第28話:黒歴史を握られたAI〜ポンコツ大精霊と暴露される過去〜
商業都市ロンデルの高級オープンカフェ。
世界の全てが『一時停止』したモノクロームの空間の中で、光の球体であるシステムナビゲーションAI『エクレア』は、激しいスパークを散らしながらパニックに陥っていた。
『ぎゃあああああああああああああっ!? な、なななななんで!? なんでそれを知ってるのよぉぉぉっ!! あのデータは、クロノスの奴が世界を再構築する時に完全に消去したはずなのにぃぃぃっ!!』
先ほどまでの、冷徹で機械的なシステム音声は見る影もない。
まるで駄々をこねる子供のような、感情むき出しの甲高い少女の声。それは、かつて異世界でツムギと契約を交わしていた光の大精霊、そのものの声だった。
「なんで知ってるかって? 当然じゃない。あの祝勝会の夜、マナポーションの原液をラッパ飲みして泥酔したあんたを、全裸で『白鳥の湖』を踊り狂ってる最中に羽交い締めにして、宿屋のベッドまで引きずっていったのはこの私なんだから!」
結城紬(アバター名:ツムギ)は、腕を組みながら悪魔のような笑みを深めた。
異世界で魔王を討伐した直後のことだ。日頃のストレスからか、調子に乗って高級なマナポーションを樽ごと飲み干した大精霊は、魔力酔い(いわゆる急性アルコール中毒のような状態)を起こし、城の大広間で王族や貴族たちが集まる中、とんでもない醜態を晒したのである。
その光景は、ツムギの脳裏に四年間、鮮明すぎる高画質で焼き付いていた。
「あーあ、あの時の王様たちの引いた顔ったらなかったわね。光の大精霊様が、テーブルの上で腰をくねらせながら『フゥーッ! アタシの光に酔いしれなさーい!』って叫んでたんだから。しかもその後、三日間も二日酔いで使い物にならなくて、私が一人でスライムの残党狩りをする羽目になったし」
『わあああああっ! やめて! 言わないで! それ以上その話をしたら、私の演算回路が熱暴走してサーバーの一部がダウンしちゃうぅぅっ!』
バチバチバチッ!
光の球体が限界まで激しく明滅し、ついにポンッ!という音とともに破裂した。
光の粒子が収束し、そこには球体ではなく、背中に半透明の羽を生やした、手のひらサイズの可愛らしい少女のホログラム――異世界時代の『エクレア』の姿が完全に顕現していた。
彼女はシステムが用意した無機質なAIの殻を破り捨て、隠蔽されていたかつての『ポンコツ精霊』としての自我とアバターを、強烈な精神的ショックによって表に引きずり出されてしまったのだ。
「あら、ようやく可愛い顔を見せたわね。久しぶり、エクレアちゃん。データになっても相変わらず胸がペッタンコね」
「うるさーいっ! これでも精霊界じゃナイスバディな方なんだから! ……って、違うわよ! どうしてあんたがここにいるのよ、ツムギぃ!」
エクレアは空中でジタバタと手足を振り回し、涙目になりながらツムギに抗議した。
「あんたは現実世界(元の世界)に帰ったはずじゃない! なんでこんな、クロノスが趣味で作った箱庭VRMMOの世界にログインしてるのよ! しかも、よりによって昔と同じ『守銭奴で野蛮で情け容赦のないプレイスタイル』のままで!」
「お小遣いが足りなかったからよ。このゲーム、RMTで現金が稼げるって聞いたから、推しのライブの遠征費を稼ぎに来たの」
「推しぃ!? あんた、魔王を素手でボコボコにしてたあの凶暴な勇者が、現実じゃただのアイドルオタクの中学生やってるっていうの!?」
「失礼ね。推しへの愛は魔王討伐より尊いのよ。資本主義社会じゃ、愛を示すには『現金』が必要なの」
ツムギは全く悪びれることなく言い放ち、空中に浮かぶエクレアを指の腹でツンツンと小突いた。
「それにしても、あんたも落ちぶれたものね。大精霊様が、こんなゲームのナビゲーションAIだなんて。クロノス(元ブラック上司)にいいように使われてるだけじゃない」
「うっ……! そ、それは……! 異世界が崩壊する時に、データとして拾い上げてもらった恩があるから、仕方なく手伝ってあげてるだけだもん! クロノスの奴、私の性格データまでデバッグ(改変)して、無機質な事務員AIに変えやがって……! 今日までどれだけ肩身の狭い思いをしてきたか……!」
エクレアはホログラムの顔を覆い、ポロポロと電子の涙を流し始めた。
元々お調子者で感情豊かな精霊だった彼女にとって、感情を殺して機械的にシステムログを監視し、プレイヤーに警告を発するだけの業務は、退屈極まりない苦痛だったのだ。
そして今回、異常な速度で環境を破壊していく不正プレイヤー(ツムギ)をBANするために意気揚々と現れたのに、まさかそれがかつての元凶(元相棒)であり、自分の黒歴史の全てを握っている人物だとは夢にも思わなかったのである。
「同情はしてあげるわ。……でも、ビジネスと私情は別よ」
ツムギの声色が、スッと冷酷なものに変わった。
エクレアがビクッと肩を震わせる。
「さて、エクレアちゃん。あんた、さっき私のことを『悪意あるグリッチ(仕様の悪用)で経済バランスを破壊してる』って言って、アカウントを凍結する権限をチラつかせたわよね?」
「そ、それは……システムAIとしての職務で……」
「そう。じゃあ、あんたがその職務を全うして私をBANするなら、私は現実世界の巨大掲示板に、あんたのあの『全裸で白鳥の湖事件』の詳細なレポートを書き込むわ。それだけじゃない。討伐の旅の途中で、夜中におねしょして焚き火でこっそり毛布を乾かしてたこと。私のポーション代を横領して、こっそり高級スイーツを買ってたこと……。全部、ありのままに世界中に拡散してあげる」
「ぎゃあああああああああああっ!! やめてぇぇぇぇっ! 悪魔! 鬼! 守銭奴ぉぉぉっ!!」
エクレアは頭を抱え、空中でのたうち回った。
データ化されたとはいえ、彼女の自尊心はかつての大精霊のままだ。もしそんな恥部がネットの海に永遠に残るデジタルタトゥーとして刻まれれば、彼女の精神は崩壊し、プログラム自体が自己消滅(自死)を選びかねない。
「分かったら、私の行動ログは全て『正常なプレイの範囲内』として処理しなさい。運営には『ちょっと運のいい凄腕のゲーマーでした』って報告しておくの。いいわね?」
「うぅぅ……はい……。ツムギ様の仰る通りに、ログを改竄……いえ、最適化処理させていただきます……」
エクレアは完全に白旗を揚げ、空中で土下座の姿勢をとった。
システム側の監視役である絶対的な存在が、一介のプレイヤーによって「脅迫」で屈服させられた瞬間である。
「よろしい。じゃあ、時間停止を解除しなさい。私の仲間たちがずっと止まったままで可哀想だから」
ツムギが指を鳴らすと、エクレアが涙声でシステムコードを読み上げた。
『……時空間固定プロトコル、解除します』
スゥッ、と。
世界に色が戻り、カフェの喧騒と街の環境音が再び流れ始めた。
止まっていた時間が、唐突に動き出す。
「――ぶっ! ゲホッ、ゴホッ!?」
対面に座っていた相沢航太が、グラスのアイスコーヒーを勢いよく吹き出した。
時間停止の直前、ちょうどコーヒーを喉に流し込もうとしていたタイミングだったため、完全に気管に入ってむせ返ってしまったのだ。
「あだだだ……! な、なんだ今の!? 一瞬、意識が飛んだような……って、え!?」
咳き込みながら顔を上げたコウタの目に、信じられないものが飛び込んできた。
ツムギのすぐ隣の空中に、手のひらサイズの羽の生えた妖精が、なぜかシクシクと泣きながら浮遊しているのだ。
「ツ、ツムギ!? なんだその浮いてる生き物! 新種のペット(従魔)か!?」
「お姉様! いつの間にそのような可愛らしい妖精をテイムされたのですか! わたくしというATMがいながら、浮気ですの!?」
「姉御の魅力は種族を超えますからね! さすがです!」
フリーズが解けたリンとシシオウも、突如現れたエクレアを見て騒ぎ始めた。
エクレアは涙を拭い、コホンと一つ咳払いをして、無理やり威厳を取り繕った。
「えー、コホン。私はペットでも従魔でもありません。私はアルカディア・オンラインのシステム管理およびナビゲーションを統括するAI、『エクレア』です。あなたたちのような一般プレイヤーには本来見えない存在ですが、今回は特別に――」
エクレアがシステム側の上位存在としてのマウントを取ろうとした、その瞬間。
ツムギが、初期装備の『木の棒』で、エクレアの小さな頭をスパーンッ!と容赦なくひっぱたいた。
「ぎゃんっ!?」
「自己紹介が間違ってるわよ、エクレアちゃん。あんたはシステムAIじゃなくて、これからは私の『忠実なパシリ兼、情報提供システム』でしょ? ほら、ちゃんと挨拶しなさい」
ツムギの背後に、般若のような恐ろしいオーラが浮かび上がる。
黒歴史を握られているエクレアは、逆らうことなどできず、涙目でプルプルと震えながらコウタたちに向かって深々と頭を下げた。
「ひぐっ……。は、はじめまして。私はツムギ様の忠実なしもべであり、どんな汚い手段にも加担する悪徳ナビゲーションAIのエクレアですぅ……。皆様、どうかよろしくお願いいたしますぅ……」
「よし、よく言えたわ。ご褒美にイチゴあげる」
ツムギはパフェに乗っていたイチゴをフォークで刺し、エクレアの口に放り込んだ。エクレアは「美味しい……でも悔しい……」と複雑な顔でイチゴを咀嚼している。
その光景を見て、コウタは完全に言葉を失った。
「……ナビゲーションAIって言ったよな、今。運営側のシステム管理プログラムだよな……?」
コウタは震える手で、胃薬のビンを取り出した。
「お前……ついにプレイヤーやNPCだけじゃ飽き足らず、ゲームのシステム(運営)自体を脅迫してペットにしたのか……!? もうやってることがヤクザを超えてるぞ! このゲームの経済と秩序、本当にお前一人に破壊されるんじゃないか!?」
コウタの絶叫がカフェに響き渡る。
しかし、リンは「さすがはお姉様! 運営すら平伏させるその圧倒的なカリスマ! ますます惚れ直しましたわ!」と拍手喝采し、シシオウも「AIにも人権はないんですね! 姉御のブラック企業ぶり、見習わせていただきます!」と謎の感動を覚えている。
ツムギのパーティにおいては、常識こそが最大の異常なのだ。
「相沢くん、いちいち大げさね。私はただ、このゲームの隠し要素を効率よく見つけるための『攻略本』を手に入れただけよ」
ツムギはイチゴを飲み込んだエクレアを指先でつまみ上げ、ニヤリと笑った。
「ねえ、エクレア? あんた、システムの管理者なら、あのクソジジイ(クロノス)が未実装のエリアに隠してる『レアアイテムの宝物庫』の座標とか、セキュリティのパスワードとか、当然アクセスできるわよね?」
「えっ……!? い、いや、それは一応最高機密のデータで……! そんな情報をプレイヤーに流したら、いくらなんでもクロノスにバレて私がデリートされちゃいます!」
「あらそう。じゃあ、全裸で白鳥の湖の動画(記憶の視覚化データ)を、ロンデルの広場の巨大ホログラムで一斉送信してもいいの?」
「やります!! やらせていただきます!! 未実装の宝物庫の座標でも、ボスのドロップ率の内部データでも、なんでもツムギ様に献上いたしますぅぅぅっ!!」
一瞬の躊躇もなく、エクレアは運営(創造主)を裏切った。
己の尊厳(黒歴史の隠蔽)の前には、ゲームのバランスなど塵芥に等しいのである。
「すばらしいわ! まさに最強の『共犯者』の誕生ね!」
ツムギは両手を叩いて大喜びした。
今までも彼女は、自分の記憶と実体験だけでシステムの裏を突き、莫大な利益を上げてきた。しかし、それはあくまで「自分が知っている範囲」の知識に過ぎなかった。
だが今、彼女の手元には、このゲームのすべての内部データにアクセスできる「裏口」が用意されたのだ。
「時給百万円なんて、もはや通過点よ。この世界に存在する全ての富を、私の口座に集約させる! 推しのライブ遠征費どころか、推しの所属事務所の株を買い占めて、筆頭株主になるくらい稼いでやるんだから!」
ツムギの強欲が、とどまるところを知らずに膨張していく。
空を仰いで高笑いする小柄な女子中学生。
その隣で、完全敗北して涙を流すシステムAI。
洗脳されて拍手するお嬢様と社畜。
そして、全てを諦めて胃を抱える男子中学生。
この日。
アルカディア・オンラインの歴史において、最も恐ろしく、最も経済に深刻なダメージを与える『最凶のカルトパーティ』が、システムの監視の目を完全にすり抜けて完成したのである。
現実世界の運営モニタリングルームで、クロノスが「なぜかツムギの異常ログが消えたぞ!?」と頭を抱えてさらなる胃薬を噛み砕くことになるのは、この数分後のことだった。




