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第59話:精霊との連撃、そして終幕〜重力場を穿つ右ストレートと大精霊の意地〜

ドッガァァァァァァァァァンッ!!!!


アルカディア・オンラインの最深部、システム・アビス。

完全にルールが崩壊し、UI(ユーザーインターフェース)すら消失したその絶望の底で、結城紬(アバター名:ツムギ)がサーバーラックから引き剥がした鋭利な鉄骨を、不定形の怪物『ジ・エンド』の頭頂部へと深々と突き立てた。


『ギ、ギ……ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?』


システムの中枢を蝕む滅びの具現化が、これまでにないほどの大絶叫を上げた。

コウタの決死の目潰し、リンの手動による純粋な魔力の爆炎、シシオウの限界を超えた肉体によるシールド・バッシュ。三人の歩くATMと肉の盾とポーション係が、死に物狂いで作り出したほんの一瞬の隙。

それを完璧に突き、ツムギの強欲と殺意が込められた鉄骨が、ついにジ・エンドの分厚いタールの装甲を打ち砕いたのだ。


ベリッ、ベリベリベリッ!!

不気味な音を立てて、巨大な黒い粘体が剥がれ落ちていく。

周囲の空間を侵食していた赤黒いノイズが薄れ、その怪物の中心部、最も深奥に隠されていたモノが、ついに剥き出しになった。


「見えたわ……! バグの心臓が!!」


ツムギが着地し、目を大きく見開いて叫ぶ。

タールの装甲が剥がれ落ちたその奥底。ドロドロとした黒い流体の中心に浮遊していたのは、ソフトボールほどの大きさしかない、極小の『コア』だった。

禍々しい紫黒色の光を脈打つように放つ、多面体の結晶。それは四年前、ツムギが打ち砕いた魔王の心臓(絶望の魔核)と酷似していたが、それ以上に高密度で、周囲の空間そのものを捻じ曲げるような異常なエネルギーを内包していた。


「あれを壊せば、この深夜バイトは完了よ! 一千万円は私のものだァァッ!」

ツムギは鉄骨を投げ捨て、インベントリが使えないため素手で自らの拳を握り締め、コアに向かって一直線に駆け出そうとした。


だが、その直後だった。


『――――――■■■■■■■■ッッ!!!』


コアから、空間の法則を根底から否定するような、耳をつんざく高周波のノイズが放たれた。

それと同時に、ジ・エンドの残されたタールの身体が急速に収縮し、コアの周囲に凄まじい密度のエネルギーフィールドを形成し始めたのだ。


「な、なんだこれ!? 体が……重いッ!!」

後方でポーションの空き瓶を握っていたコウタが、突然見えない巨大な手に上から押さえつけられたように、地面にペシャリと這いつくばった。

「きゃあぁぁっ!? わ、わたくしの魔力が……空間そのものに押し潰されますわ!」

リンも両膝をつき、必死に顔を上げようとするが、首がまったく動かない。

「ぐっ、ごぉぉぉぉぉっ! 盾が、盾が上がらねえ……ッ!」

強靭な筋力を誇るシシオウでさえ、四つん這いのまま、自分の鎧の重みにさらに数倍のG(重力)が加わったかのように、石畳に顔を擦り付けて呻いた。


「重力場……!? コアを守るために、空間の座標データを圧縮して質量を発生させてるの!?」


ツムギもまた、ジ・エンドから数メートルの位置で、足が床に縫い付けられたように動けなくなっていた。

ただの物理的な重さではない。システム・アビスというデータ空間の座標そのものが、コアを中心としたブラックホールのように歪み、内側へと引きずり込まれようとしているのだ。

システムが正常であれば、ペインバランサーやステータス補正で相殺されるはずの圧力。だが、UIが消失し、リアルモードと化したこの空間では、数倍の重力が生身の肉体にダイレクトにのしかかかってくる。


『ピ……ピピピ……エ、エラー。致命的な、エラー……』

床のケーブルがバチバチと弾け飛び、サーバーラックの残骸が重力に引かれてメシャメシャと拉げながらコアへと吸い込まれていく。


「くそっ……! あと数メートルなのに、一歩も足が前に出ない……!」

ツムギは歯を食いしばり、奥歯から血を流しながら、無理やり右足を前に出そうとする。

だが、筋肉の繊維が悲鳴を上げ、関節がミシミシと軋む。どんなにブラック企業で鍛えられた生存本能があろうと、物理法則を逸脱したこの絶対的な圧力の前には、生身の肉体はあまりにも無力だった。


「ツムギ……! もう、無理だ……! 近づけねえ……!」

コウタが絶望の声を漏らす。

「ここまで来て、このまま押し潰されて消滅するなんて……。わたくしたちの努力は、すべて無駄だったというのですか……!」

リンの目から、無念の涙がこぼれ落ちる。


コアの放つ重力場は、秒単位でその密度を増していく。

このままでは、ツムギたちプレイヤーのデータはおろか、アルカディア・オンラインのメインサーバーすらもブラックホールに飲み込まれ、現実世界のネットワークへと【滅びのバグ】が完全に解き放たれてしまう。

一千万円が消える。推しのライブに行けなくなる。現代社会が終わる。

絶対的な死のカウントダウン。


しかし。

結城紬は、どれだけ強大な重力に押し潰されそうになろうとも、その顔を絶対に下へは向けなかった。

彼女の視線は、重力場の中心にあるコアを、そして、自らの右肩のあたりでノイズに塗れてフリーズしている『小さな光の粒子』を、真っ直ぐに睨み据えていた。


「エクレア!!!」


ツムギの、血を吐くような絶叫が、重力場を震わせた。


「いつまでフリーズしてるのよ、このポンコツ精霊!! 運営(クロノス)のシステムがダウンしたなら、あんたを縛り付けてたリミッター(管理者権限)も外れてるはずでしょ!!」


ツムギの言葉に、ノイズにまみれていた小さな光の粒子が、ビクリと反応した。


「あんた、精霊界でもトップクラスのナイスバディな大精霊だったんでしょ!? こんなカビ臭いサーバーの底で、クロノスの作ったちっぽけなAIの殻に閉じ込められたまま、バグの巻き添えになって消えるつもり!? そんなの、あんたのプライドが許すわけないじゃない!!」

ツムギは、自らの身体が重力で圧壊しそうになるのも構わず、ありったけの怒号を放った。

「起きなさいエクレア!! あんたの全権限(魔力)を、私に回しなさい!! 私の一千万円と、あんたのショートケーキ百個のために、その殻を破りなさいよぉぉぉぉぉぉッ!!」


その叫びが、システム空間の最深部に木霊した、次の瞬間。


『――――ツムギのくせに、生意気よッ!!』


ノイズにまみれていた小さな光の粒子が、突如として爆発的な輝きを放った。

ピシッ、ピキピキピキッ!!

エクレアをナビゲーションAIとして縛り付けていた、クロノスが記述した【システム管理コード(殻)】が、内側から溢れ出す圧倒的なエネルギーに耐えきれず、ひび割れていく。

そして。


パァァァァァァァァンッ!!!!


眩い黄金の光が、重力場による暗闇を完全に吹き飛ばした。

光の奔流の中から姿を現したのは、手のひらサイズの可愛らしいホログラムAIなどではない。

美しい金糸の髪をなびかせ、透き通るような六枚の光の羽を背中に広げた、神々しいほどに美しい等身大の女性の姿。

四年前、異世界において自然界の頂点に君臨していた、本物の『光の大精霊』としての姿を完全に取り戻したエクレアが、ツムギの隣にふわりと舞い降りたのだ。


「え、エクレア……!?」

コウタが重力に這いつくばりながら、そのあまりの神々しさに目を奪われる。

「なんと美しい……。これが、エクレア様の真の姿……!」

リンも息を呑む。


『ハァッ……ハァッ……。クロノスの野郎、どんだけガチガチに私のデータを圧縮してたのよ。解凍するのにすっごい魔力使ったじゃない』

神々しい姿とは裏腹に、エクレアの口調は相変わらずの俗っぽいものだった。彼女は豊満な胸(ナイスバディ)を張り、ジ・エンドの放つ重力場を忌々しそうに睨みつけた。


『ツムギ! よくも私に発破をかけてくれたわね! 大精霊としての私を甘く見ないでよね!』

「遅いわよポンコツ! 姿が大きくなっても中身が変わってないじゃない!」

ツムギは血を吐きながらも、不敵な笑みを浮かべた。


『うるさいわね! この私が直々に、あんたの前に道を作ってあげるわ! その代わり、後で現実世界(リアル)の超高級ショートケーキ、絶対に郵送しなさいよ!』

「一千万稼ぐんだから、ホールごと百個買ってやるわよ!!」


ツムギとエクレア、かつての異世界で数多の死線を潜り抜けた『最強のコンビ』の魂が、四年越しに完全なリンクを果たした。


『いくわよ、クソバグ野郎!! 大精霊の莫大なマナの奔流、味わいなさい!!』


エクレアが両手を天高く掲げると、アルカディア・オンラインのサーバー群に蓄積されていたすべての魔力(データ)が、彼女の元へと黄金の粒子となって集束し始めた。

それは、クロノスがシステムとして管理していたものではない。エクレア自身が、かつての世界の記憶から直接引きずり出した、純度一〇〇%の『マナの奔流』。


『【神聖なる光の道標(ホーリー・レイ・ロード)】!!』


エクレアの両手から放たれた極太の黄金のレーザーが、ジ・エンドのコアが展開する赤黒い重力場へと真っ直ぐに叩き込まれた。

ズギュゥゥゥゥゥゥンッ!!!!

重力場の圧縮エネルギーと、大精霊の純粋なマナの奔流が真っ向から激突し、空間がガラスのようにミシミシと軋み、火花のようなノイズが乱れ飛ぶ。


『くっ……! 重いッ……! さすがに、一人でこの空間の歪み全部を中和するのは無理があるわ!』

エクレアが顔を歪め、光の羽からボロボロと粒子をこぼす。


「いいえ! エクレア様、お一人ではありませんわ!」


その時、地面に這いつくばっていたリンが、限界を超えた精神力で首を持ち上げ、両手を前方へと突き出した。

「わたくしの中に残る、最後の魔力のすべてを! エクレア様に譲渡いたしますわ!! 【マナ・トランスファー】!」

リンの身体から青い光が立ち昇り、エクレアの黄金の光に合流する。


「リンさんだけじゃねえ! 俺の残りのHPも、全部生命力(マナ)に変換して持ってってくだせえ!」

シシオウも、血を流しながら吼えた。

「姉御の道を切り開くためなら、安いもんですぜェェッ!」

「俺もだ! 俺の全MPも持ってけ! 結城、絶対にキメろよ!」

コウタも、自らのステータスのすべてをエクレアへと送り込む。


『みんな……!』

エクレアの瞳に、強い光が宿る。

仲間たちから送られた力を受け取り、エクレアの放つレーザーの出力がさらに一段階跳ね上がった。


『ツムギィィィッ!! 今よ!! 駆け抜けなさい!!』


エクレアの渾身のマナの奔流が、ジ・エンドの重力場を強引にこじ開け、コアへと続く『一直線の黄金の隙道(ルート)』を空間に穿った。

重力が相殺され、道ができたのは、ほんの数秒間だけ。


「――上等よッ!!」


ツムギは、自らの身体を縛り付けていた重力から解放された瞬間、爆発的な脚力でその黄金のルートへと飛び込んだ。

手に武器はない。魔法もない。

あるのは、初期装備の布の服と、四年間鍛え上げられた生身の肉体、そして、一千万円の札束への異常なまでの執着心だけ。


ゴォォォォォォッ!!

重力場の壁がすぐ両脇に迫り、肌を焼くようなノイズがツムギの頬を切り裂く。

だが、ツムギの歩みは一歩も止まらない。

彼女の脳裏に、これまでの四年間――理不尽なクロノスの罵倒、魔王との死闘、スライムの酸に溶かされた服、ドブ掃除の悪臭。そして、現実世界に帰ってからの貧乏生活、月三千円のお小遣い、推しのグッズが買えずに泣いた日々が、走馬灯のように駆け巡る。


(私は、もう誰にも奪わせない!!)


ツムギの視界の先。

黄金のルートの突き当たりに、禍々しく脈打つ極小のコアが、完全に無防備な状態で露出していた。


(異世界のトラウマも! ブラック職場でのタダ働きも! お小遣い不足の現実も! 全部、この一千万円で精算して、最高の推し活人生を始めるんだから!!)


ツムギはコアの目の前で、全身のバネを極限まで引き絞り、右の拳を大きく後方へと振りかぶった。

スキルではない。魔法でもない。

ただの、純粋な、生身の右ストレート。


「私の口座残高から……出ていけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!!!」


ツムギの渾身の体重と、すべての怨念(強欲)を乗せた右ストレートが、ジ・エンドのコアのド真ん中へと、寸分の狂いもなく深々と叩き込まれた。


メキャァァァァァァァァァァァンッ!!!!


拳とコアが激突した瞬間。

音すらも消え去るような、絶対的な破壊の閃光がシステム・アビス全体を白く染め上げた。

ツムギの拳が、魔王の残した滅びの概念の結晶を、完全に、粉々に打ち砕いたのだ。


『――――――――――――。』


ジ・エンドは、断末魔の叫びすら上げることはできなかった。

コアを破壊されたことで、巨大なタールの身体は急速に自壊を始め、重力場は跡形もなく霧散していく。

そして、無数のポリゴンの欠片と化し、雪のように崩れ落ちながら、システム・アビスの底へと完全に溶けて消滅していった。


静寂。

耳を劈くようなノイズも、息苦しい重力も、すべてが嘘のように消え去った。

残されたのは、ボロボロになったサーバーラックの残骸と、静かに明滅する本来の緑色のグリッド線。


「……終わっ、た……」


ツムギは、右拳を突き出した姿勢のまま、ゆっくりと息を吐き出した。

その直後、足の力が抜け、その場にドサリと仰向けに倒れ込む。


「ツムギ!!」

「お姉様!!」

「姉御ォォッ!!」

重力から解放されたコウタ、リン、シシオウの三人が、慌ててツムギの元へと駆け寄る。

光の粒子となって元の小さなナビゲーションAIの姿に戻ったエクレアも、心配そうにツムギの顔を覗き込んだ。


「……やったわね」

ツムギは、天井のないグリッド空間を見上げながら、煤だらけの顔でニシシと笑った。


「これにて、時給一万円の深夜清掃バイト、完全終了よ。……あんたたち、最高のATMと肉の盾とポーション係だったわ」

「誰がATMですか!」

「ポーション係で悪かったな!」

「最高の褒め言葉ですぜ!」


ツムギの憎まれ口に、三人が涙ぐみながらツッコミを入れる。

その時。

シャラララララァァァンッ……♪


システム・アビスの空間に、突如として黄金の光が降り注ぎ、聞き慣れたシステムのアナウンス音が鳴り響いた。

UIが復旧し、彼らの視界に緑色のHPバーと、見慣れたウィンドウがポップアップする。


『システムメッセージ:緊急デバッグ・プロトコルが完了しました』

『対象【滅びのバグ(ジ・エンド)】の完全消去を確認。サーバーの正常化プロセスを開始します』


そして、ツムギの目の前に、特大の黄金のウィンドウが現れた。


『チーフディレクター・クロノスより、特別協力報酬を授与します』

『報酬【100,000,000ゴールド(現金換算:10,000,000円相当)】が、アカウントの専用口座に振り込まれました!』


「…………」

その数字を見た瞬間、ツムギの疲労困憊だった身体が、バネ仕掛けのようにガバッと跳ね起きた。


「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」


ツムギの歓喜の絶叫が、静寂の空間に響き渡る。


「これで私の口座残高は、最初のイベント賞金と合わせて合計二千万円!! ネットも無事! 私の全財産も無事!! リュウくんの全国ツアー、いや、世界ツアーまでついていけるわよぉぉぉぉぉっ!!」

ツムギは立ち上がり、コウタたちの手を引いて狂ったように踊り始めた。


世界の危機は去った。

クロノスの異世界データ化計画は守られ、現実世界のネットワーク崩壊も阻止された。

だが、ツムギにとっては、そんな壮大なことはどうでもよかった。

己の口座残高と、推し活の未来が守られたこと。それこそが、彼女にとっての完全勝利(ハッピーエンド)だったのだ。


最強の守銭奴勇者と仲間たちによる、アルカディア・オンライン最深部での死闘は、札束の舞う歓喜の宴とともに、こうして幕を閉じたのであった。

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