第40話:ブチギレ運営と最終兵器の投入〜暴走する神と蘇る最悪の記憶〜
ズゴォォォォォォォンッ!!
ガシャァァァァァァァンッ!!
「ストラーーイクッ! 次、右の隠し通路! エクレア、カウントダウンお願い!」
『了解! 座標X:150、Y:85! 敵エネミー【重装甲デスナイト】8体、実体化まで3、2、1……!』
「シシオウ! 左壁にワンバウンドさせてからの背面アタックよ! リン、推進力追加!」
「応ッ! 姉御の稼ぎのためなら、俺の三半規管がどうなろうと構いませんぜェェッ!」
「お任せくださいませお姉様! 【推進の爆炎】!!」
王都アルカディアの大下水道。
本来であれば、プレイヤーが息を潜めて探索するはずの薄暗い迷宮は、今や完全に結城紬(アバター名:ツムギ)が取り仕切る『レアアイテム解体工場』と化していた。
運営が手動で送り込んでくるデバッグ用の強力な刺客【重装甲デスナイト】の群れ。彼らはシステムから実体化したコンマ一秒後――まだ剣を抜くモーションすら許されない無敵フレーム明けの瞬間に、炎を吹き出しながら飛んでくる二メートル超えの獣人のタワーシールドに轢き殺され、ただレアリティの高いアイテムを撒き散らすだけの乱数調整装置に成り下がっていた。
『システムメッセージ:モンスターを討伐しました』
『獲得アイテム:【漆黒の重装甲(Epic)】×8』
『獲得アイテム:【怨念の指輪(Rare)】×8』
「あーっはっはっはっは!! 美味しい! 美味しすぎるわクロノス! こんな高額アイテム、オークションの相場が崩れちゃうくらいドロップするじゃない! 推しのライブ会場のドームを貸し切る日も近いわね!」
泥とスライムの体液で汚れきった初期装備の布の服を着たツムギは、木の棒をタクトのように振りかざし、狂気に満ちた高笑いを上げていた。
地上では、彼女が開けた大水門による水攻めが継続しており、防衛ポイントは秒間数万のペースで上がり続けている。
ポイント(現金一千万円の賞金)は自動で稼ぎ、自分たちは地下で未実装のレア装備を密猟する。
あまりにも完璧な、そしてあまりにもゲームの寿命を削り取る悪魔の永久機関であった。
「ゆ、結城……。俺の荷物袋、もうマジで限界だぞ……。重量オーバーのデバフで、一歩歩くごとにスタミナが減っていく……」
相沢航太(アバター名:コウタ)は、自身の背丈よりも大きく膨れ上がった麻袋を背負い、青息吐息で床に這いつくばっていた。
「気合で持ちなさい、相沢くん! あんたが背負ってるのはただのデータじゃない、私の夢と希望と資本主義の結晶よ! 一枚落としたら罰金一万円だからね!」
「理不尽すぎるだろぉぉぉっ!!」
泣き叫ぶコウタを尻目に、ツムギはインベントリからこぼれ落ちた宝石を拾い集め、さらにヨダレを垂らさんばかりの笑顔を浮かべている。
しかし。
この異常すぎる「出待ち狩り」のボーナスタイムは、システムを管理する者(神)の精神を、限界のその先へと追い詰めていたのである。
◇ ◇ ◇
現実世界、東京都内の高層ビルの一室。
『アルカディア・オンライン』運営統括本部、メインモニタリングルーム。
そこは今、お通夜のような静まり返った絶望と、チーフディレクターの荒々しい呼吸音だけが響く異様な空間となっていた。
「……あ、あ、あああ……っ」
チーフディレクター・クロノス(元・異世界の宮廷魔術師)は、メインモニターに映し出される映像を見て、両手で自らの髪の毛をブチブチと引き抜いていた。
彼が怒りに任せてキーボードを叩き、デバッグコンソールから次々と投下した【重装甲デスナイト】の群れ。彼らは、クロノスがエンターキーを押して実体化した瞬間に、文字通り「轢き逃げ」に遭い、青いポリゴンとなって消滅していく。
ツムギは画面の向こう側から、まるでカメラ越しにクロノスを見据えているかのように、ニヤニヤと笑っていた。
『ごちそうさま、クロノス! 最高の嫌がらせ(プレゼント)だったわ! もっと強い刺客を送ってきてもよろしくてよぉぉぉっ!!』
モニターのスピーカーから拾い上げられたツムギの挑発的な高笑いが、モニタリングルームに響き渡る。
「舐めやがって……! 舐めやがってぇぇぇぇっ!!!」
ガシャンッ!!
クロノスは我慢の限界を超え、手元にあった空のマグカップを床に叩きつけて粉砕した。
周囲のオペレーターたちが「ヒィッ!」と身を縮めるが、クロノスは血走った目でモニターを睨みつけたまま、ギリィッ!と歯から血が滲むほど噛み締めた。
「俺の……俺の構築した最強のシステムが! 俺がデザインした完璧な難易度が! なぜ、あんな初期装備の小娘一人に、ここまで徹底的に蹂躙されなければならないんだ!!」
「ディ、ディレクター……! もうやめましょう! これ以上未実装のモンスターを投下しても、システムAIの裏口から座標を抜かれている以上、すべて出落ちで狩られるだけです! ツムギのパーティの獲得した未実装アイテムの資産価値が、すでに一千万ゴールドを突破しています! これ以上市場にレアアイテムを流出させたら、ゲーム内経済が完全に崩壊します!」
チーフオペレーターが涙声で制止に入る。
だが、クロノスの耳には、もはやその正論は届いていなかった。
彼の脳内を支配しているのは、ゲームの運営責任者としての理性ではなく、かつて異世界で一人の少女に味わわされた『屈辱』のフラッシュバックだった。
四年前。
クロノスが異世界召喚の儀式で呼び出したのは、ただのひ弱で泣き虫な十歳の少女だった。
最初はスライム一匹に怯え、泥で服が汚れただけで泣き喚いていた彼女。クロノスは「使えないハズレ勇者だ」と吐き捨てながらも、世界を救わせるために、彼女に一切の容赦のない地獄の戦闘訓練(ブラック労働)を課した。
休む暇も与えず、食事はまずい携帯食料とポーションのみ。死の恐怖を骨の髄まで刻み込み、効率だけを追求する戦闘マシーンへと育て上げた。
結果として、彼女は魔王を打ち倒した。
しかし、クロノスは気づいていなかったのだ。
自分が育て上げたのは「世界を救う高潔な勇者」などではなく、「生き残るため、そして報酬を得るためなら、いかなる泥臭く卑劣な手段も躊躇なく実行する、究極のサバイバー(守銭奴)」であったことに。
「あのガキ……! 俺が鍛え上げたその力で、今度は俺の作った世界の経済を食い荒らす気か!」
クロノスは震える両手でデスクを掴み、モニターの中で踊るツムギの姿を呪い殺さんばかりに睨んだ。
彼女の戦い方には、一切の「遊び」がない。
敵のモーションの隙を突き、地形を悪用し、仲間のステータスをツールとして使い潰す。それはかつて、クロノス自身が彼女に「生き残るための最適解」として叩き込んだ『異世界のドクトリン』そのものだった。
自分が教え込んだ技術で、自分の首が絞められている。
かつてのブラック上司にとって、これほど屈辱的なしっぺ返しはない。
「絶対に許さん……。あの守銭奴勇者め……! 一千万円の賞金も、俺の隠し宝物庫のお宝も、一円たりとも貴様の口座には振り込ませてたまるか……!」
クロノスの瞳孔が極限まで収縮し、狂気に満ちた決断を下した。
「ディレクター? 何を……?」
クロノスはメインデスクのコンソールキーボードを、凄まじい速度でタイピングし始めた。
彼がアクセスしたのは、通常のデバッグ用モンスターのディレクトリではない。
何重もの生体認証と暗号キーでロックされた、システム最深部の【絶対起動禁止フォルダ】。
アルカディア・オンラインのサービスが数年続き、プレイヤーたちのレベルがカンスト(上限到達)した遥か未来、ゲームの最後の最後にのみ解放する予定だった、世界の終末のデータ。
『アクセス承認。アーカイブ【Lord_of_Demon_Original_Ver1.0】を解凍します』
システム音声が無機質に響き渡った瞬間。
モニタリングルームにいた数名の古参プログラマーたちが、画面に表示されたファイル名を見て、椅子から転げ落ちた。
「な、なんだって!? ディレクター、正気ですか!!」
「そのデータはダメです! それはまだプレイヤーとの戦闘バランス調整を一切行っていない、異世界の『かつての魔王』の純粋なコピーデータじゃないですか!」
プログラマーが絶叫する。
そう、クロノスが引きずり出したのは、ただの高難易度ボスではない。
四年前、異世界を滅亡の淵に追いやった、本物の『魔王』。その圧倒的なステータス、魔法物理法則を無視した広範囲殲滅攻撃、そして理不尽極まりないAIを、一ミリのデバフ(弱体化)もかけずに丸ごと保存した、文字通りの『厄災のデータ』だった。
「調整など不要だ。いや、調整していてはあの女は殺せない」
クロノスは口元に狂気的な笑みを浮かべた。
「あいつの、あの余裕ぶった顔を叩き潰してやる。環境ダメージも、物理演算のハックも、全てを無に帰す圧倒的な絶望の前に、あいつが再び這いつくばる姿が見たい! あの時と同じようになァ!」
「やめてください! そんなものをイベントのフィールドに直接投下したら、ツムギだけじゃなく、城壁周辺で防衛戦に参加している何万もの一般プレイヤーが巻き添えになって全滅します! サーバー全体がクラッシュする危険すらあります!」
「構わんッ! 巻き添えになったプレイヤーには後で詫び石でも配っておけ! 今は、あいつのあの薄汚い『¥』マークの瞳を、恐怖の涙で染め上げることだけが優先だ!!」
クロノスは制止しようとするスタッフを突き飛ばし、デバッグコンソールの【緊急強制ポップ・座標指定(王都アルカディア上空)】のコマンドに指をかけた。
「思い出すがいい、結城紬。お前が四年前、あの世界で何に怯え、何に絶望し、どれだけの血反吐を吐いたかを。お前のその薄っぺらい推し活への執念など、本物のトラウマの前には塵芥に等しいと教えてやる!」
タァァァァァァンッ!!
クロノスの中指が、エンターキーをへし折らんばかりの力で叩きつけられた。
運営(神)の職務を完全に放棄した、一人の男の意地と怨念。
そのコマンドは、光の速度でアルカディア・オンラインのメインサーバーへと送信され、世界の法則を強制的に書き換えたのである。
◇ ◇ ◇
同じ頃、王都の大下水道。
「……ん?」
それまで、ドロップした【呪縛の大剣】を嬉しそうに磨いていたツムギの動きが、ピタリと止まった。
地下の空間であるにもかかわらず、肌を撫でる空気が、急激に、そして異様なほどに重くなったのだ。
単なるデバッグモンスター(アビス・レイス)が現れた時の「冷気」とは違う。
空気が粘り気を持ち、呼吸をするだけで肺が押し潰されそうになる、圧倒的なまでの『質量の暴力』。
「ゆ、結城……? おい、なんか急に……空気が重く……。息が、苦しい……」
コウタが胸を押さえて、その場に膝をついた。
「お、お姉様……! 魔力が……大気中のマナが、上空の何かに恐ろしい勢いで吸い上げられていきますわ! こ、これは、ただ事ではありません……!」
リンも杖を取り落とし、ガタガタと震え出した。
『ツ、ツムギ! ヤバい、ヤバいヤバいヤバい!!』
ツムギの右肩に浮かぶエクレアのホログラムが、これまでにないほど激しく真っ赤に点滅し、システムのエラー音を狂ったように鳴らし始めた。
『クロノスの奴、完全に頭がイカれたわ! システムの中枢から、とんでもないデータサイズの塊が、地上の王都上空に直接転送されてる! この魔力波長……! この圧倒的な絶望のパラメーター……!』
「……エクレア。言わなくていいわ」
ツムギは、ゆっくりと立ち上がった。
先ほどまで瞳の中でギラギラと輝いていた『¥』マークが、スゥッと消え失せている。
代わりに彼女の顔を覆っていたのは、冷や汗と、四年間心の奥底に封印し続けていた、根源的な『恐怖』の顕現だった。
地上の城壁の外。
防衛戦に参加し、濁流に流されるモンスターを呆然と見下ろしていたプレイヤーたちも、その異変に気づいていた。
「お、おい……空を見ろ……!」
一人のプレイヤーが指差した先。
イベントの演出で黄金に輝いていたはずの空が、まるでインクをこぼしたように、ドス黒い赤色――どろりとした『血の色』へと急速に染まっていったのだ。
陽気だったイベントのBGMは完全に消失し、代わりに重低音のノイズのような、不気味な地鳴りだけが世界を支配する。
そして。
血に染まった上空の空間が、ガラスが割れるようにパリンッ!と砕け散った。
砕けた空間の亀裂から、ゆっくりと『それ』が降臨する。
漆黒の六枚の翼。
全身を覆う、光すら吸い込むような禍々しい黒曜石の装甲。
そして、顔を覆う兜の奥で爛々と輝く、生命のすべてを否定するような紅蓮の双眸。
システムウィンドウが、警告の赤色すら通り越し、バグったような黒色のフォントで、その存在の名前を全プレイヤーの視界に強制的に表示させた。
『WARNING:最終破滅存在【?????】が降臨しました』
『WARNING:全プレイヤーに告ぐ。生存確率は0%です。祈りを捧げてください』
「……あ……ああ……っ」
地下の暗闇の中で、ツムギはガタガタと震える手で、自身の両腕を抱きしめた。
忘れるはずがない。忘れられるはずがない。
自分が四年間、この手で仲間たちを失い、何度も何度も死の淵を彷徨い、文字通り血みどろになって戦い抜いた、最悪の敵。
「……魔王」
ツムギの口から、乾いた声が漏れた。
運営のブチギレにより投下された最終兵器。
札束と強欲で無双していた少女の前に、絶対に越えられない『過去のトラウマ』が、一切のデバフなしの完全体として、再びその姿を現したのである。
一億ゴールドの祝祭は終わりを告げ、ここから先は、システムすら崩壊しかねない真の死闘へと雪崩れ込んでいく。




