和な日本で育った普通のゲーマー中学生が、初日で音を上げるのは当然の帰結だった。
(教えてあげようかしら……『泥を全身に塗ればスライムの感知を躱せる』とか、『ボスの右足の小指を叩き続ければハメ殺せる』とか。……いや、やめておこう。面倒くさいし、私の狩場が荒らされたら時給が下がるわ)
あくまで自分の推し活資金を稼ぐことが最優先。
他人に構っている暇はないと、紬は再び意識を眠りの底へと沈めていった。
放課後。
帰宅部の紬は誰よりも早く教室を飛び出し、自宅へと直行した。
手洗いうがいを済ませ、自室のドアに鍵をかけると、ベッドの上にダイブする。スマートフォンを取り出し、銀行の残高照会アプリを起動。
『残高:11,830円』
画面に表示されたその数字を見て、紬はえへへと不気味な笑い声を漏らした。
「よしよし、ちゃんと現実のお金になってる。でも、ライブ全通にはまだまだ程遠いわ。今日は昨日の倍……いや、三倍は稼ぐわよ!」
紬はVRヘッドセットを装着し、慣れた手つきで『アルカディア・オンライン』へとダイブした。
『ようこそ、アルカディア・オンラインの世界へ!』
視界が晴れると、そこは夕暮れ時の『はじまりの村』だった。
昨夜のログイン時よりもさらにプレイヤーの数が増えており、村の広場は足の踏み場もないほどの大混雑となっている。
アバター名『ツムギ』となった彼女は、昨日の泥まみれの服をシステムの『簡易洗浄』機能(10ゴールド)で洗い落とし、一応は普通の初心者プレイヤーの見た目に戻っていた。
ただし、レベルはすでに15。ステータスだけを見れば、この初期村にいる有象無象のプレイヤーたちとは完全に一線を画している。
「さて、まずは情報収集と相場の確認ね。昨日は裏井戸に直行したから市場を見てなかったわ」
ツムギが向かったのは、村の中央広場に隣接する巨大な施設『オークションハウス』だ。
プレイヤー同士がアイテムを出品し、ゲーム内通貨で売買を行う、ゲーム内経済の中枢である。
巨大なホログラム掲示板が宙に浮いており、武器、防具、素材アイテムの相場がリアルタイムで変動している。
「ふむふむ……初心者用の『銅の剣』が相場500ゴールド。『鉄の剣』になると一気に3000ゴールドに跳ね上がるのね。やっぱり序盤は武器の需要が高いわ」
ツムギは顎に手を当て、頭の中で悪徳商人のような計算をめぐらせる。
「……待てよ? 隣町の鍛冶屋の親父、たしか酒に弱かったわよね。あいつに安酒を飲ませて気分を良くさせれば、店の裏メニューにある『鋼の剣』をタダ同然で強請り取れるはず。それをここに流せば……一つにつき1万ゴールド(千円)以上の利益が出るじゃない!」
正規のクエスト報酬など目もくれない。NPCの隠しパラメータ(性格や弱点)を悪用した、実体験に基づく詐欺紛いの金策ルートを構築していく。
ツムギの目が¥マークになり、不気味な笑みを浮かべていたその時。
「あれ? もしかして……結城、さん?」
不意に、背後から声をかけられた。
ツムギはビクッと肩を震わせ、振り返る。
そこに立っていたのは、初期装備の布の服に、ボロボロになった木の剣を提げた、一人の少年プレイヤーだった。
顔の造形は、現実世界のクラスメイト、相沢航太そのものである。
「えっ……あ、相沢くん!?」
「うおっ、やっぱり結城だ! アバターの顔、現実のままだからすぐに分かったよ。お前もデフォルト設定のまま始めたのか?」
相沢航太――アバター名『コウタ』は、人懐っこい笑顔で歩み寄ってきた。
ツムギは内心で舌打ちをした。
(しまった。アバターの設定を面倒くさがって現実の自分の顔のままにしたのが仇になったわ。まさかこんな序盤の村でクラスメイトにエンカウントするなんて)
「あ、あはは……。うん、設定面倒だったからそのままなの。相沢くんも始めたんだね」
「ああ! 昼休みに話してたの、聞こえてたか? いやー、このゲームマジでマゾいわ。さっきも『角ウサギ』ってモンスターにワンパンされて、デスペナルティで所持金減らされたとこだわ」
コウタは頭を掻きながらため息をついた。
角ウサギ。動きが素早く、突進攻撃を持つ初心者キラーのモンスターだ。正面からバカ正直に剣を振っても、素人の太刀筋など簡単に避けられて反撃されるのがオチである。
(角ウサギなんて、突進してくるタイミングでちょっと軸をずらして足を引っ掛ければ勝手に転んで気絶するボーナスモンスターなのに……。まあ、ゲームのシステムに頼り切ってる現代っ子には難しいわよね)
ツムギが心の中でマウントを取っていると、コウタがふと、真剣な表情になって提案してきた。
「なぁ結城。お前、今ソロでやってるんだろ? もしよかったら、俺とパーティ組まないか?」
「……パーティ?」
「ああ。このゲーム、ソロだとマジでキツいんだよ。ヘイト(敵の狙い)が全部自分に向くから、回復する暇もないし。二人でパーティ組んで、俺が前衛で敵の気を引くから、結城が後ろから攻撃する……みたいな連携を取れば、もっと安全にレベル上げできると思うんだ」
コウタは、ごく一般的なゲーマーとしての、至極真っ当な提案をしてきた。
協力して強敵を倒し、経験値を分け合う。オンラインゲームの醍醐味である。
しかし、ツムギの脳内ソロバンは、まったく別の計算を弾き出していた。
(パーティを組む? 経験値やゴールドのドロップが分配されちゃうじゃない。そんなの時給が下がるだけの完全なデメリット……)
断ろうとして、ツムギはハッと気づいた。
いや、待てよ。
この『アルカディア・オンライン』――もとい、かつての異世界の仕様において、パーティメンバーがいることの『最大のメリット』は何だったか。
(私がこれから実行しようとしている金策ルート……隣街への『崖下りショートカット』や、未踏破エリアの隠しダンジョン探索。そこに赴くためには、どうしても『リスク』が伴う)
強力なモンスターに見つかった時、足止めをしてくれる『囮』。
大量のレアアイテムをドロップした時、インベントリの重量制限をオーバーしないための『荷物持ち(パックミュール)』。
罠が張られているかもしれない通路を先に歩かせる『カナリア』。
(そうだわ。異世界時代、あのクソジジイ(宮廷魔術師)が私を最前線に立たせて、自分は後ろで安全に魔法を撃ってたじゃない。あれと同じことをやればいいのよ!)
ツムギは、目の前にいるお人好しそうなクラスメイトを、頭の先からつま先までジロリと値踏みした。
性格は素直。状況判断能力は高そう。そして何より、この理不尽な世界の真実を知らない、純粋な初心者。
これほど都合のいい『使いっ走り(生贄)』が他にあるだろうか?
「結城……? どうした? やっぱり、俺みたいに死にまくってる初心者じゃ足手まといか?」
少し不安そうに尋ねてくるコウタに対し、ツムギはパァッと花が咲いたような、満面の(そして完璧に計算された)営業スマイルを浮かべた。
「ううん! そんなことないよ! 私もちょうど、一人じゃ心細いなって思ってたところなの! ぜひパーティ組もっ!」
「おお、マジか! サンキュー結城! よーし、そうと決まればさっそくスライム狩りに出発だ! 俺が絶対にお前を守るからな!」
コウタはホッと胸を撫で下ろし、嬉しそうにパーティ申請のウィンドウをツムギに送信した。
『コウタからパーティへの招待が届いています。承認しますか?』
ツムギは一切の躊躇なく、空中の『YES』ボタンをタップした。
「ふふっ。こちらこそ、よろしくね、コウタくん(私の専属タンク兼アイテム倉庫さん)」
「おう! よーし、まずは『はじまりの森』へ行って、レベル3を目指すぞ!」
「あ、それなんだけどさ」
ツムギは笑顔のまま、コウタの肩にポンと手を置いた。
「はじまりの森なんて、効率が悪いから行かないわよ」
「……え?」
「美味しいクエストとレアアイテムがゴロゴロ転がってる、隣街に行くわ。チュートリアルはもうおしまいよ。さあ、稼ぎの旅に出発よ!」
ツムギはコウタの腕をグイッと引っ張り、村の正面ゲートではなく、裏手の険しい山岳エリアへと向かって強引に歩き出した。
「お、おい結城!? 隣街って、掲示板じゃレベル10以上ないと道中のモンスターに殺されるって……おい、聞いてるか結城!?」
「大丈夫大丈夫、私に任せておきなさいって! 時給一万円の景色を見せてあげるから!」
「時給一万!? お前、一体何の話をして……うわぁぁぁ、引っ張るなーっ!」
ズルズルと引きずられていくコウタ。
彼の背中には、これから始まる常識外れの労働環境に対する、本能的な悪寒が走っていた。
しかし、もう遅い。
血も涙もない元勇者の守銭奴と、巻き込まれた不憫な常識人による、情け容赦のない異世界荒稼ぎツアーが、今ここに結成されたのである。




