第34話:水攻め無双とスコアのバグ〜濁流の彼方に消える一千万円〜
王都アルカディアを囲む白亜の城壁。その前線では、この世の終わりを告げるかのような轟音と絶叫が渦巻いていた。
数万、いや十万にも及ぶモンスターの群れが、城門を押し潰さんばかりの勢いで突進し、迎え撃つプレイヤーたちの放つ魔法や矢の雨が、夜空を彩る花火のように飛び交っている。
「押されるな! 城壁の右翼が突破されそうだ! シールドを展開しろ! 魔法使いは総攻撃だ!」
「ポーションが足りない! 誰かヒーラーを回してくれ!」
ランキング上位を狙う猛者たちが集う最前線ですら、この圧倒的な物量の前では防戦一方だった。モンスターたちは一切の恐怖を感じることなく、死肉を踏み越えて城壁へと群がり、前衛を担う重戦士たちを次々と弾き飛ばしていく。
プレイヤーたちの獲得する防衛ポイント(キルスコア)のログは、高速で流れているが、それ以上に消費されるリソース(ポーション、MP、そして心身のスタミナ)が過酷すぎる。
そんな絶望的な空気が支配する平原から少し離れた地下深く。
王都の大下水道にある『防衛用大水門』の制御室では、結城紬(アバター名:ツムギ)たちが、泥とスライムの体液にまみれながら、荒い息を吐いていた。
「……ッ!! 動いた……! 動いたわよぉぉぉっ!!」
ツムギが悲鳴にも似た歓喜の叫びを上げるのと同時に、王都の地下に蓄えられていた数万トンにも及ぶ地下水脈の貯水が、解放された大水門を通って、城壁外の平原へと向かって解き放たれた。
大下水道から繋がる隠し水路は、城壁の外側にある緩やかな傾斜の低地へと直結している。
先ほどまで、ただの排水溝の出口だと思われていたそこから、地響きを伴った濁流が、まるでダムの放水のような勢いで噴出した。
ズゴォォォォォォォォンッ!!
大地を震わせる轟音とともに、泥と混じり合った巨大な奔流が平原を駆け抜ける。
それは単なる水ではない。長年下水道に溜まりに溜まった土砂、廃棄物、そしてツムギたちが塗りたくったスライムの粘液が混ざり合い、強烈な摩擦係数の減少と巨大な質量を併せ持った『天然の物理攻撃』であった。
城壁の外で城門を突破しようと群がっていた数万のモンスターたちは、背後から急激に迫る濁流の気配など一切察知していない。
モンスターの群れが最も密集し、城門への突撃に熱狂していたその瞬間。
濁流は、彼らの背中を、津波のように一気に飲み込んだ。
「グルァッ……!?」
「ガァァァッ!?」
モンスターたちは、一切の抵抗もできず、濁流の濁った水の中に次々と引きずり込まれていく。
水攻めの脅威はそれだけではなかった。
ツムギが塗りたくった『スライムの体液』が、濁流の流速をさらに加速させ、地盤の摩擦を完全にゼロにしていた。踏ん張ることも、姿勢を立て直すことも許されない。モンスターたちは、ただひたすらに、濁流に揉まれながら、城壁外の広大な平原へと押し流されていく。
その光景を、城壁の上にいたプレイヤーたちは、呆然と見下ろすしかなかった。
「は……? なんだあれは……? 水が出てる……?」
「おい、嘘だろ……。平原のモンスターの大群が、全部濁流に飲まれて流されていくぞ……!」
「嘘じゃない! あれは……地形ギミックだ! 誰かが王都の水門を開放したんだ!!」
城壁の上にいた数千人のプレイヤーが、眼下の惨劇(あるいは奇跡)に絶句する。
あれほど手こずっていた、攻略不能に近いモンスターの大群が、まるで庭の草木をホースで洗い流すかのように、一掃されていくのだ。
そして、彼らの視界の端で、システムウィンドウが狂ったように点滅を始めた。
『システムメッセージ:モンスター【オークの群れ】を討伐しました。ポイント獲得:+500』
『システムメッセージ:モンスター【キメラ】を討伐しました。ポイント獲得:+1000』
『システムメッセージ:モンスター【サイクロプス】を討伐しました。ポイント獲得:+1500』
ログが、滝のような速度で流れ落ちていく。
しかし、そのすべての獲得ポイントの主(パーティ名)は、城壁の上にいるプレイヤーたちではなく、ただ一つ――。
『パーティ【ツムギ・リン・コウタ・シシオウ】が、防衛ポイントを15,000獲得しました』
『パーティ【ツムギ・リン・コウタ・シシオウ】が、防衛ポイントを25,000獲得しました』
濁流に飲まれるモンスターの死骸が、次々と防衛戦の『討伐成功』として判定される。
それは、システム上の「プレイヤーがギミックを起動して敵を倒した」という判定が、全てレバーを引いたツムギたちのパーティに集約されたからである。
「あーっはっはっはっはっ!! 見なさい、このログの流れを!! ポイントの滝よ!! 現金が、現金が自動で増えていくわぁぁぁっ!!」
地下の制御室で、ツムギは水門のレバーに両手をかけたまま、濁流の轟音にかき消されるような狂気的な高笑いを上げていた。
彼女の脳内では、一千万円という莫大な賞金への道が、濁流とともに真っ直ぐに繋がっているのが見えた。
「ああ……推しのリュウくんのライブチケットだけじゃなくて、あんたの所属事務所ごと買い取って、あんたを私の専属アイドルにしてあげるからねぇぇぇっ!!」
もはや推し活というレベルを超えた、独占欲に満ちた狂気の叫び。
リンは目を輝かせながら「素晴らしいですわ、お姉様! これならランキング一位は間違いありません!」と拍手を送り、シシオウは「これが姉御の戦い方……! 手を汚さず(泥は塗ったが)、ポイントだけを回収する。まさに中間管理職の理想です!」と謎の感動に包まれている。
一人だけ、コウタは頭を抱えていた。
「おい……お前ら、正気かよ……。何万体というモンスターを、たった一回のギミック起動で流して、ポイントを全部一人占めだぞ。これ、他のプレイヤーたちが知ったら、大暴動になるぞ……! っていうか、運営が黙ってるわけないだろ!」
コウタの言う通りだった。
城壁の上にいた他のプレイヤーたちは、最初はポカンと見ていたが、やがて状況を理解し始めた。
自分たちが命懸けで戦っているモンスターを、誰かが地下から流した水で一網打尽にし、ポイントを全て持ち逃げしているという現実に。
「おい、ふざけんなよ!! 俺たちのキルスコアが全部奪われてるぞ!!」
「誰だ! 誰がレバーを引いたんだ! 出てこい!」
城壁の上にいた怒り狂ったプレイヤーたちが、血相を変えて階段を駆け降り、下水道への入り口を探し始めていた。このままでは、ツムギたちは数千人の激昂したプレイヤーたちに袋叩きにされる運命にある。
「え、エクレア! 大変よ! 地上にいる連中が私たちの居場所を特定しようとしてる! ログを隠蔽して!」
『分かってるわよ! 今、この水路エリアの防衛ポイント獲得ログを一時的にシステムから除外して、他のプレイヤーには【デバッグ中の表示エラー】として見せるように書き換えてる! バレないわ!』
エクレアが必死になってシステムをハックし、ツムギたちの悪行(独占)を隠蔽する。
しかし、そんなシステム上の隠蔽など、目の前にいる怒り狂ったプレイヤーの群れには意味をなさない。
「エクレア、あんたもポンコツね! ログを隠したって、この下水道まで連中が押し寄せてきたら終わりでしょ! 早く、この水路の出口に『立ち入り禁止の崩落事故』の演出でも追加して、連中を足止めしなさい!」
「ひぃっ、分かりましたぁっ!」
ツムギの理不尽な命令に従い、エクレアが下水道の入り口付近の通路に、システム権限を乱用して偽の土砂崩れエフェクトを発生させる。
怒ったプレイヤーたちが下水道の入り口を見つけても、そこは完全に『崩落して進入不能』なエリアとしてマップデータが書き換えられていく。
まさに、運営側のシステム権限を私物化した、完全犯罪の実行である。
「よしっ、これで連中は入ってこれない。あとは、濁流が止まるまでこのポイントを吸い続けるだけよ!」
ツムギは、泥水に浸かりながら、システムウィンドウのランキングボードを確認した。
まだイベント開始から数分だが、ツムギたちのパーティの名前が、ランキングの最下位から、一気にトップへと躍り出ようとしていた。
『ランキング順位:1位 パーティ【ツムギ・リン・コウタ・シシオウ】 ポイント:150,000』
「あはっ……! 桁が違うわ……! 城壁でチマチマ稼いでる連中が、平均100ポイント程度で右往左往してる中、こっちは15万ポイントよ!」
ツムギの顔が、強欲な笑みに歪む。
一億円の賞金というニンジンは、完全に彼女の掌の中にあった。
このまま濁流を流し続ければ、他のプレイヤーが獲得できるポイントなど残りカスだけ。王都防衛戦のポイントは、ほぼ全て彼女の口座へと吸い上げられる。
――その時である。
『……警告』
エクレアの喉が詰まるような、緊張した声が響いた。
先ほどまで、運営の隠蔽工作を成功させていたエクレアのホログラムが、激しい火花を散らして明滅している。
『ツムギ……! まずいよ! 運営が、イベントのスコア集計システムに直接アクセスして、私たちの獲得ポイントログを『不正データ』として検知し始めた! このままじゃ、私たちのポイントが強制的に没収される!』
「なによそれ! 不正じゃないわよ! 仕様の範囲内のギミック起動だもの!」
『仕様の範囲外なのよぉぉ! クロノスが、私たちのパーティだけにだけ、超高難易度のモンスターを周辺にポップさせる『嫌がらせプログラム』を強制投下したわ! これで私たちの動きを足止めして、ポイント稼ぎを阻止する気よ!』
エクレアの言う通りだった。
運営モニタリングルームで、独走するツムギのスコアを見て激怒したクロノスが、なりふり構わず、ツムギの周辺(地下下水道)にのみ、通常ではありえないレベルの強敵をポップさせる『チート対処』を強行したのだ。
ガサガサ……ッ、ガサガサ……ッ。
静まり返った下水道の奥から、数千もの赤い目がツムギたちを囲むようにして光り始めた。
現れたのは、通常のモンスターではなく、全身がどす黒く変色した『死霊』の大群だった。
それらは、運営が緊急投入した、レベル40オーバーの『デバッグ用排除モンスター』。物理攻撃は通らず、触れるだけでHPを削り取る死の怨念を纏っている。
「……あら? 何これ? ただのネズミにしては、随分と豪華なエフェクトね」
ツムギは木の棒を構え直した。
土気色に青ざめた表情のまま、瞳の中の『¥』マークだけが、狂ったように回転し続けている。
「運営が嫌がらせをしてきたってことは、それだけ私を『排除したい』っていう焦りがあるのよね。……つまり、今の私に邪魔なポイントを稼がせないために、それ相応の『臨時ボーナス』を投下してくれたってことじゃない!」
「ゆ、結城……! お前、状況が見えてないのか!? 相手はレベル40のレイスだぞ! 物理攻撃無効の化け物なんだぞ!」
コウタが叫ぶ。
「物理無効? そんなの、ただの『システム上のステータス』でしょ。死霊なら、魔法(銀の属性)を纏わせた刃か、魂を破壊する特殊な一撃があればいい。……あら、そういえば」
ツムギは地面に落ちていた、先ほど倒したモンスターの『浄化された結晶石』を拾い上げ、木の棒の先端に器用に縛り付けた。
それは、ただの石ころではない。死霊の弱点属性である『光属性』を宿した結晶だ。
「これね。これがあれば、物理無効(無敵)も関係ないわ」
ツムギは木の棒を振り回し、迫り来る数千のレイスの群れに向かって、一歩も引かずに踏み込んだ。
「さあ! 嫌がらせのお返しよ! 運営のデータ、根こそぎ刈り取ってやるから覚悟しなさい!!」
一億ゴールドという札束の山を前に、理性を完全に失った守銭奴勇者。
彼女が振るう『木の棒(光属性付与済み)』が、運営が投下したチートモンスターの群れを次々とポリゴンへと変えていく。
防衛戦イベントは、もはや「王都を守る」という崇高な目的を完全に忘れ、運営と一人の女子中学生による「泥臭くも陰湿な潰し合い(カネの奪い合い)」という、狂気の世界へと突入していた。
城壁の外で濁流に流されるモンスターたちの悲鳴。
地下で死霊をなぎ倒すツムギの高笑い。
そして、モニタリングルームで胃薬を握りしめて叫ぶ運営クロノスの怨嗟。
全てが交錯する王都防衛戦は、かつてないほどのカオスを孕んで、いよいよ終盤戦へと向かっていく。




