↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/60

第22話:最強の盾、散る?〜胃薬常備の重戦士と理不尽な暴走〜

ズズウゥゥゥゥンッ……!!


大地が悲鳴を上げ、視界全体が上下に激しく揺さぶられる。

商業都市ロンデルの南西に広がる荒野エリア。普段はまばらにモンスターが徘徊するだけの殺風景なその場所は、今や数千人のプレイヤーたちが怒号と悲鳴を上げる、阿鼻叫喚の最前線(レイドバトル)と化していた。


その混乱の中心に君臨しているのが、大型アップデート第一弾の目玉として投下された高難易度レイドボス『地揺らしの巨獣(ベヒーモス)』である。

体長三十メートルを超えるその威容は、まさに「動く山脈」だった。鋼鉄の如き黒褐色の岩殻に覆われた巨体。大木のような四本の脚。そして、前方へ突き出た二本の巨大な牙。

プレイヤーたちが放つ魔法の光や矢の雨が、ベヒーモスの分厚い装甲に次々と着弾しては爆発を起こしているが、その頭上に浮かぶ長大なHPバーは、ミリ単位でしか減少していなかった。


「くそっ、硬すぎる! 魔法部隊、何やってる! もっと火力を集中させろ!」

「ダメです! 装甲に弾かれてダメージが通りません! それに、あのバケモノ、HPが自動回復(リジェネ)してます!」

「弱音を吐くな! 前衛(タンク)がヘイト(敵の敵対心)を稼いでる間に削り切るんだ! 絶対に陣形を崩すなよ!」


最前線で巨大なタワーシールドを構え、周囲のプレイヤーたちに的確な指示を飛ばしている一人の大男がいた。

身長は優に二メートルを超え、筋骨隆々としたライオンの獣人アバター。全身を最高級の重装甲で固めたその男こそ、現時点でサーバーのトップ層に君臨する重戦士(タンク)の筆頭――アバター名【シシオウ】である。

彼の所属する討伐隊は、各ギルドから選りすぐられたレベル25以上のトッププレイヤーだけで構成された精鋭中の精鋭だった。


『ガァァァァァァァァァッ!!』


ベヒーモスが咆哮を上げ、丸太のような前脚を高く振り上げた。

それが大地に叩きつけられる直前、シシオウはタワーシールドを地面に突き立て、スキルを発動させた。


「来やがるぞ! 俺の後ろに隠れろ! 【鉄壁の城塞(アイギス・フォート)】!」


シシオウの盾から半透明の巨大な光の障壁が展開される。

直後、ベヒーモスの前脚が大地を粉砕し、強烈な衝撃波が放射状に広がった。周囲にいた中衛のプレイヤーたちが紙屑のように吹き飛ばされる中、シシオウとその背後にいる一団だけは、光の障壁に守られて無傷で持ちこたえていた。


「おおおっ! さすがはシシオウさんだ!」

「サーバー最強の盾! シシオウさんがいれば、このレイドもいけるぞ!」


背後からの称賛の声。

誰もが、この頼もしい獅子の獣人を「頼れるリーダー」として仰ぎ見ていた。

――しかし。

当のシシオウ本人は、タワーシールドの裏側で、冷や汗をダラダラと流しながら、半泣きでインベントリから「あるアイテム」を取り出していた。


(あ、あだだだだ……胃が、胃が痛えぇぇぇっ! 誰か俺を助けてくれ……!)


シシオウは震える手で、システムアイテム【胃腸薬(下級)】を口に放り込み、ボリボリと噛み砕いた。

彼の本名は、鈴木健一。年齢三十代半ばの中堅サラリーマンである。

現実世界では、上司からの無茶振りなノルマと、部下からの突き上げの板挟みに遭い、毎日胃薬を手放せない悲しき中間管理職(社畜)を極めていた。

そんな過酷な現実から逃避するため、最新のVRMMO『アルカディア・オンライン』を始めたのだ。「ゲームの中くらい、強くて頼りがいのある男になりたい」というささやかな願望から、二メートル超えの獅子の獣人というアバターを選び、ひたすら防御力にステータスを振った。


ところが、生来の「面倒見の良さ」と「苦労人体質」が災いした。

野良のパーティで初心者を庇い続け、的確な状況判断で全滅の危機を救っているうちに、いつの間にか「最強の盾職」「人格者のシシオウ」として名前が売れてしまったのだ。

結果として、今回のレイドイベントでも、各ギルドのわがままなトッププレイヤーたちを取りまとめる「討伐隊のリーダー(事実上の中間管理職)」に推挙されてしまったのである。


(なんでゲームの世界でも、俺は他人の尻拭いとヘイト管理ばっかりやらされてるんだよ……! 魔法使いどもは「火力が足りない」って文句ばかり言うし、ヒーラーは「MPがキツいから休ませろ」って文句言うし……! 完全にうちの会社の営業部と開発部の対立と同じじゃねえか!)


シシオウ(鈴木)の心の中には、哀愁に満ちたサラリーマンの涙が溢れていた。

だが、彼がここで盾を下ろせば、背後にいる数十人のプレイヤーが全滅する。責任感の塊である鈴木には、彼らを見捨てることなど絶対にできなかった。


「文句は後で聞く! 今はとにかく削れ! ボスの攻撃パターンは一定だ、前脚の叩きつけの後は、必ず牙による薙ぎ払いが来る! 盾職は防御態勢、遊撃部隊は側面に回り込め!」


シシオウが血を吐くような思いで指示を出し、討伐隊は徐々にベヒーモスを追い詰めつつあった。

HPバーがわずかに減り始め、討伐の糸口が見えたかと思われた、その時だった。


『――ゴルルルルルルルルルルッ……!!!』


突然、ベヒーモスの全身の岩殻が、溶岩のように赤熱し始めた。

周囲の空気が一気に歪み、尋常ではないプレッシャーが戦場全体を押し潰す。


「な、なんだ!? ボスの様子がおかしいぞ!」

「HPはまだ九割以上残ってるのに、もう発狂モード(エンレイジ)に入ったのか!?」


シシオウの長年のゲーマーとしての勘が、最大級の警鐘を鳴らした。

通常のMMORPGにおいて、ボスが発狂モードに入るのはHPが残り少なく(三割以下などに)なってからがセオリーである。開幕数分でこの状態に移行するなど、ゲームの常識からすればあり得ない挙動だった。


「全員、ボスから離れろ! 防御スキルを限界まで展開し――」


シシオウの指示が最後まで届くより早く、それは起きた。

ベヒーモスは、自分を攻撃し、最も高いヘイト(敵対心)を稼いでいたシシオウたち前衛部隊を、完全に『無視』したのだ。


クルリ、と。

三十メートルの巨体が、あり得ないスピードでその場で反転した。

目標となったのは、シシオウの背後に展開していた、防御力の低い魔法使いやヒーラーたちの中衛部隊である。

ベヒーモスの長大な尻尾が、独楽(こま)のように回転する遠心力を伴って、プレイヤーの集団に向かって薙ぎ払われた。


「なっ……!? ヘイトを無視した!? タゲ(ターゲット)が飛んだぞ!!」


シシオウが絶叫した。

システム上、タンクがヘイトスキルを使っている以上、ボスは必ずタンクを攻撃し続けるのが「ゲームの絶対のルール(常識)」である。それを完全に逸脱した、理不尽極まりない暴走モード(ランダムターゲット)。


ズガァァァァァァァァァンッ!!!!


悲鳴を上げる暇すらなかった。

太さ数メートルもある鋼鉄のような尻尾の直撃を受け、数十人の魔法使いやヒーラーたちが、まるでボウリングのピンのように空高く跳ね飛ばされた。

空中で次々とHPバーが砕け散り、青いポリゴンの欠片となって消滅していく。

一撃。たったの一振りで、討伐隊の中衛・後衛部隊が半壊した。


「嘘だろ……。こんなの、ゲームのバランス崩壊(クソゲー)じゃねえか……!」


シシオウは愕然として立ち尽くした。

だが、絶望する暇すら与えられない。後衛を粉砕したベヒーモスは、再びシシオウたち前衛部隊の方へと向き直り、今度はその巨体を跳躍させた。

数千トンの質量が、空から降ってくる。


「総員、頭上注意! 散開しろぉぉぉっ!!」


シシオウはタワーシールドを両手で頭上に掲げ、全身の筋力ステータスを総動員して落下してくる巨獣の足を受け止めようとした。

しかし、レイドボスの全体重を伴った【暴走・踏みつけ】は、一人のプレイヤーがシステムスキルでどうにかできる次元の威力を超えていた。


メシャァァァァッ!!

シシオウの光の障壁がガラスのように粉砕され、タワーシールドごと地面に叩きつけられる。

VRの痛覚設定を通して、両腕の骨が軋み、千切れるような感覚がシシオウの脳を襲った。


「がぁぁぁぁっ……!?」


HPバーが一気に七割も吹き飛ぶ。

周囲にいた他の重戦士たちは、盾ごとペチャンコに潰されて即死し、次々とポリゴンとなって消えていった。

最前線を支えていた「トップ層の壁」が、完全に崩壊した瞬間だった。


「だ、ダメだ……。ヒーラーもいねえ、防御も貫通される……。このレイドイベント、最初からクリアさせる気のない『負けイベント(理不尽な接待)』だったんだ……。うちのクソ社長が持ってくる無茶なプロジェクトと同じだ……」


泥だらけになりながら、シシオウ(鈴木)の目から社畜の涙がこぼれ落ちた。

ベヒーモスが、虫の息となったシシオウを完全に踏み潰そうと、再び前脚を高く持ち上げる。

巨大な影が、シシオウの顔をすっぽりと覆い隠した。


(あぁ……終わった。せめてデスペナルティで、お気に入りの胃薬だけは落としませんように……)


シシオウが死を覚悟し、静かに目を閉じた、その時である。


「――はいそこ、ちょっと通るわよ! どきなさい!」


阿鼻叫喚の地獄絵図と化した戦場に、場違いなほど甲高く、そして妙にテンションの高い少女の声が響き渡った。


「え……?」


シシオウがわずかに目を開けると、自分のすぐ真横を、猛烈なスピードで駆け抜けていく『小さな影』があった。

初期装備の布の服。手には粗末な木の棒。

この最高峰のレイドバトルにはおよそ似つかわしくない、完全な初心者の装いをした小柄な女子中学生アバター。

結城紬(ツムギ)であった。


「ゆ、結城ぃぃっ! 死ぬ! 絶対に死ぬって! トップ層が全滅してんのに、俺たちが入ってどうにかなるわけないだろぉぉっ!」

「お姉様! わたくしがバフ(強化魔法)をおかけしますわ! 思う存分、あの豚肉を料理してきてくださいませ!」


ツムギの背後には、涙目になりながら荷物袋を抱えて走る中学生男子(コウタ)と、村娘の服を着て目をハートにして杖を振るう金髪縦ロールの美少女(リン)が続いている。

崩壊しつつある最前線のどさくさに紛れて、この狂気とカオスに満ちた三人組が、堂々と乱入を果たしたのだ。


「お、おい君たち! 逃げろ! そいつはヘイトもシステムも無視するバカげたボスだぞ!」


倒れ伏したシシオウが、絞り出すような声で警告を発した。

しかし、ツムギはシシオウの方を一瞥すらせず、口元を三日月のように吊り上げて、獰猛な笑みを浮かべていた。


「システムのヘイトを無視する? バカね。このゲームの『理不尽』は、全部ただの『物理法則』の再現よ。システムのヘイトテーブルなんかで動いてないのよ、あいつは」


ツムギの目は、三十メートルを超えるベヒーモスの巨体ではなく、その動きの「本質」だけを的確に捉えていた。


(……このベヒーモス。あのクソジジイ(宮廷魔術師)に三日三晩戦わされた、あの個体と全く同じステータスとAIを持ってるわね。つまり、こいつはヘイトなんかで動いてない。単純に『一番痛い攻撃をしてきた奴』か、『視界の中で一番目障りな奴』を優先して狙う、純粋な野生の獣の思考回路よ)


ツムギは、ベヒーモスの振り下ろされる前脚の軌道をコンマ一秒で見切り、ミリ単位のステップでその衝撃波を回避しながら、さらにボスの懐へと深く潜り込んでいく。


「それにしても……HP自動回復(リジェネ)に、装甲貫通の暴走モード。相変わらずクソみたいな調整(ブラック労働)を強いてくるわね、運営(クロノス)は。……でもね!」


ツムギの瞳孔に、これ以上ないほど巨大で強欲な『¥』マークが燃え盛った。


「初回討伐報酬のレアアイテムと、五百万ゴールド(五十万円)の賞金! この『歩く百万円の豚肉』は、私が一円残らず根こそぎ搾取してやるんだから!」


ツムギは、ベヒーモスの足元で立ち止まり、周囲を見渡した。

そして、地面に這いつくばって瀕死の状態になっている『ライオンの獣人(シシオウ)』の姿を視界に捉え、その強靭なステータスと圧倒的な防御力を値踏みするように目を細めた。


「……あら? ちょうどいいところに、すっごく頑丈そうな『壁(ツール)』が落ちてるじゃない」


ツムギの悪魔のような笑み。

その直後、ベヒーモスが足元をチョロチョロと動く目障りな布の服の少女(ツムギ)に気づき、ヘイトを切り替えて、信じられない速度でその巨大な顎(牙)をツムギへと向けて突っ込んできた。


「ひぃっ!? 結城、危ないっ!!」

コウタが絶叫する。

しかし、ツムギは避ける素振りすら見せなかった。

彼女は、足元で倒れていたシシオウの分厚い襟首を、レベル15の筋力とテコの原理をフル活用してガシィッ!と掴み上げたのだ。


「え?」


シシオウ(三十代社畜)の口から、間の抜けた声が漏れた。

次の瞬間、ツムギは信じられない暴挙に出る。

彼女は、二メートルを超えるシシオウの巨体を、まるで『手持ちの盾』のように空中に振り回し、ベヒーモスの牙と自分自身の間に、物理的な壁(肉の盾)として強引に割り込ませたのである。


「ちょっと借りるわよ、デカブツ! しっかり踏ん張ってなさい!」

「はあああああああああああああっ!?」


シシオウの悲鳴が荒野に響き渡る中。

五百万ゴールドの賞金首(レイドボス)と、最強の肉の盾(社畜)、そして最凶の守銭奴(元勇者)による、常軌を逸した理不尽な討伐戦が、いよいよ真の幕を開けようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。