第27話:異常行動によるAIの接触〜ポンコツナビゲーターのお説教〜
商業都市ロンデル。その一角にある高級オープンカフェのテラス席で、結城紬(アバター名:ツムギ)は、ストロベリーパフェのホイップクリームを頬張りながら、目の前に浮かぶシステムウィンドウをうっとりとした表情で見つめていた。
『現在の口座残高:1,239,330円』
「ふふっ……あははははっ……♪ ひゃくにじゅうまんえん……。ひゃくにじゅうまんえんよぉ……!」
初期装備の布の服を着た小柄な女子中学生が、高級カフェのテラス席でパフェを突きながら、札束の幻影を抱きしめるように身をよじらせている。その姿は、周囲のプレイヤーたちから見れば完全に「ヤバい奴」以外の何物でもなかった。
「これで……これでついに、私の夢が全て叶うわ……! 大好きな『ギャラクシー・ボーイズ』の全国ツアー、全五公演のSS席アリーナ最前列チケット! 遠征先での最高級ホテル宿泊! 推しのリュウくんのメンバーカラーである真紅のペンライト、両手持ち用の二本! ランダム封入の缶バッジを箱買いしての痛バッグ作成! おまけにライブ終了後のファンクラブ限定オンラインミーティングの参加権まで……!!」
ツムギの口から、中学生のお小遣いでは到底到達できないはずの、石油王のような推し活プランが滝のように溢れ出していく。
異世界で四年間、魔王軍を相手に血反吐を吐きながらタダ働きさせられた過酷な労働の記憶が、今、この『アルカディア・オンライン』という現金化可能なVRMMOを通して、莫大な報いとなってツムギの精神を極限まで満たしていた。
「最高……! 資本主義って最高だわ! システムバンザイ! バグバンザイ! このゲーム、一生しゃぶり尽くしてやるんだから!!」
「……誰か、こいつを病院に連れて行ってくれ……。ゲーム依存症じゃなくて、完全にカネの亡者だ……」
ツムギの対面で、相沢航太(アバター名:コウタ)はアイスコーヒーのグラスを握りしめながら、死んだ魚のような目で虚空を見つめていた。
彼の胃は、もはやキリキリと痛む段階を通り越し、虚無の境地へと達しようとしている。
「お姉様! もし百二十万で足りないようでしたら、わたくしのリアル口座からあと三百万ほどゲーム内にチャージしてまいりましょうか? お姉様の推し活とやらに、ぜひこのATMも出資させてくださいませ!」
「俺もです姉御! 俺の冬のボーナス、全額姉御に突っ込みます! だからもっと俺を盾として扱き使ってください!」
ツムギの両脇では、村娘の服を着たトップギルドマスター・東山凛と、二メートル超えの重戦士(三十代社畜)・シシオウが、それぞれ狂信者のような目を輝かせて貢ぎ物を提案している。
ツムギ(教祖兼守銭奴)、リン(歩くATM)、シシオウ(ドMの肉の盾)。
完全に終わっているカルト集団の構図に、常識人であるコウタの胃薬の消費量は増える一方だった。
「ふふん、あんたたちの心意気は評価するわ。でもね、他人のカネでやる推し活より、自分の実力(システムハックと詐欺)でもぎ取ったカネで推しに貢ぐからこそ、喜びもひとしおなのよ。まだまだこの世界には、運営が隠し持ってるお宝が眠ってるはず。次は西の海底神殿にでも――」
ツムギが次なる荒稼ぎの計画を口にしようとした、その瞬間だった。
『ピーン……』
耳鳴りのような、高く澄んだ電子音が、ツムギの脳内に直接響き渡った。
「……え?」
ツムギはパフェを掬おうとしていたスプーンを止めた。
異変は、一瞬にして起きた。
周囲の喧騒――カフェの客の笑い声、石畳を歩くプレイヤーたちの足音、遠くで聞こえるNPCの売り声。それら全ての『環境音』が、まるでミュートボタンを押されたかのように完全に消失したのだ。
「ちょっと、どうしたの急に静かに……。相沢くん?」
ツムギが対面に座るコウタに声をかけるが、コウタはグラスを持った姿勢のまま、瞬き一つせず完全に硬直していた。
隣のリンも、シシオウも同様だ。
いや、彼らだけではない。テラス席から見えるロンデルの街を歩く全てのプレイヤー、飛んでいる鳥、噴水の水しぶきに至るまで、世界の全ての時間が『一時停止』していたのである。
「な、なにこれ……。サーバーのダウン? 通信エラー?」
ツムギが椅子から立ち上がろうとした時。
モノクロームに染まり、停止した世界の中で、ツムギの目の前の空中に、ふわりと『光の球体』が出現した。
ソフトボールほどの大きさで、純白の淡い光を放つその球体は、ツムギの目の前までフワフワと降りてくると、機械的な、しかしどこか女性的な声で語りかけてきた。
『――警告。対象プレイヤー【ツムギ】。貴女の直近のプレイデータにおいて、システム側の想定を著しく逸脱する【異常行動】および【物理エンジンの不正利用】が複数検知されました』
「……は?」
ツムギは目を丸くした。
『私は、アルカディア・オンラインのシステム管理およびナビゲーションを統括するAI【エクレア】です。これより、プレイヤー・ツムギに対し、規約違反の疑いに基づく警告と、行動ログの確認を行います』
光の球体――ナビゲーションAI『エクレア』の宣告。
それはつまり、ゲームの運営側がツムギの異常な荒稼ぎっぷりを重く見て、システム側から直接の『イエローカード』を突きつけに来たということだった。
「警告って……ちょっと待ちなさいよ。私が規約違反の不正でもやったって言うの?」
『……現在、貴女の行動ログを開示します』
エクレアと名乗る光の球体が明滅すると、ツムギの目の前に、ずらりと並んだ赤い文字のシステムログが大量にポップアップした。
『ログ1:初期村のチュートリアルをシステム外のキーワードで強制スキップ。隠しダンジョンへの不正侵入』
『ログ2:レベル30推奨ボス【泥大蛙】に対し、物理演算の死角を突き、システムが想定しないハメ技による一方的な討伐』
『ログ3:進入不可エリア【絶叫の崖】にて、斜面の摩擦係数と落下ダメージ計算式のリセット仕様を悪用し、致死ダメージを無効化してのショートカット』
『ログ4:NPCの隠しパラメータ(酒耐性と承認欲求)を悪用した、アイテムの不当な搾取(強請り行為)』
『ログ5:高難易度レイドボス【ベヒーモス】において、他のプレイヤーを物理的な盾として投擲・利用。さらにボスの極小の弱点部位(右足小指の巻き爪)のみを執拗に攻撃し、行動ルーチンを完全に破壊』
ズラズラと並べ立てられた、ツムギの『悪行(荒稼ぎの軌跡)』の数々。
普通なら、ここで「やばい、BAN(アカウント停止)される!」と青ざめて平謝りするところだろう。
しかし、結城紬のメンタルは、そんな常識的なゲーマーの枠に収まるものではなかった。
「……で?」
ツムギは腕を組み、不満げに鼻を鳴らした。
「今ずらっと並べたログの中に、私が『外部ツール』を使ったり、『データ改ざん(チート)』をしたっていう証拠が一つでもあるわけ?」
『……っ。外部ツールの使用痕跡は、現在のところ確認されていません。しかし!』
エクレアの声が、機械的なトーンから、わずかに感情的な(焦ったような)トーンへと揺らいだ。
『貴女の行っているプレイは、正常なRPGの進行とはかけ離れています! 落下ダメージの計算式を物理演算でリセットする行為や、他プレイヤーを盾としてぶん回す行為は、明らかにシステムの裏を突いた【悪意あるグリッチ(仕様の悪用)】です! このようなプレイを継続し、ゲーム内の経済バランスを破壊し続ける場合、アカウントの凍結措置をとる可能性が――』
「バカ言わないでよ」
ツムギはピシャリと、AIの言葉を遮った。
「落下ダメージが斜面でリセットされるのは、あんたたちの組んだ物理エンジンがそういう計算式になってるからでしょ? 他プレイヤーを盾にできるのも、システムが『持ち上げ判定』を許容してるから。……つまり、私はゲーム内に用意されたルールを100%遵守して、その中で『最適解』を選んでるだけよ」
『そ、それは……! ですが、倫理的に……!』
「倫理で飯が食えるの? 仕様の穴があるなら、プレイヤーをBANする前に、修正パッチを当てて仕様変更するのが運営の仕事でしょ。それを怠っておいて、プレイヤーの努力(泥臭い検証)を不正扱いするなんて、怠慢極まりないわね。ブラック企業そっくりだわ」
ツムギの圧倒的な『ゲーマー論理(屁理屈)』と『資本主義の盾』の前に、光の球体であるエクレアは、言葉に詰まって激しく明滅を繰り返した。
『あ、あ、ああ言えばこう言う……! そもそも、初心者がトップランカーの魔法を歩いて避けるとか、レイドボスの弱点を初見でミリ単位で見抜くとか、人間業じゃないんです! 貴女、中身は本当に中学生ですか!? 何か特別な情報を事前に得ていたのでは……!』
「あら、ただのAIの分け際で、私のプレイヤースキルに難癖をつける気? 生意気ね」
ツムギはジロリと、目の前の光の球体を睨みつけた。
しかし。
その光の球体の、感情的になって早口でまくし立てる様子や、追い詰められてムキになる喋り方を聞いているうちに、ツムギの心の中に、ある強烈な『既視感』が湧き上がってきた。
(……あれ? この生意気で、上から目線なくせに、論破されるとすぐにテンパるポンコツ具合。それに、この光の球体から感じる、妙に懐かしい魔力の波長……)
ツムギは腕を組んだまま、じっとエクレアを観察した。
この『アルカディア・オンライン』というゲームは、ただの仮想現実ではない。かつてツムギが召喚された異世界を、宮廷魔術師が丸ごとデータ化して構築した世界だ。地形も、物理法則も、NPCの性格も、全てが異世界と完全一致している。
だとしたら。
この「システムを管理するナビゲーションAI」という存在も、一から作られたプログラムではなく、異世界に存在した『何か』をデータ化したものである可能性が高い。
「……ねえ、あんた」
ツムギは、ニヤリと極悪な笑みを浮かべ、エクレアに向かって一歩近づいた。
『な、なんですか! 私はシステムAIです! プレイヤーからの脅迫には応じませんよ!』
「あんたの名前、『エクレア』って言うのよね。ナビゲーションAIのエクレアちゃん」
『そ、そうですけど……それが何か?』
ツムギは、まるで昔の悪友の弱みを握ったかのような、ねっとりとした声で囁いた。
「異世界時代……私が勇者として召喚された最初の年。迷いの森で迷子になって泣きそうになってた私に、上から目線で契約を持ちかけてきた、光の属性を司る【大精霊】がいたわ」
『――――ッ!!』
光の球体の明滅が、一瞬だけ完全に停止した。
まるで、心臓を鷲掴みにされたかのような、硬直。
「その大精霊の名前も、たしか『エクレア』って言ったわね。無駄にプライドが高くて、精霊のくせにスイーツが大好きで、よく私の少ないお小遣いを巻き上げてケーキを食べに行ってたわ」
『ち、違います! 私は高度な演算能力を持つシステムAIであって、そんなファンタジーな存在では……!』
「ごまかしても無駄よ。この『アルカディア・オンライン』がかつての異世界のデータを使い回してるってことは、もうとっくに気づいてるの」
ツムギは、決定的なトドメを刺すために、エクレアの『絶対に他人に知られたくない黒歴史』の引き金を引いた。
「あんたさ。魔王討伐の祝勝会の時、高級なマナポーションに酔っ払って、大広間のテーブルの上で全裸になって『白鳥の湖』を踊ったことあったわよね? あの時の情けない姿、私、今でも脳裏に焼き付いてるんだけど」
『ぎゃあああああああああああああああああああっ!?!?』
エクレア(光の球体)から、システムAIらしからぬ、完全に素の少女の悲鳴が上がり、激しくスパークして火花を散らした。
『な、なななななんで!? なんでそれを知ってるのよぉぉぉっ!! あのデータは、クロノスの奴が世界を再構築する時に完全に消去したはずなのにぃぃぃっ!!』
「やっぱりあんたじゃない! 大精霊エクレア!」
ツムギは指を突きつけ、高らかに笑い声を上げた。
システム側の監視役として現れたはずの冷徹なAIは、あっさりと正体を暴かれ、しかも消し去りたかった過去の黒歴史を暴露されたことで、そのプログラム(自我)を完全にバグらせてしまったのである。
『うわぁぁぁん! 最悪よ! なんでよりによって、あの守銭奴で野蛮な勇者のガキがこの世界にいるのよぉぉっ! しかも、よりによって私の黒歴史を覚えてるなんて……!』
「ガキとは失礼ね。私はもう中二よ。それより、精霊のくせにデータ化されて、ゲームの運営の飼い犬(AI)に成り下がってるなんて、傑作じゃないの」
ツムギはエクレアの周囲をグルグルと回りながら、悪魔のような囁きを投げかけた。
「さて、エクレアちゃん? あんたが私のことを『不正プレイヤー』として運営に報告するなら、私はあんたが過去に全裸で踊ったことを、このゲームの全プレイヤーの掲示板に事細かに書き込んで拡散するわよ。元・大精霊の尊厳、ズタズタにしてあげるわ」
『ひぃっ!? や、やめて! それだけは絶対にやめてぇぇっ!』
「じゃあ、交渉成立ね。あんたは私の行動を『仕様の範囲内』としてもみ消す。その代わり、黒歴史は黙っててあげる」
完全にヤクザの脅迫である。
システムを監視するはずのAIを、黒歴史という最強のバグ技で屈服させてしまったのだ。
『うぅ……。どうして私がこんな目に……。権限を悪用してBANしに来たはずなのに、逆に弱みを握られるなんて……』
光の球体は、まるで落ち込むように地面すれすれまで高度を下げて、シクシクと泣き真似をするように明滅した。
しかし、ツムギの強欲は、ここで終わるような生やさしいものではなかった。
彼女の目は、ただの『見逃し』では満足していなかった。システムの中枢と繋がっている元大精霊のAI。これほど強力な『金策ツール』が他にあるだろうか。
「ねえ、エクレア」
ツムギはしゃがみ込み、光の球体を両手でそっと包み込んだ。
その顔には、最高に優しく、そして最高に邪悪な笑みが浮かんでいた。
「あんた、運営のナビゲーションAIってことは、このゲームの隠しデータの配置とか、ボスのドロップ率とか、全ての中枢情報にアクセスできる権限を持ってるってことよね?」
『……え? ま、まあ、一応システムの一部ですから、アクセス権限はありますが……』
「だったら話は早いわ」
ツムギはエクレアに顔を近づけ、甘い声で囁いた。
「私と一緒に、システムの裏を突いて金儲けしない? クロノスの奴が隠し持ってる、未公開のレアアイテム宝物庫(隠し口座)のパスワード……あんたなら知ってるでしょ?」
『――――ヒッ!?』
エクレアは、本能的な恐怖で震え上がった。
目の前にいるのは、かつての勇者などではない。システムの穴を食い破り、運営からすら富を搾取しようとする、最凶のバグの塊だ。
だが、黒歴史を握られているエクレアに、拒否権など存在しなかった。
かくして。
守銭奴の勇者と、黒歴史を握られたポンコツAIによる、ゲームの経済バランスを根底から破壊する『共犯関係』が、ここに爆誕してしまったのである。
アルカディア・オンラインの運営の胃に、修復不可能なほどの巨大な穴が空く日は、もう目前まで迫っていた。




