第13話:泥臭すぎる対人戦〜システムアシストなんてただの枷よ〜
薄暗く、じめじめとした冷気が漂う『寂れた廃坑』の奥深く。
相沢航太(アバター名:コウタ)が震える手で掲げる松明の炎が、岩壁に揺らめく影を落としていた。
坑道の出口を塞ぐように立ち塞がるのは、悪質PKギルド『ブラッド・ハウンド』の五人。彼らの頭上には、赤黒いドクロのギルドエンブレムが不気味に浮かび上がっている。
「やっちまえ! 四肢を切り刻んでから、回復魔法で生かさず殺さずにして、徹底的に嬲ってやれ!!」
リーダーである魔術師・ゲイルの激高した号令とともに、ブラッド・ハウンドの前衛二人が動いた。
身の丈ほどもある両刃の大斧を構えた重戦士と、両手に鋭い短剣を逆手持ちにした盗賊。どちらもレベル20台の、サービス開始二日目にしては相当に鍛え上げられたステータスと装備を誇るプレイヤーだ。
彼らの狙いはただ一人。初期装備の布の服を着た、小柄な女子中学生アバター――結城紬(アバター名:ツムギ)である。
「死ねぇぇぇっ! クソガキィ!」
先陣を切った大斧の戦士が、怒号とともに高く跳躍した。
彼の武器が赤く発光する。戦士系統の初期スキル『ヘビー・スマッシュ』。システムのアシスト機能により、最適化された軌道と凄まじい速度で、ツムギの脳天目掛けて大斧が振り下ろされる。
コウタが「結城ぃぃっ!」と絶望の悲鳴を上げた。
素人の目から見れば、回避不能の必殺の一撃。当たればレベル1のHPなどマイナスを振り切って即死する。
しかし。
ツムギの顔には、焦りどころか、欠伸を噛み殺すような退屈さすら浮かんでいた。
(……遅い。遅すぎるわ)
ツムギの視界の中で、大斧の戦士の動きはまるでスローモーションのように見えていた。
異世界で四年間、魔王軍の幹部や、音速で動く魔獣たちと死闘を繰り広げてきたツムギの動体視力と反射神経。それはVR空間のアバターを通しても、完全に彼女の『魂』に刻み込まれている。
(ゲームのシステムアシスト(攻撃補正)に頼り切った攻撃なんて、ただの『決められたプログラム』よ。剣を振る前の右肩の沈み込みが五センチ。踏み込んだ足の爪先の角度が内側に十五度。……その予備動作を見れば、次にどこへ、どんな速度で攻撃が来るかなんて、一ミリの狂いもなく予測できるわ!)
大斧がツムギの頭に触れる、コンマ一秒前。
ツムギは「スッ」と、まるで散歩中に水たまりを避けるような気軽さで、右斜め前方に半歩だけステップを踏んだ。
空気を切り裂く轟音とともに、大斧がツムギの残像を切り裂き、地面の岩盤に激突する。
ドゴォォォォンッ!と火花が散り、強烈な衝撃波が巻き起こった。
「なっ……!? 外した!?」
戦士が驚愕に目を見開いた。
システムアシストによるスキル攻撃は、一度発動すれば軌道を修正できない。強力な一撃ゆえに、外した際の『硬直時間』も莫大だ。
戦士が体勢を立て直そうともがく中、ツムギはすでに彼の懐――完全な死角へと入り込んでいた。
「さーて、反撃の時間だけど……。あんたのその硬そうな鎧、木の棒で叩いてもダメージ通らなさそうね」
「ヒッ……!」
「だから、システムが計算しない『リアルな弱点』を突かせてもらうわ」
ツムギはインベントリから武器を取り出さなかった。
代わりに彼女が掴んだのは、廃坑の足元に転がっている『湿った泥と砂利』の塊だった。
それを、振り向きざまの戦士の顔面――兜のバイザーの隙間から覗く両目に向かって、容赦なく全力で投げつけた。
「うぎゃああああああああっ!?」
ベチャッ!という嫌な音とともに、戦士の視界が完全に泥で塞がれた。
ゲームのシステム上、『目潰し』という状態異常スキルは存在する。しかし、ツムギがやったのはシステム判定ではない、純粋な物理的嫌がらせ(環境利用)である。目に泥が入れば、人間は反射的に目を閉じ、視界を失う。VRの圧倒的なリアリティが、ここでは完全に仇となっていた。
「目が、目がぁぁぁっ! 見えねえ!」
「お留守よ、アホ戦士」
パニックに陥り、大斧を盲滅法に振り回そうとする戦士。
その隙だらけの股間(鎧の装甲が薄い関節部分)に向かって、ツムギは容赦のない、全体重を乗せた蹴り――いわゆる『金的』を、下からカチ上げた。
「んごぁっ……!!??」
戦士の巨体が、くの字に折れ曲がって宙に浮いた。
VRMMOの痛覚設定は、現実の十パーセント程度に抑えられている。しかし、人間の脳は視覚情報と急所への衝撃が合わさることで、システムのリミッターを超えた『疑似的な激痛』と『生物的な反射(硬直)』を引き起こす。
両目を押さえ、股間を押さえながら、戦士は白目を剥いて地面に崩れ落ちた。泡を吹いて完全に気絶状態である。
「まずは一人。……って、待って! あいつHPが多すぎて今の攻撃じゃ死んでないじゃない! お金落とさないと意味がないのよ!」
気絶した戦士を見て、ツムギは不満げに頬を膨らませた。
そこに、もう一人の前衛である盗賊が、戦士の背後から躍り出た。
ツムギの意識が逸れたと判断した、見事な奇襲だった。
「油断したなクソガキ! 俺の『シャドウ・エッジ』で首を掻き切ってやる!」
盗賊の双剣が黒いオーラを纏い、ツムギの首筋へと迫る。
背後で見ていたコウタが「結城、後ろだ!」と叫んだが、ツムギは振り返ることすらなく、短く鼻を鳴らした。
「油断? あんたね、足音を消すスキルを使ってるつもりでしょうけど、重心の移動で足元の小石が擦れる音が丸聞こえなのよ。異世界の盗賊は、呼吸の音すら消すわよ」
ツムギは首を狙う双剣の軌道を、ただ『しゃがむ』という単純極まりない動作だけで躱した。
盗賊の双剣が空を切り、勢い余った彼の体がツムギの頭上を通り過ぎようとする。
「システムのアシストで飛んでくる相手なんて、自分から当たりに来る的と同じよ。ほーら、膝カックン」
ツムギはしゃがんだ体勢のまま、手にした初期装備の『木の棒』を、空中にいる盗賊の膝の裏(関節部分)に正確に叩き込んだ。
カキィン!という鈍い音。
関節の駆動方向を完全に無視した物理的な衝撃に、盗賊のアバターの姿勢制御プログラムがバグを起こした。
「あばっ……!? 体勢が……!」
空中でバランスを崩した盗賊は、そのまま顔面から廃坑の硬い岩盤へと激突した。
ゴシャァッ!という凄まじい音とともに、彼のHPバーが半分以上吹き飛ぶ。
しかし、ツムギの追撃はこれで終わらない。
彼女は倒れ込んだ盗賊の背中に容赦なく馬乗りになると、彼の右腕を掴み、関節を逆方向へと極め上げた。システムには存在しない『関節技』である。
「ぎゃあああああああああっ! 折れる! 腕が折れるぅぅっ!」
「さあ、死になさい! そして私にゴールドを貢ぐのよ!」
バキィッ!
ツムギが容赦なく腕をへし折ると同時に、木の棒で盗賊の後頭部(延髄)を全力でタコ殴りにし始めた。
ポカッ! ボコッ! メシャッ!
ステータスの低い木の棒でも、急所を的確に叩き続ければ『クリティカル判定』が連続で発生する。盗賊のHPバーがゴリゴリと削れ、ついにゼロに到達した。
『ギャアアアアアアッ……!』
断末魔の叫びとともに、盗賊の体が無数のポリゴンとなって砕け散る。
その直後、ジャラジャラジャラッ!という、この世で最も美しい金属音が廃坑に響き渡った。
盗賊がデスペナルティによって落としたゴールドの山と、彼が装備していたレアな短剣が地面に散らばったのだ。
「やったぁぁぁっ! ゴールドよ! お宝よぉぉっ!」
ツムギの目が¥マークになり、狂喜乱舞しながらドロップアイテムをインベントリに回収していく。
その姿は、血に飢えた狂戦士というよりも、バーゲンセールで特売品を奪い合う主婦のそれに近かった。
いや、むしろタチが悪い。命を奪っておきながら、罪悪感など一ミリもなく、ただ「残高が増えた」ことだけに歓喜しているのだから。
「な、なんだあいつ……! システム外の攻撃ばかり……あんな戦い方、ありえねえ!」
後列で弓を構えていた狩人が、恐怖でガクガクと震え出した。
仲間二人が、一瞬にして、しかも圧倒的なステータス差を覆されて嬲り殺しにされたのだ。
狩人はパニックに陥り、「ひぃぃっ!」と悲鳴を上げながら、矢を次々と引き絞ってはデタラメに放ち始めた。
ヒュン! ヒュン! ヒュン!
何本もの矢が、暗闇を裂いてツムギへと飛んでいく。
「おいおい、魔法使いならまだしも、弓使いがそんなにビビって視線を散らしたらダメでしょ」
ツムギは落ちているゴールドを拾う手を止めずに、チラリと狩人の方を見た。
彼女は狩人の『視線の動き』と『指の筋肉の収縮』を完璧に読み取っていた。
(矢の軌道は、放たれる直前の弓の角度と、射手の視線で完全に決まる。あんなに分かりやすく『次はこの辺に撃ちますよ』って顔に書いてあったら、避けるまでもないわ)
ツムギは歩幅をわずかに変えるだけで、飛んでくる矢の雨を、まるで雨粒の間を縫うようにスルスルと回避していく。
一本の矢が頬をかすめ、一本が脇の下を抜け、一本が股の間を通り過ぎる。
全てが数ミリの誤差。しかし、ツムギにとっては「絶対当たらない」という確信に基づいた動きだった。
「ば、化け物……! 近づくなぁぁっ!」
「あら、誰が近づくって言ったの?」
ツムギは立ち止まり、足元に気絶して転がっている『大斧の戦士』の体を、レベル15の筋力とテコの原理をフル活用して蹴り上げた。
重装甲の戦士の巨体が、まるでサッカーボールのように宙を舞い、パニックになっている狩人の元へと吹っ飛んでいく。
「えっ……? ギャアアアアッ!?」
ドゴォォォォンッ!!
巨大な肉の塊(味方)が直撃し、狩人は壁に激突してそのままHPを全損した。
仲間同士のフレンドリーファイア(同士討ち)は通常ダメージが通らない仕様だが、今回は『物理的な質量の激突』による環境ダメージとして処理されたのだ。
ポリゴンとなって砕け散る狩人と、そのまま二重衝突のダメージでHPがゼロになり、同じくポリゴンとなって消滅する戦士。
ジャラジャラジャラジャラッ!!!
先程よりもさらに大量のゴールドの山と、鋼鉄の鎧、そして弓がドロップする。
「うひょぉぉぉぉぉぉぉっ!! 大盤振る舞いね! これで推しのアクスタ(アクリルスタンド)全種類コンプリート確定よぉぉぉっ!!」
ツムギは廃坑の土まみれになりながら、両手でゴールドをかき集め、顔にすりすりと擦り付けた。
もはや狂気である。
悪党であるはずのPKギルドのメンバーが、カツアゲの被害者に見えてくるほどの圧倒的な蹂躙劇。
背後で松明を持っていたコウタは、あまりの光景に膝から崩れ落ち、虚無の表情で虚空を見つめていた。
「俺は……とんでもないモンスターを野に放ってしまったのかもしれない……。勇者? 違う、あれはただの強欲なヤクザだ……。金の亡者だ……」
コウタのツッコミすら、ツムギの歓喜の叫びにかき消されていく。
戦闘開始から、わずか数分。
五人いたブラッド・ハウンドのメンバーは、ツムギというただ一人の理不尽な災害によって、四人が無惨にも散っていった。
残るは一人。
リーダーであり、高レベルの魔術師であるゲイルのみ。
「ば、馬鹿な……。俺の、俺の精鋭たちが……こんな、初期装備のガキ一人に……っ!」
ゲイルは杖を持つ手をガクガクと震わせ、後ずさった。
彼の目には、ゴールドを拾い集めるツムギの姿が、血に飢えた悪魔のように映っていた。
システムが用意したスキルや魔法を一切使わず、泥を投げ、急所を蹴り、関節を極め、同士討ちを誘う。それは、彼らが知っている『ゲームの戦闘』ではなかった。純粋な殺意と、生き残るため――いや、金を奪うための執念が具現化した『殺し合い』だった。
「……あら? もう終わり?」
ツムギがゴールドを全て拾い終え、クルリと振り返った。
その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。しかし、瞳孔は開ききり、獲物を逃がさないという冷酷な光を放っていた。
「あんたがリーダーよね? 一番いい装備を持ってるし、ギルドの資金も一番溜め込んでるんじゃない? さあ、出しなさい。ジャンプして小銭の音が鳴らなくなるまで、徹底的に搾り取ってあげるわ」
木の棒を肩にポンポンと叩きながら、ツムギが一歩、また一歩とゲイルに近づいていく。
「ふ、ふざけるな……! 俺をコケにするなあああああっ!!」
恐怖と屈辱で完全に理性を失ったゲイルが、狂ったように叫び、杖を天に掲げた。
紫色の魔力が爆発的に膨れ上がり、廃坑の空気が一気に熱を帯びる。
彼が詠唱を始めたのは、レベル30に達した魔術師のみが使える、超高火力・広範囲殲滅魔法『ヘル・フレア』だった。
「俺と一緒に消し炭になれぇぇぇぇっ!!」
狂乱するPKリーダーの絶叫。
しかし、ツムギは全く動じず、ただ「やれやれ」と肩をすくめただけだった。
「やっぱり、ゲームの魔術師はダメね。魔法を使うことだけに集中して、一番大事な『隙』を自分から晒してるじゃない」
魔術師殺しのセオリー。
それは、異世界で散々魔法使いの相手をしてきたツムギにとって、息を吐くよりも簡単な作業だった。
灼熱の炎が廃坑を包み込もうとする中、ツムギはただ、足元に転がっていた『小さな石ころ』を一つ、拾い上げたのだった。




