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縁、六

 明くる日、亜季子は昼休みの時間帯に、中岡の携帯電話に連絡をしてみた。

 なんて話そうか、迷いながら電話をしたら、割と早く電話に出た中岡に、亜季子は少し慌てた。そのせいか、おかしな自己紹介をしてしまった。


「お、お忙しいところ恐れ入ります。私は、田村亜季子と申します。蝶子の長男の嫁です! 蝶番縁相談所を引き継いだもので……」

「引き継いだ? 蝶子さんの長男の嫁?」

「あっ、すみません、言葉足らずで……昨年、番助と蝶子が亡くなりまして……」

「えっ! そうなんですか? 知りませんでした。一年程前からシンガポールにいるもので」

「シンガポール? それなら、そちらは深夜とか早朝ですか?」

「大丈夫ですよ。日本との時差は一時間程ですから」

 海外と聞いただけで、勝手に長い時差があると勘違いした亜季子に、中岡は優しい口調で答えた。

「こちらに転勤が決まった時、蝶子さんには一年程で戻る予定なので、また帰ってきたら入会し直すからね、と言っていたんです。そしたらまた、僕にピッタリな女性を紹介してくれるって……そう言ってくれて……」


 気のせいかもしれないが、中岡の声は少し震えていたような気がした。

 そして、暫く番助と蝶子の思い出話をした。その会話が心地よく、亜季子は「それじゃあ、また」と、そのまま電話を切りそうになったが、肝心の由香里の話をしなければいけなかった。あの夜の事、もう一度中岡に会ってお礼を言いたい、という事。

「ああ、あの日の夜、シンガポールから一時帰国して、本社で仕事を済ませた後に京本さんを見掛けたんです」

「一時帰国という事は、まだしばらくそちらへ?」

「一年の筈でしたが、多分あと二年はこっちにいる事になります。なので、お会いする約束はできませんね。それに、お礼なんていいんですよ」

 どこか中岡は素っ気ない感じがした。昨日の由香里とは正反対だった。

 このまま、「分かりました。京本さんにはそう伝えます」とは言えなかった亜季子は、前に蝶子から由香里を紹介された時の事を尋ねた。

「ああ、とても素敵な方でした。割と話が合ったと思ったんですが、断られましたね。一度しか会ってないですし、何度かお会いして、僕の事を知って貰えたらよかったんですけど、まぁ、縁がなかったんですかね。転勤のない方を希望していたようですし……」

 と残念そうに言った後、控えめにこう続けた。

「あっ、京本さんはあれから誰かとお付き合いされているんですか?」

 どこか由香里の事を気にしている? 全く脈がない訳ではないと亜季子は感じた。


 電話を切った後、亜季子はお昼ご飯のチャーハンを作りながら、百合に中岡と話した事を報告していた。

「中岡さんには、由香里さんに携帯の番号を教えてもいいか訊いてみたら、気楽にいいですよ、電話くらい、とか言ってたけどね」

「後は由香里さんがどう中岡さんと話すのか……」

百合はテーブルの上に皿を並べていた。

「後はどうなるか、見守る? でも、相談員としては、ちょっとしたアドバイスもしないとね」

 席に座ってスマホを触りながら、花がそう言うと、百合はスマホを取り上げた。

「花、スープ温めてちょうだい!」

「はいはい」

「伯母さん、花を甘やかさないでね。この子はすぐサボるんだから」

「サボってた訳じゃないよ。スマホでちょっと調べてたの」

「何をよ!」

「結婚の条件、理想の結婚相手、既婚者100人に聞いた現実ってやつ」

「理想の人と一緒になれることは無理よね? 理想と現実は違うものねぇ」

「じゃあ伯母さんの理想と現実は違ったんだー。ねぇ、どんな人がタイプだったの?」

 花が面白半分で亜季子に尋ねた。

「まぁね、顔とか身長とか……ほら、私は草刈正雄みたいな人がタイプだったわけよ」

「クサカリ?」

「まぁ、家の庭の草刈りはよくやってくれるけどね、ははは」

 と、くだらないオバサンギャグで一人笑いながら、フライパンを振っていた。

 そこへ修造が入って来た。

「美味しそうな匂いだなぁ。百合ちゃん、花ちゃん、伯母さんのチャーハンはなかなか美味いんだよ」

 修造が嬉しそうに笑うと、「何言ってんのよ」と亜季子も同じように笑った。

 理想や条件も大事だが、それ以上に大切なものがあるんだと、花と百合は感じていた。


 それから間もなく、蝶番縁相談所に京本由香里の母親、美枝がやって来た。

 応接間のソファの横で、由香里の母親はとても丁寧に頭を下げた。

 その時、後ろ髪が若干乱れていた。

「由香里がお世話になっております。母の美枝です」

 美枝の深刻な表情から、何か嫌な予感が漂った。

 亜季子と百合も釣られる様に深々と頭を下げた後、亜季子が「どうぞお掛け下さい」と美枝を促した。


「由香里がシンガポールへ行ってしまったんです!」


 腰かけるなり、少し早口で美枝が言った。

「えっ! 行ってしまった?」

 思わず亜季子と百合が声を合わせた。

 あれからすぐ中岡と連絡をとり、会いに行ったのだろう。今の由香里ならそれくらいの勢いがある。でも、未成年の家出のように心配する美枝を見ていると、由香里の箱入り娘感が理解できた。

「その方は以前、こちらで紹介して頂いた際、交際できないとお断りした筈ですが、由香里が急にお付き合いをしたいと言い出しまして……」

「それでは、相手の方も由香里さんと同じ気持ちだという事でしょうか?」

 亜季子がそう尋ねると、美枝の表情が変わった。

「相手の方の気持ちは分かりません。由香里がそう思っているだけなんです。なので私と主人は、相手の方にお会いしてみたいと言いました。でも、今海外に行っている方だというので反対したんです」

 由香里が一人っ子だという事と、過去の変質者事件の件から、結婚した後は自分たちの近くに、車や電車で行き来できる所に家を構えて暮らして欲しい、由香里の両親はそう思ってきた。勿論、由香里も両親と同じ気持ちだった。

「でも、会いに行きたいと言って、少し主人と口喧嘩になってしまって、朝起きたら部屋にもどこにもいないんです……」

「お友達の家とかでは?」

 百合がそう言うと、そこへ花が入って来た。


「あの……ちょっといいかな?」

「花、ちょっと後にして」

「でも……」

「だから後に……」

 そう言うと、花の後ろで俯く由香里が見えた。

「由香里さん? シンガポールは?」

 百合が思わず声を上げた。

 美枝は立ち上がり、ゆっくりと入って来た由香里を抱きしめた。

「由香里ちゃん、分かってくれたのね」

 由香里は美枝に抱きしめられたまま、首を横に振った。

「違う……中岡さんが来ちゃダメって言うの……」

「ほらね、あなたが勝手に突っ走ってるだけで、相手の方は困ってるんでしょ?」

「お父さんとお母さんの承諾を得ないと会えないって……」

「えっ……」

「お付き合いをしたいの、私。でも、許してくれないんでしょ? だから……」

「ダメよ……外国だなんて! お母さんもお父さんも心配で心配で……」

 由香里は助けを求めるみたいに亜季子と百合の方を見た。

「あっ……あの、随分展開が早いので、正直驚いています。会いに行きたい気持ちは分かります。でも、少し落ち着いて下さい」

 亜季子が場の空気を変えようとしたが、花がすかさず言った。

「でも会いたかったんだもん、仕方ないよね」

「花!」

 百合が花を睨んだ。


「そう……ただ会いたかったんです!」

 由香里が美枝から離れ、真剣な顔をして話し始めた。

「あれからすぐに電話をして、中岡さんにお礼を言ってすぐに電話を切ろうと思ったんです。やっぱりシンガポールに転勤という事が引っ掛かったからです。でも、話していると、どうしても、もう一度会いたくなってしまって……」

「由香里……」

 悲しそうな顔をして、美枝の顔を由香里はじっと見つめた。

「私ね、家からそれ程離れていない場所で暮らしたかったの。結婚して子供ができたら、家を行ったり来たりして、こぢんまりと生活していきたかった……一人っ子だし、お父さんとお母さんのことも心配だし……」

 前に会った由香里の表情とは違っていた。ふんわりとした雰囲気だが、どこか意思の強さの様なものが加わり、美しかった。

「今まで受け身で、積極的になる事なんてなかった。こちらの相談所で、理想や条件に合う人と出会って、お父さんとお母さんが認めてくれる人と結婚できればそれでよかったの。でも……」

「由香里ちゃん! 酔っ払いから偶然助けられただけで? 声なんて気のせいかもしれないじゃない!」

「でもそれだけじゃないんです! ねっ、由香里さん!」

 花が由香里の方を見ると、由香里は驚いたような顔をした。


 亜季子と百合が「?」な感じで顔を見合わせた。

「花さん……どうして……?」

「前、ここで話した時、何か言おうとしてやめたでしょ? でも、話さないとお母さんに分かってもらえない思う」

「あの……私どもは退室しますので……お二人で話して下さい」

と、亜季子と百合と花が部屋を出て行こうとした時、由香里が静かに話し始めた。


「私、誰とも交際をした事がないんです、三十を前にして……」


 蝶子のノートには男性に対しては奥手とあった。それに由香里の感じから考えて、それは意外な事でもなかった。ここにいる誰もがそれに対して驚きはなかった。

「学生時代、友達の紹介でデートはしたことがあります。こちらで紹介して頂いた人たちとも……でも、やっぱり男性がずっと怖くて、触れられると怖くて……震えるんです。東海林さんとのデートの時も、東海林さんは優しいので、海に行った時とか、岩場や足元が悪い場所では手を差し伸べてくれるんです……でも触れるとやっぱり震えるんです……素敵な人だと思っていました。だから交際したんです……でも……やっぱり不安でした。ちゃんと結婚生活が送れるのか」

 深刻な由香里の顔を亜季子、百合、花はただ見つめていた。

「友達に相談したら……結婚して好きな人と生活したら、そんな事は自然に治るって何とかなるって……でもその時、好きな人? 東海林さんは理想の結婚相手……きっと幸せになれると信じてたけど……でも……好きな人はやっぱり……」

 今にも泣きそうな由香里を、美枝は堪らなくなり、再び抱きしめた。

「どうして話してくれなかったの?」

「心配を掛けたくなかったし、自分で何とかしなきゃって思ってたの。でもね、聞いてお母さん……」

 由香里はしっかりと美枝に向かって話し始めた。

「中岡さんに触れられても震えなかったの……背中を擦ってくれた時……怖くなくて、震えなかったの……とっても温かくて……あんな気持ちになるの初めてだった。だから安心したの……凄くホッとして……」


 由香里の瞳から涙が次々と流れた。

「探していた人にやっと出会えたのかもしれないの……」

 幼い頃に起きた出来事は、由香里の人生でずっと重い荷物のようにのしかかっていたようだ。

「ごめんね……由香里ちゃん、お母さんちっとも気付かなくて……」

「いいの……でも私の気持ち、わかってほしい……中岡さんとお付き合いさせて下さい」

 美枝はすぐには答えられず、戸惑っていた。

「あの……シンガポールへ行かせてあげてはいかがでしょうか?」

 亜季子がもらい泣きをしながらフォローした。


 由香里と美枝が帰った応接間で、疲れた亜季子、百合、花は三人並んでソファに座っていた。

「どうなるのかしらね。思わずシンガポールへ行かせてあげて下さい、とか言っちゃったけど……」

「でも、伯母さんが言わなかったら私が言ってたと思うなぁ……」

「あの二人は運命の赤い糸で結ばれてるっぽいよね? だって、身体が反応するんだよ。センサーみたいに! 震える、震えない! みたいな?」

「花、ちょっとふざけてる?」

「でもね、私もそう思うのよ」

「もう伯母さん、花を甘やかさないでって……」

「だって中岡さんはあの日の夜、仕事でシンガポールから帰国して、殆ど日本にいなかったのよ。本社で用事を済ませて、すぐに戻ったのよ。そこで由香里さんを助けてあげて……すごいタイミングじゃない?」

「まぁ、そう言われてみればそうかもしれないけど……」

「それに中岡さんは、由香里さんにお断りされてから、だれともお見合いをしていなかったみたい。おかあさんのノートに、暫くだれかとお見合いをするのは控えますって書いてあったわ。でも、その後すぐにシンガポールへ行っちゃたんだけどね」

 と亜季子は百合に蝶子のノートを見せた。


(中岡昌平さんについて)

 とても心が優しい。それと同時に、どこか頼りない感じがする。でも芯はしっかりとしている。

 長男だが、上に姉、下に弟がいて、姉には逆らわず、弟は程々に可愛がり、真ん中でうまくバランスを取っている。

 両親が共働きだったので、昔から弟の保育園の迎えに行っていた。弟の友達ともよく遊んであげていたようだ。

 町内の行事、交通パトロールなど、積極的に参加している。

 最初に紹介した京本由香里さんが相応しいのではと思い紹介したが、うまくいかなかったようだ。暫く良い方がいても紹介は無用とのこと。


 百合はこれを読み、蝶子が何で最初に由香里に中岡を紹介したのか分かったような気がした。

「長男というのは条件には合わないけど、弟を保育園に迎えに行って、その友達とも仲良くしている面倒見のよさがあって、一人暮らしをしているのにもかかわらず、町内のパトロールをしているような人……きっと由香里さんを守ってくれるような人じゃないか……お祖母ちゃんはそう思ったのかな……」

「そうね。長年いろいろな人の相談に乗って、何組ものカップルを結婚へ導いたんだものね。本人の理想と条件も理解しつつ、その人を客観的に見て、ああ、この人とこの人を会わすといいかも……とかよく考えて……」

 そう言いながら、亜季子は急に暗い顔になった。

 花はポケットからキャンディー結びの一口チョコレートを亜季子に差し出した。

「疲れた? 甘いもの食べて!」

「あ、ありがと……」と結びを解いて、チョコレートを口に入れた。

「正直言ってね……私、だいたい条件通りの人を紹介したら、何とかご成婚すると簡単に考えてたとこあったの……」

「分かる! 私もそう思ってたもん」

 百合は若干呆れて花と亜季子を見た。

「……だからね、私はおかあさんみたいにできるかどうか……今更ながら不安になってきたわ」

「ひとりで抱え込まないで。大丈夫、伯父さんがいるんだから……」

「百合ちゃん、それが不安なのよ。あの人殆ど何にもしてないのよ。おとうさんも殆どおかあさんに任せっきりで、自分はお酒飲んで「ああ、あの二人はうまくいく!」とか適当な事ばっかり言うって、いつも文句言ってたもの」

「うんうん、お祖父ちゃんそんな感じだよね」

 花がケラケラ笑った。

「おいおい、楽しそうだな、伯父さんも仲間にいれてくれよ」

 タイミング悪く応接間に修造が入って来た。

「そういえば、京本さんのご成婚が決まったんだって?」

「まだ結婚は先だと思うわ。まぁ、うまく行けばいいけどね……」

 不機嫌そうに亜季子が答えた。

「そりゃよかったよかった! 今日はうまい酒が飲めそうだな」

「あなたは何もしてないじゃない! 今回は百合ちゃんと花ちゃんに感謝だわ。お礼を言ってちょうだい!」

「ああ、百合ちゃん、花ちゃんありがとう!」

 修造の満面の笑みは癒し系で、どこか憎めない。

「いいえ。私はちょっとだけ話をしただけだし……」

「そうだよ。私もお姉ちゃんも、何もしてないって!」

「そうそう、花はため口でズケズケ聞きすぎよ。気を付けて!」

「はいはい」

「でもね、やっぱり話しやすさって大事よね。今日、花ちゃんがいたから、由香里さんはあそこまで話してくれなかったんじゃない?」

「伯母さんだって話やすいよ、ね、お姉ちゃん」

「うん、親しみやすいし」

「でも、昔から人望がないのよ、前怒ったけど、伯父さんの言う通りなの!」

「俺も。伯母さんの言う通り、部下に慕われなかったしな……」

「だからこの仕事は向いてないのよ! だから残された会員の人たちがご成婚したらやめるつもり。ねっ、あなた」

「そうだな」

「だから暫くお願いね。せめて東海林さんのお相手が見つかるまで」

 戸惑ったが、今の百合にはその方が都合よかった。もし敬一が入院した場合、時間など、融通をきかせてくれるし、何よりもこの仕事に多少興味を抱いたからだ。

 花は、相談所の仕事はどっちでもいいが、この家の居心地がよかったので、暫くここで仕事をすることに抵抗はなかった。問題は口うるさい百合がずっと一緒だという事だ。

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