後編 過去の出会い
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(それにしても懐かしいスマホだな)
手の中にあるのは、さっきまで持っていたスマホではない。高校時代に使っていたそれは、勉強を頑張ってワンランク上の高校に合格した祝いにと父が買ってくれたものだ。大学入学時に機種変し、もう手元にはないそれが自分の手にあるのが面白い。
しかも時間を確認するためにスマホを見たのは二十六歳の湊ではなく、十八歳の湊。
それに気づいたのは、自分の意志とは関係なく十八歳の湊が走り出したからだ。
これがSF映画なら、何が起こったのか調べたりするところだろう。なのに、過去の湊には過去の湊自身の意志がしっかりとあり、己の中に未来の自分がいるなんて全く気付いていないのだ。未来の記憶も意思もあるのに、過去の自分はまったく思うようにならない。まるで幽霊にでもなったみたいだ。
(明晰夢でも思い通りになるとは限らないんだな)
何もできないならしょうがない。
そう考え力を抜いた瞬間、二十六歳の湊は十八歳の湊に溶け込み、自分が当時毎日行っていたロードワークの途中であることに気がついた。受験勉強の息抜きも兼ね、夕飯前に毎日裏山を走っていたのだ。
裏山と言ってもそんなに高さはない。近隣の中学生がマラソン大会などに使う程度のものだ。
しかし頂上には展望台や遊戯施設もあり、ちょっとしたレジャーやデートスポットになっていて、道も整備されている。中腹は小さな公園があるくらいで淋しいものだが、頂上のにぎやかな光が見えたほうが気分転換になるので気に入っていた。
まだ人が多いであろう頂上まではいかず、適当なところで折り返して下っていると、途中で女の子が一人で歩いていることに気づいた。後ろ姿だけだが、自分と変わらないくらいの年のように思えた。
しかし、薄手のミニのワンピースに、かかとの高いサンダル。
昼の街中ならともかく、夜の山道を歩く格好には思えない。
事実彼女は両腕をさすり、足を引きずるように歩いていることに気づいた湊は、思い切って声をかけてみることに決めた。
高校生にしては身体が大きく大人っぽくみられることが多いため、警戒されないよういったん猛スピードで彼女を追い越す。そして少し離れた街灯の下で止まると、今気づいたかのような顔をして
「大丈夫ですか? 怪我、してます?」
と声をかけた。
驚いた顔をした女の子の顔を見て、十八歳の湊は(可愛い!)と思ったが、その奥にいる二十六歳の湊は(え? みらいさん?)と驚いた。
ここは湊の地元で、彼女の実家は隣の県だ。大学時代も地元だったはずだから、彼女がここにいるはずがない。
それに目の前の女の子は、今のみらいからは考えられないほど、一言で言えば派手な姿だった。
都会的でお洒落な服、メイク、大ぶりのアクセサリー。どれをとっても今のみらいがしないものばかりで、どう見ても気合の入った大人のデート服のように思える。なのになぜ一人でこんなところを歩いているのか、ますます不思議な気持ちになった。
しかし、泣いていたらしい彼女の目元の汚れた顔を見ないふりした湊は、その足元にひざまずいた。
「靴擦れしてるね。歩くのつらいでしょう」
何が彼女の警戒を解いたのかは分からない。
だが幸いなことにしばらく問答した後、湊は彼女を背負って山をおりることになった。
怪我をした女の子を放置せずに済んでよかったなんてことを思いながら、湊の背中で彼女がぽつぽつ話すのただ聞いた。誰かに吐き出したいのだろうと思ったのだが、その内容は何とも腹が立つものだった。
大学生である彼女は今日、高校時代の先輩である彼氏とのデートだったこと。
その彼にサプライズで、隣の県にあるここに連れてこられたこと。
山に来ると思ってなかったから華奢な靴で足を痛めてしまったが、それに彼が不機嫌になり一人で帰ってしまったこと。
かろうじて財布は持っているけれど、彼の車で充電していたスマホは持っていかれてしまったこと。
公衆電話から自分のスマホにかけたけど彼は出てくれず、仕方がないので駅まで勘で行こうとしてたことろだったこと。足を痛めてゆっくり歩いていたところ、湊と遭遇したらしい。
「なんだそれ!? 最悪じゃないですか。男の風上にも置けないよ」
「ですよねぇ。私もそう思う」
明るい口調だけど泣いてるみたいで、彼女の顔が見えなくてよかったと思った。
彼女が仕方ないという風に、まるで自分に非があるみたいに話すから、湊の方が怒ってしまう。
おんぶしてても軽い、こんな華奢な女の子を置いていくなんて、自分なら絶対にしない。許せない、と。
そのまま駅まで送り、みらいが切符を買った。普段切符など買わないから、これでいいのかと悩み、二人で笑ってしまった。
「お兄さんの名前、聞いてもいいですか?」
改札前で彼女がそう聞いてくれたから、早口に
「仲村湊。人偏のなかに村、サンズイに奏でるのみなとだよ」
と言った。けっこう漢字を間違われることが多いから、普段の癖で詳しい時を説明してしまう。彼女が自分の名前を憶えてくれたらいいなんて、ちょっとだけ下心があったのかもしれない。
でも湊の名前を聞いた彼女の目が少し丸くなって、「年下だったんだ」と呟くのが聞こえてびっくりする。なんでバレたんだろう。
それでも丁寧に礼を言われ別れた後、連絡先を交換すればよかったと落ち込んだ。自分は名乗ったくせに、彼女の名前さえ聞くことも忘れてしまったのだ。
その時ようやく、彼女に一目惚れだったと気づいた。
「また会いたいな。くそっ」
***
「なんだ、そうだったんだ」
自分が声を出せたことにびっくりし、二度瞬きをする。
そこはまだカフェーの前で、湊はぼーっとドアの前に立っていた。
目の前に見える月はほぼ真ん丸になりかけているし、スマホは【2030年11月8日(金)】と表示している。二十六歳の自分に戻ったのだ。
まさか立ったまま寝てたのか? と自分に呆れたが、今はそんなことどうでもいい。
あの日一目ぼれした女の子のことを、湊は数年忘れられずにいた。顔もよく覚えていないのに、もう一度会いたいと思っていた。自分なら絶対大切にするからと。
それでも就職する頃にはあきらめていて、仕事で知り合ったみらいに恋をして猛アタックした。
まさか同じ人だったなんて気づきもしなかった。
無性に彼女の声が聞きたくなって、そのままみらいに電話をかける。
「ねえ、なんであの日、年下だってバレたの?」
つい脈絡もなく聞いてしまい、あわてて言い訳しようと思った湊は、みらいから
「山でおんぶしてくれた日の事?」
と、当たり前のように言われて驚く。
「えっ、俺だって気づいてたの?」
「気づいてたよ。頼りになる人だなって、ずっと思ってたもの。――なんて、本当はね、再会してすぐは同一人物だってわからなかったんだけどね」
楽しげにクスクス笑う恋人の声に、今見たものが夢ではなく本当にタイムリープしていたのではという気持ちになる。
ぐるぐると気持ちがまとまらない湊の耳に、みらいが疑問の答えくれた。
「で、年下だってわかった理由だっけ? それは、湊君の名前を聞いたからだよ」
「え? どういうこと?」
(湊って年下って意味があるのか? いや、そんなことはないだろう。マジでどういうこと???)
「聞いたことないかな? サンズイに奏でるの湊って字が名前で使えるようになったのって、2004年の9月からなのよ。従弟が生まれた時、伯母さんが湊ってつけたかったけど、一か月早くてダメだったって言ってたから印象に残ってたんだ」
(え、知らなかった)
「でもどうして急に?」
電話の向こうで不思議そうなみらいの声に、湊はゆっくりと微笑む。
何度も好きになる。そんな相手、他にはいない。
やっぱり自分には彼女しかいない。
まだ早いって言われてももいいじゃないか。あとは努力で補おう。
「うん。次のデートで、ちょっと話があるんだ」
空を見上げ、満月になりかけた丸い月を見上げる。明後日、彼女の誕生日には満月になるだろう。月の形に指輪のイメージが重なり、湊は目を細めた。
(指輪は一緒に選びに行こう)
自然にそう考え、しっかりと頷く。
明日、結婚してくださいと決意した。
***
日曜。開店前の薔薇と黒猫亭店内で、狐のようなものがくるくると楽しそうに店内を飛び回っていた。
縞模様の着物を着た女がテーブルを拭く手を止め、面白そうにそれを眺める。普段彼女の笛からめったに出てこない管狐が、こんなに楽しそうに飛び回る姿は珍しい。
「クダ、そんなに嬉しいの?」
「そりゃそうさ。これでやっと味噌にありつける!」
こんがり焼いた油揚げのような色をした管狐は、楽しそうにとんぼ返りをしてにこっと目を細めた。この過去や未来を視るあやかしは食いしん坊で、ことのほか味噌にうるさい。一番好物だった手作り味噌を作っていた女性は数年前に亡くなり、彼女の味を完全に継いだのはそのひ孫の男だった。
しかし今時の味噌は買うもので、働く男性が味噌を自宅で作ることはそうそうあることではない。
理想の味噌をまた探さなきゃいけないか。
そう思っていたある日、クダはその男性が未来で味噌づくりを再開する景色を見た。その条件が――
「彼女との結婚、だったのね」
「そうそう。みらいちゃんと俺様は、味噌の好みがめちゃくちゃ合うんだよ!」
彼女のためなら湊は丹精込めて味噌を作り続けるだろう。クダが見た未来では、結婚後に妻から褒められたことをきっかけに味噌づくりを習慣化し、たがいが総白髪になった未来でも楽しそうに作っていたのだ。
「なのにグダグダ言ってなかなか求婚しないからじれったくてな! 男ならガツンと行けってんだ!」
口調は厳しいが、店内を楽しそうに「みそみそ~」と飛び回る様子ははしゃぐ子どもそのもの。
湊がみらいにどう求婚したとか今日は指輪を選びに行ったとか、「孫の様子が自慢でたまらないじいちゃんか」と、寡黙な店主から突っ込まれるまで話が止まらなかった。
「今日の賄いには味噌グラタンでも作るか?」
根負けしたかのようなマスターの提案にクダは目を輝かせ、店員たちは噴き出し大笑いした後にもちろん賛同した。
終





横浜カフェー<薔薇と黒猫亭>