第20話:お嬢様、懐く〜回復魔法が使える歩くATMをゲットしました〜
闘技場での前代未聞の決闘劇から数十分後。
商業都市ロンデルの中央広場には、未だに信じられないものを見たという顔をしたプレイヤーたちが溢れ返っていた。
彼らの視線の先には、奇妙極まりない三人組の姿がある。
先頭を歩くのは、初期装備のペラペラな布の服を着て、木の棒を肩に担いだ小柄な女子中学生アバター、結城紬(アバター名:ツムギ)。彼女は鼻歌交じりに、宙に浮かせたシステムウィンドウの『口座残高』をスワイプしながら、ご機嫌な足取りで進んでいる。
その後ろを、少し距離を置いて、疲労と胃痛で完全に顔色を土気色にした相沢航太(アバター名:コウタ)が、重たい荷物袋を背負いながらトボトボとついていく。
そして。
ツムギのすぐ斜め後ろ、まるで主人の後ろを歩く忠犬か、あるいは熱狂的な信者のような距離感で、ピタリと張り付いている一人の美少女プレイヤーがいた。
「ツムギお姉様! 歩き疲れてはいませんか? もしよろしければ、私が【浮遊】の魔法をおかけしましょうか? 靴の裏が汚れてしまいますわ!」
「いらないわよ。魔力(MP)の無駄遣い。あと、お姉様って呼ぶのやめてくれない? 私、現実じゃ中二だから、絶対あんたの方が年上だし」
「年齢など関係ありませんわ! 魂の格、そして圧倒的な実力! 貴女こそが私の導き手、永遠のお姉様です!」
金糸の縦ロールヘアを揺らしながら、目をキラキラさせてツムギにすり寄るその少女。
彼女こそが、先ほどの決闘でツムギに完全敗北を喫したトップギルド『薔薇の騎士団』のマスター、東山凛(アバター名:リン)であった。
彼女の現在の服装は、闘技場で見せたあの純白と真紅の最高級ローブではない。ツムギの強欲な剥ぎ取りによって装備一式を全て奪われたため、見かねたツムギがロンデルの露店で買い与えた『村娘の服(上下セットで300ゴールド)』という、今のツムギよりもさらに安っぽい初期装備以下のNPC衣装を着せられていた。
美しい顔立ちと見事な縦ロールヘアに、村娘の粗末な服。その圧倒的なミスマッチ感が、周囲のプレイヤーたちの哀れみと好奇の視線を一身に集めているのだが、当のリン本人は全く気にした様子がない。
「おい、結城……」
後ろを歩いていたコウタが、耐えきれずにツムギの袖を引っ張った。
「なんだい、相沢くん。荷物が重いなら筋肉(VIT)にステータス振りなさいよ」
「荷物の重さより、胃の重さが限界なんだよ! お前、マジでどういうつもりだ!? トップギルドのマスターを無一文にして、あまつさえストーカーみたいに引き連れ回すなんて……! 掲示板、今頃大炎上してるぞ!」
「炎上したって私のHPが減るわけじゃないでしょ。それに、無一文にしたわけじゃないわよ。装備と100万ゴールドを『合法的に頂戴した』だけ。彼女は自分の意志でついてきてるのよ」
ツムギは悪びれる様子もなく肩をすくめた。
コウタは頭を抱えた。
「リンさん! あんたもおかしいだろ! さっきまで結城のこと『下品な野蛮人』とか罵ってたじゃないか! なんでいきなりそんな慕い方してるんだよ!? 洗脳でもされたのか!?」
コウタがツッコミを入れると、リンはクルリと振り返り、コウタに向かって高慢な(しかし村娘の服を着た)態度で言い放った。
「無礼な平民ね。洗脳などではありませんわ。私は、真の『強さ』と『美しさ』というものに気づかせていただいたのです」
「強さ……? 美しさ……? 結城の戦い方のどこが美しいんだよ! 泥投げて、股間蹴って、デコピンしただけだろ!」
「それが分からないから、貴方は一生ただの荷物持ちなのですわ!」
リンはビシッとコウタを指差した。
「システムのお膳立てに頼り切り、派手なエフェクトに酔いしれていた私の魔法。それを、ツムギお姉様は最小限の動きと、物理法則を極めた一撃のみで粉砕されました。一切の無駄を削ぎ落とした、研ぎ澄まされた刃のような実戦技術! あれこそが機能美の極致! 私は、己の未熟さを恥じるとともに、お姉様の底知れぬ器に完全に惚れ込んでしまったのです!」
リンは両手で顔を覆い、うっとりとした表情で身をよじらせている。
現実世界では何不自由なく育ち、常にトップに立つことが当たり前だったお嬢様。そのプライドのへし折られ方が急角度すぎた結果、彼女の精神は「圧倒的な強者への従属」という極端な形へとバグを起こしてしまったらしい。
完全に『勘違い』が加速している。
ツムギの「無駄を削ぎ落とした実戦技術」の正体は、ただ単に「装備を傷つけて市場価値を落とさないための金銭的配慮」だったのだが、リンの目にはそれが「武の極致」として映ってしまっていた。
「……はぁ。もうダメだ。話が通じない。完全にカルト宗教の教祖と信者だ……」
コウタは天を仰ぎ、全てを諦めたように荷物袋を背負い直した。
しかし、そんなコウタの胃痛などお構いなしに、ツムギはニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
「カルト宗教じゃないわよ、相沢くん。これはね、『究極のコスト削減』なのよ」
「……コスト削減?」
「ええ。冷静に考えてみなさい。このゲーム、ポーション一つ買うのに50ゴールド。大怪我を治すハイポーションなら500ゴールドもするわよね?」
ツムギは指で丸を作り、お金のサインを提示した。
「私たちはこれから、時給をさらに上げるために未踏破の危険エリアに突っ込んでいくわ。当然、被弾するリスクも上がる。その度にポーションをガブ飲みしてたら、利益率がガタ落ちじゃない。でも……」
ツムギはチラリと、隣で目を輝かせているリンを見た。
「彼女はレベル30間近。トップクラスの魔力量(MP)を持っていて、最高位の回復魔法だって使える。……分かる? 彼女をパーティに入れておけば、これからの冒険における『医療費』が、半永久的に【無料】になるのよ!」
ビシィッ!と、ツムギは論破するようにコウタを指差した。
コウタの顔が引き攣る。
「む、無料って……。お前、回復魔法を使うためのポーション代わりとして、トップギルドのマスターをパーティに入れたのか……?」
「それだけじゃないわよ。彼女、現金の100万ゴールドは私に払ったけど、現実のお金持ちだから、ゲーム外からの課金でまだまだギルド資金や個人資産を引き出せるはず。つまり……」
ツムギは悪魔のような笑みを深めた。
「彼女はね、オートヒール機能を搭載した、最高級の『歩くATM』なのよ!」
歩くATM。
人を人とも思わない、極悪非道な称号である。
普通なら、そんな風に言われて喜ぶ人間などこの世にいない。コウタも「いくらなんでも言い過ぎだろ」とツムギをたしなめようとした。
だが。
「……ああっ! お姉様のお役に立てるなら、私、立派なATMになってみせますわ!」
リンが、頬を赤らめながら嬉々としてそう宣言したのだ。
「ギルドの運営なんて、副マスターに丸投げしておけばいいんです! これからは私の財力、魔力、その全てをお姉様に捧げます! さあ、暗証番号を入力してくださいませ!」
「いや暗証番号ってなんだよ!? あんたも嬉々としてATM受け入れるなよ!」
コウタの悲痛なツッコミは、狂気のお嬢様には全く届かなかった。
ツムギは「うんうん、良い心がけね」と鷹揚に頷き、リンの頭(縦ロール)をポンポンと撫でてあげている。リンは「えへへ……」と恍惚とした表情を浮かべた。
「さて、歩くATMの実用テストといくわよ。ロンデルの南にある『腐死の毒沼』に向かうわ」
「ど、毒沼!? あそこは常に毒の継続ダメージを受ける最悪のフィールドだぞ!? 解毒薬を山ほど持っていかないと一分で死ぬって掲示板に……」
「だからATMの出番なんじゃない。行くわよ!」
ツムギは意気揚々とロンデルの南門へと向かって歩き出した。
コウタは深い絶望とともに、その後を追うしかなかった。
◇ ◇ ◇
ロンデルから南へ徒歩三十分。
空はどんよりと曇り、周囲には枯れた木々と、ブクブクと紫色の気泡を立てる不気味な沼地が広がっていた。
『腐死の毒沼』。
レベル25以上のプレイヤーが、十分な解毒薬と回復薬を準備してようやく足を踏み入れることができる、悪意に満ちた危険地帯である。沼地から発生する毒の瘴気を吸うだけで、十秒に一度、HPが削られていく。
「げほっ、ごほっ……! ゆ、結城……HPが……! 息をするだけでHPが減っていく……!」
レベル1(に見せかけた初心者)のコウタは、開始早々にHPバーが黄色く変色し、苦しそうに膝をついた。
ツムギもまた、ステータスはレベル15とはいえ、毒の継続ダメージは平等に受けている。彼女のHPバーも徐々に減少を始めていた。
「はい、リン。出番よ」
「お任せくださいませ、お姉様!」
村娘の服を着たリンが、意気揚々と両手を掲げた。
杖はツムギに奪われたため素手だが、彼女自身の魔力ステータスは本物だ。足元に美しい緑色の魔法陣が展開される。
「『聖なる息吹よ、穢れを払い、生命の泉を満たせ――【広域浄化回復】!』」
リンの澄んだ声とともに、優しい緑色の光の波がツムギとコウタを包み込んだ。
その瞬間、コウタの苦しげな咳がピタリと止まり、毒のステータス異常アイコンが消滅。HPバーが一瞬にして最大値(MAX)まで回復した。
ツムギのHPも同様に完全回復している。
「おお……! すげえ……一瞬で全回復したぞ……!」
「ふふん。これくらい造作もありませんわ。私は伊達にトップギルドのマスターを張っていたわけではありませんからね」
得意げに胸を張るリン。
その様子を見たツムギは、目を輝かせながらパチパチと拍手をした。
「素晴らしいわ、リン! 今の一発、市場価格で計算したら『解毒薬二人分(200G)』と『ハイポーション二人分(1000G)』。合計で1200ゴールド分のコスト削減よ! たった一秒で1200円儲かったのと同じじゃない!」
「……お前の頭の中、本当に現金のことしかないんだな」
コウタがジト目でツムギを見つめるが、ツムギは全く気にする様子もなく、毒沼の奥へとズンズン進んでいく。
「この毒沼にはね、高レベル帯の錬金術に必須な『腐食の泥花』が自生してるの。普通なら毒ダメージがキツすぎて長時間の採取なんて不可能なんだけど……」
ツムギはわざと毒の沼にズブズブと足を踏み入れ、沼の底から黒紫色の不気味な花を引っこ抜いた。
HPがゴリゴリと減っていく。
「ほらリン、回復!」
「はいっ! 【単体回復】!」
「もういっちょ泥花ゲット! はい回復!」
「はいっ! 【単体回復】!」
それは、ゲームの難易度設計を根底から破壊する、完全なる「永久機関」だった。
毒の沼地を歩き回ってはダメージを受け、リンの無尽蔵とも言えるMPによる回復魔法で即座に帳消しにする。ポーションの消費はゼロ。アイテム枠の圧迫もゼロ。
ツムギは鼻歌交じりに、本来なら命懸けで採取しなければならない高額素材を、まるで近所の公園でタンポポを摘むような気軽さで次々とインベントリ(コウタの荷物袋)に放り込んでいく。
「ひぃぃ……! 結城、マッドリザードが来たぞ! レベル28のアクティブモンスターだ!」
泥の中から、巨大なワニの化け物が飛び出してきた。
しかしツムギは、手にした木の棒でマッドリザードの鼻先をペチッと叩き、あえてワニの尻尾攻撃をその身に受けた。
「痛っ! ……はい、リン回復!」
「【即時回復】ですわ!」
「よし、ヘイト(敵の狙い)は私に向いたわね。相沢くん、今のうちに横から鉄の剣で叩きなさい!」
「えええ!? 俺が攻撃するのかよ!」
ツムギが『肉の盾(物理)』となり、リンが後方から『無限回復』を行い、コウタが安全な横からチクチクと攻撃を当てる。
異世界の泥臭いサバイバル戦術と、トップランカーの圧倒的な魔力が融合した、カオス極まりないが異常に安定したパーティ戦闘が展開されていた。
数分後。マッドリザードは経験値と高額なドロップアイテムを残してポリゴンとなって消え去った。
「あーっはっはっは! 最高! 最高だわこの永久機関! 時給がどこまでも右肩上がりよ!」
ツムギは泥にまみれながら、ドロップしたワニの皮を抱きしめて狂喜した。
リンもまた、「お姉様の盾となるお姿、とても雄々しくて素敵でしたわ!」と目をハートにして拍手を送っている。
「……俺、もう嫌だ。なんでこんな狂人二人と一緒に毒沼でワニ叩いてるんだろう……」
コウタの精神力は、すでにレッドゾーンを振り切っていた。
◇ ◇ ◇
数時間後。
インベントリが完全に満杯になるまで毒沼で荒稼ぎを続けた三人(実質、稼いだのはツムギだけだが)は、商業都市ロンデルへと帰還していた。
時刻はすでにゲーム内でも夜。現実世界でも夕食の時間を過ぎている。
「ふぅ、働いた働いた。さあ、今日は稼いだし、ご飯にしましょうか」
「賛成ですわお姉様! このロンデルには、NPCの凄腕シェフが経営する三ツ星レストランがありますの。味覚再現度100%で、極上のドラゴンステーキが味わえますわ!」
「へえ、ドラゴンステーキね。いくらするの?」
「一人前で、たったの『5万ゴールド』ですわ!」
5万ゴールド。現実にして五千円の高級ディナー。
ゲーム内の食事(バフ効果があるとはいえ)に五千円も出すなど、一般プレイヤーからすれば正気の沙汰ではない。
「5万ゴールド……。三人で15万ゴールドの出費……」
ツムギの脳内で、強欲のブレーキが激しく作動した。
どれだけ稼ごうと、ツムギの根底にあるのは「お小遣い月3000円の貧乏中学生」の魂である。ゲーム内のデータとはいえ、一食で十五万円も失うなど、心臓が止まるほどの痛手だ。
「……やっぱり、屋台で焼き鳥串(10ゴールド)でも……」
「お姉様! ご安心ください!」
リンが、満面の笑みで胸を張った。
「当然、お支払いは全てこの『歩くATM』にお任せくださいませ! 先ほど私のプライベート口座から、ギルドの予備資金300万ゴールドを引き出してまいりました! お姉様には一円たりとも払わせませんわ!」
「――――ッ!!」
ツムギの瞳が、これ以上ないほどカッと見開かれた。
自分のお金は一円も減らず、他人の金で最高級の肉を食える。
これぞまさに、資本主義社会における究極の勝利条件。
「……リン。あんた、本当にいい子ね」
「お姉様に褒められましたわ! さあ、参りましょう!」
ツムギはリンと腕を組み(正確にはリンがツムギの腕に絡みつき)、意気揚々と三ツ星レストランへと向かって歩き出した。
背後で、荷物袋を背負わされたままのコウタが、力なく呟く。
「……結城。お前、ついにヒモにまでなったのか……」
守銭奴の中学生(元勇者)、胃薬常備の巻き込まれ男子、そして洗脳されたお嬢様ATM。
この『アルカディア・オンライン』の歴史に悪名を刻むことになる、最凶にして最もカオスな泥臭いパーティが、ここに正式に結成されたのである。




