第14話:魔術師殺しの息継ぎ〜詠唱の隙は命取り〜
ジメジメとした冷気と、土埃の匂いが充満する『寂れた廃坑』の最奥部。
相沢航太(アバター名:コウタ)がガクガクと震える手で掲げた松明の明かりが、不規則に揺れ動き、岩壁に不気味な影を落としていた。
だが、ほんの数分前まで出口を塞ぐように立ち塞がっていた五つの影は、今やたった一つにまで減っていた。
大斧の重戦士、双剣の盗賊、弓使いの狩人、そしてもう一人の前衛。
初心者狩りを生業とする悪質PKギルド『ブラッド・ハウンド』の精鋭たちは、結城紬(アバター名:ツムギ)という、初期装備の布の服を着た小柄な女子中学生たった一人によって、文字通り「歩くATM」へと変えられ、ポリゴンの欠片となって跡形もなく消滅していた。
残るは、PKギルドのリーダーであり、高レベルの魔術師であるゲイル一人だけである。
「ば、馬鹿な……。俺の、俺の精鋭たちが……こんな、初期装備のガキ一人に……っ!」
ゲイルは、禍々しい紫色のオーラを放つ杖を持つ手をガタガタと震わせ、後ずさった。
彼の目には、ドロップしたゴールドを鼻歌交じりに拾い集めるツムギの姿が、血に飢えた最悪の悪魔のように映っていた。
システムが用意したスキルや魔法を一切使わず、泥を投げ、急所を蹴り、関節を極め、同士討ちを誘発させる。それは、彼らが知っている『ゲームの戦闘』ではなかった。純粋な殺意と、生き残るため――いや、相手の金を一円残らず奪うための執念が具現化した、泥臭くえげつない『本物の殺し合い』だった。
「……あら? もう終わり?」
ツムギが地面に落ちていた最後の1ゴールド硬貨をインベントリに放り込み、クルリと振り返った。
その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。しかし、その大きな瞳孔は開ききり、獲物を絶対に逃がさないという冷酷な光を放っていた。
「あんたがリーダーよね? 一番いい装備を持ってるし、ギルドの資金も一番たっぷり溜め込んでるんじゃない? さあ、出しなさい。ジャンプして小銭の音が鳴らなくなるまで、徹底的に搾り取ってあげるわ」
初期装備の『木の棒』を肩にポンポンと叩きながら、ツムギが一歩、また一歩とゲイルに近づいていく。
その光景は、もはやどちらがPKでどちらが被害者なのか、完全に逆転していた。
「ふ、ふざけるな……! 俺をコケにするなあああああっ!!」
恐怖と屈辱で完全に理性を失ったゲイルが、狂ったように叫び、両手で杖を天高く掲げた。
彼の周囲の空気が激しくうねり、紫色の魔力が爆発的な勢いで杖の先端へと収束していく。地表の小石が重力に逆らってフワフワと浮き上がり、廃坑の冷たい空気が一気に熱を帯び、肌を焦がすほどの熱風へと変わった。
レベル30に達した高レベル魔術師しか扱えない、エリア一帯を焼き尽くす超高火力・広範囲殲滅魔法『ヘル・フレア』の詠唱開始である。
「俺と一緒に消し炭になれぇぇぇぇっ!! 『我が血肉を糧とし、煉獄の炎よ、すべてを灰燼に帰せ――!!』」
詠唱の進行とともに、ゲイルの足元に巨大で複雑な幾何学模様の魔法陣が展開される。
圧倒的な魔圧と熱気に、コウタは「うわっ、熱っ……! 息が……!」と顔を覆って後ろに尻餅をついた。
コウタの視界の端で、システムウィンドウが真っ赤に点滅し、『警告:極大消滅魔法の詠唱を検知。直ちに退避してください』というアラートが狂ったように鳴り響く。
「ゆ、結城ぃぃぃぃっ!! 逃げろぉぉっ!! あんなの食ったら、HPがいくらあっても一発で灰になるぞ!!」
コウタが喉が裂けんばかりの絶叫を上げる。
通常のRPGであれば、この詠唱が完了した時点でパーティーは全滅する運命にある。逃げようにも、広範囲魔法の有効範囲はこの狭い廃坑の通路全体を完全に覆い尽くしていた。隠れる場所などどこにもない。
しかし。
ツムギの顔に、焦りの色は微塵もなかった。
彼女は木の棒を構えることすらせず、燃え盛る魔法陣の中心で顔を真っ赤にして呪文を叫び続けるゲイルを、まるで動物園の檻の中で暴れる猿でも眺めるような、気だるげな態度で観察していた。
「やっぱり、ゲームの魔術師って脳みそまで単細胞ね」
ツムギは呆れたようにため息をついた。
「大魔法を撃つときって、どうしても派手なエフェクトと長い詠唱が必要になるでしょう? システムが勝手にカッコいい演出を作ってくれるし、魔法陣の光で相手の目が眩むから、詠唱中は自分が『無敵状態』だと勘違いしがちだけどさ……」
ツムギは視線を足元に落とし、廃坑の地面に転がっていた、親指大のただの『小さな石ころ』を一つ、ヒョイと拾い上げた。
それを指先で軽く転がしながら、ツムギはコウタに向かって解説を始める。
「現実の物理法則が完全に再現されてるこのゲームじゃ、魔法使いってのは『息継ぎ』ができないと一発で自爆する仕様なのよ」
「は……? 息継ぎ……?」
コウタが間の抜けた声を漏らす。
『ヘル・フレア』のような極大魔法は、発動の直前、莫大な魔力を一気に体内に循環・圧縮させるため、術者は必ず肺の空気をすべて吐き出し、呪文の最終節を叫ぶ前に、数コンマの間だけ「大きく息を吸い込む(息継ぎをする)」という生理的な動作が必要になる。
それは、この『アルカディア・オンライン』の開発者であるクロノス(元・宮廷魔術師)が、リアリティを追求しすぎた結果としてこっそり仕込んだ『隠し仕様(あるいは異世界の物理法則の完全コピー)』であり、攻略Wikiにも一切載っていない超高度な知識だった。
そして、その理不尽な仕様を、異世界での死闘の中で文字通り骨の髄まで叩き込まれていたのが――結城紬その人であった。
『おい勇者! 敵の魔術師が息を吸う瞬間を見逃すな! そこが奴らの唯一にして最大の急所じゃ!』
『そんなコンマ一秒の隙なんて、分かるわけないでしょ!』
『分かるようにならんと、貴様が真っ先に丸焼きになるぞ! ほれ、よけろ!』
かつて宮廷魔術師に怒鳴られ、火球を投げつけられながら、幾度となく敵の魔術師を撃墜してきた地獄の特訓の記憶。それが今、ツムギの指先の感覚と完全にリンクする。
「あんなの、隙だらけの案山子と同じよ。……ほら、今」
ゲイルが詠唱の最終節に入った。
極限まで圧縮された熱エネルギーが杖の先端で球体となり、今まさに解き放たれようとするその瞬間。
ゲイルの口が、酸素を求めて大きく開かれた。
魔法の最終段階。ほんのコンマ一秒の「息継ぎ」。
その決定的な隙を、ツムギの動体視力は絶対に見逃さなかった。
「てぇっ!」
ツムギが右腕をムチのようにしならせ、指先で掴んでいた小石を投擲した。
シュンッ! と空気を切り裂く鋭い音。
それはシステムのアシストスキルなど一切乗っていない、ただの女子中学生の投擲(ボール投げ)である。
しかし、そのコントロールは神業の領域に達していた。
放たれた小石は、燃え盛る熱風の気流を完璧に読み切り、ゲイルの口元――まさに息を深く吸い込もうと大きく開かれたその口腔の奥底へと、吸い込まれるように直撃した。
「ぐぇっ……!? ごぼっ……!?」
急に異物(石ころ)を気管に放り込まれたゲイルは、反射的にそれを吐き出そうとして――、盛大に咽た。
ゲイルの肺が一瞬にして痙攣を起こし、呼吸のリズムが完全に崩壊する。
それは、魔術師にとって致命的なエラーだった。
『ヘル・フレア』のために体内で異常なまでに圧縮されていた莫大な魔力。それが、術者の呼吸の乱れと集中力の欠如によって、一瞬にしてコントロールを失う。
「あ……れ……?」
ゲイルの足元で神々しく輝いていた巨大な魔法陣が、グニャリと醜く歪んだ。
紫色の光が不規則に点滅し、システムがエラー音を吐き出す。
まるで行き場を失った高圧ガスのように、魔力が杖の先端から放たれることなく、術者自身の内側へと激しく逆流していく。
「ま、待て、嘘だろ……!? なんだこれ、キャンセルが……! 詠唱のキャンセルが効かないっ!」
「だから言ったでしょ。詠唱の息継ぎの瞬間に異物を混入させたら、魔力が暴発して自爆するって。……異世界の戦闘ドクトリンの基礎中の基礎よ、アホ魔術師」
ツムギが冷たく言い放った、次の瞬間。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!
鼓膜を破壊せんばかりの凄まじい爆発音と、目を焼くような閃光が、廃坑の最奥部を完全に埋め尽くした。
味方のPKメンバーたちを巻き込んででもツムギを殺そうとした、高レベル魔術師の圧倒的な魔力。それが、発射口を失い、そのまま全方位へ向けた自爆ダメージとしてゲイルの肉体を直撃したのだ。
コウタの視界の端で、ゲーム内のシステムログが滝のような速度で流れていく。
『システムメッセージ:詠唱阻害および体内の魔力暴発を検知しました』
『システムメッセージ:魔法【ヘル・フレア】が術者自身に命中しました』
『オーバーキル! プレイヤー【ゲイル】に99999のダメージ!』
「ぎゃあああああああああああああっ!!!」
ゲイルの断末魔の絶叫は、自分自身が作り出した炎の奔流にかき消された。
彼の肉体は、他者を焼き尽くすはずだった業火によって文字通り一瞬で蒸発し、数万の青いポリゴンの欠片となって四散していった。
あとには、彼が愛用していた禍々しい装飾の杖と、大量のゴールドコイン、そして眩い光を放つ数個のレアアイテムだけが、静かに地面に落ちて転がっていた。
シャララララララァァァンッ……♪
戦いの終了を告げる、やけに明るく軽快なファンファーレの効果音とともに、廃坑に静けさが戻ってきた。
圧倒的な爆発の余熱で、あちこちの岩盤が黒く焦げ、モクモクと白い煙が立ち上っている。
「……ふぅ。これで五人全員、お掃除完了っと」
ツムギはパパッと両手のホコリを払い、初期装備の木の棒を肩に担ぎ直した。
彼女のHPバーは、爆風の余波をかすかに受けたせいでほんの数ミリだけ削れていたが、戦闘そのものは完全なノーダメージ。レベル1(に見せかけたレベル15)による、PKギルド精鋭五人の完封勝利であった。
少し離れた場所で、コウタは両手で頭を抱えたまま、地面にヘタリと座り込んでいた。
目の前で起きた出来事が、彼の常識的なゲーマーとしての脳みそでは処理しきれていなかった。
レベル20台の精鋭PKギルド。そのリーダーである高レベル魔術師が放った、一撃でパーティーが全滅するような大魔法。それを、ツムギはただの「小石の投げつけ」による生理現象の誘発によって自爆させ、一瞬で返り討ちにしてしまったのだ。
「お前……本当に、ただの中学二年生か……? 中身は軍の特殊部隊とか、歴戦の傭兵のおっさんとかじゃないのか……?」
「失礼ね。私は正真正銘、ピチピチの女子中学生よ。ただ、ちょっとだけ『社会の荒波(命懸けのブラック労働)』を人より早く、そして深く経験しただけ」
ツムギはフンと鼻を鳴らし、ゲイルが消え去った跡地へと足取り軽く歩いて行った。
そこには、先ほどの戦いでドロップした戦利品の山が、これでもかとばかりに黄金色の輝きを放っていた。
「うひょーっ! 大豊作、大豊作! さすがリーダー格だけあって、さっきの雑魚どもとはドロップの質が違うわね!」
ツムギの目が再び巨大な『¥』マークに変化する。
彼女はしゃがみ込み、地面に散らばった金貨や宝石を、貪欲なリスのように次々と自分のインベントリへと高速で回収していった。
「ゲイルの杖……これ、アンコモン魔法具だから、オークションに出せば最低でも3万ゴールドは固いわね! それに、彼らが今まで初心者からカツアゲして溜め込んでいた巻き上げ金のドロップ……合計でなんと『45万ゴールド』! 現実のお金にして4万5千円!」
ジャラジャラとコインの音が響くたびに、ツムギの頬が歓喜で緩みっぱなしになる。
先ほどのオークションでの稼ぎと合わせれば、総額にして20万円近い現金が確定したのだ。推しのライブの遠征費だけでなく、SS席のチケット代、さらにはグッズ代まで十分に射程圏内に入ってきた。
「あはっ……あははははっ! 最高! 最高すぎるわブラッド・ハウンドの皆さん! あなたたちは私の敵なんかじゃない、最高の『スポンサー』だったわ!」
全滅させられたPK集団が聞いたら、血の涙を流して憤死しそうなセリフを吐きながら、ツムギは満面の笑みで戦利品を根こそぎ回収し尽くした。
ふと、ツムギの手が止まった。
ゲイルが消滅した場所のど真ん中に、杖の破片やゴールドに紛れて、見慣れないものが落ちていることに気づいたのだ。
それは、黒く光る小さな「鍵」のようなアイテムだった。
「ん? これなに……?」
ツムギはその黒い鍵を拾い上げ、目の前にかざした。
空中にアイテムの自動鑑定ウィンドウがポップアップする。
『特殊アイテム:ブラッド・ハウンドのアトリエの鍵』
『詳細:悪名高きPKギルド『ブラッド・ハウンド』が、ロンデルの街の地下水路に隠している秘密の隠れ家の扉を開くためのマスターキー。内部には、彼らが長年奪い取ってきた違法な不法所得や、換金前の極上のレアアイテムが大量に保管されているという噂がある』
「――……ほう?」
ツムギの動きが、ピタリと止まった。
瞳の奥で燃え盛っていた『¥』マークが、さらに二回りほど巨大に膨れ上がり、もはや狂気めいた光を放ち始める。
「隠れ家……? 長年奪い取ってきた違法な不法所得……? つまり、あいつらのギルドの『へそくり(貯蓄)』が丸ごと眠ってるってことじゃない……!」
まさに、悪党の隠し財産。
それを合法的に(PKの報復という名目で)全額没収し、自分の口座に直結させてしまえばいい。
ツムギの脳内で、オークション以上の莫大な利益を生み出す新たな金策ルートが、スーパーコンピューターのような速度で構築されていく。
「ふふっ……悪党から金を巻き上げるのは、義賊のロマンってやつかしら? まあ、私の場合はロマンじゃなくて『推しのアクスタ全種コンプリートのため』なんだけど!」
ツムギは立ち上がり、インベントリに黒い鍵をこれ以上ないほど大切にしまい込んだ。
そして、ぐったりと地面に座り込んでいるコウタの方を振り返り、キラリと白い歯を光らせた。
「お疲れ様、相沢くん! 休む暇はないわよ! これから悪党の隠し財産を根こそぎ没収しに、地下水路のアジトへ突撃するわよ! 歩くアイテム倉庫としての本領発揮ね!」
「……もう勘弁してくれ……俺はただ、普通のダンジョン探索がしたかっただけなんだ……帰らせてくれ……」
コウタの乾いた悲鳴と胃痛を背に受けながら、元勇者の守銭奴少女は、次なるお宝(不法所得)の匂いを嗅ぎつけ、不敵な笑みを浮かべたまま廃坑の出口へと元気よく歩き出すのだった。
システムアシストに頼る現代ゲーマーを、圧倒的な実戦ドクトリンで蹂躙した第一章の対人戦。
結城紬の異常な稼ぎっぷりは、やがてゲーム内のトップランカーたち、そして運営側の注目をも集め、物語はさらなるカオスへと加速していくことになる。




