↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/60

第1話:かつての職場はVRMMO

現代日本。時刻は夜の八時を回ったところ。

六畳一間のごくありふれた中学生の自室で、結城紬(ゆうき・つむぎ)は学習机の上に全財産を並べていた。


「千、二千、三千……百、二百、三百……十、二十、三十……むむむ」


ジャラジャラと小銭を数えるその手つきは、どこか熟練の商人か、あるいは裏社会の金貸しのような手慣れたものだった。しかし、並べられた金額はあまりにも悲しい。

何度数え直しても、総額はたったの三千三百三十円。

それが、結城紬――十四歳、中学二年生の、今月の全財産である。


「……少なすぎる。少なすぎるわ。どう考えても足りないじゃないの」


紬は頭を抱えて机に突っ伏した。

一般的な中学生のお小遣い相場からすれば、月三千円というのはそこまで極端に少ない額ではないかもしれない。しかし、現在の紬にはどうしても、喉から手が出るほど『現金』が必要だった。


壁に貼られた色鮮やかなポスターを見上げる。

そこに写っているのは、今をときめく大人気男性アイドルグループ『ギャラクシー・ボーイズ』のメンバーたちだ。キラキラとした笑顔、完璧なダンス、そして魂を震わせる歌声。彼らこそが、紬の荒みきった心を癒やす唯一のオアシスであり、生きる希望だった。

そして来月、彼らの全国ライブツアーが開幕する。


「チケット代が一公演一万二千円。東京、大阪、名古屋、福岡、北海道……全公演制覇(全通)するためには、チケット代だけで十万越え。さらに新幹線代、飛行機代、ホテル代。現地で買う推しのアクリルスタンド、ランダム缶バッジ(推しが出るまで無限に回す)、コンサートライト……」


紬は虚空を見つめながら、暗算で弾き出した絶望的な数字を口にする。


「ざっと見積もって、最低でも五十万円は必要ね……」


月三千円のお小遣いで五十万円を貯めるには、単純計算で約百六十六ヶ月。つまり約十四年かかる。ライブが終わるどころか、紬が三十路手前になってしまう。アイドルたちもすっかりおじさんになっているだろう。

親に前借りを頼み込んだが、「中学生の分際で全国ツアーの追っかけなんて百年早いわ!」と一蹴された。当然の親心である。


「あああああ! なんで私、こんなに貧乏なのよ! あのクソジジイ、せめて退職金くらい払ってから元の世界に返しなさいよ!」


ドンッ! と机を叩き、紬は四年前の忌まわしい記憶を呼び起こす。

結城紬には、誰にも言えない秘密がある。

彼女は十歳の時、帰り道で突然足元に現れた光る魔法陣に飲み込まれ、剣と魔法の『異世界』へと召喚されてしまったのだ。


『おお、勇者よ! よくぞ参られた! 魔王を倒してこの世界を救ってくれ!』


テンプレのような王様のセリフとともに始まったのは、夢と希望に満ちたファンタジーライフ――などでは断じてなかった。

待っていたのは、圧倒的な『ブラック労働』である。

王様はドケチで初期装備に「なまくらな鉄の剣」と「布の服」しかくれず、チュートリアル担当の宮廷魔術師(無精髭のクソジジイ)には「死ねば覚える」というスパルタ教育でゴブリンの群れに蹴り落とされた。

ろくな食事も与えられず、野宿は当たり前。スライムに服を溶かされて半泣きで逃げ回り、毒の沼地を這いずり回り、骨が折れても回復魔法をかけられて即座に前線へ戻される日々。

労働基準法など存在しない異世界で、紬は血と汗と泥水をすすりながら、文字通り死に物狂いで四年間を生き抜いた。そして十四歳になった彼女は、ついに魔王の首を打ち取り、世界に平和をもたらしたのだ。


だが、その報酬は……。


『よくぞ魔王を倒した! では約束通り、元の世界へ帰してやろう!』


それだけだった。

金一封も、財宝も、魔王城からくすねようとした金の燭台も、元の世界に転送される際に全て没収された。

「勇者には清貧が似合うからな」と笑ったあの宮廷魔術師の顔は、今思い出しても腹立たしい。

気がつけば、紬は自分が召喚された日の、召喚された場所(日本の路地裏)に立っていた。失われた四年間は現実世界では全く経過しておらず、彼女は「少し大人びた十歳の小学生」として日常に戻されたのだ。

そこからなんとか現代社会に適応し、中学生になった現在。

精神年齢は歴戦の戦士(兼・過労死寸前の社畜)でありながら、肉体と社会的地位はただの中学生。


「世界を救ったってのに、なんで私は三百円の牛丼を食べるのにも躊躇しなきゃならないのよ……!」


ギリッと歯を食いしばり、紬は机の引き出しから、ひとつのパッケージを取り出した。

それこそが、彼女がなけなしの貯金を全てはたいて購入した、起死回生のアイテムだった。


『アルカディア・オンライン』


それは、今月サービスが開始されたばかりの、世界初の完全没入型VRMMO(仮想現実大規模多人数同時参加型オンラインRPG)である。

ただのゲームではない。このゲームの最大の特徴であり、社会現象まで巻き起こしている理由。それは――。


『ゲーム内通貨を、公式に現実の現金(暗号資産経由)に換金できる』


という、夢のようなシステム(通称RMT)が実装されていることだ。

ゲーム内でモンスターを倒してゴールドを稼げば、それがそのまま日本円になる。レアアイテムをオークションで売れば、一夜にして数十万、数百万円の利益を得ることも可能だという。

すでにネットの掲示板や動画サイトでは、「アルカディア・オンラインで月収百万円達成!」「伝説の剣を売ってタワマン買ったったwww」といった、一攫千金を成し遂げたプレイヤーたちの自慢話が飛び交っていた。


「……やるしかないわね」


紬の目に、ギラギラとした欲望の炎が宿る。

中学生がバイトをすることは校則で禁じられている。だが、ゲームで遊んでお小遣いを稼ぐだけなら、誰にも文句は言われないはずだ(グレーゾーンかもしれないが、背に腹は代えられない)。


「異世界で培った私のサバイバル能力……どんな理不尽な状況でも生き残ってきたこの精神力。それをフル活用して、このゲームでスライムを千匹、いや一万匹狩り続けてやる! 推しのライブのために、私はゲームの世界で修羅になるのよ!」


決意を固めた紬は、ベッドの上に仰向けに寝転がり、最新式のVRヘッドセットを深く被った。

視界が暗転する。

初期設定の画面が浮かび上がる。アバターのメイキング画面だ。

目の大きさ、髪の色、身長、体型。プレイヤーの好みに合わせて無限のカスタマイズができるらしいが、紬はそんなものに一切興味はなかった。


「アバターの見た目なんてどうでもいいわ! 1秒でも早くログインして稼がないと、時給が下がる!」


彼女は一切のパラメーターを弄らず、現実の自分と全く同じ姿、同じ背丈の設定を適当に確定ボタンで飛ばした。

プレイヤーネームの入力欄が表示される。


『キャラクターネームを入力してください』


「ツムギ……っと。よし、これでOK」


深く考えることもなく本名をカタカナにしただけの名前を入力し、紬は力強く『ダイブ(接続)』のボタンを押した。


直後、意識が電子の海へと吸い込まれていく。

ジェットコースターから真っ逆さまに落ちるような浮遊感。

そして――視界が弾けるような閃光に包まれた。


『ようこそ、アルカディア・オンラインの世界へ!』


システムのアナウンスとともに、ツムギの足がしっかりとした地面を踏みしめた。

目を開ける。

そこは、中世ヨーロッパの田舎町を思わせる、石畳の広場だった。

周囲にはツムギと同じように、布の服と木の棒(初期装備)を持った大勢のプレイヤーたちが「おおお!」「すげえ、マジでリアルだ!」「風の匂いがするぞ!」と興奮した声を上げている。

空は青く澄み渡り、遠くには雄大な山脈が連なっている。広場の中央には、少し欠けたガーゴイルの彫像が水を吹き出す大きな噴水があった。


ツムギもまた、その景色を見渡した。

最新のVR技術は凄まじい。頬を撫でる風の冷たさ、石畳の凹凸、すれ違うNPC(ノンプレイヤーキャラクター)たちの話し声、さらには近くのパン屋から漂ってくる焦げた小麦の匂いと、どこからか流れてくる馬の糞の匂いまで、完璧に再現されていた。


「へえ、すごいわね。本当に現実みたい……」


ツムギは感心しながら、広場を歩き出そうとした。

――その時である。


ピタッ、と。

ツムギの足が止まった。


「……ん?」


ツムギは鼻をヒクつかせた。

パンの焦げた匂いと、馬の糞の匂いの混ざり合った、この独特の空気。

視線を右に向ける。噴水のガーゴイルの彫像。その左耳の先が、微妙に欠けている。

視線を左に向ける。パン屋の隣にある、看板の傾いた古びた武器屋。その屋根の形。

視線を上に向ける。北の方角にそびえ立つ、頂上が二つに割れた特徴的な形の山。


ツムギの脳内に、激しいフラッシュバックが走った。


『ほれ、勇者! ボーッとするな! 早くそのゴブリンの群れに突っ込んでこい!』

『ひぃぃぃ! 無理です無理です! 私まだ小学生ですよぉぉ!』

『馬鹿者! 魔物は年齢など考慮してくれんわ! ポーションならくれてやる!(※ただし後で給料から天引きする)』


四年間、毎日毎日見続けた景色。

泣きながら走った石畳。ゴブリンから逃げるために飛び込んだ噴水。武器の修理代をぼったくられた武器屋。


「…………え?」


ツムギは震える手で、近くにあった民家の壁に触れた。

ざらついたレンガの感触。

次に、地面に落ちていた手頃な石ころを拾い上げ、ポンと上に放り投げ、受け止める。

その重力加速度、手に伝わる質量。


「うそ……でしょ……?」


ツムギはポカンと口を開けたまま、周囲の景色をもう一度、今度は舐めるように見回した。

間違いない。

似ている、というレベルではない。

建物の配置、NPCの顔つき、風の匂い、重力の感覚、物理法則。

そのすべてが――ツムギが十歳の時に召喚され、四年間血みどろになって這いずり回った『あの異世界(ブラック職場)』と、1ミリの狂いもなく【完全一致】していたのである。


「な、なんで!? なんであのクソみたいな異世界が、日本のVRゲームになってるのよ!?」


ツムギは頭を抱えて叫びそうになるのを必死に堪えた。

トラウマが蘇る。あの泥水すすった四年間。魔王の恐怖。クソジジイ(宮廷魔術師)のパワハラ。

このままログアウトして、ヘッドセットを窓から投げ捨ててやろうか。一瞬、本気でそう思った。


しかし。

ツムギの足は、ログアウト画面を開こうとはしなかった。

彼女の脳内で、とある計算式が猛烈な勢いで弾き出されていたのだ。


(待って……? もし、このゲームが『あの異世界』と完全に同じ構造をしているとしたら……?)


ツムギは視線を下げ、村の北側――薄暗い路地裏の奥へと向ける。

他のプレイヤーたちは「まずはスライム狩りだ!」「草原に行こうぜ!」と、ぞろぞろと村の正面ゲートから外へ出ていく。

しかしツムギは知っていた。

あの路地裏の奥にある、枯れた『裏井戸』の底。

そこには、異世界時代にツムギがゴブリンから逃げて偶然転落し、死にかけた『隠しダンジョン』が存在することを。

そして、その隠しダンジョンの最奥には、この村の周辺のモンスターが束になっても敵わない強敵と、それを倒せば序盤では絶対に手に入らない『超高額なレアアイテム』が眠っていることを。


(……地形も、隠しアイテムの場所も、全部同じ……。モンスターの強さも、攻撃の癖も、弱点も……全部、全部私の頭の中に入ってる……!)


それはつまり。

他のプレイヤーが手探りで攻略法を探す中、自分だけが『完全攻略本(実体験)』を脳内にインストールした状態でプレイできるということを意味していた。


ツムギの顔から、トラウマの恐怖がスーッと消え失せた。

代わりに浮かび上がったのは、悪魔のように邪悪で、最高に強欲な笑みだった。

彼女の瞳の中に、ハッキリと『¥』のマークが浮かび上がる。


「……ふふっ。あははははっ!」


ツムギは口元を手で覆い、肩を震わせた。


「ここは私の庭よ。誰よりも泥水をすすって、誰よりもこの世界の隅々まで歩き回った、私の裏庭……!」


チュートリアルなんて受けている暇はない。

スライムをペチペチ叩いて小銭を稼ぐなんて馬鹿らしい。

この世界の真の価値(隠し財産)は、そんな表層にはないのだ。


「推しのライブ全通……いや、グッズ全部買い占めも夢じゃないわ! 見てなさい、この世界の隠しアイテムからボスのドロップ品まで、一円残らず私が根こそぎ搾取してやるんだからぁぁぁ!!」


かつて世界を救った元勇者の女子中学生は、一切の迷いなく踵を返し、正規ルートの草原とは真逆の方向――薄暗い路地裏の『裏井戸』へと、猛ダッシュで駆け出していった。

手にした初期装備の木の棒を、まるで借金取りが握るバールのようにおっそろしく振り回しながら。


史上最悪の守銭奴プレイヤーによる、VRMMOの常識を根底から破壊する荒稼ぎ伝説が、今ここに幕を開けたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。