第32話:最前線? いいえ、下水道です〜栄光なき裏方労働の始まり〜
賞金総額一億ゴールド(現金換算一千万円)。
アルカディア・オンラインの運営が提示した、常軌を逸した「ニンジン」は、ゲーム内の全プレイヤーを完璧なまでに狂乱させていた。
イベントの舞台となる【王都アルカディア】は、サービス開始からまだ一週間も経っていない現在、ほとんどのプレイヤーにとって未到達のエリアである。しかし、イベント期間中に限り全都市から専用の転送ゲートが解放され、レベルに関係なく誰でも王都へアクセスできるようになっていた。
――ズザザザザァァァッ!!
転送ゲートを抜け、王都アルカディアの広大なメインストリートに降り立ったプレイヤーたちの目に飛び込んできたのは、度肝を抜かれるような光景だった。
巨大な白亜の城壁が王都をぐるりと囲み、空には無数の飛竜が飛び交っている。そして城壁の向こう側――見渡す限りの大平原を埋め尽くすようにして、黒い波のように蠢くモンスターの大群が押し寄せてきているのだ。
ゴブリン、オーク、スケルトンから、巨大なサイクロプスやキメラまで。その数は数万、いや十万を超えているかもしれない。
「すげえ……映画のワンシーンみたいだ……!」
「ビビってる暇はねえ! 城壁に上がれ! 弓と魔法で上から撃ち下ろして、ポイントを稼ぎまくるぞ!」
「前衛部隊は城門前に陣形を組め! 突破されたら終わりだ!」
熱狂する何万人ものプレイヤーたちが、次々と城壁の階段を駆け上り、あるいは城門前で武器を構え、押し寄せるモンスターの群れに向けて雄叫びを上げていく。
イベントのルールは単純明快。モンスターを倒せば倒すほど『キルスコア(防衛ポイント)』が加算され、その累計ポイントがランキングとして集計される。
一千万円の札束を夢見るゲーマーたちは、血走った目で最前線へと殺到していった。
――そんな中。
城壁へと向かう人の波とは完全に逆行し、王都の裏通りをコソコソと進む、四人の怪しい集団がいた。
「ねえ、ツムギお姉様? 皆さんあんなに熱狂して城壁の最前線へと向かっておられますのに、わたくしたちはなぜ、このような薄暗い裏路地を歩いているのでしょうか?」
村娘の服を着た東山凛(アバター名:リン)が、鼻をつまみながら不満げに尋ねた。
彼女の横では、二メートル超えの重戦士シシオウがタワーシールドを背負って窮屈そうに歩き、その後ろを相沢航太(アバター名:コウタ)が大量の空の荷物袋を抱えてついてきている。
先頭を歩く結城紬(アバター名:ツムギ)は、初期装備の『木の棒』を杖のように突きながら、悪びれる様子もなく振り返った。
「あらリン、城壁の上から魔法を撃ちたいの? あんなの、何万人っていうプレイヤーが一つの的を奪い合う完全なレッドオーシャンよ。あそこで魔法を一発撃って、運良くトドメを刺せたとして、せいぜい10ポイントってところかしら。一千万円を目指すなら、効率が悪すぎるわ」
「そ、それはそうですけれど……でも、ポイントを稼ぐには敵を倒さなければならないのでは?」
ツムギはニヤリと笑い、右肩の空間に浮かぶナビゲーションAI『エクレア』(不可視モード)に向かって声をかけた。
「エクレア、こっちの道で合ってるわよね?」
『ええ、ツムギ。この先の袋小路にある古びたマンホールの蓋、あれが入り口よ。……でも、本当にやる気? あんなところ、運営の奴もまさかプレイヤーが入るなんて想定してないわよ』
「想定してないからこそ、美味しいのよ。そこには誰にも横取りされない、数万ポイント(数百万円)がゴロゴロ転がってるんだから」
ツムギは袋小路の突き当たりに辿り着くと、地面に嵌め込まれた錆びついたマンホールの蓋を、シシオウに指差した。
「デカブツ、開けなさい」
「応ッ! 任せてくだせえ姉御!」
シシオウが筋力ステータスを全開にしてマンホールの蓋を持ち上げると、ブワァッ、と強烈な悪臭が路地に噴出した。
ドブ泥と、下水と、何かが腐敗したような強烈な匂い。VRの嗅覚設定をオンにしているプレイヤーなら、一瞬で吐き気を催すレベルの悪臭である。
「うぇぇぇっ!? く、くっさ!! なんだこれ、鼻がひん曲がるぞ!」
コウタが顔を青ざめさせて鼻を押さえた。
「お、お姉様……? まさか、この汚い穴の中に入るおつもりですか……? わたくし、村娘の服とはいえ、このような不浄な場所には……」
リンも涙目になって後ずさる。
しかし、ツムギの顔には嫌悪感どころか、どこか懐かしさすら浮かんでいた。
「甘ったれないの。ここは王都アルカディアの地下に広がる『大下水道』よ。王都の全生活排水が流れ込む、文字通りの掃き溜めね」
ツムギはマンホールの縁に立ち、真っ暗な穴の底を見下ろした。
十歳の頃、異世界に召喚されたばかりのツムギ。右も左も分からない小娘に、あのクソジジイ(宮廷魔術師)が最初に与えた任務(という名の人権無視のしごき)が、この大下水道の掃除とスライム退治だった。
毎日毎日、首まで汚水に浸かりながら、真っ暗な迷路を彷徨い歩いた日々。匂いが体に染み付き、宿屋の亭主に塩を撒かれたことも一度や二度ではない。
「……思い出すわね。この下水道の構造、水流の速度、そしてどこにどんな設備が隠されているか。全部、私の体に染み付いてるわ」
ツムギは鼻をつまむこともせず、むしろ「一千万円の匂いがする」とばかりに深く深呼吸をすると、一切の躊躇なくマンホールの穴へと飛び込んだ。
「ええええっ!? マジで入ったぞあいつ!」
「姉御に続けェェッ!」
「お姉様をお一人にするわけにはいきませんわぁぁっ!」
狂信者二人が嬉々として下水道へダイブし、残されたコウタは「なんで俺のゲームライフ、いつも泥か汚水にまみれてるんだよ……」と泣きながら、最後に暗闇へと身を投じた。
◇ ◇ ◇
チャプッ、チャプッ……。
膝下まである濁った水(汚水)を掻き分けながら、ツムギたち四人は下水道の奥深くへと進んでいく。
周囲は真っ暗で、松明の明かりだけが頼りだ。時折、巨大なネズミや汚泥スライムが現れるが、ツムギが木の棒で的確に急所を叩き潰し、瞬殺していく。
「ゆ、結城……こんなところで何をするんだよ。モンスターもショボいし、全然ポイント稼げないぞ」
コウタが汚水に浸かったズボンの裾を気にしながら尋ねる。
「相沢くん、この下水道がただの排水設備だと思ってるの?」
ツムギは立ち止まり、壁のレンガをペタペタと触りながら答えた。
「王都アルカディアは、かつて魔族の侵攻を何度も退けてきた難攻不落の要塞都市よ。当然、城壁が突破された時や、逆に敵を一網打尽にするための『隠しギミック(防衛兵器)』が、都市の地下に張り巡らされてるの」
「隠しギミック?」
「ええ。たとえば……ここよ」
ツムギが壁のレンガの一つを強く押し込むと、ゴゴゴ……と鈍い音が鳴り、レンガの壁が隠し扉のように反転した。
中に現れたのは、巨大な歯車とチェーンで構成された、サビだらけの古びた機械室だった。
部屋の中央には、大人が三人で抱え込むほど太い、巨大な鉄のレバーが突き出している。
「これよ。王都の地下水脈を堰き止めている『大水門』の制御レバー」
ツムギが松明でレバーを照らし出すと、エクレアが右肩の上でパタパタと飛び回りながら補足した。
『ツムギの言う通りよ! このレバーを引けば、王都の地下に蓄えられている莫大な水量の地下水が、城壁の外……つまり、今モンスターの大群が押し寄せている平原に向かって、一気に放出される仕組みになってるわ!』
「えっ……!? それって、もしかして……」
コウタが息を呑んだ。
「そうよ。ちまちま魔法を撃って数ポイント稼ぐなんてバカらしいでしょ? 私たちはこのレバー一つで、平原にいる何万というモンスターの群れを【水攻め】にして、一瞬で全滅させるの。そして、そのキルスコア(防衛ポイント)は……」
ツムギの瞳孔が開き、暗闇の中で『¥』マークが怪しく発光した。
「ギミックを作動させた私たちパーティが、数万ポイントを『完全独占』するってわけ!」
「ひぃっ……! あ、悪魔だ! お前、何万人もいる他のプレイヤーの獲物を、文字通り水に流して全部一人占めにする気か!」
コウタが頭を抱えて悲鳴を上げる。
「あら、運営が『協力して守れ』なんて一言でも言った? 『一番ポイントを稼いだ奴が一億円』って言ったんだから、これは純粋な競争よ。勝てば官軍、稼げば正義。さあ、行くわよ!」
ツムギは巨大な鉄のレバーに手をかけ、思い切り力を込めて手前に引っ張った。
――しかし。
「……ぐ、ぐぐぐっ……! くっそ、ビクともしないわね」
ツムギのレベル15の筋力ステータスをもってしても、レバーは数ミリたりとも動かなかった。
「お姉様! わたくしも手伝いますわ!」
「俺もお任せくだせえ!」
リンとシシオウも駆け寄り、三人でレバーを引っ張るが、ガッチガチに錆びついた巨大な鉄の塊は、ウンともスンとも言わない。
『ダメよツムギ! システムデータを確認したけど、このレバー、数百年間使われてない設定になってるから、完全に錆で固着しちゃってるわ! ステータスの筋力だけじゃ絶対に動かせない仕様よ!』
エクレアが叫ぶ。
「チッ……相変わらず性格が悪いわね、クロノスの奴。隠しギミックを用意しておきながら、簡単には使わせない気ね」
ツムギは舌打ちをしてレバーから手を離した。
普通なら、ここで「アイテムの潤滑油が必要だ」と気づき、街の道具屋まで戻るお使いクエストが発生するところだろう。イベントの時間は限られており、そんなことをしている間に城壁の防衛戦が終わってしまう。
だが、ツムギの辞書に「お使い」という言葉は存在しない。
「アイテムがないなら、現地調達すればいいだけよ。相沢くん! インベントリに入ってる『アレ』を全部出しなさい!」
「え? アレって?」
「来る途中で倒した、汚泥スライムからドロップした『スライムの粘液』よ! あんなの売っても1ゴールドにもならないけど、油分たっぷりでヌルヌルしてるから、極上の潤滑油(代用品)になるわ!」
ツムギのトンデモない発想(異世界サバイバル術)に、コウタは目を丸くした。
「す、スライムの粘液を潤滑油に!? そんなのゲームの仕様で許可されてるのかよ!?」
「物理演算エンジンが完璧なら、粘度と摩擦係数の計算で絶対にイケるはずよ! ほら、早く出して! 一千万円が逃げちゃうわよ!」
ツムギに急かされ、コウタは泣く泣くインベントリからドロドロの緑色の『スライムの粘液』を大量に取り出した。
強烈なドブの臭いがするその粘液を、ツムギは素手で鷲掴みにすると、巨大なレバーの根元――歯車とチェーンが噛み合っている錆びついた部分に、ベチャッ! ベチャッ!と容赦なく塗りたくり始めた。
「リン! デカブツ! あんたたちも手伝いなさい! 隙間なくビッシリと塗るのよ!」
「は、はいっ! お姉様のご命令とあらば、このような汚物でも!」
「応ッ! 俺の手に染み付いた会社への恨み辛みごと、塗り込んでやりますぜ!」
村娘姿のトップランカーと、最強の重戦士が、素手でスライムの粘液を掴み、錆びた歯車に一心不乱に塗りたくる。
その光景は、もはや何のゲームなのか完全に分からなくなっていた。
「……絵面が汚すぎる。一千万円を目指すトッププレイヤーたちのやることじゃない……」
コウタは胃薬をボリボリと噛み砕きながら、現実逃避するように遠くを見つめていた。
「よし! 塗り終わったわ! 歯車に浸透するまで数秒待って……いくわよ!」
ツムギは両手を粘液でドロドロにしながら、再び巨大レバーをしっかりと握りしめた。
リンとシシオウも加勢する。
「せーのっ!!」
三人の筋力と、スライムの粘液による物理演算のハック(摩擦抵抗の減少)。
その二つが合わさった瞬間。
――ギギギ……ガコッ!!
何百年間も動くことのなかった大水門のレバーが、重々しい音を立てて、ついに奥へと押し込まれたのである。
「動いた……! 動いたわよぉぉぉっ!!」
ツムギが歓喜の絶叫を上げる。
直後。
地下の機械室全体が激しく振動し、ズゴゴゴゴォォォォォンッ!!!という、大地を揺るがすような凄まじい轟音が響き渡った。
王都アルカディアの地下に眠っていた莫大な水量の地下水脈が、今、開かれた水門を通って一気に城壁の外へと向かって解き放たれたのだ。
「あーっはっはっはっはっ!! 流れろ! 流されろモンスターども! そして全て私の防衛ポイント(札束)へと変わるのよぉぉぉっ!!」
泥とスライムの粘液にまみれた小柄な女子中学生が、暗い下水道の底で、悪魔のような高笑いを上げる。
地上で繰り広げられている、何万人ものプレイヤーによる熱狂的な城壁防衛戦。
彼らはまだ知らない。自分たちが一千万円を夢見てチマチマと狩っている獲物たちが、たった一人の強欲な少女の『水攻め(隠しギミック)』によって、数秒後に一網打尽にされる運命にあることを。
一億ゴールドのニンジンをめぐる、泥臭くも圧倒的な独裁劇が、いよいよその全貌を現そうとしていた。




