縁、二十一
百合が目覚めた時、ある住宅街に車を停めて、花は少し先の家を見つめていた。
「ここどこよ?」
「書道教室。あのクリーム色で、屋根が茶色い家だと思うんだけど」
「は? 書道教室ってどこの? 何?」
「お義兄さ……隆之さんの実家の周辺から見ると、あそこの教室しかないんだよ。スマホで調べたの」
「何しにしたのよ! 面白がってこんな事するんじゃないの!」
「違うよ。お姉ちゃん、すっごく気にしてたじゃん。相手の人が気になるんでしょ? 一回見てやろうよ! お義兄さ……隆之さんを虜にした人!」
さっと車を降りて、花はその家に向かった。百合は慌てて追いかけた。
「ちょっと! 会ってなにを話すつもり?」
「見るだけだよ」
花と百合は家の前に立った。
シンプルな外観で、古いが、何かしらリフォームがされており、小さな庭には、ブロックで作られた花壇に、美しい彩の花が並んでいた。
玄関に「桃井」の表札の横に「桃井書道教室」と木の看板が掛けられていた。
「帰ろう! こんなの嫌よ! そりゃあ本音を言えばどんな人か興味? 何だろ関心? じゃなくて……とにかく、こんなこと、惨めな感じがするから!」
その時、玄関が開いた。
花と百合は同時に一歩後ろへ下がった。
七十代くらいの、白髪の上品な雰囲気の女性が微笑んでいた。
「何か御用? ああ、入会ですか?」
「あっ! いいえ……あの……」
百合は言葉が出て来なかった。
「すみませんが、化粧品や保険の営業はお断りしておりますので……」
「違います! 沢登さんというお宅を探しています」
誰? 百合は、花が何をするつもりかハラハラしていた。
「いいです! 勘違いだったようです。ほら、帰るよ」
百合は花の腕を引っ張った。
「ちょっと待っててね、町内の地図を持ってくるわね」
と家に入って行った。
「花! もう! 今のうちに」
「余計怪しまれるよ」
逃げようとする間もなく、上品な老女は町内の地図を持って来て、さっと広げて見せてくれた。
「たぶん、この辺りではそのような名前の方は……ああ、お引越しされたかも」
「そうかもしれないですね。じゃ……」
とにかく行こうとする百合だが、花はまだ粘るつもりだ。
「書道教室やってるんですね! 私の祖母も字が綺麗だったんですよ」
「まぁ、そうなの」
「裁縫や着付けを教えていて、結婚相談所もやっていたんです」
「結婚相談所?」
「昨年、祖父母は亡くなってしまいましたが、今は伯父夫婦がやってるんですよ」
百合は花の目的が分からなかった。ここで立ち話をしていても、隆之が好きだった女性が都合よく出て来る訳がないのに。
「今どきお見合いする方って、どれ位いらっしゃるの? ああ、インターネットで知り合う方もいるのよね」
「うちの相談所は、特別に宣伝や営業はしていません。成婚した方の知り合いとか、基本的に紹介とかで……」
「じゃあ、そろそろ帰ろう。すみませんでした。お忙しいのに」
耐えられなくなり、百合が無理やり花の手を引いた。
百合は今にも掴みかかって来そうな目で花を見ていた。
「ああ、うちの娘もずっと独身なのよ……」
と、急にそんな事を呟いた。
「そうなんですか。うちの会員の方は幅広いですが、特に四十代や五十代の方が多くいらっしゃいます。あっ、これは営業じゃないですよ、ハハハ」
この会話がまだ続きそうで、百合は軽く会釈をして、老女の前から立ち去った。
足早に車へ向かい、運転席にさっと乗り込みエンジンを掛けて花にアピールした。
花は暫くすると、手に何か持って戻って来た。
「私が運転するのに!」
「行くわよ!」
すぐに出発した。
家の前で老女は微笑み、見送ってくれた。
百合の笑顔は引き攣っていた。
花は手を振って頭を下げていた。
角を曲がった所で、百合は「どういうつもり?」と睨んだ。
「別に。ただ、結婚してるのかなって。それを確かめたくて」
「確かめてどうするの?」
「だって、お姉ちゃん気にしてたじゃない」
「で、あの人が結婚してたらどうなのよ。私が隆之とよりを戻したいと思ってるって?」
「そういう訳じゃ……じゃあ、昨日眠れなかったのはどうして?」
百合は途中で車を停めた。
「たぶんね。これは想像なんだけど、相手の人は……なんていうか、所謂いい人? さっき話してて、あのお母さん、感じよかったよね? だからって訳じゃないけど、たぶん、あの人の娘もきっといい人なの。私が不妊治療をしてるのを知っているとして、その私と別れた後、その男と付き合える? たとえ好きでも、もしかして自分のせいで別れたのかもしれないって思うでしょ?」
「だってそうなんでしょ?」
「だけど、何か嫌なの。私たちが、ただ、すれ違いや価値観の違いで別れてたらどう? きっとお互い好きなら付き合い始めるんじゃない? それに、ずっと独身でいるのは、気持ちが続いてるからじゃないのかな………だけど……ちょっと?」
花がどら焼きを食べ始め、百合にも差し出した。
「はい、お姉ちゃんの分。さっき貰ったの。車で食べてって」
そのどら焼きを見て、隆之の思い出話が蘇った。書道教室でおやつが出る時、必ずどら焼きか煎餅で、嫌々通っていたが、そのおやつをみんな一緒に食べるのが楽しかったと。必ず先生の娘さんが配ってくれるんだ……なんて話していた。
百合は、何も言えずに小さく息を吐いた。
窓から外に目をやると、自転車に乗ったアラフォーくらいの女性が車の脇を通り過ぎようとしていた。百合の目からは、その姿がスローモーションのように映った。
きっとあの女性だ。携帯電話の小さい画面でしか見た事がない女性。でも、雰囲気で確信した。
「あの人よ」
「えっ? もっとしっかり見ればよかった!」
花は悔しがった。
長い髪を一つに結び、綺麗な姿勢で自転車に乗っていた。
どこか寂しそうな横顔は、隆之と重なった。
「やっぱり花が運転して」
百合は運転席から降りた。




