第2話:村長の長話スキップ法
世界初の完全没入型VRMMO『アルカディア・オンライン』の初期リスボーン地点、通称『はじまりの村』は、サービス開始直後特有の凄まじい熱気と喧騒に包まれていた。
石畳の広場には次々と光の柱が降り注ぎ、真新しい初期装備――つまりはペラペラの布の服と木の棒――を身にまとった新規プレイヤーたちが絶え間なくログインしてくる。
「おおお! すげえ、マジで風を感じるぞ!」
「おい、さっさとパーティ組んで外に出ようぜ。先行者利益でレアアイテム掘り当てて、リアルで車買うんだ!」
「スライム狩りの時給、今のRMT相場だといくらだ? 効率いい狩場探そうぜ!」
誰もが目を血走らせ、一攫千金を夢見て村の入り口ゲートへと殺到していく。
このゲームにおけるゲーム内通貨『ゴールド』は、公式の暗号資産取引所を経由することで、現実の日本円に換金できる。現在の相場はおおよそ『10ゴールド=1円』。序盤のモンスターであるスライムを一匹倒して得られるのが平均5ゴールドだとすれば、スライム二匹で一円の稼ぎになる計算だ。
ゲートの外に広がる『はじまりの草原』では、すでに無数のプレイヤーたちが武器を振り回し、数分に一度しかポップ(出現)しないスライムを取り合うという、血で血を洗う地獄絵図が展開されていた。
「……バッカみたい。あんなところでスライムの奪い合いなんてしてたら、時給換算で十円にもならないじゃない」
その光景を遠巻きに眺めながら、結城紬――アバター名『ツムギ』は、呆れたようにため息をついた。
時給十円。そんなブラックにも程がある労働環境で満足するほど、ツムギの目的は安くない。彼女に必要なのは、大好きなアイドルグループ『ギャラクシー・ボーイズ』の全国ツアー全公演制覇のための資金、最低五十万円である。
「時間はないのよ。ライブのチケット先行抽選申し込みまで、あと一ヶ月しかないんだから。スライム狩りなんていう非効率な真似、一秒だってやってられないわ」
ツムギは一切の迷いなく、スライムのいる草原とは真逆の方向へ歩き出した。
彼女の脳内には、この世界の『完全なマップ』がすでにインプットされている。
なぜならこのVRMMOの世界は、ツムギが十歳の頃に召喚され、四年間血みどろになって魔王と戦い抜いた『異世界』と一ミリの狂いもなく同じ構造をしているからだ。道端に生えている雑草の種類から、建物のひび割れ、NPCの性格に至るまで、すべてがかつての『ブラック職場』の完全再現だった。
「チュートリアルクエストなんて真っ当に受ける必要ないわ。目指すは村の裏井戸……そこの底にある隠しダンジョンよ。あそこなら、序盤から高額なレアアイテムをドロップする中ボスが固定ポップするはず」
ツムギの記憶が正しければ、その裏井戸には頑丈な鉄の南京錠がかけられている。
鍵を開けるためには、本来であれば村の責任者が持っているマスターキーを借りなければならない。
ツムギが向かった先は、村の中央から少し外れた小高い丘の上に建つ、ひと際大きなレンガ造りの家だった。
家の前には、立派なカイゼル髭を生やし、恰幅の良い中年のNPCが立っていた。頭上には『村長 ゴンザレス』という緑色のネームプレートが浮かんでいる。
(……ゴンザレス。懐かしいわね。私が初めてこの村に来た時、言葉巧みに粗悪品のポーションを定価の三倍で売りつけようとしてきたクソ親父……。あのハゲ上がった生え際まで完全にデータ化されてるなんて、開発者の執念を感じるわ)
ツムギは少し離れた物陰から、ゴンザレスの様子をうかがった。
彼の前には、五人の初心者プレイヤーたちが直立不動で並ばされていた。彼らは皆、一様に死んだ魚のような目をしている。
『――おお、若き旅人たちよ! よくぞ我が村へ来てくれた! 君たちにスライム討伐の任務を与える前に、まずはこの村の歴史と、魔物たちの恐ろしさについて語らねばなるまい。あれは今から百年ほど前のことじゃ……』
ゴンザレスが朗々とした声で語り続けている。
五人のプレイヤーたちは、身動き一つ取れない状態だった。VRMMO特有の『イベントシーン強制拘束』である。
「おい、スキップボタンどこだよ……!」
「もう五分は喋ってるぞこのNPC……。早くスライム狩りに行かせてくれよ!」
「ログアウトもできないじゃん! なんだよこのクソ長チュートリアル!」
プレイヤーたちが小声で文句を言っているのが聞こえる。
ゴンザレスの長話。それは異世界時代、新米勇者だったツムギも散々苦しめられたものだ。
この村長はとにかく話が長く、自分の武勇伝や村の歴史を語り出すと、最低でも十分は止まらない。ゲームのチュートリアルとしてはあまりにもテンポが悪すぎるが、これも『かつての異世界の完全再現』ゆえの仕様なのだろう。
(本来のルートなら、あの十分間のクソ長い演説を聞かされた後、『スライムを十匹狩ってこい』っていうお使いクエストを受けさせられて、それをクリアして初めて『裏井戸の調査』っていうクエストに派生するのよね……。そんなまどろっこしい手順、踏んでられるもんですか)
ツムギはゴンザレスの元へは向かわず、レンガ造りの家の裏手へと回り込んだ。
ジメジメとした日陰に、豚の餌箱が置かれている。その傍らに、青紫色のギザギザとした葉を持つ、名もなき雑草が群生していた。
「あったあった。これよ、これ」
ツムギはしゃがみ込むと、初期装備の木の棒を使って、その青紫色の雑草を根元からすり潰し始めた。
グチャグチャと青臭い汁が滲み出てくる。ツムギはためらいなく素手でその汁と潰れた葉っぱをかき集め、丸めて泥団子のようなものを作った。
鼻を突く強烈なハッカのような匂いが漂う。
『システムメッセージ:未知のアイテム【すり潰された青い草】を作成しました』
空中に半透明のウィンドウが浮かび上がるが、ツムギはそれをスワイプして消した。
この草は、異世界で『ヒエヒエ草』と呼ばれていたものだ。消炎鎮痛作用があり、湿布の代用品としてよく使われていた。ゲームのシステム上はまだ「未知のアイテム」扱いだが、物理演算と化学反応が異世界と同じなら、効果は同じはずだ。
「よし、準備完了。時給を上げるための第一歩よ」
ツムギは臭い草の団子を握りしめたまま、堂々とした足取りで家の表へと回った。
ゴンザレスはまだ喋っている。
『……そうして、伝説の剣士はたった一人でオークの群れに立ち向かい――』
「おいジジイ、話の途中で悪いんだけど」
ツムギは、強制拘束されているプレイヤーたちの横から、ひょいとゴンザレスの目の前に割り込んだ。
『な、なんじゃお主は!? ワシは今、若き旅人たちに重要な話をしておるところで――』
「最近雨が続いて、また腰痛が酷くなってるんじゃないの? ほら、これあげるから」
ツムギはゴンザレスの鼻先に、強烈な匂いを放つ草の団子を突きつけた。
『ぬおおお!? く、臭い! なんじゃこの草は!?』
「村長の家の裏に生えてたヒエヒエ草よ。これを腰に塗れば、その忌々しい神経痛も一発で吹き飛ぶわ。あ、ただであげるとは言ってないわよ。これをあげるから、その代わり『裏井戸の鍵』を貸してちょうだい」
ツムギが特定のキーワードを口にした瞬間。
ゴンザレスの顔から、一瞬だけNPCとしての感情が消え、無機質な機械のような表情になった。
最新VRMMOの高度なAIが、ツムギの行動と発言を猛烈な勢いで演算し、システム内部のフラグと照合しているのだ。
(さあ、どう判定する? この世界が本当に『あの異世界』を完璧にシミュレートしてるなら、ゴンザレスの腰痛という隠しパラメータも、この草の鎮痛効果も、そして裏井戸の鍵というアイテムの存在も、全て繋がるはずよ!)
ツムギは強気な笑みを浮かべたまま、ゴンザレスのAIの処理を待った。
一秒、二秒。
そして三秒後。
ゴンザレスの目に再び光が宿り、彼は大げさに目を丸くして身を乗り出した。
『おおおおっ! こ、これは伝説の……いや、ワシの腰痛に効くという特効薬ではないか! なぜお主がワシの腰痛を知っておるのかは分からんが、背に腹は代えられん! ありがたく使わせてもらうぞ!』
ゴンザレスはひったくるようにツムギの手から草の団子を奪い取ると、ズボンの後ろに手を突っ込み、ゴソゴソと何かを取り出した。
『約束じゃ! これが村の裏井戸の鍵じゃ。あの井戸は最近魔物の気配がして危険じゃが、お主のような機転の利く若者なら調査を任せてもよかろう! 気をつけて行ってくるんじゃぞ!』
チャリン、という小気味良い金属音と共に、ツムギの手のひらに赤茶けた古い鍵が落とされた。
『システムメッセージ:重要アイテム【裏井戸の鍵】を入手しました』
『システムメッセージ:チュートリアルクエスト【村長の長話】をスキップし、隠しクエスト【裏井戸の調査】が開始されました』
ファンファーレのような電子音が鳴り響く。
ツムギはニヤリと口角を上げた。
「まいどあり。それじゃ、私は稼ぎに行かせてもらうわ」
あっさりと背を向け、歩き出すツムギ。
あとに残されたのは、腰に草をすり込んで「おお、効くわい!」と喜ぶ村長ゴンザレスと、その光景をポカンと口を開けて見つめる五人の初心者プレイヤーたちだけだった。
「……え? な、なに今の?」
「なんか今、草渡して強制スキップしなかったか!?」
「チュートリアルすっ飛ばして、いきなり隠しクエスト発生したぞ!?」
「裏技か!? チーターか!?」
騒然とする初心者たち。ゴンザレスは彼らに向き直り、再びコホンと咳払いをした。
『――さて、話の続きじゃが! そのオークの群れは……』
「「「また最初からかよぉぉぉぉっ!?」」」
プレイヤーたちの悲痛な叫び声が背後から聞こえてきたが、ツムギは知ったことではないと鼻歌交じりに歩を進めた。
十分の無駄話を数秒でスキップし、本来なら数時間プレイしなければ手に入らない鍵を一瞬で手に入れた。これぞ、異世界の実体験に基づいた『知識チート』ならぬ『労働環境ハック』である。
「やっぱり、現実はゲームより奇なり、ね。システムの裏を突くなんて大層なもんじゃないわ。ただ、あのクソジジイの弱みにつけ込んだだけよ」
ツムギは手のひらの鍵を軽く放り投げ、キャッチする。
向かう先は、村の北端。人気のない薄暗い路地裏だ。
石畳が途切れ、土がむき出しになったその突き当たりに、目的のものはあった。
石を積んで作られた、古く枯れた井戸。その上には分厚い木の蓋が被せられ、頑丈な鉄の南京錠がかけられている。
「……ここね。間違いないわ」
ツムギは井戸の前に立ち、周囲を見回した。
他のプレイヤーは誰もいない。皆、草原のスライムに夢中だ。こんな薄気味悪い路地裏に、最初から目を向ける物好きはいない。
手に入れた『裏井戸の鍵』を、南京錠の鍵穴に差し込む。
ガチャリ、と重たい音がして、あっけなく錠前が外れた。
木の蓋を両手で押し退けると、ヒンヤリとした冷気と、カビや腐敗臭の混ざった嫌な空気が下から這い上がってきた。
覗き込んでも底は見えない。完全な暗闇だ。
「……相変わらず、嫌な匂い。ゴブリンの体臭と、泥水が発酵した匂いね。思い出すだけで吐き気がするわ」
ツムギは顔をしかめたが、その目には強い光が宿っていた。
この下は、推奨レベル30と言われる序盤の難関『隠しダンジョン』だ。
対して、現在のツムギのステータスはレベル1。装備はHP(体力)が少し上がるだけの布の服と、攻撃力など無きに等しい木の棒一本。
普通に考えれば、飛び込んだ瞬間にモンスターにワンパンされてデスペナルティ(死亡時のペナルティ)を受けるのがオチだ。
「システムのアシストなんていらない。ステータスの数値なんて飾りよ」
ツムギは木の棒を帯に差し込み、井戸の縁に足をかけた。
異世界で生き抜くために必要だったのは、高い攻撃力でも魔法でもなかった。
敵の気配を察知する嗅覚。足音を消す歩法。死角を突く位置取り。
それらを、ツムギの体――いや、魂は完全に覚えている。
「待ってなさい、隠しボス。あんたが抱え込んでるレアアイテム、私の推しのライブチケット代として、一円残らず換金してあげるから!」
ツムギは暗闇の底へ向かって、一切の躊躇なく身を躍らせた。
時給数万円の荒稼ぎが、暗く冷たい地下深くで始まろうとしていた。




