第35話:独走状態と運営のパニック〜濁流を見下ろす高笑いと噛み砕かれる胃薬〜
王都アルカディアを囲む分厚い白亜の城壁。その外側に広がる広大な平原は、数分前まで数万を超えるモンスターの大軍勢によって黒く埋め尽くされていた。
プレイヤーたちは城壁の上や城門の前で死闘を繰り広げ、一億円という莫大な賞金のために、少しでも防衛ポイントを稼ごうと必死に武器を振るっていた。
しかし今、彼らの眼下に広がる光景は、もはや「戦闘」と呼べるものではなかった。
ズゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!
大地の奥底から湧き上がったかのような、暴力的なまでの轟音。
王都の地下水路から隠し排水口を通って一気に噴出した数万トンの地下水脈は、長年蓄積されたヘドロや土砂、そして結城紬(アバター名:ツムギ)たちが塗りたくったスライムの粘液を巻き込み、文字通りの『鉄砲水』となって平原を蹂躙していた。
「な、なんだあれえぇぇぇっ!?」
「逃げろ! いや、俺たちは城壁の上にいるから無事だ! でも、モンスターが……!」
城壁の上に陣取っていた数千人のプレイヤーたちは、武器を下ろし、呆然と眼下の惨劇を見下ろしていた。
ゴブリンやオークといった小型から中型のモンスターは、濁流に触れた瞬間に木の葉のように流され、あっという間に見えなくなっていく。サイクロプスやキメラといった数十メートル級の超大型モンスターでさえ、スライムの粘液によって摩擦係数が完全にゼロになった泥水に足元をすくわれ、無様に転倒したまま激流に飲み込まれていった。
抵抗する間もなく、ただただ濁った水の暴力によって、押し流されていく十万の軍勢。
「すげえ……。あれだけの数が、たった一瞬で……!」
「おい、ポイントはどうなってる!? あれだけ大量のモンスターが死んでるんだ、誰かにキルスコアが入ってるはずだぞ!」
一人のプレイヤーが叫び、全員が慌てて空中のシステムウィンドウ、ランキングボードを開いた。
【第1位:パーティ『ツムギ・リン・コウタ・シシオウ』 防衛ポイント:2,450,000(継続上昇中)】
【第2位:ギルド『天翔ける剣』 防衛ポイント:12,500】
【第3位:ギルド『紅蓮の炎』 防衛ポイント:11,200】
「……は?」
ランキングを見たプレイヤーたちの口から、間抜けな声が漏れた。
二位以下のトップギルドたちが、数百人のメンバーを動員して血みどろの死闘を繰り広げ、ようやく一万ポイント台に到達しているというのに。
第一位のパーティは、たった四人のメンバーで、すでに「二百万」を超える天文学的なポイントを叩き出していた。しかも、その数字はスロットマシンのように超高速で回転し続け、秒単位で数万ポイントずつ加算されている。
「に、にひゃくまんポイントだとぉぉぉっ!?」
「あいつらだ! さっきランキングの最下位から一瞬でトップに躍り出た奴ら! あのパーティが、王都の隠し水門を開けて、ポイントを全部一人占めしてやがるんだ!!」
「ふざけんな! 俺たちの一千万円(一億ゴールド)を返せぇぇぇっ!!」
城壁の上は、モンスターへの恐怖から一転、一人の強欲なプレイヤーに対する憎悪とルサンチマンに包まれた暴動状態へと変貌しつつあった。
◇ ◇ ◇
一方その頃。王都の地下深く、大下水道の隠し機械室。
そこでは、地上で何万人ものプレイヤーが血の涙を流していることなど一切気に留めず、一人の小柄な女子中学生が悪魔のような歓喜の叫びを上げていた。
「あーっはっはっはっはっ!! 見なさい! 見なさいこのログの滝を! 数字が、数字が自動で増えていくわぁぁぁっ!!」
ツムギは、初期装備の布の服を泥とスライムの粘液でドロドロにしながら、虚空に浮かぶランキングボードを指差して狂ったように高笑いしていた。
『システムメッセージ:【サイクロプス】を討伐しました。ポイント獲得:+1500』
『システムメッセージ:【キメラ】を討伐しました。ポイント獲得:+1000』
『システムメッセージ:【オークキング】を討伐しました。ポイント獲得:+2000』
目の前のウィンドウでは、数千、数万という討伐ログが、肉眼では追えないほどの速度でスクロールし続けている。
獲得ポイントはすでに三百万を突破し、第二位との差を絶望的なまでに広げていた。
「資本主義バンザイ! 自動化バンザイ! 私が何もしなくても、勝手に水がモンスターを掃除して、勝手に私の口座残高が増えていく! これぞ不労所得の極致よ!!」
ツムギは両手を天に掲げ、暗い地下室で一人、恍惚とした表情で身をよじらせた。
「ああ……一千万円……! 一億円じゃなくて、現実の現金で一千万円よ! 『ギャラクシー・ボーイズ』のリュウくんの等身大純金製フィギュアだって特注できちゃうかもしれないわ! 痛バッグどころか、痛車、いや痛ハウスだって建てられる! 素晴らしい! なんて素晴らしい世界なの、アルカディア・オンライン!!」
あまりの強欲っぷりに、もはやツムギの周囲には目に見えるほどの黒いオーラ(金への執着)が立ち昇っているように見えた。
その後ろで、村娘の服を着たトップギルドマスター・東山凛(アバター名:リン)が、パチパチと感動の拍手を送っている。
「素晴らしいですわ、ツムギお姉様! たった一つのギミックを作動させただけで、地上の全プレイヤーを出し抜き、何万ものモンスターを一網打尽にするなんて! その圧倒的な知略と行動力、わたくし、ますます心酔いたしましたわ!」
「姉御ォォッ! これが上に立つ者の戦い方なんですね! 泥にまみれるのは最初だけ、あとはシステムに働かせて上前を撥ねる! 俺も現実の会社で、こんな風に部下をこき使ってみたいものです!」
ライオンの重戦士・シシオウも、タワーシールドを胸に抱きながら感涙に咽び泣いている。
この二人、完全に洗脳の度合いが深まりすぎており、ツムギのやる事なす事すべてを「覇王の所業」として肯定するカルト信者と化していた。
「……終わった。俺たちの平穏なゲームライフは、完全に終わった……」
相沢航太(アバター名:コウタ)だけは、重たい荷物袋を抱えたまま、冷たい石畳の床に体育座りをして虚空を見つめていた。
「おい、結城……。お前、自分が何やってるか分かってるのか? 何万人も参加してる公式の大型イベントで、全部のポイントを一人で吸い上げてるんだぞ? 掲示板じゃ絶対大炎上してるし、地上の連中は絶対俺たちを殺しに来るぞ……。それに、運営だってこんなバグみたいなポイントの稼ぎ方、許すわけがないだろ……」
「相沢くん、あんたホントにネガティブね」
ツムギはピシャリと言い放ち、鼻で笑った。
「これはバグでもチートでもないわ。運営が用意した『隠し防衛兵器』を、運営が用意した『スライムの体液の摩擦係数』を使って作動させただけ。全ては仕様の範囲内よ。ルールの中で誰よりも効率よく稼いだ勝者を罰するような運営なら、そんなゲームこっちから願い下げだわ」
ツムギは悪びれる様子もなく言い切ったが、コウタの胃の痛みは全く治まらなかった。
なぜなら、この「仕様の範囲内」という詭弁を盾にして、すでに数え切れないほどのプレイヤーとNPCを地獄の底に叩き落としてきたのが、目の前の守銭奴少女なのだから。
◇ ◇ ◇
ツムギの言う「ルールの中で誰よりも効率よく稼いだ勝者を罰するような運営」――その運営の総本山である、東京都内の高層ビルの一室。
『アルカディア・オンライン』のメインモニタリングルームは、かつてないほどの阿鼻叫喚に包まれていた。
「ディ、ディレクター! 大変です! 王都防衛戦のスコア集計サーバーが、異常な負荷で悲鳴を上げています!」
血相を変えたオペレーターが、メインデスクに向かって絶叫した。
「一箇所の座標から、秒間数千件の『キルスコア判定』が送信され続けています! このままではイベントランキングのシステム自体がクラッシュします!」
「何だとぉぉぉっ!?」
分厚い革張りのデスクチェアから飛び上がったのは、アルカディア・オンラインのチーフディレクターであり、かつてツムギを異世界へ召喚した張本人――元・宮廷魔術師のクロノスである。
彼は震える手でメインモニターを操作し、王都アルカディアの全体マップと、リアルタイムのランキングデータを表示させた。
【第1位:パーティ『ツムギ・リン・コウタ・シシオウ』 防衛ポイント:4,200,000(継続上昇中)】
その数字と、「ツムギ」という名を見た瞬間。
クロノスの顔面から一気に血の気が引き、土気色に変わった。
「また……またあいつかぁぁぁぁっ!!!」
クロノスは頭を抱え、デスクに突っ伏した。
PKギルドの嬲り殺し、レイドボスの小指責め、未実装宝物庫の略奪に続き、今度は公式イベントの完全破壊である。
「どういうことだ! なぜ王都の地下水門が開いている!?」
クロノスが血走った目でオペレーターに詰め寄る。
「あの大水門ギミックは、城門が突破され、王都内部にモンスターが侵入した際の『最終防衛ライン』として用意した演出用のギミックだぞ! まだ城門は突破されていなかったはずだ! しかも、簡単に作動させられないように、レバーのサビの数値を極限まで高く設定し、専用の『王家の潤滑油』を手に入れるお使いクエストをクリアしなければ引けない仕様にしておいたんだぞ!」
「そ、それが……!」
オペレーターが震える指でログを拡大表示する。
「当該パーティは、専用アイテムを使用していません。代わりに、道中でドロップした【スライムの体液】を大量にレバーの歯車に塗り込み、物理演算エンジンの『摩擦係数低下』の計算式を極大化させることで、サビのロック数値を強引に突破したようです……!」
「ス、スライムの体液を……潤滑油代わりに……!?」
クロノスはあんぐりと口を開け、その場に崩れ落ちそうになった。
精緻すぎる物理演算エンジンを構築したのはクロノス自身である。水は高いところから低いところへ流れ、油は摩擦を減らす。異世界の物理法則を完全に再現したそのシステムが、まさかこんな形で裏目に出るとは夢にも思わなかった。
「あの悪魔め……! どこまで俺の作ったシステムをコケにすれば気が済むんだ!」
クロノスはデスクの引き出しを乱暴に開け、常備している胃薬の瓶を取り出すと、中の錠剤を数粒まとめて口に放り込み、水もなしにガリガリと噛み砕いた。
苦い粉末が口の中に広がるが、今の彼の胃痛を緩和するには全く足りない。
「ディレクター! このままでは、賞金総額一億円が、全てツムギのパーティに渡ってしまいます! 公式イベントで一人のプレイヤーが報酬を独占したとなれば、他の数十万人のプレイヤーから大クレームが入り、ゲームの存続自体が危ぶまれます!」
「分かっている! 分かっているとも!!」
クロノスはギリィッ!と歯を食い縛った。
四年前、あの守銭奴勇者を異世界でタダ働きさせ、退職金の一円も払わずに元の世界へ強制送還した。その怨みが、今になってこれほどまでの強烈なしっぺ返しとなって自分に降りかかってくるとは。
「あのガキ……絶対に一千万円を毟り取る気だ……。俺が必死にスポンサーからかき集めたイベント予算を、ただの推し活の資金なんぞにされてたまるかぁっ!!」
クロノスはキーボードを叩き割らんばかりの勢いでタイピングを開始した。
「システムAIのエクレアは何をしている!? なぜ異常ログを報告しない!」
「それが、エクレアからの通信が完全に途絶しています! 彼女の権限が、なぜかツムギのパーティを隠蔽する方向に働いているようで……」
「あの大精霊のポンコツが! 裏切ったな! どんな弱みを握られやがった!」
頼みの綱であったシステムAIすら寝返っているという絶望的な状況。
このままでは、あと数分で平原のモンスターが全て水に流され、イベントはツムギの完全勝利で終了してしまう。
もはや、通常のシステム的介入では手遅れだった。
「こうなったら……なりふり構っていられるか。強権発動だ」
クロノスは血走った目で、管理者専用のデバッグコンソールを開いた。
「ツムギのいる地下下水道の座標を特定しろ! そこに、通常ポップしない超高難易度の『デバッグ用排除モンスター』を強制転送させる! 物理無効、状態異常無効、触れれば即死の【死霊の大群】だ!」
「ディ、ディレクター!? そんな未調整のモンスターをイベント中に投入したら、不自然すぎます! 明らかな運営の不正介入(嫌がらせ)だとバレてしまいますよ!」
「バレても構わん! あの女に一千万円を奪われるよりマシだ! 奴を殺せ! ポイント稼ぎを何としてでも止めろォォォッ!!」
クロノスはエンターキーを拳で叩き割り、強制ポップのコマンドを実行した。
画面上の王都地下下水道のマップに、真っ赤な敵性反応を示す光点が、数百、数千と一気に湧き上がる。
「さあ、どうする結城紬。物理攻撃が一切通じない、死の怨念の塊だ。いくらお前でも、システムの絶対的な『無効化ステータス』の前には手も足も出まい。ここで大人しく死んで、ポイントを吐き出せ……!」
クロノスはモニターを睨みつけながら、荒い息を吐いた。
運営のチーフディレクター自らが、一人の女子中学生プレイヤーを排除するために、禁じ手である「直接的な嫌がらせ」に手を染めた瞬間だった。
しかし、クロノスはまだ完全に理解していなかった。
彼が直面しているのは、単なる凄腕ゲーマーではない。
四年間、彼自身の理不尽な命令によって鍛え上げられ、あらゆる絶望的状況を「泥臭い手段」で突破してきた、本物の勇者であることを。
そして、その勇者の原動力が、「命」ではなく「一千万円の札束」に向かっている時の、底知れぬ恐ろしさを。
地下の制御室で、ツムギが迫り来る絶望に高笑いを上げるのは、この数十秒後のことである。
運営と守銭奴の、札束を賭けた醜い死闘は、いよいよ引き返せない領域へと突入していた。




