第45話:トップの座と推しのライブ〜一億円の札束とドタバタ打ち上げ〜
パリィィィィィンッ……!!
ツムギの握りしめた『木の棒(光属性の結晶石付き)』が、魔王の首元にある真紅のコアを完全に貫いた瞬間。ガラスが砕け散るような、世界そのもののヒビ割れる音が王都アルカディアの地下空間に響き渡った。
生存確率0%のバグ、運営が投下した最終破滅存在である魔王の巨体が、内側から溢れ出す圧倒的な光の奔流に耐えきれず、激しく明滅を繰り返す。
『オ……オオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッッ……!!!』
地獄の底から響くような魔王の断末魔の咆哮が、王都全土を震わせた。
その声とともに、漆黒の六枚翼がパラパラと光の粒子となって分解され、黒曜石の絶対装甲が細かい塵となって虚空へと溶けていく。数千トンの質量を誇った絶望の化身は、一人の小柄な女子中学生の放った一撃によって、文字通りデータレベルから完全に消去されようとしていた。
ズゴゴゴゴォォォォンッ!!
魔王の体が完全に崩壊し、天を突くような巨大な青いポリゴンの光の柱が上空へと撃ち出される。
それは、王都アルカディアの上空を覆っていた『血のように赤い空』を、まるでモップで拭き取るかのように浄化していった。
禍々しい赤色は消え去り、元の美しい、突き抜けるような青空と、夕暮れの黄金色が世界に戻ってくる。
「……倒した……。本当に、倒しちまった……」
相沢航太(アバター名:コウタ)は、空になったポーションの段ボール箱を抱え込んだまま、その場にへたり込んだ。彼の足の震えは止まらず、目の前で起きた信じられない奇跡に、ただただ唖然とするしかなかった。
「お、お姉様……! やりましたわ! やりましたわぁぁぁっ!!」
東山凛(アバター名:リン)が、泥だらけになった村娘の服のまま、顔をくしゃくしゃにして号泣し始めた。彼女のMPは完全に枯渇し、杖を持つ手は震えていたが、その顔には最大限の歓喜が溢れている。
「応ォォォォォォッ!! 姉御の……俺たちの勝利ですぜェェェェッ!!」
重戦士シシオウが、満身創痍の巨体を揺らし、ボロボロになったタワーシールドを天高く掲げて雄叫びを上げた。社畜の極限のブラック労働(三秒の耐久)が、ついに報われた瞬間だった。
『ツムギィィィッ! やった、やったわよ! クロノスの奴の最高傑作の嫌がらせを、完全にブチ破ってやったわぁぁっ!!』
ナビゲーションAIのエクレアが、ツムギの頭の周囲を光の軌跡を描きながらビュンビュンと飛び回り、大歓声を上げる。
そして。
シャララララララァァァンッ……♪♪♪
空から黄金色の光の雨が降り注ぎ、アルカディア・オンラインの全サーバー、すべてのプレイヤーの脳内に、これまでにないほど壮大で、オーケストラの生演奏のような超豪華なファンファーレが鳴り響き始めた。
『システム・ワールドアナウンス』
『アルカディア・オンライン全プレイヤーに告ぐ!』
『王都アルカディアに飛来した【最終破滅存在(魔王)】は、たった今、勇敢なる冒険者たちの手によって完全に討伐された!』
『これをもって、超大型公式イベント【王都防衛戦】の終了を宣言する!!』
そのアナウンスが流れた瞬間、城壁の上で生き残っていたわずかなプレイヤーたちや、全国の安全地帯で復活待ちをしていた数十万のプレイヤーたちから、地鳴りのような大歓声が巻き起こった。
彼らは魔王の圧倒的な暴力に蹂躙され、絶望の淵に突き落とされていたが、誰かがその絶望を打ち破ってくれたのだと知り、狂喜乱舞したのだ。
しかし、アナウンスはまだ終わらない。
全プレイヤーの視界のど真ん中に、巨大な黄金のシステムウィンドウがポップアップした。
『それでは、王都防衛戦の【最終ランキング】および【獲得ポイント】を発表する!』
ドルルルルル……というドラムロールの音が鳴り響き、ランキングボードの文字が高速で回転し、そしてピタリと停止した。
『第1位:パーティ【ツムギ・リン・コウタ・シシオウ】』
『最終獲得ポイント:6,850,000ポイント』
『第2位:ギルド【天翔ける剣】(最終獲得ポイント:14,500ポイント)』
『第3位:ギルド【紅蓮の炎】(最終獲得ポイント:12,200ポイント)』
二位以下に、文字通り「桁が違う」圧倒的すぎる差。
数十万人が束になっても届かない、数百万という天文学的なスコア。
それを、たった四人のパーティが叩き出したという事実に、全サーバーのプレイヤーが絶句し、直後に暴動のような騒ぎへと発展していくことになるが、それはまた別の話である。
地下下水道の第4廃棄物処理層。
泥水の中に立ち尽くしていたツムギの目の前に、黄金の宝箱のアイコンと、システムメッセージが次々と浮かび上がってきた。
『イベント第1位の特別報酬を授与します』
『賞金【100,000,000ゴールド(現金換算:10,000,000円相当)】が、アカウントの専用口座に振り込まれました!』
『魔王討伐特別報酬:限定レアアーティファクト【破滅の黒翼(Epic)】を獲得しました!』
『魔王討伐特別報酬:限定レアアーティファクト【絶望の魔核(Legendary)】を獲得しました!』
「…………」
ツムギは、空中に浮かんだ『100,000,000』という、ゼロが八個も並んだ数字の羅列を、瞬き一つせずにじっと見つめていた。
彼女が握りしめていた木の棒が、ポロリと地面に落ちる。
「ゆ、結城……?」
コウタが心配そうに声をかけた。
ツムギの両肩が、ワナワナと小刻みに震え始める。
そして。
「やった……やった……」
ツムギの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
それは恐怖の涙ではない。苦痛の涙でもない。
「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
地下下水道に、ツムギの歓喜の絶叫が爆発した。
「勝った! 私は勝ったのよ!! あのトラウマにも、運営の陰湿な嫌がらせにも、そして何より資本主義の壁に勝ったのよぉぉぉっ!!」
ツムギは泥水の中で両膝をつき、両手を天に突き上げて狂ったように号泣し始めた。
「一億円! 現金換算で一千万円よ! これで……これで私の推し活が、完全なものになる!!」
ツムギの口から、堰を切ったように推しへの愛と欲望がとめどなく溢れ出していく。
「これで『ギャラクシー・ボーイズ』の全国ツアー、全五公演のSS席アリーナ最前列チケットが確定よ! 転売ヤーから札束でぶん殴って買い占めてやるわ! 移動は全て新幹線のグリーン車! ホテルは一泊五万のスイートルーム! 推しのリュウくんのメンバーカラーのペンライトは、保存用、観賞用、布教用、実用、予備用の五セットを揃える! 痛バッグは全身を覆う鎧みたいに作ってやるんだから!!」
「ゆ、結城……お前、一千万も稼いで、使い道が全部それなのか……!? もっと将来のために貯金するとか……」
コウタがドン引きしながらツッコミを入れるが、ツムギの耳には入らない。
「貯金!? バカ言いなさい、推しは推せる時に推せ、カネは使える時に使えが鉄則よ! 一千万円あれば、事務所の株を買って大株主になることだって夢じゃない! リュウくんのソロデビュー企画を私が直接プロデュースして、世界一のアイドルに育て上げてみせるわ!! あーっはっはっはっはっ!!」
涙と鼻水と泥で顔をぐちゃぐちゃにしながら、高笑いするツムギ。
その姿は、世界を救った伝説の勇者というよりは、宝くじの一等を引き当てて完全に発狂してしまった哀れな一般市民そのものであった。
「ああ……お姉様のあの嬉しそうなお顔……! わたくし、お姉様の夢(推し活)のお手伝いができて、本当に光栄ですわ!」
リンがうっとりと手を合わせる。
「姉御のあの大望の前では、俺の有給休暇など安いものです! 一生ついていきますぜ、姉御ォッ!」
シシオウも感極まって男泣きしている。
「……もうダメだこのパーティ。完全に狂ってる……」
コウタは天を仰ぎ、これからの自分の胃袋の運命を憂いて深くため息をついた。
◇ ◇ ◇
一方その頃。
現実世界の東京都内、『アルカディア・オンライン』運営統括本部のメインモニタリングルーム。
そこは、まるで巨大な墓場のような、静まり返った絶望の空気に支配されていた。
「…………」
チーフディレクター・クロノスは、革張りのデスクチェアからずり落ち、床に四つん這いになったまま、メインモニターの画面を虚ろな目で見上げていた。
モニターには、魔王討伐のファンファーレとともに、『ツムギ』という名前がランキング第一位に燦然と輝き、賞金一億ゴールド(一千万円)が彼女の口座に振り込まれたという無慈悲なログが表示されていた。
「ディレクター……。イベント、終了しました……。賞金の送金プロセス、完了です……。それに、魔王のドロップ品であるレジェンダリーアイテムも、彼女のインベントリに入りました……」
オペレーターが、お通夜のような声で報告する。
「あ……あ、ああ……」
クロノスの口から、掠れた空気の音が漏れる。
彼の右手には、空っぽになった胃薬の瓶が、力なく握りしめられていた。
最強のカードを切った。絶対に勝てないはずの、バグと同義の魔王のデータを投下した。
ルールを破り、運営の権限を乱用し、なりふり構わず彼女を殺そうとした。
それなのに。
(なぜだ……なぜ、あのガキは……あれほどの恐怖を前にしても、立ち上がれたんだ……!?)
クロノスの脳裏に、ツムギが魔王の左膝の隙間を突き、渾身の一撃を叩き込んだ瞬間の映像がフラッシュバックする。
あの時、彼女の目に宿っていたのは、恐怖ではない。
圧倒的なまでの『カネへの執着』。一千万円の札束を絶対に守り抜くという、人間の業の極致のような強欲だった。
「俺は……俺は、あの守銭奴の『推し活への愛(欲望)』に……負けたというのか……?」
クロノスの心が、ポキリと音を立てて折れた。
神(システム管理者)としてのプライドも、元ブラック上司としての威厳も、すべてが根底から粉砕された。
自分が生み出した最強のサバイバーは、資本主義という新たな武器を手に入れ、完全に自分の手に負えない『バグ(神殺し)』へと進化してしまったのだ。
「う、うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!!!」
クロノスは床に突っ伏し、床をバンバンと叩きながら、四十歳を超えた大の大人とは思えないほどの大声で泣き叫んだ。
「俺の一千万円がぁぁぁっ! スポンサーに土下座して集めたイベント予算がぁぁぁっ! あんな中学生のアイドルのコンサート代に消えるなんてぇぇぇっ! ちくしょう! ちくしょうぉぉぉぉっ!!」
モニタリングルームのスタッフたちは、そんな哀れなディレクターの背中を、ただ黙って見つめることしかできなかった。
ゲームのシステムが、一人のプレイヤーの異常な欲望の前に完全敗北を喫した、アルカディア・オンライン運営陣にとって最も屈辱的な『敗戦記念日』として、この日は歴史に刻まれることとなった。
◇ ◇ ◇
再び、ゲーム内の王都アルカディア。
イベントが終了し、転送ゲートが再び開いたことで、ツムギたちは無事に地下下水道から地上のロンデルの街へと帰還を果たしていた。
泥とスライムの体液で悪臭を放つ四人組が街の中心に現れたことで、周囲のプレイヤーたちは「くさっ!」「なんだあいつら!?」と道を空けたが、ツムギは全く気にしていなかった。
「ふふふーん♪ さーて、一千万円も稼いだし、今日はこのツムギ様がドーンと奢ってあげるわよ!」
ツムギは木の棒を肩に担ぎ、鼻歌交じりに胸を張って宣言した。
「おおっ! 本当か結城!? 一千万も稼いだんだから、さぞかし高級なゲーム内レストランのフルコースでも奢ってくれるんだろうな! 俺の胃袋も、たまには美味いもので労わってほしいぜ!」
コウタが期待に胸を膨らませる。
「お姉様とのディナー! わたくし、最高級のドレスに着替えてまいりますわ!」
「姉御の奢り! 社畜にとってこれ以上の喜びはありませんぜ!」
リンとシシオウも大はしゃぎだ。
『私も特大のショートケーキ! 約束通り百個は食べさせてもらうわよ!』
エクレアもツムギの頭の上で飛び跳ねている。
ツムギは「任せなさい!」とウィンクをして、仲間たちを引き連れてロンデルの裏路地へと向かった。
そして、彼女が自信満々に立ち止まったのは。
「おやじ! この『オーク肉の串焼き(一本5ゴールド)』を四本! いや、奮発して五本ちょうだい! エクレアの分もね!」
街の片隅にある、最も安っぽく、初心者プレイヤーが最初に腹を満たすために買う、薄汚い屋台の前だった。
「…………は?」
コウタの口がポカンと開いた。
「さあ、遠慮なく食べなさい! 私の奢りよ! 一本5ゴールド(0・5円)もする高級肉なんだから、味わって食べるのよ!」
ツムギは油まみれの串焼きをコウタたちの手に押し付け、自分もバクリと肉に食らいついた。
「い、一千万円も稼いでおいて、打ち上げの奢りが合計25ゴールド(2・5円)の串焼きかよぉぉぉぉぉっ!!」
コウタの魂のツッコミが、ロンデルの夜空に響き渡った。
「当たり前でしょ! 一千万円は全部推しのために使うの! ゲーム内の食事にムダ金使うなんて、資本主義の敗北者よ! ほら、食べないなら私がもらうわよ!」
「ケチ! ドケチ! 最強の守銭奴勇者ぁぁっ!! 俺の胃薬代くらい払えぇぇっ!!」
「素晴らしい倹約精神ですわお姉様! わたくし、このオーク肉を一生の宝物にいたしますわ!」
「姉御の奢り肉、涙が出るほど美味いですぜェェッ!」
『ケーキ! ケーキはどうなったのよぉぉぉっ!!』




