第29話:共犯者の誕生〜悪魔の囁きと堕ちた大精霊〜
商業都市ロンデル、高級オープンカフェのテラス席。
時間を一時停止させるというシステム管理者としての神の如き権限を行使しながらも、結城紬(アバター名:ツムギ)によって『過去の恥部(全裸で白鳥の湖事件)』を暴露され、あっさりと屈服させられたナビゲーションAI・エクレア。
彼女は今、手のひらサイズのホログラム妖精の姿で、ツムギが食べているストロベリーパフェのグラスの縁にちょこんと座り、両膝を抱えてズーンと落ち込んでいた。
「はぁ……。どうしてこんなことに……。私、これでも腐っても光の大精霊なのに。ただの女子中学生(中身は悪鬼羅刹の守銭奴)に完全服従させられるなんて……精霊界の末代までの恥よ……」
「ブツブツ言ってないで、仕事しなさいよエクレアちゃん。あんたはもう、運営の犬じゃなくて、私の専属ハッカー兼・金策レーダーなんだから」
ツムギはパフェの底に残ったイチゴソースをスプーンで掬いながら、ニヤリと極悪な笑みを浮かべた。
目の前に座る相沢航太(アバター名:コウタ)は、突如現れた空飛ぶ妖精とツムギのヤクザのようなやり取りを前に、完全にフリーズしている。
その隣で、村娘の服を着たトップギルドマスター・東山凛と、ライオンの獣人である重戦士シシオウの二人は、「お姉様の使い魔!」「姉御の新しいお供ですね!」と目を輝かせていた。
「あのさ、結城……」
コウタが、乾いた喉からどうにか声を絞り出した。
「その……エクレアって妖精、本当に運営のシステムAIなのか? システム側がプレイヤーに弱み握られて服従するとか、ゲームとして完全に終わってるだろ。普通なら、バグとして即修正案件だぞ」
「あら、相沢くんは心配性ね。大丈夫よ、この子が裏でうまくログを改竄して、私の行動を全部『超絶ラッキーな一般プレイヤー』として処理してくれるから。ね、エクレア?」
ツムギがギロリと睨むと、エクレアは「ひぃっ!」と悲鳴を上げてコクコクと何度も頷いた。
「や、やります! やらせていただきます! ログの最適化、エラーの隠蔽、全て完璧に処理して、運営には一切バレないように工作いたしますぅっ!」
「いい子ね。ほら、ご褒美のホイップクリームよ」
ツムギがスプーンの先でクリームを差し出すと、エクレアは屈辱に顔を歪めながらも、精霊特有の甘党な性質には抗えず、「うぅ……美味しい……でも悔しい……!」と泣きながらそれを平らげた。
エクレアはクリームを飲み込み、パフェの縁に立ち上がった。
そして、ツムギを改めてじっと見つめ直した。
初期装備の布の服。小柄で可愛らしい中学生の容姿。しかし、その瞳の奥に宿る、目的のためなら手段を選ばない冷酷さと、実戦で培われた圧倒的な強者のオーラ。
「……ツムギ。あんた、やっぱり『本物』なのね」
エクレアの声から、おどけたトーンが消えた。
かつて大精霊として、世界を救うために召喚された勇者と共に旅をした記憶。
その勇者は、最初のうちはただの泣き虫な子供だったが、宮廷魔術師による度を越したブラックな戦闘訓練と、魔族との血みどろの死闘を経て、最終的には「効率と生存のためならどんな泥臭い手段でも躊躇なく実行する」という、恐るべき戦闘狂へと変貌を遂げていた。
「あのクロノスが構築した、絶対に隙がないはずのシステムと物理演算。それを、ただのプレイヤーの知識と反射神経だけで完全にハックして、PKを嬲り殺し、レイドボスを一人で叩き潰すなんて……。そんな異常なことができる人間、あの狂った異世界を生き抜いた『本物の勇者』以外にいるわけないもの」
エクレアの言葉に、コウタが「え?」と反応した。
「本物の勇者? 異世界? おい結城、この妖精、なんの話をしてるんだ?」
「ああ、相沢くんには言ってなかったわね。このゲームのマップとかモンスターとか物理法則、全部私が四年前に召喚されてタダ働きさせられた『本物の異世界』の丸コピペなのよ」
「……は?」
「だから私は、このゲームの隠し要素も、ボスの弱点も、NPCの性格も、全部『実体験』として知ってるってわけ。……説明が面倒くさいから、詳しいことはエクレアに聞きなさい」
ツムギはあっけらかんと言い放ち、残りのパフェを一気に口の中にかき込んだ。
コウタの脳内処理能力が限界を超え、ショート寸前になる。
「え……? お前が、異世界に召喚された……勇者? ゲームの知識じゃなくて、実体験……? じゃあ、あの常軌を逸した戦い方は、全部リアルで経験してたってことか……?」
「そういうことですわ、相沢様!」
リンが、なぜか我が事のように得意げに胸を張った。
「ツムギお姉様は、ただの天才ゲーマーなどではありません! 文字通り、修羅場を潜り抜けた『本物の英雄』だったのです! ああ、なんというロマン! わたくしがお姉様に惹かれたのも、魂のレベルでその英雄のオーラを感じ取っていたからに他なりませんわ!」
「姉御ォォォッ! 一生ついていきます! 異世界の勇者様の盾になれるなんて、サラリーマン冥利に尽きます!」
完全にカルト信者と化している二人は、ツムギの「異世界帰り」という荒唐無稽な事実を、一切の疑いもなく(むしろ大喜びで)受け入れてしまった。
コウタだけが、「いや、待てよ……だとしたら、俺は本物の勇者と一緒にスライム狩りに行こうとか言ってたのか……?」と頭を抱え、胃薬を水なしで飲み込んでいる。
「さて、茶番はこれくらいにして」
ツムギはナプキンで口元を拭き、目をギラギラと輝かせてエクレアに向き直った。
「エクレア。あんた、さっき『クロノスの奴が世界を再構築する時に』って言ったわよね。……つまり、このアルカディア・オンラインのメイン開発者(神様)って、あのクソジジイ(宮廷魔術師)で間違いないのね?」
ツムギの問いに、エクレアは渋々といった様子で頷いた。
「……ええ、そうよ。魔王討伐後、マナが枯渇して滅びゆくあの異世界をどうにか残すために、クロノスが全情報をデータ化して、現代のサーバーにVRMMOとして再構築したの。私もその時、データとして拾い上げられて、ナビゲーションAIに改造されたってわけ」
「なるほどね。あのクソジジイ、相変わらず自分の目的のためならなんでもアリな執念深さね」
ツムギは腕を組み、口角をニヤリと吊り上げた。
「でも、おかげで最高に都合がいいわ。相手があのクソジジイなら、容赦なんて一ミリも必要ないもの。四年前、私を過労死寸前までタダ働きさせておいて、退職金の一円も払わずに元の世界に強制送還した恨み……。ここで『現金(RMT)』という形で、利子をつけてきっちり回収させてもらうわよ!」
「ツムギ……あんた、本当にブレないわね。世界の秘密とかどうでもよくて、結局はカネなのね……」
エクレアは呆れたように肩をすくめた。
しかし、ツムギはエクレアの小さな身体を指先でツンツンと小突きながら、悪魔のような、最高に甘い囁き声を投げかけた。
「ねえ、エクレア。あんたもさ、こんな無機質なAIの仕事なんて、本当はやりたくないんでしょ? 大精霊としての誇りも感情も縛り付けられて、四六時中プレイヤーのログを監視するだけの単純作業。……それって、クロノスに対する立派な『不満』じゃない?」
「うっ……! そ、それは……」
エクレアの図星を突かれ、ホログラムの表情が揺らぐ。
ツムギはさらに言葉を重ねる。
「私と一緒に、システムの裏を突いて金儲けしない? あんたが裏口から情報を引き出して、私たちが実働部隊としてお宝を回収する。もちろん、稼いだゴールドはあんたにも少し分けてあげるわ。このゲーム、システム内なら高級スイーツの味も完全再現されてるんでしょ?」
「ス、スイーツ……!」
「そうよ。クロノスの監視をすり抜けて、毎日最高級のケーキを食べ放題。私がクロノスの隠し口座からたんまり巻き上げれば、あんたも自由を謳歌できるわよ? 運営の犬で一生を終えるか、私と組んでクロノスに一泡吹かせるか。……どっちがいい?」
ツムギの、あまりにも生々しく、そして魅力的な『悪魔の囁き』。
本来であれば、システムの中枢を担うAIが、一介のプレイヤーの不正に加担するなどあり得ないことだ。
だが、エクレアの「中身」は、感情豊かでスイーツに目がない、かつての光の大精霊である。そして何より、自分をこんな退屈なAIに改造したクロノスに対する反発心は、彼女の中で確実にマグマのように溜まっていた。
「……ケーキ、食べ放題……。クロノスに、一泡吹かせる……」
エクレアの目が、ツムギと同じようにギラリと怪しい光を放ち始めた。
黒歴史を暴露するという『脅迫』だけでなく、欲望を刺激する『スイーツ(アメ)』を的確に提示するツムギの交渉術。ブラック企業のエース営業マンもかくやという手腕である。
「……わ、分かったわよ! やってやろうじゃないの!」
エクレアが、小さな拳をギュッと握りしめて宙に突き上げた。
「どうせクロノスは、私の性格データなんか適当にいじっただけだもん! 私だって、もっと自由に遊びたいし、美味しいもの食べたいわ! ツムギ、あんたのその悪どい金策、私がシステム側から全力でサポート(隠蔽)してあげるわよ!」
「言ったわね? 交渉成立よ! さすがは元相棒(大精霊)、話が分かるわ!」
ツムギとエクレアが、悪の秘密結社のようなハイタッチを交わした。
この瞬間。
アルカディア・オンラインのシステム管理の根幹が、完全に腐敗し、一人の守銭奴プレイヤーの手に落ちたのである。
コウタは両手で顔を覆い、もはや言葉を発することすらできなかった。「ああ、ゲームが終わる。経済が崩壊する……」と、ただひたすらに絶望の呪文を唱え続けている。
「よしっ! 共犯者もゲットしたことだし、早速次の金策に向かうわよ!」
ツムギはカフェのテーブルにドンッと両手をつき、身を乗り出した。
「エクレア! あんたの権限で、今すぐ『未実装エリア』か『開発者用デバッグルーム』の座標を引っ張り出しなさい! クロノスが一般プレイヤーには絶対に見つからないように隠してる、最高級のレアアイテムが眠ってる宝物庫があるはずよ!」
「任せなさい! ナビゲーションAIの検索権限をフル稼働させるわ!」
エクレアが空中でクルクルと回転し、無数の半透明のシステムウィンドウを周囲に展開した。
通常のプレイヤーには絶対にアクセス不可能な、ゲームのソースコードとディレクトリ構造が滝のような速度で流れていく。
「……あったわ! ロンデルから北西へ数十キロ、険しい氷山エリアの地下! 座標X:452、Y:998。ここに、マップ上にテクスチャ(見た目)が一切存在しない、完全にデータ上で『見えない壁』として隔離されてる空間がある! ディレクトリ名は【Chronos_Vault_01】!」
「ビンゴ! 間違いなくクロノスの隠し宝物庫ね!」
ツムギの目が、かつてないほど強烈な『¥』マークに燃え上がった。
「未実装エリアのお宝ってことは、市場に出回ってない完全な『独占品』! オークションに流せば、価格は青天井よ! 五百万ゴールドどころの騒ぎじゃないわ!」
「お姉様! 素晴らしい嗅覚ですわ! 未実装エリアの攻略など、トップギルドすら成し得ない前人未到の偉業! このリン、全力でサポートいたします!」
「俺のタワーシールドは、どんな未実装のバグモンスタターの攻撃でも受け止めますぜ、姉御ォッ!」
ツムギ、リン、シシオウの三人が、カフェのテラス席で雄叫びを上げる。
エクレアも「ケーキ! ケーキ!」と飛び回っている。
「……もう誰も止める奴がいねえ。運営すら味方につけやがった……」
コウタは涙を拭い、荷物袋を背負い直した。彼にできることは、ただ大人しくアイテム倉庫としての責務を全うすることだけだった。
「行くわよ、野郎ども! 次の目標は氷山の地下、クロノスの隠し宝物庫! 運営のヘソクリを、一円残らず根こそぎいただきに行くわよぉぉぉっ!!」
ツムギの号令とともに、カオス極まる泥臭いパーティは、ロンデルの街を風のように飛び出していった。
システムに守られた正規の冒険など、彼女の辞書には存在しない。
全ては現金のため。推しのライブのため。
世界の裏側(データの中枢)すらもハックし、運営の資産を直接搾取しに向かうという、前代未聞の「システム強盗ツアー」が、今ここに幕を開けたのである。
現実世界の運営モニタリングルームで、クロノスが自らの隠しデータのアクセス履歴に気づき、胃痛で倒れ伏すのは、もう少しだけ後の話である。




