縁、二十五
早速、桃井万智さんのお相手を探そうと、亜季子が四十代くらいの男性のプロフィールファイルを百合と花に見せていた。
リビングのテーブルには、三、四人程の男性の写真付きファイルが並んでいる。
「私はね、同い年位で旅行が趣味の方と、少し年上なんだけど、雑貨店を営んでいて、休日はキャンプをしたり、お友達が多いこの方がいいと思うのよ」
「ああ、先週来てた人でしょ? 明るくて大らかな感じで、ちょっとクマっぽい……」
亜季子と花の会話に、なぜか百合は入って来ず、お茶を飲みながら新聞を読んでいた。
やっぱり辛いのだと察し、亜季子と花はアイコンタクトを取り、百合には意見を求めなかった。すると、突然……。
「あっ、言うの忘れてた! もう私、お相手探して来たのよ。ごめんね、私の知ってる人なの」
「あら、そうなの? どういう方?」
「榊原隆之さんです!」
百合は新聞をたたみながら、サラッと答えた。
「えっ」と花は驚き、眉間にシワを寄せて百合の横顔を見た。
「榊原……隆之さん? 百合ちゃんの元旦那さま?」
「お姉ちゃん……」
百合の顔は真剣だった。
「百合ちゃん……それは流石に……」
「そうだよ……それは違うよ……あっ、冗談?」
百合は崩していた足を正し、花と亜季子をしっかりと見つめた。
「あのね、私一人になってじっくり考えたの。前に紗栄さんが元旦那さんについて話してくれたでしょ? その事とか自分に重ねたりして……とにかく考えたの、山の中で。まず、再婚してると思ってた二人が交際すらしていなかった事を知って、何でモヤモヤしたのか? ひょっとしてまだ隆之に未練があるからなのか? でもそういうのじゃなかったの。何度も問いかけたけど……やっぱり違うの……で、よく考えた結果、こういう結論に達したわけ」
「は? 何言ってんのか分かんない! 狂ってるよ!」
「書道教室に連れて行ったあんたの方が、よっぽど狂ってるわよ!」
「やっぱ怒ってたんじゃん! 悪かったわよ! でもいくらなんでも、あの人とお義兄さんを会せなくても……」
「決着をつけなくちゃいけないのよ!」
「でもね、百合ちゃん、隆之さんがここへ来ると思う?」
「来ないって言っても来るように仕向けるわよ」
覚悟を決めた百合の表情には、一歩も引かない強さがあった。
そんな百合に、亜季子も花もこれ以上なんの言葉も出ては来なかった。
ところが、別れてから隆之の携帯番号は消してしまっていた。どうやって連絡をとるか一瞬焦ったが、単純に考えたら会社に電話をしたらいいだけの事だった。でも……。
「私、お義兄さんの番号知ってるよ」
花は隆之の番号を消さずにいたようだった。番号を消していなかったのは、本気で自分と隆之の復縁を望んでいたからだろうか? そう思うと百合の心は複雑だった。
それから百合は、すぐ隆之に電話をした。別れた妻からの突然の電話は、最近ばったり会った事もあり、それ程の違和感なく会話は進んだ。そこで百合は、嘘は言わなかった。
「一年前、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが亡くなったの。当然知らないよね? もしよかったらお線香でもあげに来てよ」ただそれだけ告げた。交際中も結婚してからも、よく遊びに行っていた事もあり、電話の向こうの隆之の悲し気な声は、番助と蝶子を悼んでいるのが伝わった。
ところが、肝心の桃井万智はお見合いに来ないと言っているらしい。母親の菊乃は、まず自分だけ相手の方に会うと言うが、亜季子はそれでは意味がないと、菊乃に万智を説得するようにお願いした。
夜の仏間で布団を並べて、花はお見合いをする隆之と万智の事を考えていた。
百合は布団に入ると、すぐに寝息を立てていた。戦い? の為に力を蓄えているのだろうか? 花は百合の寝顔を眺めた。疲れてる? 苦しんでる? 違う。ただぐっすりと深い眠りについているだけだ。ずっと眠れない夜を過ごして来たから……。山って不思議なパワーがあるのかな? 私もいつか行こうかな? なんて考えながら花も眠りについた。
菊乃の説得がうまくいき、桃井万智は一人でやってきた。ほぼノーメイク。セーターに太めのパンツ姿で、とてもカジュアルな格好だった。あの日、自転車ですれ違った時と変わらない雰囲気だったが、マスカラやビューラーなどを使わなくても、目がとても綺麗でぱっちりとして美しかった。
応接間のソファに座り、挨拶をした後、今日のお見合いはしないという事と、母親が勝手な事をして申し訳ないと頭を下げた。
「私がいい加減な返事をしたので悪かったんです。でも、お見合いはキャンセルさせて下さい。母が先走りました。ごめんなさい」
目の前にいる元夫の好きな人は、やはりとても感じのいい人だと思いながら、百合は改めて万智を見た。
「では」と、直ぐに席を立とうとしたので、百合は慌てて質問した。
「あ、あの……お母様からお聞きしたんですが、写真をやっていると」
「はい、母がそんな話しを?」
「外国を旅して、街の風景を撮ったりしていたと聞いて、素敵だと思いました」
「いやいや、そんな……」と万智は照れて少し赤くなった。
「もう今は辞めてしまったんですか?」
「あっ、今は介護の仕事をやっていまして、たまにお年寄りの方を撮っています。前は風景しか撮らなかったんですが、今は人物を撮りたいと思いまして……」
「それはどうしてですか?」
「年を重ねると、表情が乏しくなりがちですが、レクレーションなどで楽しくゲームをしたり、動物と触れ合う時にみせる無邪気な表情とか、本当にいい顔するんですよ……」
写真の話をする時の万智は、目が生き生きとしていた。
隆之と交際中の頃、たまに子供時代の「書道教室の娘」の話題になると、「書道教室の娘」はそっけないけど、自分が夢中になっているものに関しては、よく喋るし、よく笑う。と隆之が言っていたのを思い出させた。
その時、応接間のドアが開き、花が入ってきた。
「榊原隆之さんがいらっしゃいました」
花の表情は珍しく緊張していた。
隆之の名前を聞くや否や万智が大きな目を見開いて、振り返った。
入って来た隆之は、万智の姿を見て固まっていた。
「万智さん……どうしてここに?」
「あっ、本日お見合いをする榊原隆之さんです。榊原さん、桃井万智さんです。でも、桃井さんはお見合いをお断りにいらっしゃったんです」
百合が淡々と紹介すると、隆之が少し怒った様な口調で言った。
「どうしてこんな事するんだ……百合……」
万智は、隆之が「百合」と呼んだので、すぐにこの場の意味を理解した。
「あ……私、失礼します」
万智は席を立ち、その場から立ち去ろうとドアへ向かったが、百合が引き止めた。
「何で一緒にならなかったの? お互い好きなのに?」
いきなりの直球質問に、万智は背中を向けたまま何も答えようとしなかった。
「だから、俺の勘違い? 片思いだったって言っただろ?」
「そうなんですか? 万智さん」
「はい。そうです」
万智は、はっきりとそう言った。
「では……私、ここではっきりとさせておきたい事があるんですけど、いいですか?」
万智は背中を向けたままで、隆之は百合の方をしっかりと見ていた。
「ご存知の通り、ずっと私は不妊治療をしていました。とても苦しい時期がありまして、精神的におかしくなっていて……それで私達、お互いを傷つけあって別れたんです……その時、隆之さんの気持ちはあなたに向いていた。それを知って、私の事が可哀想だと思いましたか? だから、私たちが別れた後、付き合うなんて出来なかった。よく知りませんが、あなたってそういう人じゃないですか?」
万智は何も言わずに立ち尽くした。
「ただの思い込みかもしれませんが……もしそうなら余計つらいです。私はどうしても子供を授かりたかった。でも、隆之さんは二人で生きて行こうと言ってくれた……でもやっぱり諦めたくはなかった……もうその段階で、私たちはすれ違っていたんです! だから……」
誰も言葉を発さず、応接間が静まり返った。
「あっ、私は失礼するわね」
亜季子は耐えられず出て行った。
「あの、お義兄さ、隆之さん? 私はね、も一回お姉ちゃんとやり直して欲しいって思ってたんだよ」
「花、やめなさい!」
百合に睨まれ、花もそのまま出て行った。
「それじゃあ、後はお二人で……」
そのまま花に続いて出て行こうとしたが、当然、隆之が引き止めた。
「ちょっと待って! 百合、どうしてこんな事……」
「幸せになりたいからよ!」
万智がゆっくりと顔を上げた。
「だって、誰も幸せになってないじゃない。私は二人が結婚したとばかり思ってたのよ。そりゃ、本音を言えば、心は穏やかじゃなかったけど、でも、やっぱりこのままじゃいけないと思う。もう、私は大丈夫だから! きっと誰かと再婚するし、ちゃんと幸せになるから!」
迷いのない百合の言葉は、優しく隆之と万智を包み込んだ。
「じゃあ、逃げないでよ……挨拶とかいいから、適当に帰ってね」
と百合は部屋を出て行った。
二人きりになった応接間で、隆之は万智をまっすぐに見つめ、万智はそっと隆之を見つめた。




