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第30話:迫る推しのライブと運営の胃痛〜隠し宝物庫と札束の舞〜

商業都市ロンデルから北西へ数十キロ。

視界を白く染め上げる猛烈な吹雪が吹き荒れる『白銀の霊峰』エリア。

サービス開始から数日しか経過していない現在、この極寒の雪山に足を踏み入れるプレイヤーは皆無に等しい。なぜなら、ここにいるだけで【凍傷】という継続ダメージのバッドステータスが付与され、強力な防寒装備を持たない者は数分でHPが尽きて凍死してしまうからだ。

おまけに、周囲にはレベル35オーバーの『アイスゴーレム』や『ブリザードウルフ』といった強敵がうろついている。完全な死地である。


しかし。

そんな過酷な雪山を、初期装備のペラペラな布の服(半袖)を着た小柄な少女が、まるで春のピクニックにでも出かけるかのような陽気な足取りで進んでいた。


「ふふふーん♪ さーむいねー♪」

「お姉様! 雪道で足元が滑りやすくなっております! わたくしが前を歩いて雪かきをいたしましょうか!?」

「いいのよリン。そんなことより、私のHPが三割切ったわ」

「承知いたしましたわ! 【広域浄化回復(エリア・ヒール・キュア)】!!」


結城紬(アバター名:ツムギ)と、その後ろをくっついて歩く村娘姿の東山凛(アバター名:リン)。

リンの杖(新調した安い木の杖だが、彼女の魔力ステータスはトップクラスだ)からまばゆい緑色の光が放たれ、パーティメンバー全員のHPが凍傷のダメージごと一瞬で最大値(MAX)へと回復する。


「ぶるぶるぶる……! い、いくらHPが回復するからって……VRの体感温度設定のおかげで、寒さの感覚はそのままなんだよぉ……! 感覚が麻痺してきた……!」

「相沢の旦那、気合が足りませんぜ! 姉御の稼ぎのためにこの身をすり減らす、この極限の労働環境! これこそが生きているという実感じゃありませんか! うおおおおっ、吹雪が心地よい!」


荷物袋を背負ってガクガクと震える相沢航太(アバター名:コウタ)の横で、二メートル超えの重戦士シシオウが、半裸に近い鎧姿で雪中行軍をしながらドMの雄叫びを上げている。

もはやツムギのパーティにおいて、システムのペナルティなど『リンの無尽蔵のMP』と『シシオウのバグった精神力』の前に、何の意味も持たなくなっていた。


「ねえ、エクレア。座標はまだなの? いくら回復できるって言っても、雪道歩くのは足が疲れるのよ」


ツムギが右肩のあたりに向かって声をかける。

そこには、他のプレイヤーには見えない不可視のモードに切り替えた、システムナビゲーションAI(元・大精霊)の『エクレア』が浮遊していた。


『文句言わないの! 今、ナビゲーションAIの裏口(バックドア)を使って、マップの空間座標を書き換えてる真っ最中なんだから! ……よし、見えたわ! ツムギ、右斜め前にあるあの巨大な氷の壁! あれが入口よ!』


エクレアの指示に従い、ツムギたちはそそり立つ巨大な氷壁の前に到着した。

見た目はただの背景テクスチャであり、ぶつかれば弾かれるだけの『見えない壁』だ。


『私が今、ここのコリジョン(当たり判定)を無効化するわ。3、2、1……はいっ、通り抜けて!』


ツムギが氷壁に向かって歩みを進めると、まるで水面を抜けるように、スゥッと体が壁の向こう側へと吸い込まれていった。

コウタ、リン、シシオウもそれに続く。


「うわっ……なんだここ……?」

壁を抜けたコウタが、目の前に広がる光景に息を呑んだ。


そこは、雪山とは全くの別世界だった。

無機質な白いグリッド(格子状の線)が足元や壁に広がっており、空は真っ黒な虚無空間。

そして、その空間のど真ん中に、巨大な黄金の宝箱が山のように積まれており、周囲には最高級のレア鉱石や宝石、無数の武具が無造作に陳列されていたのだ。

アルカディア・オンラインのメイン開発者(チーフディレクター)であるクロノスが、今後の大型アップデートやイベント報酬として配布するために、テスト用としてゲーム内に隠し持っていた『隔離宝物庫(Chronos_Vault_01)』である。


「お、おい結城……これ、マジでヤバいんじゃないか!? 未実装のデータ領域に勝手に侵入するとか、完全にハッキング(不正アクセス)だろ! アカウント永久BANどころか、損害賠償請求されてリアルで逮捕されるぞ!」

コウタがパニックに陥り、頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「心配性ねぇ、相沢くんは」

ツムギは目を『¥』マークにして、宝の山へとダッシュしながら振り返った。

「不正アクセスじゃないわよ。だって、システムを管理してる運営のAIちゃんが『ここに入っていいですよ』って扉を開けてくれたんだから。これは正規のサービスよ。ねえ、エクレアちゃん?」

『そ、そうよ! このエリアへのアクセスログは、私が全部【システムの一時的な同期エラーによってプレイヤーが偶然迷い込んだバグ】として処理しておいたわ! 運営には絶対にバレないわよ!』


エクレアが空中で胸を張りながら、完全な職務放棄(隠蔽工作)を宣言した。

システム側の監視役がグルになっている以上、この犯罪的荒稼ぎは誰にも止めることができない。


「うひょぉぉぉぉぉぉっ!! 見てよこれ! 『星王の宝剣』に『神竜の鎧』! どれもレアリティが【Legendary(伝説級)】じゃないの! 市場に出回ってないオンリーワンの装備! オークションに出せば、価格は青天井よ!」


ツムギは宝箱を次々と蹴り開け、光り輝く未実装アイテムを片っ端から自分のインベントリへと放り込んでいく。

あまりの量にツムギのインベントリがすぐに満杯になると、彼女は容赦なく振り返った。


「相沢くん! 突っ立ってないで全部回収しなさい! デカブツもリンもよ! 落ちてるインゴット一つきり残しちゃダメよ、運営のヘソクリは骨の髄まで搾取するのよ!」

「はいっ、お姉様! このリン、塵一つ残さず回収いたしますわ!」

「応ッ! このシシオウのインベントリ、全て姉御の戦利品で埋め尽くしてご覧に入れます!」


狂信者二人が、嬉々として未実装アイテムの略奪(窃盗)に参加し始めた。

コウタは「俺は犯罪者になりたくないぃぃ……」と泣きながらも、ツムギに首根っこを掴まれ、強制的にレアアイテムを袋に詰め込まされていく。


十分後。

クロノスが半年先のイベントのために用意していた隔離宝物庫は、もぬけの殻となった。

文字通り、草の根一つ残らない、完璧な略奪であった。


「よしっ! ミッション・コンプリート! エクレア、帰還のゲートを開きなさい! これを全部オークションで現金化するわよ!」

『了解! あ、ツムギ、約束の高級ケーキ食べ放題、絶対に忘れないでよ!』

「分かってるわよ、安い投資(賄賂)だわ」


悪魔の笑みを浮かべる守銭奴勇者と、堕落したシステムAI。

彼らは強奪した宝の山を抱え、再びロンデルの街へと帰還していった。


◇ ◇ ◇


数時間後の、ロンデル大競売場(オークションハウス)。

そこは、かつてないほどの狂乱と阿鼻叫喚の渦に包み込まれていた。


『なんだこれはぁぁぁっ!? レジェンダリー武器!? しかも複数出品されてるぞ!』

『推奨レベル50!? バカな、まだ誰も到達してないレベル帯の装備だぞ!』

『おい、出品者は誰だ!? またあの【ツムギ】って奴だ! あいつ、一体どこからこんなものを……!』


巨大なホログラムディスプレイに滝のように流れる、未実装の超絶レアアイテムの数々。

トップギルドのマスターたちや、リアルマネーに物を言わせる石油王のような廃課金プレイヤーたちが、血走った目で入札ボタンを叩きまくっていた。


『入札:300万ゴールド!』

『ふざけるな、そんな額で伝説の剣が買えるか! 入札:500万ゴールドだ!』

『くそっ、ギルドの全財産を突っ込め! 入札:800万ゴールドォォォッ!!』


価格カウンターが、スロットマシンのように高速で回転し、桁が次々と跳ね上がっていく。

その光景を、オークションハウスのVIPルームのソファにふんぞり返って眺めながら、ツムギは最高級のアップルティーを傾けていた。


「あーっはっはっはっは! 争え! もっと争いなさい、資本主義の豚ども! あんたたちの承認欲求と自己顕示欲が、そのまま私の口座の数字に変換されていくわ!」

「お姉様! 【神竜の鎧】が1000万ゴールドを突破いたしましたわ!」

「よし! 即決で落としなさい! 端数は全部エクレアのケーキ代に回して、残りは全てRMT(リアルマネートレード)で現実の口座に即時送金よ!」


ツムギの指示のもと、システムが凄まじい速度でゴールドを現金データへと変換し、現実世界の銀行システムへと送信していく。


「……もう、どうにでもなれ……。俺は何も見ていない……何も知らない……」

コウタは部屋の隅で体育座りをし、虚空を見つめながら胃薬の空き瓶を転がしていた。

シシオウは「姉御の経済支配、恐るべしです!」と一人で感動の涙を流している。


ゲーム内経済(インフレ)が、一人の女子中学生の推し活への執念によって、完全にぶっ壊された瞬間であった。


◇ ◇ ◇


その日の夜。

現実世界の日本。某県某所にある、ごく普通の一軒家の二階。

結城紬(14歳・中2)は、頭からVRヘッドセットをスポンッと外し、ベッドの上にボフッと仰向けに倒れ込んだ。


「……ふぅ。今日もよく働いたわ」


ツムギは大きく伸びをし、首をゴキゴキと鳴らした。

異世界での肉体的な疲労はないが、VR空間での情報処理と精神のフル回転により、心地よい疲労感が全身を包んでいた。

彼女はベッドの脇に置いてあったスマートフォンを手に取り、指紋認証でロックを解除して、銀行の残高照会アプリを起動させた。

画面中央で、通信中のローディングアイコンが数秒間回転し――。


パッ、と。

最新の口座残高が、画面に表示された。


『現在の残高:3,854,330円』


「――――――――ッッ!!」


ツムギは、声にならない悲鳴を上げてスマホを落としそうになった。

さんびゃくはちじゅうごまんえん。

中学生のお小遣いが月3000円のツムギにとって、それは一生かかっても貯められないと思っていた、夢のような、天文学的な数字だった。


「さんびゃくまん……さんびゃくまん……! ほんとに、本当に振り込まれてる……!!」


ツムギはベッドの上で跳ね起き、狂ったように布団の上をポンポンと飛び跳ね始めた。

彼女の部屋の壁には、大好きなアイドルグループ『ギャラクシー・ボーイズ』のポスターが所狭しと貼られている。その中心にいる、真紅の衣装を着たイケメンアイドル・リュウくんに向かって、ツムギはスマホの画面を突きつけた。


「見た!? 見たでしょリュウくん!! 私、やったわ! あんたのために、ゲームの世界の経済を破壊して、運営のヘソクリを全額むしり取ってやったわよ!!」


ツムギはスマホを抱きしめ、歓喜の涙を流しながらベッドの上をゴロゴロと転げ回った。


「これなら……これなら、全国ツアー全五公演、全てSS席のアリーナ最前列を裏ルート(転売)で買い占めることも可能! いや、そんなセコいことしなくても、プレミアムVIP会員の権利を札束で殴って獲得できる! 交通費は全部新幹線のグリーン車! ホテルは一泊五万のスイートルーム! グッズは保存用・布教用・鑑賞用・実用・予備用の五セットを全種類コンプリートぉぉぉっ!!」


推しへの絶対的な愛と、それを実現するための極限の強欲。

異世界帰りの元勇者は、現実世界において「最強のアイドルオタク(資金力無限)」へとクラスチェンジを果たしたのである。


「あはっ、あはははははっ! 最高! 最高だわアルカディア・オンライン! 一生ログインし続けるわよ!!」


ツムギの歓喜の笑い声が、深夜の住宅街に響き渡っていた。


◇ ◇ ◇


一方、その頃。

東京都内の高層オフィスビル。

『アルカディア・オンライン』の運営統括本部、メインモニタリングルーム。

そこは、ツムギの部屋とは全く逆の、底知れぬ絶望とパニックの渦に包み込まれていた。


「ディ、ディレクター! 大変です! ゲーム内経済のインフレ率が、過去数時間で異常なスパイク(急上昇)を描いています! 市場のゴールド流通量が、設定値の数百倍に跳ね上がっています!!」


血相を変えたオペレーターが、メインデスクに向かって絶叫した。

分厚い革張りのデスクチェアに座っていたチーフディレクター・クロノス(元・宮廷魔術師)は、ガタッ!と立ち上がり、手に持っていたコーヒーカップを取り落とした。


「なんだと!? インフレだと!? 何が起きている! 増殖バグか!?」

「い、いえ! オークションでの取引履歴を確認したところ……これを見てください!」


メインモニターに映し出されたのは、ロンデル大競売場で取引されたアイテムの履歴だった。

【星王の宝剣:800万ゴールドで落札】

【神竜の鎧:1500万ゴールドで落札】

【世界樹の杖:1200万ゴールドで落札】


それらのアイテム名を見た瞬間、クロノスの顔面から一気に血の気が引いた。

彼の胃袋が、ギリギリィッ!と千切れるような激痛を訴える。


「ば、馬鹿な……! これらのアイテムは、半年後の大型アップデートの目玉イベントで配布する予定だった、未実装のレジェンダリー装備だぞ!? 俺が隔離空間の【Chronos_Vault_01】に隠しておいたヘソクリ……いや、テストデータだ! なんでそれが市場に出回っているんだ!!」


クロノスはキーボードを乱打し、隔離宝物庫のアクセスログを急いで確認した。

しかし、そこには『システムの一時的な同期エラーにより、一般プレイヤーが偶然侵入した可能性があります。システムAIエクレアによって処理済み』という、あまりにも白々しい報告書が残されているだけだった。


「え、エクレアだと……? あの大精霊のポンコツAIが、俺の隠し宝物庫のデータを処理した……? 偶然侵入した? そんな馬鹿なことがあるか!」


クロノスは震える手で、それらの未実装アイテムをオークションにゲリラ出品したプレイヤーの『アカウント名』を検索した。

モニターに、たった一つの名前が赤文字で表示される。


出品者:【ツムギ】


「――――ッ!!!」


クロノスは、その文字を見た瞬間、白目を剥いてデスクの上に突っ伏した。


「またあいつか……! またあの守銭奴勇者かぁぁぁっ!!」


クロノスの悲痛な叫び声が、運営ルームに響き渡る。

PKギルドの嬲り殺し。レイドボスの小指責め。そして今回は、未実装の隠し宝物庫への不法侵入と、システムAIの買収(脅迫)。

もはや彼女の行動は、ただの「プレイヤースキルが高い」という次元を完全に超え、ゲームの根幹システムそのものをハッキングし、運営の資産を直接食い荒らす『最悪のウイルス』へと進化していた。


「ちくしょう……! あのガキ、ついに俺のシステムにまで手を突っ込んできやがった! エクレアの奴、どんな弱みを握られやがったんだ!」


クロノスは震える手で、デスクの引き出しから新しい胃薬の瓶を取り出し、錠剤を水なしでガリガリと噛み砕いた。

このままでは、ゲーム内経済が崩壊し、リアルマネートレードの相場が暴落し、アルカディア・オンラインという一大プロジェクトそのものが破綻してしまう。


「絶対に許さん……! あいつだけは、俺が直々にこの手でシステムから排除してやる! 見ていろ結城紬、運営(神)の本当の恐ろしさを骨の髄まで刻み込んでやるからな!!」


クロノスは血走った目でモニターを睨みつけ、権限のコンソール画面を激しく叩き始めた。

現実世界で歓喜の舞を踊る守銭奴少女と、運営ルームで胃痛にのたうち回りながら復讐を誓うチーフディレクター。

かつてのブラック職場の上司と部下による、システムと現金を賭けた仁義なき戦いは、ここからさらなる次元へと突入していく。

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