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第23話:正しい「盾」の使い方〜人権皆無の社畜シールド〜

ズズウゥゥゥゥンッ……!!


商業都市ロンデル南西の荒野エリア。

空を血のような赤色に染め上げる巨大なシステムアラートの元、数千人のプレイヤーを阿鼻叫喚の地獄へと叩き落とした高難易度レイドボス『地揺らしの巨獣(ベヒーモス)』。

その三十メートルを超える黒褐色の巨体は、ヘイト(敵対心)のシステムを完全に無視した理不尽な暴走モードへと突入していた。


最前線で後衛を守るためにタワーシールドを掲げていたトップギルドの重戦士、シシオウ(中身は三十代の胃薬常備サラリーマン)。

彼はベヒーモスの全体重を乗せた『踏みつけ』をまともに食らい、光の障壁ごと地面に叩き伏せられ、瀕死の重傷を負っていた。

巨獣の丸太のような前脚が再び高く上がり、今度こそ完全にトドメを刺そうと振り下ろされようとした、まさにその絶対絶命の瞬間。


「――はいそこ、ちょっと通るわよ! どきなさい!」


戦場の喧騒を切り裂く、場違いなほど甲高い少女の声。

崩壊した前衛のド真ん中に、初期装備の布の服を着て、木の棒を担いだ小柄な女子中学生アバター・結城紬(アバター名:ツムギ)が乱入してきたのである。

彼女の背後には、涙目で荷物袋を抱える少年(コウタ)と、村娘の服を着て目をハートにした金髪の美少女(リン)が続いている。


『ガァァァァァァァァァッ!!』


ベヒーモスの小さな瞳が、足元をチョロチョロと走り回る布の服の少女(ツムギ)を捉えた。

理不尽な暴走モードに入っているベヒーモスのAIは、システム上のヘイト数値ではなく、純粋に「視界の中で一番目障りに動き回っている存在」を標的に定めた。

狙いがシシオウからツムギへと切り替わり、ベヒーモスは振り下ろそうとしていた前脚の軌道を変え、巨体を独楽(こま)のように反転させた。


――ビュゴォォォォォォォォォッ!!


空気を切り裂き、轟音を立てて迫り来るのは、先ほど討伐隊の中衛・後衛を数十人まとめて一掃した、恐るべき『尻尾の薙ぎ払い』であった。

太さ数メートル、表面は鋼鉄の岩殻で覆われた、質量兵器そのもの。

それが、ツムギの華奢なアバターに向かって、致死のスピードで叩きつけられようとしていた。


「ひぃっ!? 結城、危ないっ!! 尻尾が来るぞ!!」


少し後方にいたコウタが、絶望の悲鳴を上げた。

ツムギの『ミリ単位で回避する』神業ステップをもってすれば、この尻尾攻撃を躱すこと自体は造作もないことだった。

しかし。

ツムギの脳内スーパーコンピューターは、瞬時に致命的なエラー(損失)を弾き出した。


(私がここから右に回避すれば、無傷で躱せる。……でも、私の後ろにはコウタと、リンがいる。ここで私が避ければ、背後にいる『無尽蔵の回復魔法が使える歩くATM(リン)』がミンチになって、即死するじゃない!)


リンが死ねば、無限の回復ソースが失われる。ポーション代が自己負担になり、利益率が大幅に下がる。

つまり、この尻尾攻撃を『避ける』という選択肢は、ツムギの強欲なプレイスタイルにおいては絶対に許されない行為だった。


(避けるのがダメなら、防ぐしかない。でも、私の布の服と木の棒じゃ、パリィ(受け流し)すら不可能……! なら、どうする!?)


コンマ数秒の思考の果てに。

ツムギの視線は、足元で倒れ伏している二メートル超えのライオン獣人――瀕死の重戦士、シシオウの巨体を捉えた。


(……ちょうどいいところに、すっごく頑丈そうな『壁(ツール)』が落ちてるじゃない!)


「ちょっと借りるわよ、デカブツ! しっかり踏ん張ってなさい!」


ツムギは足を開き、腰を深く落とすと、倒れているシシオウの分厚い首根っこ(鎧の襟元)を、右手一本でガシィッ!と掴み上げた。


「……え?」


シシオウの口から、間の抜けた声が漏れた。

レベル1(に見える)の小柄な少女が、レベル25オーバー、全身に超重量の重装甲を纏った二メートル超えの大男を、片手で持ち上げようとしているのだ。

普通のRPGの常識ではあり得ない光景。

しかし、ツムギはレベル15の筋力ステータスに加え、異世界で四年間培った『発勁』の要理と、テコの原理を完璧に使いこなしていた。

シシオウの重心の真下に自分の膝を滑り込ませ、大地を蹴る力を背骨から腕へと伝達する。VRの物理演算エンジンは、その完璧な力学的モーションを『持ち上げ可能』と判定した。


「ふんっ!!」


「はあああああああああああああっ!?」


シシオウの悲鳴が荒野に響き渡る。

彼自身の意志とは全く無関係に、その巨大なライオン獣人のアバターが、軽々と宙に浮き上がったのだ。

そしてツムギは、持ち上げたシシオウの体を空中で真横に倒し、自分の前方……迫り来るベヒーモスの巨大な尻尾との間に、彼を『物理的な盾(肉の壁)』として強引に突き出したのである。


「な、なにをしてるんだお前はぁぁっ!? 俺はプレイヤーだぞ! 装備品(シールド)じゃねえぇぇっ!!」


空中でバタバタと手足をばたつかせながら、シシオウは涙声で絶叫した。

しかしツムギは容赦なく言い放つ。


「ごちゃごちゃ言ってないで、防御スキルを発動させなさい! しないとあんた、真っ二つになって死ぬわよ!」

「鬼! 悪魔! クソ上司ぃぃぃっ!! うおおおおっ、【金剛の構え】ェェェッ!!」


生存本能に突き動かされ、シシオウは空中で防御特化スキルを強制発動させた。

彼の全身を覆う鋼鉄の鎧が、まばゆい黄金の光に包まれ、防御力ステータスが一時的に限界突破する。


その直後。

ベヒーモスの大質量を伴った尻尾が、空中のシシオウ(盾)の横っ腹にまともに激突した。


ズドゴォォォォォォォォォォンッ!!!!


まるでダンプカーに正面衝突されたような、凄まじい衝撃音が爆発した。

衝撃波が放射状に広がり、周囲の地面がクレーターのように吹き飛ぶ。

シシオウの黄金の防御オーラが激しく明滅し、バキバキとひび割れる音が鳴り響いた。


「がぼぁぁぁぁっ……!! い、痛てぇぇぇぇっ! 胃が! 五臓六腑がシェイクされるぅぅぅっ!!」


シシオウのHPバーが、防御スキルを展開しているにもかかわらず、恐ろしい速度で削り取られていく。

しかし、彼が「サーバー最強の盾」と呼ばれていたのは伊達ではなかった。全身に最高級の防御特化エンチャントを施した彼のステータスは、レイドボスの直撃をギリギリのところで耐え抜いたのだ。

そして、その後方にいたツムギは。


「よしっ、第一波の衝撃、吸収確認!」


シシオウという極厚のクッションによって威力が半減した衝撃波を、ツムギはシシオウの首根っこを掴んだまま、後方へと滑るようにステップを踏むことで完全に『受け流し(パリィ)』ていた。

ズザザザザァァァッ!と地面に土煙を上げながら十メートルほど後退し、ツムギは一切のダメージを受けることなく、完璧な体勢で着地を決めたのである。


ポイッ。

役割を終えたシシオウの巨体が、ボロ雑巾のように地面に投げ出された。


「……あ、あだだだだ……。生きてる……俺、生きてる……」

シシオウは白目を剥きながら、ピクピクと痙攣している。

彼のHPバーは、文字通り首の皮一枚、残り数パーセントというレッドゾーンで点滅していた。


「な、なんてことをするのよ結城!? 人間を盾にしてぶん回すなんて、PKよりタチが悪いぞ!」

後方で見ていたコウタが、顔面蒼白になってツムギに抗議した。


「仕方ないじゃない。私が避けたらあんたたちが死んでたのよ。それに、彼は『重戦士(タンク)』なんでしょ? タンクの仕事は敵の攻撃をその身で受けて味方を守ること。私はその役割を、少ぉ〜しばかり『物理的かつ強制的』に手伝ってあげただけよ。適材適所、これぞ正しい盾の使い方よ」

「人権がない! お前の辞書にはコンプライアンスって言葉が存在しないのか!?」

「コンプラで飯が食えるかしら? あ、リン! この盾(ひと)、まだ使えるから修理(回復)しといて!」


ツムギが指を鳴らすと、後方で待機していた村娘姿のリンが、嬉々として両手を掲げた。


「はいっ! ツムギお姉様の華麗なる盾さばき、しかと目に焼き付けましたわ! あのような巨漢すら手足のように操るその御力、まさに覇王の風格! さあ、起きなさい肉の壁! 【完全回復(フル・ヒール)】ですわ!」


リンの足元から眩い緑色の光が放たれ、地面に転がっていたシシオウの体を優しく包み込んだ。

途端に、シシオウのレッドゾーンで点滅していたHPバーが、凄まじい勢いでギュンッ!と最大値まで回復していく。軋んでいた骨の痛みも、打撲の痛みも、一瞬にして消え去った。


「え……? 全回復……!?」


シシオウはガバッと上体を起こし、自分の両手を見つめた。

そして、光を放った少女――村娘の服を着たリンを見て、目を丸くした。


「お、おい! 今の【完全回復(フル・ヒール)】って、トップギルドの専用ヒーラーでも一日に数回しか撃てない超高位魔法だぞ!? なんで初期装備の村娘がそんな魔法を息をするように撃ってんだよ!?」

「口を慎みなさい、平民! わたくしは『薔薇の騎士団』のマスター、リンですわ! 今はツムギお姉様の専属ATM兼、専属ヒーラーを務めておりますのよ!」

「薔薇の騎士団のマスター!? あのリン様!? なんで村娘の服なんか着て……ATM!? どういうことだ、俺の頭がおかしくなったのか!?」


シシオウのゲーマーとしての常識が、音を立てて崩壊していく。

トップギルドのマスターが、レベル1の布の服のガキを「お姉様」と呼び、無限の回復魔法をバラ撒いている。そして自分は、そのガキに片手で持ち上げられ、装備品扱いとして盾にされた。

もはや何が何やら分からない。現実世界の理不尽な上司の方がまだ話が通じるレベルだ。


「おい、アンタ! シシオウさんだろ!? 今のうちに逃げたほうがいいですよ! そいつ(結城)、人間の心を持たない守銭奴の悪魔ですから!」

コウタが同情の目を向けながら、シシオウに向かって必死に叫んだ。


しかし、逃げようにも状況がそれを許さなかった。

ツムギたちに攻撃を阻まれたベヒーモスが、怒り狂ったように大地を四股で踏み鳴らし、再び巨体をこちらへ向けて突進の構えを取ったのだ。


『グルォォォォォォォォォォッ!!!』


空気を震わせる咆哮。

三十メートルの黒褐色の山が、地鳴りを上げて突進してくる。

シシオウは慌ててタワーシールドを構え直した。


「くそっ、また来るぞ! お前ら、早く俺の後ろに隠れろ! 今度こそ俺が自力で――」


シシオウが男気を発揮して前に出ようとした、その背中を。

ツムギが、ドンッ!と容赦なく蹴り飛ばした。


「がはっ!?」


前にのめり込んだシシオウの横をすり抜けながら、ツムギは初期装備の『木の棒』をバットのように構え、不敵な笑みを浮かべて叫んだ。


「隠れる? バカ言わないでよ! あの豚肉の頭上には『五百万ゴールド(五十万円)』の懸賞金がかかってるのよ! ただ守られてるだけで、あの百万円のネギ背負った豚が倒せるわけないでしょ!」

「五百万!? ネギ背負った豚!? お前、このベヒーモスのことを言ってんのか!?」

「いいこと、デカブツ! あんたの仕事は私を守ることじゃない! あの豚肉のヘイトを限界まで稼いで、私の『攻撃の隙』を作ることよ! 死ぬ気でタゲを取りなさい! 死にそうになったらリンが全回復させてあげるから、実質ノーリスクでしょ!」


ツムギは理不尽極まりないブラック労働の指示を、機関銃のような早口でまくし立てた。

シシオウは絶望した。

会社では無能な上司にこき使われ、ゲームの世界では布の服を着た悪魔のような女子中学生に、文字通り『死ぬまで殴られ続ける囮(デコイ)』を命じられているのだ。


(なんで俺の人生、どこに行ってもこんな貧乏くじばっかりなんだよぉぉぉっ!!)


シシオウの目から、再び社畜の熱い涙がこぼれ落ちた。

だが、泣いている暇はない。ベヒーモスの巨大な二本の牙が、まるでブルドーザーのようにシシオウへと迫り来る。


「ちくしょう! やってやるよ! ヤケクソだ! 【大獅子の挑発(ライオット・ハウル)】ォォォッ!!」


シシオウはヤケ陣鉢になりながら、タンク専用の最大ヘイト獲得スキルを発動させた。

彼の全身から赤いオーラが放たれ、ベヒーモスの怒りの矛先が完全にシシオウへと固定される。

ズゴォォォォンッ!!

牙の直撃を受け、タワーシールドがひしゃげ、シシオウの体が後方へと数十メートルも吹き飛ばされた。HPが再びレッドゾーンへと叩き落とされる。


「リン、回復!」

「はいっ! 【完全回復(フル・ヒール)】!」


空中で緑色の光に包まれ、地面に叩きつけられると同時に全回復するシシオウ。

ダメージの激痛と、回復の全能感が脳内でチャンプルー状態になり、シシオウの意識は奇妙なトランス状態へと突入し始めていた。


「いてぇ! けど治った! また痛てぇ! でも治った! なんだこれ、会社のブラック残業で栄養ドリンクをガブ飲みしてる時と同じ感覚じゃねえか……!!」


完全にブラック労働に順応(バグ)してしまった社畜シールドが、狂ったようにタワーシールドを叩いてベヒーモスの注意を引きつけ続ける。


「ナイスよ、デカブツ! その調子でヘイトを稼ぎ続けなさい!」


ツムギは、ベヒーモスの注意が完全にシシオウに向いている隙を見逃さなかった。

彼女は風のように戦場を駆け抜け、ベヒーモスの巨大な前脚の死角――岩殻の装甲の隙間へと滑り込んだ。


(……このベヒーモス。三日三晩戦わされた、あのトラウマ個体と全く同じステータス。ってことは、当然『あの弱点』もそのまま残ってるはずよね!)


ツムギの瞳孔がスッと収縮し、ベヒーモスの巨体の「ある一点」へと鋭く狙いを定めた。


(硬い装甲。無限の自動回復。まともに攻撃しても絶対に倒せない。でも、あのクソジジイ(宮廷魔術師)に強制労働させられた三日間の地獄の中で、私は見つけたのよ。このバケモノの、唯一にして最大の、そして最高に『情けない弱点』をね!)


ツムギは木の棒を両手で強く握りしめ、獲物を狙う肉食獣の笑みを浮かべた。


「さあ、五百万ゴールドの解体ショー、始めるわよ!!」


トップランカーたちを絶望させた無敵のレイドボス。

その巨獣に対し、レベル1(に見える)の守銭奴少女が放つ、システムを嘲笑うかのような理不尽な反撃が、いよいよ開始されようとしていた。

次なる標的は、まさかの「右足の小指」である。

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