第46話:BANの危機? いいえ、VIP待遇です〜最強の守銭奴、運営に呼び出される〜
超大型公式イベント『王都防衛戦』が、一人の女子中学生の異常なまでの強欲と、泥水まみれの物理ハックによって幕を閉じてから数日が経過していた。
アルカディア・オンラインの世界は、未だにその余波で大きく揺れ動いていた。ランキング第一位に輝いたパーティ【ツムギ・リン・コウタ・シシオウ】が叩き出した『六百八十五万ポイント』という天文学的なスコアは、公式掲示板で連日連夜の大炎上を引き起こし、「チートだ」「バグ利用だ」「いや、あれは隠しギミックを使った仕様の範囲内だ」と、プレイヤーたちを二分する大論争を巻き起こしていたのだ。
しかし、そんな外野の喧騒など、当の本人にとっては完全にどうでもいいことだった。
商業都市ロンデルの高級宿屋。その最上階にあるVIPルームのふかふかなベッドの上で、結城紬(アバター名:ツムギ)は、空中に展開したシステムウィンドウをうっとりとした表情で見つめていた。
『現在の専用口座残高:105,239,330ゴールド』
『※リアルマネートレード(RMT)換金申請中。審査完了までお待ちください』
「ふふっ……あははははっ……♪ いちおく、ごひゃくにじゅうまんえん……。現金換算で、一千五万円……!」
初期装備の布の服から、少しだけマシな(しかし動きやすさ重視の)革のチュニックに着替えたツムギが、ベッドの上でゴロゴロと転げ回りながら、数字の羅列に頬ずりをしている。
「夢じゃない。本当に私の口座に振り込まれてる……。これがあれば……これがあれば!」
ツムギの脳内に、大好きなアイドルグループ『ギャラクシー・ボーイズ』の絶対的エース、リュウくんの姿が神々しい後光とともに浮かび上がる。
全国ツアーの全公演、SS席アリーナ最前列チケットの完全制覇。
移動は全て新幹線のグリーン車、あるいは飛行機のプレミアムクラス。
宿泊は各地の五つ星ホテルのスイートルーム。
各会場での物販グッズは上限まで買い占め、メンバーカラーである真紅のペンライトは指の間に挟んで片手で三本ずつ、両手で六本振る『ウルヴァリン・スタイル』を確立する。
さらに余った資金で、リュウくんの所属事務所の株を買い集め、大株主として彼のソロプロジェクトに口出しする権力すら手に入れられるかもしれない。
「最高……! 控えめに言って、人生の絶頂期だわ! 四年間、あの異世界で泥水すすって魔王を倒した苦労が、今こうして資本主義の奇跡によって報われたのよ!」
ツムギは両手を天に突き上げて高笑いを上げた。
『……あんた、本当にブレないわね。世界を滅ぼすレベルの魔王と戦った直後だってのに、頭の中身はカネとアイドルのことばっかりじゃない』
ツムギの右肩付近で光の粒子が収束し、ナビゲーションAIであるエクレア(元・大精霊)が呆れたような顔で姿を現した。
「当然でしょ。私はカネ(賞金)のために戦ったんだから。あのクソ魔王のせいで私の推し活資金がパーになりかけた時はどうなるかと思ったけど、結果的には未実装のドロップアイテムまで大量に手に入ったし、クロノスには感謝しなきゃいけないかもね」
ツムギはインベントリを開き、魔王からドロップした【破滅の黒翼(Epic)】や【絶望の魔核(Legendary)】といった、ゲームの寿命を数年は縮めるであろう超高額レアアイテムのアイコンを眺めてニヤニヤした。
「これをオークションに少しずつ小出しにして流せば、相場を崩すことなくさらに数百万は稼げるわ。エクレア、あんたにも約束通り、システム内の高級ショートケーキを毎日一個ずつ支給してあげるから感謝しなさい」
『本当!? やったぁっ! ……って、なんで私がこんなご褒美で手懐けられてるのよぉ! 私、これでも大精霊なのに……!』
「元・大精霊でしょ。今は立派な私の共犯者よ」
ツムギがエクレアの小さな頭を指で小突いた、その時だった。
――ピィィィィィィンッ!!!!
ツムギの脳内に、鼓膜を突き破らんばかりの鋭く甲高いシステムアラートが鳴り響いた。
「な、なに!?」
ツムギがベッドから跳ね起きる。
視界のど真ん中に、これまでに見たこともないような、真っ赤に点滅する警告ウィンドウが強制的にポップアップしたのだ。
『WARNING:システム・オーバーライド』
『管理者権限による直接介入が実行されました。対象プレイヤー:ツムギ』
『これより、対象のアカウントを特殊隔離空間へ強制転送します』
「きょ、強制転送!? ちょっと、どういうことよエクレア!」
ツムギは慌ててエクレアに怒鳴ったが、エクレアのホログラムも激しいノイズとともにノイズ混じりの赤い光を発してパニックに陥っていた。
『わ、分からないわ! 私のナビゲーションAIとしての権限が、完全にブロックされてる! システムの中枢……運営のトップ権限からの直接の干渉よ! これ、不正プレイヤーをBAN(アカウント停止)する時に使われる、最終プロトコルだわ!』
「BAN……!?」
その三文字を聞いた瞬間、ツムギの全身からスゥッと血の気が引いた。
「嘘でしょ!? アカウント停止ってことは、つまり……」
『そうよ! あんたが持ってる一億円の賞金データも、インベントリの中のレアアイテムも、全部サーバーから【消去】されて、リアルマネーへの換金申請もパーになるってことよ!!』
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 私の一千万円がぁぁぁっ!!」
ツムギが絶叫を上げた瞬間、彼女の視界が完全にブラックアウトした。
VR特有の浮遊感。足元から床が消え去り、底なしの暗闇へと真っ逆さまに落下していくような感覚がツムギを襲う。
「返して! 私の推しのライブ遠征費を返してぇぇぇぇっ!!」
ツムギの悲痛な叫び声は、空間の転送処理によってノイズとともに途切れた。
◇ ◇ ◇
……パッ。
唐突に、ツムギの足の裏に『床』の感触が戻った。
暗転していた視界が晴れる。
そこは、ロンデルの宿屋のVIPルームではなく、壁も天井も床も、すべてが淀みのない純白で統一された、極めて無機質な立方体の空間だった。
部屋の中央には、高級そうな白い大理石のテーブルと、革張りの白いソファが向かい合わせに置かれているだけ。窓も扉も存在しない。
空間全体から、ゲームの世界とは完全に切り離された、システム的な冷たさが漂っていた。
『システムメッセージ:【運営特別ルーム】へようこそ』
空中に浮かんだ無機質な文字。
ツムギはソファの前に立ち尽くしたまま、ガタガタと震え始めた。
運営特別ルーム。それは、オンラインゲームにおいて、重大な規約違反を行ったプレイヤーや、チートツールの使用が疑われるプレイヤーが、運営のゲームマスター(GM)から直接の尋問や処罰(宣告)を受けるために呼び出される、別名『処刑室』である。
「お、終わった……。終わったわ……」
ツムギは両手で頭を抱え込み、その場にへたり込んだ。
思い当たる節は、ありすぎた。
初期村の隠しダンジョンでのボスハメ殺し。
NPCの隠しパラメータを悪用したゆすり行為。
未実装の隔離宝物庫への不法侵入と、中身の全略奪。
大下水道での水攻めによる、数百万ポイントの完全独占。
デバッグモンスターの出待ちリスキルによるレア素材密猟。
「ど、どうしよう……。言い逃れできるかしら……。水門のレバーを引いたのはただの地形ギミックの利用だし、スライムの体液を使ったのも物理演算の仕様の範囲内だし……! 魔王だって、向こうから勝手に襲ってきたのを正当防衛で倒しただけじゃない……!」
ツムギの脳内で、裁判の被告人のような凄まじい勢いの自己弁護が組み上げられていく。
しかし、そんな詭弁が運営のトップに通用するだろうか。相手は、この世界のルールそのものを決定する神なのだ。
「ダメよ、弱気になっちゃダメ! 相手がどんな理不尽な難癖をつけてこようと、絶対に一億円は渡さない! アカウントを凍結されるくらいなら、訴訟を起こして法廷で争ってやるんだから!!」
ツムギはギリィッ!と奥歯を噛み締め、立ち上がった。
彼女の目に、恐怖を押し退けて、カネを守るための狂暴な『闘志(守銭奴の意地)』が燃え上がった。
その時。
何もない純白の壁の一部が、スゥッと音もなくスライドし、一枚の扉が現れた。
コツ……コツ……。
重い足音が響き、扉の向こうから、一人の男が姿を現した。
身に纏っているのは、現実世界のIT企業のエグゼクティブが着るような、仕立ての良い漆黒のスーツ。
だが、その立派な服装とは裏腹に、男の姿はあまりにも『悲惨』だった。
「……あ、あいつか。俺の作ったシステムを食い物にして、一千万円の賞金をかっ攫っていった悪魔は……」
男の頭上には、赤文字で【チーフディレクター:クロノス】というネームプレートが浮かんでいる。
年齢は三十代後半から四十代前半。しかし、その顔色は完全に死人のような土気色であり、目の下には黒々とした巨大なクマがくっきりと刻み込まれていた。
頬はゲッソリとこけ、手には胃薬の空き瓶が力なく握られている。その足取りはフラフラで、まるで何日も徹夜を繰り返した末に、精神が崩壊する一歩手前のブラック企業の中間管理職そのものであった。
「あんたが、運営のトップ……クロノスね!」
ツムギは一歩前に出て、クロノスに向かってビシィッ!と指を突きつけた。先制攻撃である。
「言っておくけど、私は規約違反になるような外部ツール(チート)は一切使ってないわ! 私が稼いだポイントもレアアイテムも、すべてあんたたちが作った『仕様の範囲内』の物理演算とギミックを利用した正当な報酬よ! 仕様の穴を放置した運営の怠慢を棚に上げて、プレイヤーのアカウントを凍結しようなんて、そんな横暴が許されると……!」
「……うるさい」
ツムギのまくし立てるような自己弁護を、クロノスは低く、かすれた声で遮った。
彼はフラフラと歩き、ツムギの目の前にある白い革張りのソファに、糸の切れた操り人形のようにドサッと崩れ落ちた。
「……相変わらず、やかましいガキだな」
クロノスはソファの背もたれに深く体を預け、天井を仰ぎ見ながら、深く、深く、呪詛のようなため息を吐き出した。
「お前が屁理屈の天才で、カネのためならどんな悪辣な手段でも正当化する守銭奴だっていうことくらい、四年前から嫌というほど分かっているさ。……結城紬」
「え……?」
ツムギの指先が、空中でピタリと止まった。
今、この男はなんと言った?
結城紬。それは、ツムギの『現実世界』の本名だ。アカウント登録時に入力した個人情報とはいえ、運営がプレイヤーを直接本名で呼ぶことなど、通常はあり得ない。
それに、何よりも。
(相変わらず……? 四年前から……?)
ツムギは、目を丸くして、ソファに沈み込んでいるクロノスの顔を、改めてじっと観察した。
現代風のスタイリッシュなスーツ。短く整えられた髪。
だが、その顔の骨格、鋭く細い目つき、神経質そうに指先で椅子の肘掛けを叩くクセ。
そして、人を常に見下すような、あの尊大で傲慢な声音のトーン。
ツムギの脳裏に、一つの記憶が、雷に打たれたように鮮烈に蘇った。
――四年前。
ツムギを無理やり異世界へ召喚し、「世界を救え」という大義名分を盾にして、十歳の少女にドブ掃除から魔王討伐まで、一切の容赦のないブラック労働を強いた張本人。
豪華なローブを纏い、常に上から目線でツムギを罵倒し続け、そして魔王を倒した途端に、退職金の一円すら支払わずに「元の世界に帰れ」と強制送還した、あの最低最悪の雇用主。
「……嘘、でしょ」
ツムギの口から、掠れた声が漏れた。
スーツ姿に騙されていた。アバターのグラフィックが現代風に調整されていることに気づかなかった。
だが、その中身(魂)が放つ、どうしようもなく鼻につくブラック上司のオーラは、間違いなく「あの男」のものだった。
「あんた……。あんた、もしかして……」
ツムギは両手をワナワナと震わせながら、ソファに座るクロノスを指差した。
「あの時の……あの異世界で私をコキ使った、あの宮廷魔術師の【クソジジイ】なのッ!?」
ツムギの悲鳴にも似た絶叫が、無機質な運営特別ルームに響き渡った。
クロノスは重い首をゆっくりと持ち上げ、目の下にクマを作った土気色の顔で、ツムギを忌々しそうに睨み返した。
「クソジジイとはなんだ、クソジジイとは。相変わらず口の減らない、下品な小娘め。……少しは成長して、淑やかなレディにでもなっているかと思えば、中身はあの時の守銭奴のままじゃないか」
クロノスは自嘲するように鼻で笑い、胃薬の空き瓶をテーブルの上にコトリと置いた。
「よくぞ見破った、と言いたいところだが……。俺の作り上げたゲームのシステムを、ここまで木っ端微塵に食い荒らしてくれたお前に、賞賛の言葉など一文字もかけてやる気は起きんよ。……久しぶりだな、俺の(・・・・)勇者よ」
BANの危機、アカウント停止の恐怖。
そんなものは、この瞬間、ツムギの頭の中から完全に吹き飛んでいた。
アルカディア・オンラインのチーフディレクターであり、この世界の神。
その正体が、かつて自分にタダ働きを強要した、異世界のブラック上司(宮廷魔術師)その人であったという衝撃の真実。
「あ、あんた……! あんたがあのクソジジイだったの!? じゃあ、このゲームが異世界と丸ごと一緒だったのも、魔王があんなリアルだったのも、全部あんたの仕業だったっていうの!?」
「そうだ。すべては俺が仕組んだことだ」
クロノスは、深くため息をつきながら、両手を組んでツムギを見据えた。
運営とプレイヤー。
神とバグ。
そして、かつてのブラック上司と、タダ働きさせられた元部下。
最悪の因縁を持つ二人の、四年越しの直接対決(交渉)が、外界から完全に隔離されたこの白い部屋で、いよいよ火蓋を切ろうとしていた。




