第44話:魔王の左膝の癖〜四年の因縁とゼロコンマ二秒の勝機〜
ドガァァァァァァァァァンッ!!
ズドォォォォォォォォォンッ!!
血に染まる王都アルカディアの地下、すり鉢状に崩落した第4廃棄物処理層。
そこでは、常識的なゲームの攻略理論を完全に無視した、あまりにも泥臭く、あまりにも苛烈な『地獄のブラック労働(耐久戦)』が延々と繰り広げられていた。
「シシオウ! 左からの薙ぎ払い、あと一秒耐えなさい!」
「ぐおぉぉぉぉぉっ! 耐える! 耐えてみせますぜ! 有給休暇の全てをドブに捨てる覚悟でぇぇぇっ!!」
「リン! ヒール! そして防御バフの再展開!」
「お任せくださいませ! 【完全回復】! 【金剛防壁】!」
「相沢! リンに特大MPポーションを顔面直撃で投げつけなさい!」
「うおおおおっ! 食らえリンさぁぁぁん! コントロールなら野球部仕込みだぁぁぁっ!!」
バシャァッ!とリンの顔面に青いポーションの瓶が直撃して液体が弾け散り、リンのMPが一瞬で満タンになる。
シシオウのHPバーが1%に落ち、リンの先置きヒールで100%に戻り、シシオウが血反吐を吐きながらタワーシールドを押し返し、その隙に結城紬(アバター名:ツムギ)が魔王の装甲の隙間に武器を突き立てて数ピクセルずつHPを削り取る。
この狂気じみた作業工程を繰り返すこと、すでに数百回。
ツムギの手元では、運営の刺客から奪った未実装の武器がすでに三本も耐久値切れで粉砕されていた。
だが、その執念の甲斐あって、あの絶望的だった魔王の超長大なHPバーは、奇跡的に残り「一割」を切る臨界点にまで到達していたのである。
『グ……グオオオオオオオオオオオオッッ!!』
虫ケラのような小娘と、その手駒どもにじわじわと肉体を削られ続けた魔王のAIが、ついに怒りの限界を突破した。
漆黒の六枚翼が大きく広がり、全身の黒曜石の装甲から、周囲の空間を焼き尽くすほどの紫黒の雷光がバチバチと吹き荒れ始める。
魔王の周囲の重力が狂い、地面に転がっていた数トンの瓦礫が、まるで無重力空間のようにフワフワと浮き上がり始めた。
「ひ、ひぃぃぃっ!? な、なんだ!? 急にボスからヤバいエフェクトが吹き出してきたぞ!」
相沢航太(アバター名:コウタ)が、空になったポーションの段ボール箱を抱えながら悲鳴を上げた。
「お、お姉様……! ボスの魔力濃度が、先ほどまでの数百倍に跳ね上がっておりますわ! これは……全方位即死攻撃の詠唱モーションですわ!」
東山凛(アバター名:リン)の顔から、完全に血の気が引いていた。
魔王の最終フェーズ。
HPが残り僅かになった際、マップ上の全オブジェクト、全プレイヤー、全システムを無差別に消滅させる、完全無欠の『強制全滅攻撃』のチャージが始まったのだ。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
現実世界、東京都内の運営モニタリングルーム。
チーフディレクターのクロノスは、空になった胃薬の瓶を握り潰しながら、血走った目でメインモニターに映る魔王の姿を見つめていた。
「ハッ……ハハッ、ハハハハハッ!!」
クロノスの口から、勝利を確信した狂気の笑い声が漏れ出す。
「見ろ! 魔王の最終絶滅シークエンスが起動した! あれが発動すれば、どんな安置に隠れようと、どんな物理演算の隙間を突こうと、空間のデータそのものが消滅する! 防御も回避も不可能だ!」
クロノスはモニターの中のツムギに向かって、拳を突き出した。
「終わりだ結城紬! 貴様のその薄汚い泥臭い戦術も、ここまでだ! 四年前のあの時、お前が俺たちの手厚いサポートと伝説の聖剣の力で辛うじて倒せた奇跡を、この初期装備の小娘ごときが再現できるはずがないのだ! 一千万円の夢ごと、データの藻屑となって消え失せるがいい!!」
モニタリングルームの全スタッフが息を呑む。
画面の中央では、魔王の大剣に集束する破滅のエネルギーが、すでに90%を超えようとしていた。発動まで、あとコンマ数秒。
だが。
クロノスは完全に忘れていた。
この世界において、自分以外にもう一人、システムの中枢にアクセスできる『神の権限』を持った裏切り者が存在することを。
◇ ◇ ◇
ゲーム内、地下下水道。
『ツムギィィィッ!! 今よぉぉぉっ!!』
ツムギの右肩で不可視モードになっていたナビゲーションAIのエクレア(元・光の大精霊)が、突如として実体化し、全身から眩い光の奔流を解き放った。
彼女の瞳には、かつて大精霊として君臨していた時代の、絶対的な神威が宿っていた。
『クロノスのクソジジイに、私のスイーツの恨みを思い知らせてやるわ! システム管理者権限・オーバーライド! 魔王の内部演算プロセスに、強制的な【パケット遅延】をねじ込むわよぉぉぉっ!!』
バチバチバチッ!!
エクレアの小さな両手から放たれた無数の光のコードが、魔王の漆黒の巨体へと突き刺さった。
システム内部からの直接的なクラッキング。
本来であれば絶対に隙が生まれないはずの魔王のAIルーチンに対し、エクレアの決死の介入が、わずか『0・2秒』のシステム遅延を強制的に発生させたのだ。
大剣を振り下ろそうとしていた魔王の腕が、ほんの一瞬だけ、ピクリと止まる。
「相沢くん! リン! デカブツ!」
その奇跡の一瞬を、ツムギが見逃すはずがなかった。
ツムギの瞳の中で、巨大な『¥』マークが地獄の業火のように燃え盛る。
「私の背中を押しなさい! 全財産、全戦力、全エネルギーを私に集中させなさい!!」
「応ォォォォォォッ!! 【魂の突撃】!!」
シシオウが、残った全HPを推進力に変えてツムギの足元に滑り込み、自身のタワーシールドを跳び箱の踏み切り板のようにセットした。
「いけぇぇぇぇぇっ、ツムギお姉様!! 【神速の風】!!」
リンが、自身の全MPを絞り尽くして、ツムギの背中に暴風のジェット推進を付与する。
「結城ィィィッ! 俺の最後のポーション全部持ってけぇぇぇっ!!」
コウタが、荷物袋に入っていた残りの怪力ポーションをツムギの身体にぶちまけ、物理攻撃力の上昇バフを強制的に上乗せした。
シシオウの盾を踏み台にし、リンの暴風を背に受け、コウタのポーションで筋力を極限まで引き上げたツムギ。
初期装備の布の服を着た小柄な少女は、音速を超える一筋の閃光となって、魔王の懐深くへと一直線に射出された。
ツムギの視界が、極限の集中へと突入する。
周囲の景色がスローモーションになり、エクレアの遅延によって動きを止めている魔王の巨体が、巨大な彫像のように迫ってくる。
(見えた……!)
ツムギの脳裏に、四年前の異世界で、血反吐を吐きながら何千回、何万回と見せつけられた『魔王の癖』が、鮮明に蘇っていた。
魔王は、完璧な無敵の存在ではない。
あれほど巨大なエネルギーを集束させて大技を放つ直前、どうしてもその莫大な魔力反動を相殺するために、下半身の重心をわずかに外側に逃がす必要がある。
その時、魔王の身体構造上、絶対に防げない『物理的な歪み』が生じるのだ。
「あんたの悪い癖よ、魔王!!」
ツムギの視線が、魔王の足元――漆黒の鎧に覆われた【左膝の関節】へと、レーザーのように鋭く突き刺さった。
「最大火力の即死技を放つ直前、あんたは反動を殺すために……必ず『左膝がほんの数ミリだけ外側に開く』のよ!!」
エクレアのシステム遅延によって、魔王の左膝が開いた無防備な瞬間が、コンマ数秒間だけ完全に固定されていた。
分厚い黒曜石の装甲が外側にスライドし、内部の繊細な魔力関節が、一瞬だけ剥き出しになっている。
そこに、超音速で突撃してきたツムギの全質量が到達した。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!!」
ツムギは空中で身を捻り、持っていた最後の武器――デスナイトから奪った【呪縛の大剣】を両手で握り締めると、遠心力とリンの暴風推進力、そして自身の全体重を刃の先端一点に集約させ、剥き出しになった魔王の左膝の関節の隙間へと、渾身のフルスイングで叩き込んだ!
ドガァァァァァァァァァァァンッ!!!!
金属が砕け散る、凄まじい破壊音が地下空間に響き渡った。
レベル15の少女が放ったとは到底思えない、物理演算の極致による致命的な破壊力。
魔王の左膝の魔力関節が、内部から火花を散らしながら完全に粉砕された。
『ガ……ッ!? グギャアアアアアアアアアアアッ!?!?』
魔王の口から、初めて苦悶の絶叫が迸った。
左膝の支持基盤を完全に破壊されたことで、数千トンの巨体のバランスが劇的に崩壊する。
大剣に溜め込まれていた即死魔法のエネルギーが、姿勢の崩れによって暴発し、空中で黒い煙となって霧散していった。大技の完全な不発である。
「よしっ! 体勢が崩れたわ!!」
ツムギは破壊の反動で大剣が砕け散ると同時に、魔王の膝を蹴ってさらに上方へと跳躍した。
バランスを崩して前のめりに倒れ込んでくる魔王の巨大な頭部。
その首元――ヘルメットと胸部装甲の境目にある、わずか数センチの隙間。
そこには、魔王の生命活動を司る、禍々しく脈打つ『真紅の核』が、完全に無防備な状態で露出していた。
「これで……トドメよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
ツムギはインベントリから、本作の最初からずっと握り締め続けてきた、あのボロボロの『木の棒(光属性の結晶石付き)』を右手一本で引き抜いた。
高級な剣ではない。伝説の聖剣でもない。
チュートリアルの初期村で拾い、数々のPKを嬲り殺し、レイドボスの巻き爪を突き、幾多の修羅場を共に潜り抜けてきた、最凶の守銭奴の相棒。
「私の推しの全国ツアー全通の邪魔をするなァァァァァァッ!!」
ツムギの全身のバネが、光となって弾けた。
光属性の結晶石を先端に宿した木の棒が、魔王の首元の急所――露出した真紅のコアへと、寸分の狂いもなく、深々と、根元まで突き刺さった。
ドスゥッ……ッッ!!
一瞬の、静寂。
そして。
パリンッ……パリンパリンパリンッ!!
魔王の首元の真紅のコアに、無数の亀裂が走り、眩い光が溢れ出した。
『クリティカル・ヒット!!』
『弱点部位への完全破壊を達成!』
『即死級フェイタル・ダメージを適用します!』
システムのアナウンスが、狂ったように画面を埋め尽くす。
魔王の巨体がビクビクと激しく痙攣し、その頭上に表示されていた絶望のHPバーが、まるで滝のように、一瞬にして『ゼロ』へと叩き落とされた。
『――――オ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ……!!』
魔王の断末魔の咆哮が、王都アルカディアの全土に響き渡った。
漆黒の六枚翼がパラパラと光の粒子となって崩れ落ち、全身の黒曜石の装甲が砕け散っていく。
四年前、異世界を恐怖に陥れた絶対的な厄災のデータは、一人の女子中学生の執念と、仲間たちの泥臭い連携の前に、完全に沈黙したのである。
そして、魔王の巨体が青いポリゴンの光の柱となって天へと昇っていくその中心で。
木の棒を握り締めたツムギは、重力に従ってゆっくりと、泥まみれの地面へと着地した。
ズザザザッ……。
泥水を跳ね上げて着地したツムギの足元に、空から降り注ぐ黄金の光の雨が降り注ぎ始めた。
それは、世界を救った勇者への祝福ではなく、過酷なブラック労働を完遂した守銭奴への、莫大な『報酬』の合図であった。
王都防衛戦、最終決戦。
完全なる理不尽を、完全なる強欲でねじ伏せた少女たちの死闘は、ここに完全なる結着を迎えたのである。




