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第38話:嫌がらせを換金する女〜運営の刺客は美味しいボーナス〜

薄暗い王都アルカディアの大下水道。

天井に張り付いていた司令塔のアビス・レイスが、結城紬(アバター名:ツムギ)の放った光属性エンチャント付きの『木の棒』によって粉砕され、青いポリゴンとなって消え去った。

その直後、残された五体のアビス・レイスたちの動きが、明らかに不自然な停止(ラグ)を起こした。手動で操作していたチーフディレクター・クロノスが、自分の長年の『思考のクセ』を完全に見破られたことで、激しい動揺を見せた証拠である。


「さあ、ボーナスタイムの続きよ! 運営からの直接の『お年玉』、一円残らず回収させてもらうわよ!」


ツムギが獰猛な笑みを浮かべて木の棒を構え直し、東山凛(アバター名:リン)とシシオウも戦闘態勢に入る。

だが、ツムギが次の一歩を踏み出そうとした瞬間。

彼女の視界の端で、木の棒のアイコンが赤く点滅しているのに気づいた。


『警告:武器【木の棒】の耐久値が残り5%です。破損に注意してください』


「……チッ。やっぱり初期装備の木の棒じゃ、レベル40オーバーのチートモンスターを殴るには負荷が大きすぎるわね」

ツムギは舌打ちをした。

先ほどの一撃は、光属性の結晶石を巻き付けていたとはいえ、レベル40の装甲(システム的な硬度)にレベル15の筋力でフルスイングを叩き込んだのだ。いかに物理演算のハックとはいえ、武器そのもののデータ的耐久値までは誤魔化せない。あと一回か二回殴れば、この木の棒は完全に粉砕されてしまうだろう。


「お姉様! わたくしの魔法で一気に焼き払いますわ!」

「ダメよリン! あいつら、魔法耐性も異常に高く設定されてるわ。あんたのMPが空になるのが先よ!」


クロノスが手動操作のショックから立ち直り、五体のレイスが再び大鎌を構えてジリジリと距離を詰め始めた。

まともに戦えば、武器が壊れ、MPが枯渇し、ジリ貧になるのは目に見えている。

しかし、ツムギの顔に焦りは一切なかった。


「……まともに戦って勝てないなら、まともに戦わなければいいだけのことよ」


ツムギはクルリと背を向け、驚くべき指示を飛ばした。


「野郎ども! 回れ右して全力ダッシュ! 逃げるわよ!」

「ええええっ!? さっきまで『刈り取ってやる』ってあんなにイキってたのに、逃げるのかよ!」

荷物袋を抱えた相沢航太(アバター名:コウタ)が、ズッコケそうになりながら悲鳴を上げた。


「バカね、戦略的撤退(リード)よ! あいつらはデバッグ用の排除プログラム。つまり『私を殺すこと』だけを目的に動いてる。私たちが逃げれば、陣形もクソもなく、一直線に追いかけてくるわ!」


ツムギはそう叫ぶと、汚水の中をバシャバシャと音を立てて駆け出した。

コウタ、リン、そして重傷から回復したばかりのシシオウも慌てて後に続く。

案の定、五体のアビス・レイスたちは、獲物が逃げ出したと見るや、無言のままスーッと宙を滑るような恐ろしい速度で追跡を開始した。


『ツ、ツムギ! 逃げるって言っても、この下水道は迷路よ! いつかは追いつかれるわ!』

右肩に浮かぶナビゲーションAIのエクレアが警告する。


「誰がただ逃げるって言ったのよ。私はこの下水道の構造を、クロノス以上に把握してるのよ。……エクレア、この先のY字路を右、その次の隠し通路を左に行けば、あの『処理層』に出るわよね?」

『処理層……? あっ! まさかあんた、あそこに誘い込む気!?』

「当然よ。あのクソジジイの嫌がらせには、この王都で一番最悪な環境でおもてなししてあげるわ」


数分間の鬼ごっこ(チェイス)の末、ツムギたちは下水道のさらに奥深く、開けた巨大な空洞へと飛び込んだ。

そこは、王都のゴミや汚泥が最終的に行き着き、発酵してドロドロの毒沼を形成している『第4廃棄物処理層』。

空洞の底には、足を踏み入れれば一瞬で即死級の毒ダメージを受ける、ブクブクと泡立つ紫色の【毒沼】が広がっていた。そして頭上には、いつ崩れてもおかしくない、ヒビだらけの脆い岩盤の天井がアーチ状に覆い被さっている。

通路は毒沼を囲むように細い足場が続いているだけだ。


「げぇっ……! なんだここ、さっきの水路より何百倍も臭いぞ! 目が痛い!」

コウタが涙と鼻水を流しながら顔を覆う。

「お姉様……わたくし、もう限界かもしれませんわ……」

リンも顔面を蒼白にしてフラフラとよろめいている。


「泣き言はあと! デカブツ! あんたはあの毒沼の縁ギリギリに立って、タワーシールドを構えなさい! 追いついてきたレイスどものヘイトを全力で稼ぐのよ!」

「応ッ! 死地(ブラック現場)に立つのは俺の得意分野ですぜ!」

シシオウがドMの雄叫びを上げながら、毒沼の縁という最悪のポジションに陣取った。


直後。

通路の奥から、五体のアビス・レイスたちが音もなく姿を現した。

彼らはシシオウの【大獅子の挑発(ライオット・ハウル)】に引っ張られ、一直線に細い足場を通ってシシオウへと向かってくる。


「今よ! リン、あんたの持てる最大火力の『爆発魔法』を、レイスどもじゃなくて……あの【天井のヒビ割れた岩盤】に向かって撃ち込みなさい!」

「えっ!? て、天井ですの!?」

「いいから撃ちなさい! MP全部空にしていいわよ!」


ツムギの指示に、リンは一瞬戸惑ったが、すぐに狂信者の目に戻って杖を天高く掲げた。


「お姉様のご命令とあらば! 燃え盛れ、紅蓮の劫火! 【爆裂火炎弾(エクスプロージョン)】!!」


リンの杖から放たれた極大の火球が、アビス・レイスたちの頭上に広がる脆い岩盤の天井へと直撃した。

ズドゴォォォォォォォォンッ!!

凄まじい爆発音とともに、天井の岩盤が広範囲にわたって完全に崩落。

数トン、いや数十トンに及ぶ巨大な落石の雨が、シシオウへと向かっていた五体のレイスたちの頭上へと、無慈悲に降り注いだのである。


『ギ、ギヤァァァァァッ!?』


レイスたちは物理攻撃を無効化する能力を持っている。

しかし、それはあくまで「プレイヤーの武器やスキルによる攻撃」に対する無効化処理だ。VRMMOの物理演算エンジンにおいて、マップの環境ギミックである「数トンクラスの落石による継続的な圧殺ダメージ」まで完全にスルーできるわけではない。

巨大な岩石の質量に押し潰されたレイスたちは、強制的に地面へと叩き落とされた。


「まだよ! ただの落石じゃ、レベル40のHPは削りきれないわ!」


ツムギの計算はさらに先を見据えていた。

落石によって足場を破壊され、押し潰されたレイスたちが叩き落とされた『その下』。

そこは、王都の汚物と猛毒が濃縮された、致死性の【紫色の毒沼】のド真ん中だった。


ボチャァァァァンッ!!


『ピギィィィィィィィィッ!?!?』


毒沼に全身を沈めたレイスたちから、これまでにないほどの悲痛な絶叫が上がった。

アンデッドである彼らに、通常の「毒」という状態異常は効かないはずである。

しかし、ツムギは四年前のドブ掃除の経験から、この第4廃棄物処理層の毒沼が、ただの毒ではなく「あらゆる物質を溶かす強酸性のヘドロ」であることを知っていた。


「クロノスの奴、この毒沼の設定を作る時、リアリティを追求しすぎて『スライムだろうが幽霊のローブだろうが、酸で溶かして継続ダメージ(環境ダメージ)を与える』っていうバカみたいな物理演算を組み込んでたのよ!」

ツムギが指を突きつけて高笑いする。


毒沼の中で、レイスたちのHPバーが、システム上のステータスを完全に無視した『環境ダメージ』によって、滝のような速度でゴリゴリと削られていく。

魔法も効かない、物理も効かないチートモンスターが、大量の落石に押し潰されて身動きが取れないまま、強酸の毒沼でジワジワと溶かされていくという、あまりにも惨い自滅の光景。


「……えげつねえ。マジでえげつねえ……」

コウタは胃薬を握りしめながら、ドン引きして震えていた。

「PKの時もそうだったけど、こいつ、まともに戦わずに相手を地形やシステムでハメ殺すことに関して、天才的な悪魔の才能を持ってる……」


『ギ、ギ……ギィィィ……』

毒沼の中でもがいていたレイスたちのHPバーが、ついにゼロに到達した。

五体のチートモンスターは、運営のクロノスに助けを求めるように虚空へ手を伸ばしながら、強酸の沼の中で青いポリゴンとなってブクブクと溶け、完全に消滅した。


『システムメッセージ:モンスターを討伐しました』

『注意:環境ダメージによる討伐のため、イベント【防衛ポイント】は加算されません』


空中に浮かんだ無慈悲なシステムメッセージ。

それを読んだエクレアが、ハッとしてツムギの耳元で叫んだ。


『ツ、ツムギ! 残念なお知らせよ! マップの環境ダメージ(落石と毒沼)で敵が死んだ場合、システム上は『自滅扱い』になるから、プレイヤーのキルスコア(防衛ポイント)には一切入らない仕様なのよ!』


「ああ、知ってるわよそんなこと」

ツムギは全く気にする様子もなく、むしろ目を爛々と輝かせていた。

「でもね、エクレア。スコアは入らなくても……『アイテムのドロップ判定』はしっかり残る仕様なのよね?」


『え……?』


ツムギは毒沼の縁ギリギリまで駆け寄り、ポリゴンが消えた跡地にプカプカと浮かび上がってきた光り輝くドロップアイテムの群れを指差した。


「クロノスの奴、私を絶対に殺すために、未実装のデバッグ用モンスターなんか投下するからよ。あいつら、レベル40オーバーの高難易度エリアのモブよ? 当然、ドロップする素材のレアリティも規格外ってことじゃない!」


ツムギがインベントリの吸引機能を使って、毒沼に浮かぶアイテムを次々と回収していく。

手元に表示されたアイテムの鑑定結果を見て、ツムギの口からヨダレが垂れそうになった。


『獲得アイテム:【深淵の霊布(Epic)】×5』

『獲得アイテム:【死神の欠けた大鎌(Rare)】×3』

『獲得アイテム:【特大の闇魔石(Rare)】×10』


「あーっはっはっはっはっ!! 大当たりよ!! この『深淵の霊布』、トップ層の魔法使いが喉から手が出るほど欲しがる最高級ローブの素材じゃない! これ一枚で軽く100万ゴールド(十万円)は下らないわ! それが五枚!!」

「ご、五十万円の臨時ボーナスですの!?」

リンが目を丸くする。


「大鎌も魔石もオークションに流せば、ざっと総額百万(十万円分)は堅いわね! ポイント(イベント賞金)は防衛大水門の水攻めで自動的に稼ぎつつ、運営が投下してくれたチートモンスターで未実装のレア素材まで荒稼ぎ! なんて美味しいの!」


ツムギは毒沼の前で、手に入れた【深淵の霊布】を頬にスリスリと擦り付けながら、狂喜のダンスを踊り始めた。


「ごちそうさま、クロノス! 最高の嫌がらせ(プレゼント)だったわ! 私、どんな嫌がらせでも一円残らず『金策(換金)』に変換してあげるから、もっと強い刺客を送ってきてもよろしくてよぉぉぉっ!!」


ツムギの高笑いが、第4廃棄物処理層に木霊する。

防衛ポイントをストップさせるどころか、完全に『レアアイテムの密猟場』として利用されてしまったのだ。


「……もうダメだ。運営(神)すら、この守銭奴には勝てない……」

コウタは荷物袋を下ろし、その場に大の字になって倒れ込んだ。これ以上ツッコミを入れる気力すら、彼の胃袋には残されていなかった。

「姉御の経済支配、もはや神の領域に達していますぜ……!」

シシオウはタワーシールドを磨きながら、感涙を流し続けている。


◇ ◇ ◇


一方、現実世界の運営モニタリングルーム。

メインモニターには、ツムギが毒沼の前でレア素材を回収し、大喜びで小躍りしている姿がバッチリと映し出されていた。

その隣のウィンドウでは、先ほど放った五体のアビス・レイスが「環境ダメージによる自滅」という情けないステータスコードを吐き出して全滅したログが表示されている。


「……あ、あ、あああ……っ」


チーフディレクター・クロノスは、震える手でモニターを指差し、言葉にならない呻き声を漏らした。

彼が管理者権限を悪用し、禁じ手まで使って送り込んだ必殺の刺客。

それが、ツムギの命を奪うどころか、ポイント稼ぎの足止めにすらならず、あろうことか『高額アイテムの供給源(歩くボーナスキャラ)』として完全にしゃぶり尽くされてしまったのだ。


「な、舐めやがって……! 舐めやがってぇぇぇぇっ!!!」


クロノスはデスクの上の書類をなぎ払い、立ち上がって絶叫した。

彼の胃袋は限界を超え、激痛のあまり冷や汗が止まらない。胃薬の瓶を逆さにして振るが、すでに空っぽだった。


「あの守銭奴勇者め……! 俺の思考を読み切り、俺の作ったシステムを悪用し、俺の嫌がらせを換金しただと!? 許さん、絶対に許さんぞ結城紬!!」


クロノスの目は、完全に狂気と殺意に染まっていた。

もはや「ゲームのイベントを守る」というディレクターとしての理性は吹き飛び、「一人の生意気な元部下(女子中学生)に、何としても一泡吹かせて絶望させてやる」という個人的な意地に支配されていた。


「ディ、ディレクター! 落ち着いてください! これ以上未実装のモンスターを投下したら、システムの負荷が……!」

オペレーターが必死に止めるが、クロノスはそれを突き飛ばすようにしてデバッグコンソールに飛びついた。


「まだだ! まだ終わらん! あいつがどんなに環境を利用しようとも、絶対にハメ殺せない、圧倒的で絶対的な『暴力』を投下してやる! 俺とあいつの、最後の因縁の相手をなァァァッ!!」


クロノスの震える指が、アルカディア・オンラインの最奥深くに封印されている、最高機密ディレクトリのパスワードを打ち込んでいく。

それは、イベントの最終ボスとして用意していたものではない。かつての異世界を滅亡の淵に追いやった、本当の絶望のデータ。


一千万円を巡る強欲の進撃は、運営クロノスのブチギレによって、ついにゲームという枠組みを超えた「世界の終末」の再現へと舵を切ることになる。

ツムギの余裕の笑みが、真のトラウマの前に凍りつく瞬間は、もうすぐそこまで迫っていた。

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