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第16話:目をつけられた守銭奴〜トップランカーと歩くATM〜

VRMMO『アルカディア・オンライン』のサービスが開始されてから数日が経過し、ゲーム内世界はすでに明確な「階層」が形成されつつあった。

大半のプレイヤーが初期村周辺でスライムやゴブリンと泥臭い小銭稼ぎの戦闘を繰り広げている中、いち早くシステムの仕様を理解し、効率的にレベリングを行った一握りの廃人ゲーマーたちは、すでにレベル20台後半に到達し、強大なボスモンスターが跋扈する中層エリアへと足を踏み入れていた。

彼らは強固な組織(ギルド)を形成し、最新装備に身を包み、一般プレイヤーから羨望の眼差しを向けられる「トップランカー」と呼ばれる存在となっていた。


商業都市ロンデルの中心部から少し離れた、一等地に建つ豪奢な洋館。

そこは、魔法主体の大手トップギルド『薔薇の騎士団』のギルドハウスである。

大理石の床に赤い絨毯が敷かれた豪華絢爛なギルドマスター専用ルームで、一人の少女が優雅に紅茶(ゲーム内アイテムでありながら一杯1000ゴールドもする高級品)を傾けていた。


「……なるほど。あの悪名高きPKギルド『ブラッド・ハウンド』が、たった一人のプレイヤーによって完全に壊滅させられた、と」


ティーカップをソーサーにコトリと置き、鈴を転がすような凛とした声で呟いたのは、このギルドを束ねるマスター・東山凛(アバター名:リン)である。

現実世界では筋金入りのお嬢様女子高生である彼女のアバターは、金糸のように輝く見事な縦ロールのブロンドヘアに、純白と真紅を基調とした最高級の魔術師ローブを身に纏い、その手にはまばゆい光を放つ宝石がはめ込まれた杖が握られている。その美しさと気高さは、まさに「トッププレイヤー」を体現したような存在感だった。


リンの目の前で直立不動の姿勢をとっているギルドの副官が、真剣な面持ちで頷いた。


「はい、マスター・リン。掲示板や情報屋の報告によれば、間違いない事実のようです。ブラッド・ハウンドのリーダーであるゲイルを含めた精鋭五人が、廃坑の最奥で全滅。彼らが長年溜め込んでいたギルド資金も、アイテムも、全て根こそぎ奪われたとのことです」

「ふふっ、自業自得ね。初心者を狙ってアイテムを奪うような下劣な連中、いつか天罰が下ると思っていたわ。……で、その天罰を下したという『英雄』は、一体どこのギルドの猛者かしら? レベル30超えの重戦士? それとも高名な暗殺者プレイヤー?」


リンが優雅に微笑みながら尋ねると、副官はひどく言いづらそうに視線を泳がせ、口ごもった。


「そ、それが……。目撃者の証言によれば、相手はたった一人。それも、レベル一桁の初心者が着るような、泥まみれの『布の服』を着た小柄な女プレイヤーだったそうです。アバター名は【ツムギ】」

「……布の服? 初心者が? 冗談でしょう?」

「冗談ではありません。しかも、彼女の戦い方が……その、なんと言いますか……あまりにも、常軌を逸しておりまして……」

「常軌を逸している?」


リンの形の良い眉が、ピクリと動いた。

副官は手元のシステムメモを読み上げながら、顔を青ざめさせていく。


「はい……。目撃された戦闘ログによれば、彼女は魔法やスキルを一切使わず……PKの顔面に『泥』を投げつけて視界を奪い、股間を蹴り上げ、背後から膝の裏を木の棒で殴って転倒させ、腕の関節を逆方向にへし折ったそうです。さらに、リーダーのゲイルが大魔法を詠唱している最中に、口の中に『小石』を投げ込んで魔力を暴発させ、自爆に追い込んだと……」

「…………は?」


リンは、信じられないものを見るような目で副官を見つめた。

優雅なティータイムの空気が、一瞬にして凍りつく。


「泥を投げる? 股間を蹴る? 口に石を投げる……? な、なんなのよそれは! そんなの、そんなの……ただの野蛮な喧嘩じゃないの!」


バンッ!と、リンが上品さをかなぐり捨ててテーブルを強く叩いた。

彼女は『アルカディア・オンライン』というゲームの、中世ファンタジーという世界観をこよなく愛していた。騎士は正々堂々と剣を交え、魔術師は華麗な詠唱とともに美しい魔法を放つ。それこそが、この仮想現実における「美学」であり、プレイスタイルであると固く信じていたのだ。

ゆえに、PKギルドのような悪党も許せなかったが、それ以上に、泥を投げたり関節を極めたりといった「ファンタジーの欠片もない下品で泥臭い戦い方」をするプレイヤーの存在が、彼女のプライドと美意識を激しく逆撫でした。


「おまけにその【ツムギ】とかいう女、オークションでエピック武器を法外な値段で売り捌き、大金をせしめた『成金』だという噂じゃない! そんな下品なプレイヤーがこのロンデルの街をうろついているなんて、トップギルドのマスターとして、そして『美』を愛する者として絶対に見過ごせないわ!」

「マ、マスター……!? まさか、直接接触するおつもりですか?」

「当然よ! 私が直々に、この世界の『正しい戦い方(魔法の美しさ)』というものを、その泥まみれの野蛮人に教育してあげるわ!」


リンは勢いよく立ち上がると、真紅のローブを翻し、杖を片手にギルドハウスを飛び出していった。

その瞳には、自分の美学に反する異端者を絶対に許さないという、お嬢様特有の強烈な正義感(と、少しの傲慢さ)が燃え盛っていた。


◇ ◇ ◇


一方その頃。

トップランカーのお嬢様に目をつけられ、激しい怒りを買っていることなど露知らず。

当の異端者であり、泥臭い戦闘ドクトリンの体現者である結城紬(ツムギ)は、商業都市ロンデルの中央広場に面した換金所(商業ギルド)の前に設置されたベンチに座り、ひたすらニヤニヤと笑い続けていた。


「ふふふっ……えへへへっ……43万9330円……。あはっ、あはははははっ……♪」


彼女の視界にだけ見えているシステムウィンドウ。そこには、現実世界における彼女の銀行口座の残高が、煌びやかな数字となって表示されていた。

PKギルド『ブラッド・ハウンド』の隠し財産を全額奪い取り、換金した結果である。

月のお小遣い3000円の女子中学生が、たった一日で稼ぎ出した四十万円オーバーの現金。彼女の頭の中は、大好きなアイドル『ギャラクシー・ボーイズ』の推しである「リュウくん」のグッズをどれだけ買い占められるかという、欲望にまみれた計算式で完全に埋め尽くされていた。


「これなら、リュウくんの等身大タペストリーも買える! いや、いっそ受注生産の高級アクリルブロック(三万円)もポチっちゃおうかしら! ああ、推しに課金できるってなんて素晴らしい世界なの! クソジジイ(宮廷魔術師)にタダ働きさせられてた四年間が、まるで嘘みたいに報われてるわぁ……!」


恍惚とした表情で空を仰ぐツムギの隣で。

同じくベンチに腰掛けている相沢航太(コウタ)は、まるで一週間徹夜明けのサラリーマンのような、死んだ魚の目で地面を見つめていた。


「俺は……何をしてるんだろう……」


コウタは両手で顔を覆い、深々と、あまりにも深い絶望のため息を吐き出した。

彼は純粋に、話題の最新VRMMOで「ワクワクするファンタジーの大冒険」を楽しみたかっただけなのだ。

スライムを倒し、少しずつお金を貯めて、新しい剣を買って喜ぶ。仲間と一緒に作戦を練って、苦労してダンジョンをクリアする。そんな、普通のゲーマーとしての普通の青春を謳歌したかった。

だというのに。


「ログイン初日に絶叫の崖から突き落とされて死にかけ……鍛冶屋の親父に酒を飲ませてレア武器を巻き上げる結婚詐欺の片棒を担がされ……極めつけは、悪質PKギルドの連中を『金ヅル』扱いして、金的と目潰しで嬲り殺しにする地獄の絵図を特等席で見せられる……」


コウタの胃は、昨晩からキリキリと痛みっぱなしだった。

もはやVRの痛覚設定の問題ではない。精神的なストレスによる本物の胃痛である。

隣で「次は運営のデータベースでもハッキングして隠し口座を探そうかしら」などと物騒な独り言を呟いているクラスメイトの女子は、控えめに言って「イカれた守銭奴」であり、そしてゲームの常識を根底から破壊する「災害」そのものだった。


「なぁ結城……もうこの辺でやめにしないか? 四十万も稼いだんだろ? 中学生のお小遣い稼ぎのレベル、完全に逸脱してるぞ……。これ以上目立ったら、絶対ろくなことにならないって……!」

「何言ってるの相沢くん。目標の五十万までは絶対に止まらないわよ。それに、目立つのが怖いなんて、資本主義の競争社会じゃ生き残れないわよ」


ツムギは全く意に介さず、ウィンドウをスワイプして口座残高を眺め続けている。

コウタはさらに頭を抱えた。


「いや、競争社会って……これゲームだからな!? お前、掲示板見てないのか!? ロンデルの街の連中、みんなお前の噂で持ちきりだぞ!『布の服を着た悪魔』だの『PKを嬲り殺す歩く災害』だの、完全に要注意人物(ヤバいやつ)扱いされてるんだからな!」

「悪魔でも災害でも好きに呼べばいいわ。名前なんてただの記号よ。私の口座残高が減るわけじゃないんだから」

「強靭すぎるだろ、そのメンタル……ッ!」


異世界で四年間、魔族から「人間のクズ」「勇者の皮を被った山賊」と罵られ続けながらも、ただ生き残るためだけに泥水すすって戦い抜いてきたツムギにとって、ネット掲示板の悪口など、そよ風以下の意味しか持たなかった。


「さて、休憩は終わりよ。次の狩場を探しましょ。ロンデルの東にある『瘴気の沼地』に行けば、高額で売れる毒草が――」


ツムギがベンチから立ち上がろうとした、まさにその時である。


「――見つけたわ。貴女が、下品で野蛮な戦い方でPKギルドを壊滅させたという、成金初心者の【ツムギ】ね?」


広場の喧騒を切り裂くように、ひどく冷たく、そして芝居がかったほど高圧的な声が響き渡った。

ツムギとコウタが声のする方へ顔を向けると、そこには、ロンデルを行き交うプレイヤーたちが、まるでモーゼの十戒のようにサァッと左右に道を空けた光景が広がっていた。

空いた道の中央を、コツン、コツンと杖の音を響かせながら、一人の少女が歩いてくる。


金糸の縦ロールヘア。純白と真紅の最高級ローブ。

そして、その背後には、同じく高レベルな装備に身を包んだ、統率の取れた十人以上のプレイヤーたちが近衛兵のようについてきている。

周囲の一般プレイヤーたちから、どよめきが湧き起こった。


「お、おい……嘘だろ。なんであんなトップランカーがこんな広場に?」

「『薔薇の騎士団』のギルドマスター、リン様だ……! レベルはすでに30間近、このサーバーでも五本の指に入る最強の魔法使いだぞ!」

「マジかよ、生で見ると装備のオーラがすげえ……!」


トップギルドのマスター、東山凛(リン)の登場である。

彼女はツムギの目の前で立ち止まると、その美しい顔を歪め、親の仇でも見るかのような侮蔑の視線を、ツムギの着ている『布の服』へと向けた。


「ふん。噂通りの汚らしい身なりね。エピック武器を売って大金を手に入れたというのに、装備一つ新調しないなんて。美意識の欠片もないわ」

「……えっと、どちら様?」


ツムギは全く怯むことなく、首をコテンと傾けた。

隣にいるコウタの方が、「ヒィッ! と、トップランカーだ! どう見ても怒ってるぞ! 結城、お前絶対何かやらかしたんだろ!」とパニックに陥り、ツムギの背後に隠れようとしている。


「私の名前はリン! 誇り高き『薔薇の騎士団』のマスターよ! 貴女のその、ゲームの世界観をぶち壊すような泥臭く野蛮な戦闘スタイルが、私の美学に反するから教育しに来てあげたの!」


リンが杖の先をツムギに突きつけ、高らかに宣言する。

周囲のプレイヤーたちが「おおおっ!」と沸き立ち、遠巻きに二人の様子を伺い始めた。トップランカーが、噂のチート初心者(と思われているツムギ)を直々に成敗しに来たという構図は、彼らにとって極上のエンターテインメントだった。


しかし。

そんなリンの熱のこもった演説など、結城紬の耳には一文字たりとも入っていなかった。

彼女の目は、リンの顔ではなく、彼女が身につけている『装備』に完全に釘付けになっていたのだ。


(……純白のシルクに、火竜の鱗で刺繍を施した最高級ローブ。あれは初期村じゃ絶対手に入らないし、素材のドロップ率から計算しても、市場価格で最低でも『100万ゴールド』は下らない代物ね)


ツムギの脳内スーパーコンピューター(別名:強欲のソロバン)が、猛烈な勢いで目の前の少女の『資産価値』を弾き出していく。


(その手に持ってる杖……先端にはめ込まれてるのは、特大の『魔導石』。しかも装飾はミスリル銀。オークションに流せば……安く見積もっても『150万ゴールド』! 頭のティアラが30万ゴールド、靴が20万ゴールド……!)


チャリン、チャリン、チャリーン!

ツムギの頭の中で、レジスターの小気味良い音が鳴り響く。


「……トータルで、ざっと『300万ゴールド』。現実のお金にして、約三十万円相当の装備一式……!!」


ツムギの両目が、かつてないほど巨大で、ギラギラと輝く『¥』マークに変化した。

彼女から見れば、目の前で偉そうに説教を垂れているお嬢様は、もはや「人間のプレイヤー」ですらなかった。


――現金三十万円の札束に手足が生えて、自分から歩いてやってきたのだ。


「あらあらあら〜っ! これはこれは、ご丁寧な自己紹介をありがとうございます、リン様!」


ツムギの声色が、突然、裏声のような甲高いトーンに変わった。

先ほどの鍛冶屋ガンツを騙くらかした時の「キャバ嬢モード」の再来である。

背後のコウタが「また出た! こいつのヤバいスイッチが入った!」と頭を抱える中、ツムギはもみ手でもしそうな勢いでリンに歩み寄った。


「私、ツムギって言います! リン様のような、そんな全身に現金……じゃなくて、素晴らしい高級装備を身にまとったトップランカー様にお会いできるなんて、光栄の至りですわ〜!」


リンはツムギのあまりにも卑屈(に見える)な態度に、一瞬毒気を抜かれたように目をパチクリとさせた。


「な、なによ急に。私の威光に平伏したというの? まあいいわ。貴女が自分のプレイスタイルの醜さを認めて、二度とPK相手とはいえ下品な真似(急所蹴りや目潰し)をしないと誓うなら、今回だけは見逃してあげなくも……」

「いえいえ! そんな口約束じゃ、リン様の美学は保たれないんじゃありませんこと!?」


ツムギは食い気味にリンの言葉を遮り、ズイッと顔を近づけた。

その顔は満面の笑みだが、瞳の奥は獲物を狙う肉食獣のように笑っていなかった。


「教育してくださるんでしょう? 私みたいな野蛮な初心者を。……だったら、口で言うより『実戦』で教えていただくのが一番ですわ! このアルカディア・オンラインの公式システム、『決闘(デュエル)』を使って!」


ツムギの提案に、周囲のプレイヤーたちが再び大きくどよめいた。

レベル1(に見える布の服)の初心者が、レベル30間近のトップギルドのマスターに、正面から決闘を申し込んだのだ。自殺行為以外の何物でもない。


「……ふん。いい度胸ね。身の程知らずにもほどがあるわ。私と決闘して、生き残れると思っているの?」

「もちろん、私が勝てるわけありませんわ〜! でも、ただ負けるだけじゃつまらないですよね?」


ツムギは、悪魔のように甘く、そして邪悪な囁き声をリンに投げかけた。


「どうです? リン様が勝ったら、私はこのゲームから引退でもなんでもしてあげます。……でも、もし、万が一、億が一。私が勝つような奇跡が起きたら……」


ツムギの視線が、リンの握る高価な杖と、豪奢なローブを舐め回すように動く。


「リン様が身につけているその装備一式と、ギルドの資金から……そうですね、『100万ゴールド(十万円相当)』ほど、私に慰謝料としてお支払いいただく、という条件(ベット)はいかがかしら?」


「――――ッ!!」


その場にいた全員が息を呑んだ。

コウタに至っては、「こいつ、ついにトップギルド相手に恐喝(カツアゲ)を始めやがった……!」と白目を剥いて気絶寸前である。


「なっ……! わ、私に負けたら装備と100万ゴールドを寄越せですって!? この下品な成金女が、どこまで私をコケにすれば気が済むの!」


リンの顔が、屈辱と怒りで真っ赤に染まった。

彼女のプライドが、この挑発に乗らないという選択肢を完全に焼き切っていた。


「いいわ! そのふざけた条件、受けて立ってあげる! ただし、私が勝ったら貴女の全財産を没収した上で、二度とこのゲームにログインできないように、初期村で一生スライムでも狩らせる屈辱を味わわせてやるわ!」


『システムメッセージ:プレイヤー【リン】が、プレイヤー【ツムギ】からの【特殊条件付き決闘(デュエル)】を承諾しました。闘技場インスタンスへ転送します』


リンが怒りのままにシステムウィンドウをタップした瞬間、二人の足元に転送用の魔法陣が光り輝いた。

光の渦に飲み込まれる直前。

リンの激怒した顔の向こう側で、ツムギはコウタに向かって、最高に邪悪で、最高に強欲なウインクを飛ばしてみせた。


「見ててね相沢くん! 私の推しのライブ全通資金、これで完全フィニッシュよ! 時給三十万円のボーナスステージ、行ってきまーす!」

「行くなああああああっ! 俺の胃袋をこれ以上破壊するなぁぁぁぁっ!!」


コウタの悲痛な叫び声がロンデルの中央広場に木霊する中。

常識外れの泥臭い実戦ドクトリン(実体験)を持つ元勇者と、システムとステータスに守られた誇り高きお嬢様トップランカーの、絶対に噛み合わない理不尽な決闘の幕が、今まさに切って落とされようとしていた。

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