第43話:泥臭い総力戦〜一千万円のためのブラック使役と最強の連携〜
血に染まった王都アルカディア。
先ほどまで数万人のプレイヤーがひしめき合っていた平原と城壁は、上空から降臨した『魔王』が放った開幕の極大魔法――空間そのものを削り取る漆黒の虚無によって、跡形もなく消し飛んでいた。
生存確率0%のバグ。チーフディレクター・クロノスが怒りに任せて投下した、一切のデバフ(弱体化調整)が施されていない、四年前の異世界を滅亡の淵に追いやった本物の絶望。
だが、その絶望の眼下。
崩落した地下下水道の第4廃棄物処理層の瓦礫の隙間から、泥とスライムの体液にまみれた四つの影が、ゴキブリのようなしぶとさで這い出してきた。
「ゲホッ、ゴホッ……! ペッ! 口の中に泥が……!」
「お、お姉様、髪がヘドロまみれですわ……! でも、生きております! わたくしたち、生きておりますわ!」
「姉御の神判断のおかげですぜ……! しかし、上のヤツ、まだ俺たちをロックオンしてやがる……!」
相沢航太(アバター名:コウタ)、東山凛(アバター名:リン)、重戦士シシオウの三人が、瓦礫を退けながら立ち上がる。
彼らの視線の先、崩落してすり鉢状になった地下空間の上空には、漆黒の六枚翼を広げた魔王が、ゆっくりと高度を下げてきていた。
虫ケラがまだ生き残っていることに気づき、自らの手で直接踏み潰すために降りてきたのだ。
相対するだけでHPが削られていくような、圧倒的なプレッシャー。コウタの膝はガクガクと震え、リンの持つ杖もカタカタと音を立てている。
しかし。
彼らの先頭に立つ小柄な少女――結城紬(アバター名:ツムギ)の背中からは、魔王の放つ絶望のオーラを完全に相殺するほどの、ドス黒く、そして極めて世俗的な『強欲のオーラ』がもうもうと立ち昇っていた。
「いいこと、野郎ども」
ツムギは初期装備の木の棒(光属性の結晶石付き)を肩に担ぎ、振り返ることなく、氷のように冷徹な、しかし熱く燃え盛る声で告げた。
「あのバケモノは、私たちの口座残高(一千万円)をゼロにしようとする、最悪のシステムエラー(泥棒)よ。あいつをここでデバッグ(討伐)しなければ、推しのライブのSS席も、スイートルームも、痛バッグも全てが水の泡になる。……絶対に許さないわ」
「ゆ、結城……。お前、マジでやるのか……? 相手はイベントの規格外、システムが『勝てない』って警告してるバグだぞ……!」
コウタが震える声で尋ねる。
「システムが勝てないって言うなら、システムの裏を突いて物理で殴り倒すだけよ」
ツムギはギラリと血走った、巨大な『¥』マークが浮かぶ瞳で魔王を睨み据えた。
「それに、よく考えなさい。あいつは四年前、私が一度『殺した』相手よ」
その言葉に、コウタたちは息を呑んだ。
そうだ。目の前の少女は、ただのイカれた守銭奴ゲーマーではない。かつて本物の異世界で、あの魔王と血みどろの死闘を繰り広げ、勝利した『本物の勇者』なのだ。
「一度勝った相手に、二度負けるわけがないわ。四年前はレベルも装備もカンスト状態でギリギリだったけど……今の私には、あの時以上の『最強の手駒(社畜ども)』がいるんだから!」
ツムギはビシィッ!と、仲間たちに向かって木の棒を突きつけた。
まるでブラック企業の社長が、月末のノルマ達成のために社員を死地に送り込むかのような、非情で完璧な業務命令の発表である。
「シシオウ! あんたは最前線に立って、あのバケモノの攻撃を『死ぬ気で三秒だけ』耐えなさい!」
「さ、三秒!? 姉御、相手のステータスは計測不能ですぜ!? 俺の盾なんか、紙切れみたいに……」
「紙切れでもいいから耐えるのよ! 相手の攻撃モーションは大振りよ。一撃を弾くか、いなすか、最悪肉体(HP)で受けてもいいから、とにかく三秒間、魔王のヘイト(視線)をあんたに釘付けにしなさい! それ以上は求めないわ!」
「りょ、了解です姉御ォッ!! 三秒のサビ残、命に代えてもやり遂げてみせます!」
シシオウがタワーシールドを構え、ドMの社畜魂を極限まで燃え上がらせて前衛に躍り出る。
「リン! あんたはシシオウの後ろに張り付いて、回復魔法とバフをかけ続けなさい! 相手の攻撃が当たる『前』に回復魔法を置くのよ! ダメージを受けてから詠唱したんじゃ間に合わないわ! MPが空になるまで、一秒の休みもなく詠唱し続けるのよ!」
「お任せくださいませお姉様! わたくしの莫大なMP(財力)で、シシオウさんを不死身のゾンビに変えてご覧に入れますわ! オーッホッホッホ!」
リンが杖を掲げ、高笑いとともに魔法陣を展開し始める。
「そして相沢くん!」
「ひぃっ!? お、俺は何をすれば……! 俺、レベル低いし、役に立つスキルもないぞ!」
「あんたの役割が一番重要よ!」
ツムギはコウタの胸ぐらを掴み、その重たい荷物袋をバンバンと叩いた。
「あんたは『私の背中』を守りなさい! 戦う必要はない。その袋に入ってるポーション、毒消し、MP回復薬を、私とリンとシシオウに向かって、最適なタイミングで投げつけるのよ! アイテムの使用硬直を、あんたが外部からアイテムをぶつけることで無理やりスキップさせるの! 一瞬でもアイテムの供給が遅れたら、全員死んで一千万円がパーよ! 分かったわね!」
「む、無茶苦茶だぁぁぁっ! 俺は自動ポーション発射機かよ!」
「つべこべ言わない! 時給(分け前)弾むから死ぬ気で働きなさい!」
ツムギの、血も涙もないブラック使役。
しかし、それは四年前の異世界で、誇り高く命令を聞かなかったかつての仲間たちとの戦いよりも、遥かに『合理的で無駄のない連携』であった。
ツムギを絶対の教祖と崇める狂信者二人と、ツッコミを入れながらも完璧にサポートをこなす常識人一人。
彼らには、恐怖よりも「ツムギの命令(一千万円への執念)」に従うという絶対的なルールが刻み込まれていたのだ。
『グ……オオオオオオオオオオッッ!!』
上空から舞い降りた魔王が、虫ケラどもがまだ足掻こうとしていることに怒り、咆哮を上げた。
その声だけで、周囲の瓦礫が粉々に砕け散る。
魔王の手には、空間すらも歪ませる漆黒の大剣が握られていた。
「来るわよ! デカブツ、前へ!!」
「応ォォォォォォォォッ!! 【不落の城塞】!!」
シシオウが、自身の全HPと防御力を引き換えにして展開する、絶対防御の最終スキルを発動する。黄金の巨大な盾のエフェクトが、彼を包み込んだ。
その直後。
魔王の漆黒の大剣が、音速を超える速度でシシオウへと振り下ろされた。
ズガァァァァァァァァァァァンッ!!!!
「が、ごふぅッ……!?」
シシオウの口から、大量の血が噴き出した。
サーバー最強の重戦士が展開した絶対防御のスキルが、まるで薄いガラスのようにパリンッ!と粉砕され、大剣の腹がシシオウのタワーシールドごと、彼の巨体を押し潰さんばかりにめり込んだ。
HPバーが、一瞬で100%から1%のミリ残しまで削り飛ばされる。
通常のゲームなら、ここで死んでいる。
「【完全回復】! さらに【防壁展開】!!」
だが、シシオウのHPが1%になったそのコンマ数秒後。
魔王の剣が当たる前から、リンが『先置き』で詠唱し終えていた最高位の回復魔法が発動した。
シシオウのHPが、1%から一瞬で100%へと跳ね返る。
「相沢! MPポーション!」
「うおおおおっ! 食らえリンさぁぁぁん!」
コウタが、荷物袋から取り出した最高級MPポーションの瓶の蓋を開け、リンの顔面に向かって正確無比なコントロールで投げつけた(ぶちまけた)。
システム上、他人にアイテムを直接ぶっかけることで、使用モーションを省略して強引に回復させるという、泥臭いショートカット技だ。
顔面を青いポーションでビショビショに濡らしながら、リンは瞬時に減ったMPを回復させ、次の詠唱へと入る。
「が、ああああああっ! い、痛てぇぇぇぇっ!!」
シシオウが絶叫する。
魔王の剣がさらに押し込まれ、再びHPが1%に。
リンのヒールで100%に。
コウタのポーション投げでリンのMP回復。
ダメージ判定、回復判定、アイテム判定が、秒間数十回の速度で処理され、シシオウのHPバーが心電図のように激しく上下し続ける。
それはまさに、肉体と精神の極限を削り合う、地獄の耐久ループだった。
『1秒……! 2秒……!』
エクレアが、システムログを見ながらカウントを叫ぶ。
「あと一秒ォォォォッ!! 耐えろォォォ、俺の社畜魂ィィィィッ!!」
シシオウが、目と鼻から血を流しながら、膝の関節を逆に曲げられそうになりながらも、タワーシールドを必死に押し返した。
そして。
『3秒!!』
魔王の漆黒の大剣の振り下ろしモーションが、完全に終わった。
巨大な力で押し込もうとしていた魔王の姿勢が、システム上の『攻撃後の硬直』に入り、ほんのコンマ数秒だけ、その動きがピタリと止まった。
「よくやったわデカブツ! あんたの残業代、はずんであげるわよ!!」
そのコンマ数秒の絶対的な隙。
シシオウの巨体の後ろ(完全な死角)から、泥とスライムにまみれた小柄な影が、まるで弾丸のように飛び出した。
結城紬である。
「いくわよ……! 私の一千万円を脅かすクソバグ野郎!!」
ツムギの目は、完全に血走り、狂気的な『¥』マークが燃え盛っていた。
彼女の手には、先ほどまで持っていた木の棒はない。
インベントリから引き抜いたのは、つい数分前に運営の刺客から奪い取ったばかりの未実装レア武器――【呪縛の大剣】である。
自分の背丈よりも巨大な大剣。本来なら筋力不足でまともに振れないはずのその武器を、ツムギは「遠心力」と「物理エンジンの慣性」を極限まで利用し、コマのように回転しながら振り回した。
『グォォォォッ!?』
硬直中の魔王が、足元から現れたゴキブリのような少女に気づき、慌てて視線を下げる。
「遅いわよ! あんたの攻撃モーションの後の隙が『0・2秒』あることなんて、四年前から嫌っていうほど体で覚えてるのよ!」
ツムギの回転斬りが、魔王の漆黒の鎧の膝関節――装甲の隙間という、ただ一点の物理的な弱点に向かって、寸分の狂いもなく叩き込まれた。
ガガァァァァァァァァンッ!!!!
レベルやステータスの差を無視した、物理演算による純粋な「質量×速度」の暴力。
魔王の巨体が、ゴスッ!という鈍い音とともに、わずかにバランスを崩してよろめいた。
『クリティカル・ヒット!』
『対象の体勢を崩しました!』
「やった……! あの絶対無敵のバケモノの体勢を、崩したぞ!」
コウタがポーションの瓶を握りしめたまま、歓喜の声を上げた。
通常のプレイヤーであれば、このまま追撃をかけようとするだろう。
しかし、ツムギは違った。
「相沢くん! リン! デカブツ! 散りなさい!!」
一撃を入れた瞬間、ツムギは大剣をその場に投げ捨て(インベントリにしまう暇すら惜しんで)、ゴロゴロと泥水を転がりながら全力で後方へと飛び退いた。
コウタたちもツムギの悲痛な声に反射的に従い、四方に蜘蛛の子を散らすように飛び退く。
その直後。
よろめいたはずの魔王が、一切の予備動作なしに、背中の六枚翼から全方位に向かって、漆黒のレーザーのような魔力弾を雨あられと乱れ撃ってきたのだ。
それは、体勢を崩された時のカウンターとしてプログラムされた、即死級の全方位攻撃(反撃ルーチン)。
ドゴゴゴゴゴゴォォォォォンッ!!
ツムギたちが数秒前まで立っていた場所が、跡形もなく消し飛んだ。
もし欲をかいて追撃をしていれば、間違いなく全滅していた。
「ハァッ……! ハァッ……!」
泥だらけになって瓦礫の陰に隠れたツムギは、荒い息を吐きながらも、その顔に狂暴な笑みを浮かべていた。
「……見た!? 今、あの魔王のHPバーが、数ミリだけど確かに減ったわよ!」
ツムギの指差す先。
魔王の頭上に表示されている、絶望的なまでに長いHPバーの端っこが、ほんの数ピクセルだけ、確かに削れていた。
「す、すごい……! 生存確率0%のバグモンスターに、ダメージを通した……!」
コウタが戦慄する。
「当たり前よ。どんなチートステータスだろうと、システムとして『HPバー』が存在する以上、減らない数字なんてないのよ。一回の攻撃で数ミリしか減らないなら、これを何百回、何千回と繰り返して、あいつの口座残高(HP)をゼロに破産させてやるだけよ!」
ツムギは再び、インベントリから別の未実装武器を取り出し、泥水の中で目をギラギラと輝かせた。
一千万円の賞金への執念。推しに貢ぐための極限の強欲。
それが、運営が用意した絶対的な絶望すらも、ただの「作業工程」へと引きずり下ろしていく。
「さあ、泥臭いブラック労働(総力戦)の続きよ! 時給一千万円のバイトだと思いなさい! 行くわよ、野郎ども!!」
「応ォォォォォォッ!!」
「お任せくださいませェェッ!!」
「俺の肩が壊れるまでポーション投げてやるよぉぉっ!」
カオス極まる四人のパーティが、再び最強の魔王へと挑みかかる。
システムすら想定していなかった、泥と汚水と札束にまみれた逆襲劇が、王都の地下で激しく火花を散らしていた。




