縁、十七
「ああ、今日はちょっと疲れたなぁ」
と百合はいつものように花の横に布団を敷いて、軽く伸びをした。
「ねぇお姉ちゃん、いい加減に家に帰れば?」
百合が来てから、二カ月が経とうとしていた。
「何で? そんなに私といるのが嫌?」
「一週間くらいで帰ると思ってたもん。家に居たくないの?」
「そういう訳じゃないけど……ここでの仕事、暫く頑張ってみようかなって」
「じゃあ、再婚しないでここでずっと働くつもり?」
「ずっと? まさか。でもね、人と接してみたくなったのよ。私がやってきた仕事って、事務系だったでしょ? 誰かと話したりする営業や販売とかやった事ないし、いい経験っていうか……ま、伯父さんと伯母さんといるのも楽しいしね」
「そうだよね。私も」
「花は、ノビノビとサボれなくなって残念だろうけどね」
「そんな……私だってちゃんと考えようとしてるよ、将来のこと」
「夏彦も行っちゃったし?」
「二、三年したら帰ってくるもん。でも、帰って来た時ね、少しはマシになっていようとは思ってるよ」
「進歩したじゃない! よしよし、いい兆候ね」
花は前に比べたら、規則正しい生活が身に付きつつあった。
百合が来てから、三組のカップルが成婚間近だった。
その中の一組は、木下紗枝と西川貞夫だ。
それは一カ月ほど前のことだった。
この二人はお見合いをした訳じゃない。西川のお見合いの日、紗枝が自分のお見合いの日にちを間違えてしまい、「来週だったっけ? やだ、ボケた? そんな年じゃないのに」なんて笑って出て行こうとした時、玄関でその日にお見合いする為に訪れた、西川とすれ違ったのだ。
西川のお見合い相手は、七歳年下で初婚、家業の呉服屋を手伝っている、清楚な和服の似合う女性だ。今までもそんな感じの女性とお見合いを重ねてきたが、なかなかうまく行かなかった。
紗枝も、妻に先立たれた初老の紳士とお見合いの予定だった。沢山の土地を所有している、イケメンじゃないけどお金持ち。紗枝が希望していた条件通りの男性だった。
その日、玄関ですれ違った二人が帰りの電車で目が合った。すぐに席を立ち、空いている西川の隣の席に、「いいですか?」と尋ねたら西川は緊張した様に「ど、どうぞ」と少し右へ移動した。
明くる日。
紗枝から、初老の紳士とのお見合いをキャンセルしたいという内容の電話を花が受けた。
「えっ? はい。あっ、あの、もし差支えがなければ、理由をお聞かせ願いませんか?」
ゆっくりと、丁寧な言葉で……百合に注意をされるので、花は前よりも話し方や言葉遣いに気を配った。
「そうね……ちょっとね、気が変わっただけなのよ」
「気が? それはどのような?」
「他の方とね……ちょっと……」
「はい? ちょっと?」
「ちょっと……お会いしたい方が……」
やたら、「ちょっと」言うのは、おばさんが言いづらい事を表現する言葉だと、花は勝手に認識していた。
「他の方というのは、どの方でしょうか? お名前を教えて下さい!」
はっきりと言ってもらわないと困るのと、面倒くさくなってズバリ尋ねた。
「西川さんという方で、昨日そちらでお見合いをしていた方です」
「えーっ!」
と思わず大きくリアクションをしてしまった。
「どうして? そんなに驚くこと?」
「いえいえ! でも、木下さんはお金持ち……じゃなくて、ゆとりのある生活を一緒に送れる方を希望して……」
「えっ! 西川さんはゆとりがないって感じじゃなかったけど?」
「私はよく分かりませんけど……でも、木下さんがお見合いをする筈だった方に比べたら……お手伝いさんが二人もいて、土地とか沢山持ってるし……海外に別荘があるとか自慢してた? いや、ちょっと余計な事言いました……」
しまった! そんな事を言ったらまた百合に叱られると焦ったが、そう思えば思う程、余計な事が次から次と出てしまった。
「はははっ! 百合さん、いつも妹は思った事をペラペラ喋るから、いつまでたっても子供みたいで困ります、なんて言ってたわ」
「うわっ、そんな話を?」
「でも大丈夫よ。今の話は亜季子さんから聞いてるし、私もそこだけが魅力でお会いしたいって言った訳じゃないのよ。まぁ、優しそうなところとか……」
「で、他はどんな? あっ、ごめんなさい」
「いいわよ。気楽に喋りましょ! 最近、若い子と話した事ないから、ちょっと付き合ってよ」
「は、はい……」
うわっ、苦労話とか、健康の話とか、長い話が始まるのかと思い、花は応接室のソファに腰かけた。
「そりゃあね、お金があるには越した事ないわよ。私もお金に苦労してきたしね。でもね、自慢じゃないけど、男の人を見る目? まぁ、昔はなかった時期もあったけど、年を重ねるうちに養われた部分もある訳!」
覚悟していた事とは違い、早い話、紗枝は「恋バナ」を始めた。学生時代に元旦那さまと出会い、ロマンチックな運命的な、そんなシチュエーションに弱かったのか、すぐに恋に落ちたらしい。
「もう四十年以上前の事だけどね、元旦那がさぁ、私に一目ぼれしたっていうのよ。十六歳だったからね、ちょっと舞い上がったわ。カッコよくてね、女の子にも人気があったの。四歳上だったんだけど、その頃は凄く大人に感じたて……だから付き合ってね、高校卒業したら、すぐに結婚したのよ。子供も十九で産んでね。その頃、十代で母親になるのが夢だったからね……」
恋愛漫画のストーリーのようで、花は割とすぐに引き込まれた。
この日は、亜季子と修造がホテルのラウンジでのお見合いに出掛けていた。
ほとんどの人が、応接間でお見合いをするが、会員の方が時間を取れなかったりした場合、勤め先近くの場所で、お互いを紹介するというパターンもあった。
本当は百合が一緒に行く筈だったが、以前にアルバイトをしていた友達夫婦の弁当屋に、珍しく大量注文が入り、急遽お手伝いを頼まれたのだ。
早朝のアルバイトが夕方に終わった後、アルバイト代の他に、唐揚げやトンカツ、煮物、サラダなどを沢山もらった。電車で来ていたら貰うつもりはなかったが、この日は修造が車を貸してくれたのだ。
古いタイプのクラウンは、普段小さめの車しか運転した事がない百合にとって、ちょっと怖かった。はっきりいって、運転は得意じゃない。意外と順子の方が得意で、休みの日などは敬一を助手席に乗せてショッピングセンターなどへ出かけていた。そうだ、順子のところへ寄って、揚げ物や煮物をお裾分けしようと電話をしたら、敬一が会社から帰って来るので、駅まで迎えに行くという。
職場復帰したばかりの、敬一の身体が心配な順子は、車に乗って駅まで迎えに行くのを日課にしているらしい。百合が「駅まで徒歩十五分も、いい運動じゃないの?」と言うと、「今だけよ。ほんの少しの間だけ」と順子はどこか楽しそうだった。
敬一が入院している時、順子は車で病院へは行かなかった。運転には自信はあるが、もしも事故でもしたら、敬一の看病などができなくなるかも……などと、とても神経を使っていたのだ。そして、今日は帰りに何か食べて帰るというので、百合は家に寄るのは遠慮した。
渋滞を避けて、裏の道を行こうとしてクネクネしていたら、見知らぬスーパーの前を通った。最近オープンしたようで割とお客で賑わっていた。そういえばマヨネーズや醤油のストックがそろそろ無くなる頃だと思い出し、百合はそのスーパーへ寄っていく事にした。
中へ入ると、オープンしたばかりだけあって、お目当ての醤油やマヨネーズはとても安く、他に野菜や果物が新鮮でお買い得だったので、適当にいろいろ買い、レジへ向かった。七、八箇所あるレジは、半分がセルフレジで、セルフレジの方が空いていたので、迷わず買い物かごを置いた。その時、隣のレジから聞き覚えのある声がした。
「あの……クレジット払いってどうすればいいんですか?」
すぐに女性店員が来て、その男性に説明をしていた。
「ああ、ここに入れればいいんですね。すみません、こういうレジが初めてなので」
百合はその男性の姿を見て固まった。まさかこんな場所で……。
気付かない振りをすればよかったが、もう遅かった。男性も百合に気が付いてしまった。目が合い、暫し見つめ合う、元夫婦だった。




