第24話:弱点は「右足の小指の巻き爪」〜五百万ゴールドをかけた地味すぎる死闘〜
ズドゴォォォォォォンッ!!
ダァァァァァァンッ!!
「ぐぉぉぉぉぉぉっ! い、痛てぇぇぇっ! でも治る! また殴られる! でも秒で治るぅぅぅっ!!」
商業都市ロンデル南西の荒野エリア。
空を赤く染めるレイドイベントの最前線で、ライオンの獣人アバターである重戦士シシオウ(中身は三十代の胃薬常備サラリーマン)は、文字通り『無限地獄(ブラック労働)』の真っ只中にいた。
目の前にそびえ立つのは、体長三十メートルを超える高難易度レイドボス『地揺らしの巨獣』。
その丸太のような前脚が振り下ろされるたびに、シシオウのタワーシールドはひしゃげ、全身の骨が軋み、HPバーがレッドゾーンへと叩き落とされる。
しかし、その直後。
「シシオウさん、耐えてくださいませ! 【完全回復】ですわ!」
後方で安全圏に陣取っている村娘姿のリン(元トップギルドマスター)から、莫大な魔力を込めた最高位の回復魔法が飛んでくる。
緑色の光に包まれた瞬間、シシオウのHPは一瞬で最大値まで回復し、疲労すらも完全にリセットされる。
そして元気になった数秒後、再びベヒーモスの理不尽な暴走攻撃をその身に受け、叩き潰される。
「な、なんだこのループは……! 死ぬに死ねない! 回復魔法が潤沢すぎて、過労死すら許されない完全なブラック企業のサイクルじゃねえか! うちの社長よりタチが悪いぞぉぉっ!」
シシオウは血涙を流しながらタワーシールドを構え直し、タンク専用のヘイト(敵対心)獲得スキルを連発し続けた。
彼はすでに、前線でベヒーモスと戦っているという感覚を失っていた。ただひたすらに、背後にいる『無慈悲な回復装置』と『鬼の上司』の指示に従って、ひたすら殴られ続けるサンドバッグとして機能していたのである。
「ナイスよ、デカブツ! 完璧なヘイト管理ね! そのままボスの視線を左に向けさせておきなさい!」
シシオウが稼ぎ出した完璧な「隙」。
その間に、初期装備の布の服を着た結城紬(アバター名:ツムギ)は、風のような速さでベヒーモスの懐深く――巨大な右前脚の真横へと滑り込んでいた。
「おい結城! お前、一体どうするつもりなんだよ! あのバケモノ、HPが何百万もある上に自動回復までついてるんだぞ! お前のその木の棒じゃ、一生叩いても倒せないだろ!」
後方でポーションを構えながら震えているコウタが、絶望的な声を上げた。
確かに、ゲームのステータスという観点から見れば、レベル15のツムギが持つ初期装備の『木の棒』の攻撃力は「1」か「2」といったところだ。対するベヒーモスの防御力は数千。まともに叩けばダメージは「0(無効)」となり、武器の耐久値が減るだけである。
「バカね相沢くん。まともに叩き合って勝とうなんて、誰も言ってないでしょ」
ツムギは、ベヒーモスの巨大な右前脚を見上げながら、獲物を狙う肉食獣のように目を細めた。
「あのクソジジイ(宮廷魔術師)に三日三晩、飲まず食わずでこのバケモノと戦わされた時。私の剣の攻撃力も、こいつの装甲の前じゃ文字通り『爪楊枝』みたいなもんだったわ。でも、三日間ひたすら観察し続けて、私は見つけたのよ。このバケモノが、歩くたびにほんのわずかだけ……『右足』を庇うような素振りを見せることをね」
ツムギの脳裏に、四年前の異世界での死闘がフラッシュバックする。
どんなに魔法を撃ち込んでも、どんなに斬りつけても倒れない無敵の巨獣。
しかし、それは単なる「データ」ではなく、異世界という環境に生きる「生物」だった。
三十メートル、数千トンという規格外の巨体を支え続ける四本の脚。その足先にかかる物理的な負荷は、天文学的な数値に達する。
「このゲームの神様(開発者のクロノス)は、異世界の情報を1ミリの狂いもなくデータ化して、この世界を構築した。……つまり、あの『情けない弱点』も、そのまま完璧に再現されているってことよ!」
ツムギの視線が、ベヒーモスの右前脚の先端――分厚い岩殻に覆われた爪のさらに下、地面と接地している『一番端の極小の爪』へと鋭く向けられた。
「いくわよ、五百万ゴールド(五十万円)の解体ショー!」
ツムギは両手で木の棒を握りしめ、地面スレスレまで極端に腰を落とした。
そして、シシオウの挑発に乗ってベヒーモスが左側へと大きく体重を移動させた、その瞬間。
右前脚にかかっていた荷重がフッと抜け、岩殻の装甲の隙間が一瞬だけ開いた。
「シィッ!」
ツムギの体がバネのように弾け、木の棒が鋭い突きとなって放たれた。
狙うのは、ベヒーモスの右前脚の一番外側にある、人間の指で言えば「小指」に相当する部分。
その爪と肉の境目。
巨体ゆえの過重負荷により、爪が内側の柔らかい肉に深く食い込んでしまっている、ピンポイントの急所――。
「ターゲット確認! 右足の小指の『巻き爪』に、ストライクッ!!」
ガッ!!
ツムギの放った木の棒の先端が、ミリ単位の精度でベヒーモスの「巻き爪」が食い込んでいる炎症部分へと、容赦なく、そして深く突き刺さった。
一拍の静寂。
そして。
『――――――ピギィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!?!?』
荒野全体をビリビリと震わせる、ベヒーモスの絶叫。
しかしそれは、先ほどまでの威厳に満ちた恐ろしい咆哮とは全く異なるものだった。
まるで、タンスの角で足の小指を思い切りぶつけた人間が上げるような、情けなく、甲高く、そして純粋な『激痛』に悶える悲鳴だったのだ。
『クリティカル・ヒット!!』
『対象に【極度の苦痛】を与えました!』
空中に、巨大な赤いシステム文字がポップアップする。
通常攻撃のダメージ自体は「1」しか入っていない。しかし、VRの物理演算エンジンは、極小の炎症部分(巻き爪)にダイレクトに物理的衝撃が加わったという事実を演算し、ベヒーモスのAIに対して『システム上限を突破する強烈な痛覚信号』をフィードバックしたのである。
「な、なんだぁっ!?」
盾を構えていたシシオウが驚愕の声を上げた。
目の前の三十メートルの巨獣が、突然右足を抱え込むようにして、「痛い痛い痛い!」と言わんばかりにドドドドドッ!と荒野をのたうち回り始めたのだ。
その振動で地割れが起き、砂埃が天高く舞い上がる。
「よしっ! 怯んだわ! 今よデカブツ、左頬にシールドバッシュを叩き込んで、あいつの体勢を崩しなさい!」
「え!? あ、ああ! うおおおおっ、【重装突撃】!!」
ツムギのブラック上司さながらの的確な指示に、シシオウは条件反射で従っていた。
痛みに悶えて完全に無防備になっていたベヒーモスの顔面に、シシオウのタワーシールドがクリーンヒットする。
ゴシャァッ!という音とともに、巨獣のバランスが崩れ、ズドォォォン!と凄まじい地響きを立てて横転した。
「は、ははは……! 倒れた! あの絶対無敵のレイドボスが、完全にダウンしたぞ!」
「すごい、すごいですわお姉様! あのような巨獣の、わずか数ピクセルの弱点を一撃で見抜くなんて! まさに神の眼!」
コウタとリンが歓声を上げる。
しかし、ツムギの攻撃はこれで終わりではない。むしろ、ここからが本番だった。
横転して右足を無防備に晒しているベヒーモスに向かって、ツムギは木の棒を握り直して猛ダッシュで接近する。
「自動回復が厄介なら、回復する暇も与えないくらい、継続的に極大の苦痛を与え続けて、ボスの行動ルーチンを完全にバグらせればいいのよ!」
ツムギはベヒーモスの右足の小指(巻き爪部分)の前に陣取ると、まるで餅つきでも始めるかのように、木の棒を大きく振りかぶった。
「そぉい! そぉい! そぉい!」
ポコッ! ポコッ! ポコッ!
リズミカルな音とともに、木の棒が延々と『巻き爪』の患部を叩き続ける。
『ピギィ!? ピギィィィッ!? ピギャアアアアッ!?』
『クリティカル!』『クリティカル!』『スタン!』『クリティカル!』
ベヒーモスが、まるで巨大な芋虫のように身をよじらせ、涙と鼻水を撒き散らしながら絶叫を繰り返す。
巻き爪を物理の棒で連続で突かれる激痛。それは、いくら強靭な岩殻を持っていようが、どれだけHPが高かろうが、生物の神経構造として絶対に耐えられない種類の苦痛だった。
「おらおらおらおらおらぁっ! 痛いか! 痛いだろう! これが四年前、私を三日三晩寝かせなかった怨みよ! そしてお前は今日、私の推しのライブ遠征費(五百万円)へと姿を変えるのよぉぉぉっ!!」
ツムギの顔は、完全に悪鬼羅刹のそれであった。
瞳孔を見開き、ヨダレを垂らさんばかりの強欲な笑みを浮かべ、ひたすらボスの右足の小指を突き続ける。
その光景は、もはや「エピックファンタジーの壮大なレイドバトル」などではない。
「……絵面が、地味すぎる……」
後方で見守っていたコウタが、顔を引き攣らせながらツッコミを入れた。
三十メートルの大怪獣が、足の小指を痛がって地面をゴロゴロ転げ回っている。そしてそれを、小柄な女子中学生が木の棒でペチペチと叩き続けているのだ。
緊迫感も、ファンタジーのロマンも、そこには一欠片も存在しなかった。ただただ、残酷で生々しい「リンチ」の現場である。
「なんて恐ろしいプレイスタイルだ……。システムが用意した装甲も、魔法耐性も、全て無視して『物理的な痛覚(弱点)』だけを無限に狙い続ける……。あんなの、ただのゲームの知識じゃない。本物の修羅場を潜り抜けた奴の戦い方だ……」
シシオウは盾を下ろし、戦慄しながらその光景を見つめていた。
三十代の社会人である彼から見ても、あの女子中学生の執念と効率への異常なまでの特化は、底知れぬ恐怖を感じさせた。
「ああ……お姉様……! あのように地味で泥臭い反復作業すら、お姉様がなさると崇高な儀式のように見えてまいりますわ! わたくしも、ATMとしてもっとお姉様に貢献しなければ!」
一方、完全に洗脳が完了しているリンは、両手を組んでうっとりとツムギの「巻き爪突き」を鑑賞している。もはや手遅れである。
「五百万! 五百万! 五百万ゴールドォォォォッ!!」
ツムギの容赦ない連撃は止まらない。
ベヒーモスは痛みのあまり完全にスタン状態から抜け出せず、起き上がることも、攻撃することも、自動回復スキルを発動することすらキャンセルされ続けていた。
システム上は「1」のダメージの連続に過ぎないが、あまりにも連続して弱点を突かれ続けた結果、ボスのHPバーは内部的なデバフ処理が重なり、滝のような勢いでゴリゴリと削れ始めていた。
十分後。
討伐隊のトッププレイヤーたちが束になっても数ミリしか削れなかったHPバーが、ついに残り一割を切った。
「これで……トドメよぉぉぉぉっ!!」
ツムギは木の棒を限界まで高く振りかぶり、全身のバネを解放して、ベヒーモスの右足の巻き爪へと、渾身の最後の一撃を叩き込んだ。
パァァァァァァァァンッ!!!!
痛みの臨界点を突破したベヒーモスが、一瞬だけビクゥッ!と全身を硬直させた。
そして。
『――――…………』
声にならない悲鳴とともに、地揺らしの巨獣の三十メートルの巨体が、足元からパラパラと崩れ始めた。
鋼鉄の岩殻が砕け、巨木のような足が消え、最後に巨大な牙が天を仰ぎながら、数百万の青いポリゴンの欠片となって、荒野の風の中へと四散していった。
大型アップデート第一弾、最強のレイドボス『ベヒーモス』。
その討伐は、高位魔法でも伝説の剣でもなく、一本の『木の棒』による「巻き爪の治療(という名の破壊)」によって成し遂げられたのである。
シャララララララァァァンッ……♪♪
空から黄金色の光の雨が降り注ぎ、サーバー全体に響き渡る、これ以上ないほど豪華なファンファーレが鳴り響いた。
『システム・ワールドアナウンス』
『高難易度レイドボス【地揺らしの巨獣】が、初めて討伐されました!』
『討伐パーティ:ツムギ、リン、コウタ、シシオウ』
そのアナウンスが流れた瞬間、ロンデルの街にいた全プレイヤーが度肝を抜かれた。あの絶対無敵のバケモノが、イベント開始からわずか数十分で討伐されたという事実に。
しかし、そんな周囲の驚きなど、ツムギにとっては完全にどうでもいいことだった。
彼女の目の前には、ポリゴンとなって消え去ったベヒーモスの跡地に、まばゆい光を放つ巨大な宝箱と、山のようなゴールドのインゴットが出現していたのだから。
『初回討伐特別報奨金:5,000,000ゴールドを獲得しました!』
『超高額レア・アーティファクト【巨獣の心臓】を獲得しました!』
「……あ、あはは……」
ツムギは、インベントリに転がり込んできた『5,000,000』というゼロが六つ並んだ数字を見て、呆然とその場にへたり込んだ。
「ごひゃく、まん……。現実のお金にして……五十万円……。プラス、このコアをオークションで売れば、さらに数十万円……」
推しのライブ全通。アリーナ最前列。全グッズコンプリート。
その全ての野望が、たった今、完全に達成されたのだ。
「やった……やったぁぁぁぁぁぁっ!! 勝った! 私は資本主義とブラック労働に勝ったのよぉぉぉっ!!」
ツムギは荒野のど真ん中で、初期装備の布の服を泥だらけにしながら、両手を天に突き上げて狂喜乱舞の咆哮を上げた。
その姿は、世界を救った勇者などではなく、宝くじの一等を引き当てて完全に狂ってしまった一般市民そのものであった。
「……すげえ。本当に、あのバケモノを倒しちまった……」
シシオウは、タワーシールドを地面に置いたまま、呆然とその光景を見つめていた。
ゲームの常識を覆す、あまりにも合理的で、無駄がなく、そして血も涙もない泥臭い戦術。
三十代のサラリーマンである彼の心に、今まで忘れていた「熱い何か」がこみ上げてくるのを感じていた。
「これだ……。上司の顔色をうかがうだけの俺の人生に必要なのは、この圧倒的なまでの『手段を選ばない強さ(強欲)』なんだ……!」
シシオウはフラフラと立ち上がり、狂喜乱舞しているツムギの前へと歩み出た。
そして、二メートル超えの巨体を折り曲げ、地面に額をこすりつけるような勢いで、見事な「土下座」を繰り出したのである。
「あ、姉御ォォォッ!!」
「えっ?」
「俺は感動しました! これまでのゲームの常識を根底から覆す、あまりにも合理的で無駄のない戦術! そして、獲物を逃がさない絶対的な執念! どうか、このシシオウを姉御の弟子に……いや、下働きにしてください! 俺に、その強さの極意を教えてくだせえっ!」
突如として土下座してきた巨大なライオンの獣人を前に、ツムギは目をパチクリとさせた。
「はぁ? 姉御? 弟子? あんた、私がさっきあんたを盾にしてぶん回したの忘れたの?」
「むしろご褒美です! あんな完璧なタイミングで盾を使われたのは初めてです! これからは、俺が姉御の専属の『肉の壁』として、一生攻撃を受け止め続けますから!」
「いやいや、ドMなの!? あんた三十代のサラリーマンでしょ!? 中二の女子に土下座して恥ずかしくないの!?」
コウタがツッコミを入れるが、シシオウの決意は固かった。
リンも横から「ふふん」と得意げに胸を張る。
「よくってよ、ライオンさん! ツムギお姉様の偉大さに気づくとは、平民にしては見所がありますわ! これからは私がATM兼ヒーラー、貴方が肉の壁として、お姉様を徹底的にお守りするのですわ!」
「はいっ、リン姐さん! よろしくお願いします!」
「誰が姐さんよ! まあいいわ、許します!」
トップギルドのマスター(お嬢様)と、サーバー最強の盾(三十代社畜)が、中二の守銭奴少女の下で謎の意気投合を果たしている。
完全に終わっている光景だった。
「……終わった。俺の平和なゲーム生活は、完全に終わった……。カルト集団が巨大化していく……」
コウタは荒野の砂を握りしめながら、胃薬を口の中に放り込んだ。
かくして。
ツムギ(守銭奴)、コウタ(胃痛ツッコミ)、リン(歩くATM)、シシオウ(社畜の肉の盾)。
アルカディア・オンラインの歴史に最悪の悪名を刻むことになる「カオス極まる最強の泥臭いパーティ」が、ここに完全結成されたのである。
札束と強欲の進撃は、ここからさらに理不尽な加速を見せていく。




