第48話:異世界をデータ化した理由〜世界の命運より口座の残高〜
「ふざけんなクソジジイ!! 世界がどうなろうと知ったこっちゃないけど、私の推しのライブ資金(一千万円)をゼロにしようとするバグだけは、絶対に、絶対に私が物理で粉砕してやるわぁぁぁぁぁぁっ!!!」
真っ白で無機質な正六面体の空間――『アルカディア・オンライン』の運営特別ルーム。
そこで響き渡ったのは、かつて世界を救った伝説の勇者の崇高な決意などではなく、自身が血反吐を吐いて稼ぎ出した「口座残高」を脅かされることへの、極限の怒りと強欲に満ちた守銭奴の咆哮であった。
結城紬(アバター名:ツムギ)は、真っ赤に血走った目で、チーフディレクターであるクロノス(元・異世界の宮廷魔術師)の胸ぐらを再びガシィッ!と掴み上げ、前後に激しく揺さぶった。
「ゆ、揺らすな! 頼むから落ち着け結城紬! お前、世界の危機よりも自分の銀行口座の方が大事なのか!?」
「当たり前でしょ! 世界が滅んでも推しのライブのDVDは残らないけど、一千万円あれば推しの事務所の筆頭株主になれるかもしれないのよ! あんたのその壮大で迷惑な『異世界のお引っ越し計画』のせいで、私の四年間の結晶が消えようとしてるなんて、絶対に許さないんだから!!」
「ぐあぁぁっ……! 理不尽すぎる……! 相変わらずこいつの価値観は狂っている……!」
クロノスは三半規管をシェイクされながら、かつて自分が育て上げた勇者のブレなさ(というより強欲の極み)に、頭を抱えるしかなかった。
ツムギの右肩で不可視モードを解除しているナビゲーションAIのエクレアも、「やれー! もっとやれー! 私のショートケーキ代もむしり取るのよ!」とポンポン飛び跳ねて煽り立てている。
「ハァッ……ハァッ……」
数分間クロノスを揺さぶり続け、ようやく気が済んだツムギは、彼を白い革張りのソファへと乱暴に放り投げた。
ツムギは腕を組み、冷ややかな、しかし底知れぬ怒りを孕んだ瞳で見下ろす。
「……で? そもそも、なんでそんな危ない『滅びのバグ』を持った異世界のデータを、わざわざ現代地球のインターネット・サーバーなんかに繋いだわけ? 迷惑にも程があるでしょ。あんた、天才プログラマーだか宮廷魔術師だか知らないけど、セキュリティ意識とかコンプライアンスの概念はないの?」
ツムギの痛烈な正論(ネットリテラシーからのダメ出し)に、クロノスはバツが悪そうに視線を逸らした。
「……それしか、方法がなかったんだ」
クロノスは乱れたネクタイを直し、深く沈み込むようにため息をついた。その顔には、先ほどまでの傲慢さは消え失せ、代わりに一人の無力な指導者としての深い悲哀が刻まれていた。
「お前が魔王を倒してくれたあの日。俺たちは歓喜に沸き、お前を元の世界へ帰還させた。……だが、真の絶望はそこから始まった」
クロノスの瞳が、虚空を見つめ、過去の光景を再生し始める。
「魔王は倒れたが、奴が数百年かけて世界中に撒き散らした『破滅の瘴気』は、大地そのものを深く蝕んでいた。お前が帰還してわずか数ヶ月後。豊かだった森の木々は一晩で立ち枯れ、清らかだった川や湖は干上がり、大地には底知れぬ亀裂が走った。世界の生命力を支える根源エネルギーである『マナ』が、完全に枯渇になってしまったんだ」
「マナの枯渇……」
ツムギは眉をひそめた。異世界において、マナは空気や水と同義だ。それが無くなるということは、文字通り星が死ぬことを意味する。
「ああ。人々は飢え、渇き、そしてマナ欠乏症によって次々と倒れていった。俺たち宮廷の魔術師団は、残されたわずかなマナをかき集め、なんとか世界を延命させようと必死に足掻いた。だが、ダメだった。世界は修復不可能なレベルで壊死していた。このままでは、我々の歴史も、文化も、人々が生きた証も、すべてが虚無の彼方へと消え去ってしまう」
クロノスの声が震えていた。彼もまた、一人の人間として、故郷が崩壊していく様を目の当たりにして絶望の底にいたのだ。
「俺は、宮廷魔術師の長として決断した。この世界を『物理的』に救うことはできない。ならば、せめて『情報』として、この世界のすべてを保存するしかないと」
クロノスは懐から、一つの小さな、黒く濁った宝石のようなものを取り出し、テーブルの上に置いた。
「俺は禁術指定されていた『魂の観測大魔法』を独自に改良し、世界の地形、建造物、動植物の生態系、魔法の物理法則、そして生き残っていた人々の記憶と魂の構造に至るまで、すべての情報を『1と0のデジタルデータ』に変換する術式を編み出した。……だが、それを保存するための【器】が、俺たちの世界にはもう存在しなかった」
「だから、私のいた現実世界(地球)のネットワークに目をつけたってわけ?」
ツムギの問いに、クロノスは重々しく頷いた。
「そうだ。お前を召喚し、送還した際の『次元の繋がり(パス)』の痕跡を辿り、俺はお前たちの世界の巨大な情報網という存在を発見した。無限とも言えるデータ容量を持つサーバー群。これなら、俺たちの世界の全情報を保存できる。……俺は残された全生命の同意を得て、世界をデータ化し、次元の壁を越えて地球のサーバーへと送信した」
クロノスの語るスケールは、中学生のツムギの理解をはるかに超えるものだった。しかし、彼女はゲーマーとしての知識と、生来の飲み込みの早さで、その事象を強引に咀嚼していく。
「なるほどね。で、そのままデータを置いといたら怪しまれるから、『アルカディア・オンライン』っていうVRMMOゲームの皮を被せて偽装したってわけ。プレイヤーがログインして遊ぶことで、サーバーの維持費やトラフィックを正当化するために」
「その通りだ。お前たちの世界のIT企業をダミーとして立ち上げ、俺自身がチーフディレクターとしてシステムを統括した。ゲームという形をとれば、異世界の地形や魔法法則がそのまま再現されていても、ただの『精巧なゲーム設定』として受け入れられるからな」
そこまで聞いて、ツムギの右肩にいたエクレアが、不満そうにほっぺたを膨らませて前に飛び出してきた。
『ちょっと待ちなさいよ! 世界をデータ化して避難させたのは分かったわ。じゃあ、なんで私(大精霊)が、あんな感情の薄い、機械的なシステムAIに改造されなきゃならなかったのよ! 私、精霊界でもトップクラスのナイスバディだったのに、今はこんな手のひらサイズのホログラムよ!?』
エクレアが空中でジタバタと暴れる。
クロノスはエクレアを一瞥し、深い疲労感を滲ませながら答えた。
「……文句を言うな、ポンコツ精霊。お前のその『大精霊としての莫大な魔力情報』と『無駄に豊かすぎる感情データ(エゴ)』は、データ化する際に凄まじい容量(テラバイト単位)を圧迫したんだ。そのままではサーバーに負荷がかかりすぎる。だから、お前の自我を極限まで圧縮し、システムを監視するナビゲーションAIの殻に押し込むしかなかったんだ」
『容量圧迫って失礼ね! 私の魅力が多すぎたってことじゃない!』
「お前の頭の中の八割は、最高級スイーツの味の記憶と、全裸で踊った黒歴史の映像データで埋まっていたがな。圧縮するのにどれだけ苦労したと思っている」
『ぎゃあああああっ!? なんでそれを言うのよぉぉぉっ!!』
クロノスの容赦ない事実の暴露に、エクレアは悲鳴を上げてツムギの背後に隠れ、ブルブルと震え出した。
「……なるほどね。あんたの壮大なお引っ越しと、データ圧縮の弊害はよく分かったわ」
ツムギは冷静に状況を整理し、腕を組んだ。
「でも、一番肝心なことが抜けてるわよ。異世界を丸ごとデータ化して持ってきたのはいいとして。なんで、その中に『世界を滅ぼしたバグ(滅びの概念)』まで一緒にパックして持ってきちゃったのよ。解凍する前にウイルスチェックくらいしなさいよ!」
ツムギの正論すぎるダメ出しに、クロノスは胃のあたりを押さえてうめき声を上げた。
「……俺だって、好きで持ってきたわけではない! マナの枯渇という『現象』そのものが、世界のデータと根深く癒着してしまっていたんだ。システムから完全に切り離せば、異世界のデータそのものが破損する危険があった。だから、俺はゲームの最深部――絶対に誰もアクセスできない【システム・アビス(深淵領域)】に、そのバグの塊を封印(隔離)したはずだったんだ」
クロノスの顔が、再び深い絶望の色に染まっていく。
「だが……俺は甘かった。データ化された『滅びの概念』は、ゲームのシステムの中で独自の進化を遂げ、自立したウイルス(バグ)として増殖を始めてしまった。俺の管理者権限すら受け付けない、完全なブラックボックスの中でな。……そして今、そのバグの塊が、隔離領域の壁を破り、ゲームのメインサーバーへと侵食を開始しようとしている」
クロノスは、両手で顔を覆った。
「このままでは、ゲーム内がバグのモンスターで溢れ返り、すべてのデータが消去される。それだけじゃない。アルカディア・オンラインのサーバー群は、現代地球の巨大なクラウドネットワークと直結している。もしバグが外のネットワークへ流出すれば……」
「銀行のシステムからインフラまで、全部ぶっ壊れる。……私の口座残高もろともね」
ツムギが低い声で言葉を引き取った。
「そういうことだ。……すまない、結城紬。俺のエゴで、お前たちの世界まで巻き込んでしまった。俺は、神気取りでゲームを運営していたつもりが、ただ破滅への時限爆弾を抱え込んでいただけだったんだ」
クロノスは、深く、深く頭を下げた。
四年前、あれほど傲慢に振る舞っていた宮廷魔術師が、自らの無力さを認め、教え子である少女にすべてを委ねようとしている。
重苦しい沈黙が、純白の運営ルームに落ちた。
世界の真実。アルカディア・オンラインの正体。そして、現実世界へのウイルスの侵食という、あまりにも巨大すぎる絶望。
普通の中学生であれば、恐怖で泣き出すか、逃げ出してしまうだろう。
しかし。
結城紬という少女の辞書に、「タダ働き」と「泣き寝入り」という言葉は存在しない。
「……頭を上げなさい、クロノス」
ツムギの、冷たく、しかし鋼のように硬い声が響いた。
クロノスが顔を上げると、そこには、初期装備の布の服を着たまま、仁王立ちで彼を見下ろす小柄な少女の姿があった。
彼女の目には、世界の危機に対する恐怖はない。あるのは、己の財産を脅かす不条理に対する、烈火のごとき怒りと反骨心だけだった。
「あんたの事情はよく分かったわ。要するに、あんたの壮大な引っ越しの手違いで、私の口座の『一千万円』が消滅の危機に晒されてる。そして、あんたにはもうそれを止める手段(権限)がない。……そういうことでしょ?」
「……ああ。情けない話だが、俺のシステムへのアクセス権は、バグの侵食によってすでに90%以上がロックされている。俺が直接システム・アビスに手出しすることは、物理的に不可能なんだ」
「なら、話は簡単よ」
ツムギは木の棒を肩に担ぎ直し、口角を獰猛に吊り上げた。
「あんたの手出しできない『ゲームの中(現場)』なら、私が物理でそのバグを叩き潰して(デバッグして)やるわ。私の稼いだ一千万円を守るため、そして推しのライブに行くためにね」
「ツ、ツムギ……! お前、やってくれるのか!?」
クロノスの目に、一筋の希望の光が宿る。
「勘違いしないで。これは世界を救う勇者のボランティアじゃないわ。私の口座を守るための『防衛戦』であり、あんたからの正式な『業務委託』よ」
ツムギは指を三本立てて、クロノスの鼻先に突きつけた。
「条件は三つ。一つ、そのバグの塊がいる隔離領域への裏口をエクレアに開かせること。二つ、私たちがバグを討伐する間、現実世界のサーバーの防壁を死ぬ気で維持すること。そして三つ……」
ツムギの目が、今日一番の巨大な『¥』マークに輝いた。
「この仕事(デバッグ作業)が成功した暁には、四年前の未払い残業代と、今回の特別危険手当を合わせて、私の口座に『さらに一億ゴールド(現金換算一千万円)』を振り込むこと! もちろん、私がこれまで稼いだアイテムやポイントの没収(BAN)も一切なしよ! 文句ある?」
世界の危機を盾に取った、究極の足元を見た価格交渉。
クロノスは呆気に取られ、そして、数秒後。
諦めと、どこか安堵の入り混じったような、乾いた笑い声を上げた。
「ハッ……ハハハハハッ。お前という奴は、本当に、恐ろしいほどの守銭奴だな……。世界が滅ぶかどうかの瀬戸際に、自分の報酬の交渉から入るとは……」
「金銭契約の曖昧さは、後々のトラブルの元よ。あんたみたいなブラック上司が相手なら尚更ね。……払えるの? 払えないの?」
「……払おう。俺のディレクター権限と、個人の資産をすべて投げ打ってでも、お前のその強欲な要求に応えてみせる」
クロノスは立ち上がり、ツムギに向かって右手を差し出した。
「頼む、結城紬。……俺たちの世界を、もう一度救ってくれ」
ツムギは、その手を力強く握り返した。
「任せなさい。私の『推し活』を邪魔するバグ野郎は、一ピクセル残らずこの世から消し去ってやるわ」
守銭奴勇者とブラック上司の、利害の完全な一致。
かくして、アルカディア・オンラインの最深部に巣食う『滅びの概念』を物理で粉砕するための、前代未聞の「高額デバッグ・アルバイト」の契約が成立したのである。
「さあ、エクレア! 元の世界(ゲームの現場)に戻して! 相沢くんたちを酒場に呼び出すわよ! 時給一万円の深夜清掃バイトの始まりよ!」
『了解よ、ツムギ! 私のショートケーキ代もかかってるんだから、気合入れるわよ!』
光に包まれ、運営特別ルームから姿を消すツムギとエクレア。
残されたクロノスは、静かになった純白の部屋で、胃薬の空き瓶を見つめながら、フッと小さく笑みをこぼした。
「……頼んだぞ、最強の守銭奴」
世界の終末を回避するための、最も泥臭く、最もカネに塗れた最終決戦の幕が、静かに、しかし確実に開こうとしていた。




