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第17話:決闘の条件は「札束」〜三十万円のネギを背負ったお嬢様〜

視界を真っ白に染め上げる転送の光が収まると、結城紬(アバター名:ツムギ)と東山凛(アバター名:リン)の二人は、巨大な石造りの闘技場(コロシアム)のど真ん中に立っていた。

VRMMO『アルカディア・オンライン』に公式実装されている対人戦用エリア、『闘技場インスタンス』である。

プレイヤー同士の合意によって生成されるこの閉鎖空間は、現実世界のドーム球場を優に超える広さを持ち、周囲にはすり鉢状に観客席が設けられている。

通常、プレイヤー同士のプライベートな決闘であれば観客席は無人となるはずだ。しかし、今回の決闘は状況が違った。


『おい見ろ! 本当に行われたぞ!』

『薔薇の騎士団のマスター・リン様と、オークションでエピック武器を売った謎の初心者【ツムギ】の決闘だ!』

『しかも賭けの条件がイカれてる! リン様の装備一式と100万ゴールドだって!?』

『対する初心者の負け条件は、アカウントのデリートらしいぞ!』


闘技場の観客席は、転送からわずか数十秒の間に、数千人ものプレイヤーたちで埋め尽くされていた。

ロンデルの中央広場でトップランカーのリンが喧嘩を売り、初心者のツムギが法外な条件(ベット)を突きつけてそれを受諾したという前代未聞の事態は、野次馬根性たくましいゲーマーたちの間で瞬く間に拡散されたのだ。

観客席のあちこちで、プレイヤーたちが独自の賭け(ブックメーカー)を開帳し、システム外のゴールドが行き交う異様な熱気に包まれている。

当然、賭けの倍率は「リンの勝利」が1・01倍、「ツムギの勝利」が1000倍といった、完全に一方的なオッズとなっていた。


「……はぁ。なんで俺、こんな特等席に飛ばされてるんだよ……」


観客席の最前列。PKギルドからのドロップ品を売り払った直後で、疲労と胃痛のピークに達している相沢航太(アバター名:コウタ)は、手すりに寄りかかりながら深々とため息をついた。

彼の目から見れば、すり鉢の底で対峙している二人のアバターの対比は、あまりにも残酷だった。

一方は、まばゆい光を放つ純白と真紅の最高級魔術師ローブに身を包み、宝石のついた杖を構える、レベル30間近の美しきトップランカー・リン。

もう一方は、泥汚れは落としたものの、防御力など無きに等しいペラペラの『初期装備の布の服』を着て、右手に粗末な『木の棒』をぶら下げた、レベル1(に見える)のツムギである。


「どう見ても、リン様が魔法を一発撃って終わる試合だろ……」

「あの布の服のガキ、エピック武器売って大金手に入れたからって調子に乗ったんだな。ここでアカウント消されて引退だろ」


周囲の観客たちがヒソヒソとツムギを嘲笑う声が、コウタの耳にも届いてくる。

普通なら、コウタも彼らと同じように思っただろう。

だが、コウタは知っている。

あの布の服を着た小柄な女子中学生が、絶叫の崖を飛び降りて物理法則をハックし、PKギルドの精鋭五人を『木の棒と小石と泥』だけで完封し、嬉々として現金をむしり取っていく、正真正銘の「災害」であることを。


(あいつら……分かってない。結城が負けるわけないんだ。あの守銭奴が、一円の利益にもならないのに、負けるリスクがある勝負なんか受けるはずがない。あいつは……目の前のリンってトップランカーを、完全に『歩くATM』だと認識してる……!)


コウタの胃が、またしてもキリキリと痛み始めた。


◇ ◇ ◇


闘技場の中央。

ツムギとリンの間には、半透明の巨大なシステムウィンドウが浮かび上がっていた。

そこには、今回の公式決闘(デュエル)における『勝利条件』と『敗北時のペナルティ(賭け金)』が明記されている。


『プレイヤー【リン】の提示条件』

・賭け金:1,000,000ゴールド

・アイテム:現在装備中の武具一式(火竜のローブ、ミスリル銀の魔導杖、賢者のティアラ、飛翔のブーツ)


『プレイヤー【ツムギ】の提示条件』

・全財産の没収

・敗北後、アカウントの強制デリート(削除)


システムは、双方が設定した条件が実行可能であることを確認すると、賭けられたゴールドとアイテムを『エスクロー(一時預かり)』の状態にしてロックした。

これで、どちらかが逃げ出したり、負けた後に支払いを拒否したりすることはシステム上不可能になる。勝者のインベントリへ、自動的に全てが転送されるのだ。


「……ふふっ。本当に、システムが保証してくれるのね」


ツムギは、エスクロー状態になってウィンドウ内で輝く『1,000,000ゴールド』の文字列と、リンの装備品のアイコンを、まるで穴が開くほど見つめていた。

彼女の大きな瞳は、完全に、そして見事なまでの『¥』マークに変化している。ヨダレこそ垂らしていないが、その顔は高級焼肉を目の前にした飢えた獣そのものだった。


「100万ゴールド……つまり現実のお金で十万円! それに、あのお嬢様が着てる装備一式をひん剥いてオークションに流せば、控えめに言って300万ゴールド(三十万円)は固い……! しめて四十万円の臨時ボーナス! 一試合数分で終わらせれば、私の時給はついに天文学的数字に到達するわぁっ!」


ツムギの脳内では、すでに勝利のファンファーレが鳴り響いていた。

大好きな『ギャラクシー・ボーイズ』の全国ツアー全通。そのためのSS席チケット代、交通費、宿泊費、さらには全メンバーのアクリルスタンド、タペストリー、ペンライト等のグッズ完全制覇。

それら全てを賄い、なおかつお釣りがくるほどの莫大な現金が、今、目の前に「ネギを背負って」立っているのだ。


「あーっはっはっはっはっ! なんて素晴らしい世界(ゲーム)なの! 四年間タダ働きさせられた異世界のクソジジイに、初めて感謝の念が湧いてきたわ!」


ツムギが両手を天に掲げて場違いな高笑いを上げると、対峙しているリンが心底不快そうに眉をひそめた。


「……貴女、頭がおかしいの? 自分がどれだけ絶望的な状況に置かれているか、理解できていないようね。貴女のアカウントは今日ここで消滅するのよ」

「え? ああ、ごめんなさい。あまりにも美味しい『金ヅル』が自分から鍋に飛び込んできてくれたから、つい笑いがこらえきれなくて」

「き、金ヅルですって……!?」


リンの美しい顔が、屈辱で真っ赤に染まった。

トップギルドのマスターとして、数千人のプレイヤーから敬意を集める彼女が、こんな初期装備の初心者に面と向かって「金ヅル」呼ばわりされたのだ。そのプライドがズタズタに引き裂かれる音が、闘技場に響き渡った気がした。


「私を怒らせたこと、後悔させてあげるわ……! 貴女のような、システムの裏を突いて泥を投げたりする野蛮なプレイヤーに、本当の『魔法の恐ろしさ』と『美しさ』を骨の髄まで刻み込んであげる!」


リンは真紅のローブを翻し、ミスリル銀の魔導杖をツムギに向かってビシッと突きつけた。

彼女の周囲の空気がビリビリと震え、膨大なマナ(魔力)が杖の先端に収束し始める。


「決闘のカウントダウンが始まる前から、すでに魔力を練り上げているのね。さすがはトップランカー、詠唱の準備が早いわ」


ツムギは木の棒を肩に担いだまま、冷ややかな視線でリンの動作を分析していた。


(あの杖の先端の宝石……火属性の魔導石ね。ローブも火属性の威力を底上げするエンチャントがかかってる。ってことは、開幕から特大の火炎魔法をブッパして、私を黒焦げにしてマウントを取る気満々ってわけだ)


ツムギの脳裏に、かつての異世界で出会った、数多の「宮廷魔術師」や「エリート魔法使い」たちの姿がフラッシュバックする。

安全な後方から、長い詠唱とともに派手な魔法を撃つことしか能のない連中。

自分の魔法の威力を過信し、魔法陣が展開された時点で「勝った」と思い込む傲慢な思考回路。


(どいつもこいつ、魔法使いってのは『自分が攻撃されること』を全く想定してないのよね。詠唱中は足が止まる。防御がおろそかになる。……そんなの、実戦(コロシアイ)じゃ『私を殴ってください』って看板ぶら下げてるのと同じよ)


ツムギは小さく鼻で笑うと、足を肩幅に開き、だらんと下げていた右手の『木の棒』を、スッと胸の高さに構え直した。

その瞬間。

ツムギから発せられていた「強欲な成金少女」の空気が、一変した。

闘技場を吹き抜ける風が止まったかのように錯覚するほどの、研ぎ澄まされた静寂。

瞳の奥の『¥』マークがスッと消え、代わりに、幾千の死線を潜り抜けてきた歴戦の戦士だけが持つ、絶対零度の「殺意」と「集中力」が宿った。


「……ッ!?」


対峙しているリンの背筋に、ゾクリと冷たい悪寒が走った。

たかが布の服。たかが木の棒。

システム上のステータスは、どう見てもただの最弱だ。

しかし、リンの「生物としての本能」が、目の前の小柄な少女を『絶対に近づけてはいけない捕食者』として認識し、警鐘を鳴らしていた。


(な、なんなの……このプレッシャーは……!? ただの初心者じゃないの……!? いや、惑わされては駄目! 私と彼女のステータス差は歴然。開幕の魔法で一気にケリをつけるわ!)


リンは奥歯を強く噛み締め、杖の先端にさらなる魔力を注ぎ込んだ。


『システムメッセージ:決闘の承認が完了しました』

『闘技場の結界を展開。外部からの干渉を遮断します』


闘技場の上空に、巨大なホログラムのデジタル時計が出現した。


『10』


カウントダウンが始まる。

観客席の数千人のプレイヤーたちが、固唾を呑んで中央の二人を見守る。

静寂の中、リンの杖から漏れ出す火花がパチパチと音を立てる。


『9……8……7……』


「いいこと、成金女。私の魔法は、貴女が今まで見たこともない速度と威力で放たれるわ。逃げ惑う間もなく、一瞬で灰にしてあげる」

「ふーん。それは楽しみね。でも一つだけ忠告してあげるわ、お嬢様」


ツムギは木の棒の先端を、リンの顔面にピタリと向けた。


「杖を振る前は、右肩に力が入るクセがあるわよ。あと、魔法陣の起点が左に三ミリずれてる。そんなガバガバな魔力制御じゃ、狙ったところに魔法なんて飛ばないわよ」


「……なっ!?」


リンが驚愕に目を見開く。

杖を振る際のクセ。そして、システムが自動生成するはずの魔法陣の、肉眼では捉えられないほどの極小の歪み。

それらを、ツムギはただ「見ただけ」で完璧に見抜いてみせたのだ。

異世界で四年間にわたり、敵の魔術師の挙動をミリ単位で観察し、死の淵を歩き続けてきたツムギの『実体験に基づく眼力』の前では、リンの動作はスローモーションも同然だった。


『3……2……1……』


「ハッタリよ……! そんなの、ただのハッタリに決まってるわ! 私の『業火の嵐(フレイム・ストーム)』で、その生意気な口ごと焼き尽くしてあげる!!」


リンが叫ぶ。

そして、無慈悲なシステムのアナウンスが、闘技場に鳴り響いた。


『0』

『DUEL START!!』


「燃え盛れ!!」


開始の合図と同時。コンマゼロ一秒の遅れもなく、リンは杖を大きく振り下ろした。

杖の先端から、灼熱の火炎弾が数十発、まるでマシンガンのように連射されてツムギへと襲いかかる。闘技場の気温が一気に跳ね上がり、炎の軌跡が空気を歪ませた。


観客席から「おおおっ!」という感嘆の声が上がる。

これこそが、トップギルドのマスターが誇る圧倒的な火力。布の服など、一発掠っただけで即死する弾幕だ。


だが。

炎の弾幕が着弾し、激しい爆発と黒煙が闘技場を覆い尽くす直前。


「……だから言ったでしょ。右肩の沈み込みから、最初の火球の軌道は『右斜め下』。左にずれた魔法陣のせいで、弾幕の広がり方には『左下』に決定的な死角が生まれるのよ」


黒煙の中から、一切の焦りもない、冷酷なまでの分析の声が響いた。

風が吹き抜け、煙が晴れる。

そこにいたのは、黒焦げになった死体などではない。


数十発の火炎弾の雨を、まるで『あらかじめ弾の軌道を知っていた』かのような、無駄の一切ない最小限のステップ(歩法)だけで全てすり抜け、無傷のままリンの目の前へと歩みを進める結城紬の姿だった。


「な……嘘……!? 私の弾幕を、歩いて……躱した……!?」


リンの美しい顔が、今度こそ純粋な『恐怖』で引き攣った。

システムに依存した魔法使いが、実戦の修羅場を潜り抜けた元勇者(現・守銭奴)の理不尽な戦闘ドクトリンに飲み込まれる瞬間。

現金四十万円を賭けた、最悪で最高に泥臭い決闘が、いよいよ真の牙を剥き始めていた。

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