第37話:宮廷魔術師の思考回路〜あのクソジジイの考えることなんてお見通しよ〜
王都アルカディアの地下深くに広がる大下水道。
先ほどまで、大水門のレバーを引いて数百万という防衛ポイント(現金換算で一千万円以上の価値)を荒稼ぎし、狂喜乱舞の高笑いが響き渡っていた隠し機械室は、今や完全な『死地』へと変貌していた。
ピキィッ……! パキパキパキッ……!!
地下室の空気が、異常な速度で凍りついていく。
水路の汚水が瞬時に凍結し、石造りの壁には禍々しい黒い霜が張り付いている。VRMMO『アルカディア・オンライン』の精巧な五感再現システムが、プレイヤーたちの肌に、骨の髄まで達するような『死の冷気』を突き刺していた。
「ひぃぃぃっ……! さ、寒い! それに、なんだよこいつら……HPバーじゃなくて、赤いドクロマークが出てるぞ……!」
相沢航太(アバター名:コウタ)は、重たい荷物袋を抱え込んだまま、ガタガタと歯の根を鳴らして後ずさった。
彼らを半円状に包囲しているのは、運営が管理者権限で緊急投下したデバッグ用排除プログラム――レベル40オーバーの【深淵の死霊】の群れである。
ボロボロの黒いローブを纏い、顔の部分には底なしの虚無だけが広がっている。その手には、触れただけで最大HPの半分を刈り取るという、理不尽極まりない紫色のオーラを放つ大鎌が握られていた。
「シシオウさん!! くっ、わたくしの【完全回復】が、半分しか効きませんわ!」
後方で村娘の服を着た東山凛(アバター名:リン)が、必死に杖を振って回復魔法を唱え続けている。
しかし、その対象である重戦士シシオウは、すでに満身創痍だった。
レイスの大鎌は、シシオウの構えるタワーシールドも、彼自身の極厚の鋼鉄の鎧も、完全に『すり抜け』て肉体に直接ダメージを与えてくる。物理防御が一切意味をなさない上に、受けた瞬間に【呪い(回復量半減)】のバッドステータスが付与されるという、タンク職にとってはまさに天敵中の天敵だった。
「が、はぁっ……! 申し訳ねえ、姉御……! 俺の盾じゃ、こいつらを一秒も……足止めできねえ……!」
シシオウは片膝をつき、口から赤いダメージエフェクトの血を吐き出しながら呻いた。
最強の肉の盾(社畜)が、たったの一撃で無力化されたのだ。
「もうダメだ……! 終わりだ! 俺たちの一千万円が、こんな運営のチートモンスターに全部台無しにされるんだぁぁっ!」
コウタが絶望の涙を流し、インベントリからポーションを投げつけようとするが、震える手では狙いも定まらない。
圧倒的な戦力差。システムの絶対的な暴力。
誰もが全滅を覚悟した、その絶望の淵で。
「……ふふっ」
静かな、だがひどく冷酷で、底知れぬ自信に満ちた笑い声が、凍りついた地下室に響いた。
「ゆ、結城……?」
コウタが顔を上げると、そこには、初期装備の布の服を着た小柄な女子中学生――結城紬(アバター名:ツムギ)が、だらんと木の棒を下げたまま、不気味なほどに落ち着き払った態度で立っていた。
彼女の目は、迫り来る死霊の群れに対する恐怖など微塵も感じていない。むしろ、まるで面白い玩具でも見つけたかのように、口角を三日月のように吊り上げていた。
「ねえ、相沢くん。あんた、ゲームのAI(人工知能)の動きって、普段どういうものか知ってる?」
「は!? な、何言ってんだよこんな時に! 普通は一番近い奴を狙うか、ヘイトが高い奴を狙うかだろ!」
「そうね。最短距離で突っ込んでくるか、ランダムにターゲットを散らすか。……でも、こいつらの動きをよーく見てみなさい」
ツムギは木の棒の先で、包囲網を敷くレイスたちを順番に指し示した。
「前方に三体。壁のテクスチャに半身を隠して、両サイドから挟み撃ちのタイミングを窺ってるのが二体。……そして、私たちの真上の天井に張り付いて、魔法を撃ち下ろすか奇襲するかで待機してるのが一体。合計六体よ」
「えっ……天井!?」
コウタが慌てて上を見上げると、暗闇に同化して完全に気配を消していた一体のレイスが、まさに大鎌を振りかぶって張り付いているのが見えた。コウタは「ヒィッ!」と情けない悲鳴を上げた。
「ただのAIなら、あんな面倒くさい立体的な包囲陣形なんて組まないわ。ましてや、壁の中に隠れて挟み撃ちにしようなんて、完全に『プレイヤーの逃げ道を物理的・心理的に塞いで、真綿で首を絞めるように絶望させる』ための、極めて悪趣味で陰湿な配置よ」
ツムギの瞳孔が、スッと細く収縮した。
彼女の脳裏に、強烈な記憶のフラッシュバックが走る。
――四年前。
異世界に召喚されたばかりのツムギが、魔王軍と戦う前の訓練期間。
あの宮廷魔術師は、「実戦の恐怖に慣れさせるため」と称して、凶悪な魔法生物(使い魔)を召喚し、何度も何度もツムギを死の淵に追い詰めた。
逃げようとするツムギに対し、クソジジイは決して一気に殺そうとはしなかった。
前方に三体配置して足を止めさせ、側面の死角から二体を忍び寄らせる。そして、ツムギがパニックになって上を見上げた瞬間、天井から最後の一体を落としてトドメを刺す。
『よいか勇者! 敵は常に貴様の死角から、最も嫌がるタイミングで牙を剥く! 絶望から目を逸らすな! すべての殺意を同時に処理しろ!』
安全な場所から高笑いしながら、十歳の少女にそんな理不尽な死のゲームを強制したブラック上司の顔が、ツムギの脳裏に鮮明に蘇る。
「……間違いないわ」
ツムギは、ゆっくりと、確信に満ちた声で呟いた。
「この陰湿な配置パターン。少し遅れて挟み撃ちにしてくる嫌らしいタイミング。……これ、あのクソジジイが私をしごいてた時と、一ミリの狂いもなく『全く同じ陣形』じゃないの」
「クソジジイ……? 結城、それって……」
「そうよ。このゲームのチーフディレクターであり、異世界で私をこき使った元凶、クロノスよ」
ツムギは、レイスの群れ――その向こう側、カメラ越しに見ているであろう運営の神に向かって、真っ直ぐに視線を向けた。
「ポイント稼がれるのがよっぽど悔しかったみたいね。AIに任せておけばいいものを、焦りすぎてわざわざ『手動操作』に切り替えて、私を直接殺しに来たってわけだ。……でも、それが命取りよ」
ツムギは自分の布の服の裾をビリッと引き裂くと、インベントリから取り出した『あるアイテム』を、木の棒の先端にグルグル巻きにして縛り付け始めた。
それは、この下水道に来る道中で倒したアンデッド系のモンスターからドロップした、『浄化された結晶石』だった。
「ゆ、結城? そんな石ころを棒に巻き付けて、どうするんだよ! 相手は物理無効だぞ!」
「物理無効なんて、ただのシステム上のステータス設定に過ぎないわ。死霊の弱点属性は『光』。この結晶石には、微弱だけど光属性のエンチャントが付与されてるのよ」
ツムギが縛り終えると、木の棒の先端に付いた結晶石が、淡い金色の光を放ち始めた。
即席の『光属性付与・鈍器』の完成である。
「でも、相手は六体だぞ! 手動操作だとしても、こっちはシシオウさんがやられて、実質お前一人……」
「バカ言わないでよ、相沢くん」
ツムギは、獰猛な肉食獣の笑みを浮かべて木の棒を構え直した。
「相手がただのシステムAIなら、ステータスの暴力で押し切られてたかもしれないわ。……でも、中身が『あのクソジジイの思考回路』そのものなら、話は全く別よ。あいつの考えることなんて、四年間散々付き合わされた私には、手に取るようにお見通しなんだから!」
ツムギの言葉が終わるか終わらないかのうちに、前方の三体のアビス・レイスが、一斉に大鎌を振りかぶって突進してきた。
手動操作による、殺意に満ちた包囲網の縮小。
だが、ツムギは一歩も後ろに下がらなかった。
「シシオウ! 這いつくばったままでいいから、右斜め前方にタワーシールドを突き出しなさい!」
「え!? は、はいッ!」
ツムギの鋭い号令に、シシオウは条件反射で右斜め前に盾を突き出した。
同時に、ツムギはそのタワーシールドを「踏み台」にして、軽く跳躍した。
シュンッ! シュンッ!
ツムギが元いた空間を、前方のレイスの大鎌が空振りして交差する。
「リン! 今すぐシシオウに回復魔法を撃ちなさい! 対象じゃなくて、『シシオウの頭上の空間』に向かって!」
「わけが分かりませんけれど、お姉様のご命令とあらば! 【単体回復】!」
リンの杖から放たれた緑色の光球が、シシオウの頭上の虚空に向かって飛んでいく。
その直後。
壁の中から半身を出して挟み撃ちを狙っていた二体のレイスが、ツムギの着地点を狙って飛び出してきた。
しかし、リンが放った回復魔法の「緑色の強烈な発光エフェクト」が、レイスを操作しているクロノスの視界を一瞬だけ眩ませた。
「クロノスのクセ、その一。挟み撃ちのタイミングを合わせる時、必ず『相手の反応を見るために、0・5秒だけ天井のコマの動きを止める』!」
目くらましによって連携がコンマ数秒ズレた瞬間。
ツムギの視界は、天井に張り付いていた最後の一体――クロノスが最も意識を集中させている「本命の奇襲ユニット」の動きが、一瞬だけピタリと停止したのを完全に見切っていた。
「そこよォォォッ!!」
ツムギは壁を蹴り、驚異的な三角飛びで天井へと肉薄した。
クロノスが慌てて天井のレイスに大鎌を振らせようとしたが、遅い。
ツムギの握る木の棒――その先端にくくりつけられた『浄化された結晶石』が、光の軌跡を描きながら、天井のレイスの脳天(顔のない虚無の中心)へと、渾身の力で叩き込まれた。
ガァァァァァァァァンッ!!!!
『ギ、ギヤァァァァァァァァッ!?』
物理無効のバリアが、光属性の強制判定によって打ち破られる。
ツムギの全体重と、強欲な執念(一千万円への愛)が乗った痛烈な一撃が、アビス・レイスのシステム上の弱点コアを完全に粉砕した。
『クリティカル・ヒット!』
『対象の弱点を破壊しました! オーバーキル!』
天井のレイスが断末魔の悲鳴を上げ、紫色のオーラを撒き散らしながら、一瞬にして青いポリゴンの欠片となって四散した。
「な、なんだって……!?」
コウタが信じられないものを見る目で絶句した。
レベル40オーバー、絶対に倒せないはずのチートモンスターが、初期装備の木の棒(石ころ付き)によるたった一撃で、文字通り瞬殺されたのだ。
「あはっ! ぬるい! ぬるいわよクロノス! 四年前から全然成長してないじゃない!」
空中でくるりと身を翻し、着地をキメたツムギは、残る五体のレイス……いや、その向こう側にいる運営に向かって、大声で挑発した。
「あんた、多方向から同時に攻撃を仕掛ける直前、どうしても『右側のカメラ視点』に意識が寄るクセがあるのよ! だから右からの攻撃が一瞬早く、左が遅れる! そんなガバガバな操作精度で、私を殺せると思ったの!?」
ツムギの指摘は、図星中の図星だった。
――現実世界、運営モニタリングルーム。
「なっ……!? ば、馬鹿な……!」
チーフディレクターのクロノスは、両手でキーボードを叩きながら、信じられない光景に目をひん剥いていた。
自分がマニュアル操作で完璧に追い詰めたはずの包囲網が、たった数秒の間に、まるで手品のように解体されたのだ。しかも、自分の長年の「操作のクセ」を言語化して的確に指摘されるという、ゲーマーとして、いやゲームマスターとして最大の屈辱を味わわされたのである。
「あ、あのガキ……! 俺の思考を……完全に読んでいやがる……!」
クロノスの額から、恐怖の冷や汗が吹き出した。
相手はただの女子中学生ではない。自分が四年間、死の恐怖とともに徹底的に鍛え上げ、あらゆる絶望的状況を打破する『生存本能』を植え付けてしまった、最高傑作の怪物なのだと、改めて思い知らされた。
――ゲーム内、大下水道。
天井の「司令塔」を失い、さらに操作主が動揺したことで、残る五体のアビス・レイスたちの動きが、明らかに鈍り、不自然なラグを引き起こし始めていた。
「クロノスのクセ、その二! 想定外の反撃を受けると、すぐにテンパって思考停止する!」
ツムギは木の棒をバットのように構え、獲物を前にした飢えた獣のような、最高に邪悪な笑みを浮かべた。
「さあ、ボーナスタイムの続きよ! こいつら、デバッグ用の強敵だから、倒せば経験値もドロップアイテムも規格外のはずよね! 運営からの直接の『お年玉』、一円残らず回収させてもらうわよ!」
「す、すげえ……。運営の嫌がらせすら、ただの換金対象にしか見えてねえ……!」
コウタは震える手で胃薬の瓶を握りしめながら、ただただその常軌を逸したメンタルに畏怖の念を抱いていた。
「お姉様! わたくしも加勢いたしますわ! 【聖なる光の矢】!」
「俺も……やりますぜ! ポーション飲んで、壁くらいにはなってみせます!」
ツムギの圧倒的な背中に引っ張られるように、リンとシシオウも闘志を取り戻し、フォーメーションを再構築する。
もはや、狩る者と狩られる者の立場は完全に逆転していた。
「行くわよ、野郎ども! 一千万円と運営のヘソクリ、全部私たちの口座に直行よぉぉぉっ!!」
ツムギの号令とともに、カオス極まる泥臭いパーティによる、運営が投下したチートモンスターへの『逆虐殺』が始まった。
公式イベント『王都防衛戦』は、プレイヤーと運営による、札束と意地を賭けた醜くも熱い直接対決という、誰も予想しなかった狂気の最終局面へと突入していくのであった。




