第15話ー④ 松野の駆け引き
松野は高橋にお茶を差し出した。
高橋は手をつけず、黙って座っている。
最初こそ神妙な顔をしていた松野だったが、すぐにいつもの快活すぎる笑顔に戻った。
「今日はどうしたの?」
「本を返しに来たんです」
「そう。それはありがとう。でも心配したのよ。電話しても、いつも留守電だし」
「すいません。いろいろあったものですから……」
「あなたって、喋り始めるとき必ず『すいません』って言うのね」
松野は高橋を一瞥した。
「まあいいわ。まだ正式な入信書も書いてもらってなかったし、今日は書いてくれるわよね」
「いえ……そんなつもりで来たんじゃ……」
松野の表情が険しくなった。
「本を返すためだけに来たの?」
「ええ……」
「入信する気もない人が、どうしてクラウフの壺なんて高価なものを授かったのかしら。他にもあの壺を必要としている人はいるのよ。入信する気がないなら返してちょうだい。もちろん、お金は返すわ」
高橋は黙った。
返すことなどできない。
塚原明子が、あの壺を粉々にしてしまった。
松野は、高橋が壺を手放したくないのだと勘違いしたらしい。
表情を緩めた。
「私も、せっかくあなたが授かった壺を返してなんて言いたくないわ。だから、もう一度考えてくれないかしら。それより今度、支部で『心のつどい』をやるの。今ちょうど準備しているんだけど、少し手伝ってくれない?」
高橋が答える間もなく、松野は彼を二階の大広間へ連れていった。
五十畳以上はありそうな部屋の奥には、阿弥陀如来にも似た巨大な金色の像が鎮座している。
数人の信者が座卓や座布団を並べていた。
「今日は平日だから人手が足りなくて。斉藤くんが来てくれてよかったわ。じゃあ、少しお願いね」
そう言って松野は部屋を出た。
廊下では眼鏡をかけた女が待っていた。
「松野さん、相変わらず強引ですね」
「そう?」
高橋に向けていた声から、感情が消えていた。
「さっきはヒヤヒヤしましたよ。本当に壺を返してもらうのかと思って」
「馬鹿ね。そんなことするわけないじゃない。ちょっとカマかけただけよ。でも本当に、あの子にとってあの壺が大事みたいね」
「あの壺って、そんなに価値があるんですか?」
「まさか。ただのガラクタでしょ」
松野は平然と言った。
「あとは、どうやってあの子を入信させるかよね」
「偽名のことは聞かないんですか?」
「身辺を調べたことがバレるでしょ。それは入信させてから。こっちは、あの子が高橋だろうが斉藤だろうが関係ないんだから」
*
「明日は何人くらい来るんですか?」
高橋がポニーテールの女に聞いた。
「二百人くらいかしら。季節に一回の支部の集まりだからね。この前の地方大会に来られなかった人たちも来るだろうし」
女はふと、高橋の顔を見つめた。
「あら、あなた、この間の地方大会でクラウフの壺を授かった人じゃない?」
「え……まあ」
「やっぱり。私も授かりたかったんだけど、勇気がなくて。もしよかったら今度持ってきてくれない? 近くで見てみたいの」
高橋は曖昧に返事をした。
本来なら感じる必要のない罪悪感が湧いた。
自分には無価値でも、彼女にとっては確かに価値のあるものだった。
宗教とは、そういうものなのかもしれない。
準備は午後八時頃まで続いた。
帰ろうとする高橋を、松野が呼び止めた。
「明日も、できたら来てほしいんだけど」
「ええ……できたら」
高橋は逃げるように玄関を出た。
「もっと念押ししなくてよかったんですか?」
眼鏡の女が聞いた。
「恋愛と一緒よ。押しすぎると相手が引いちゃうわ」
松野はガラス戸越しに、次第に小さくなっていく高橋の背中を無表情で見つめた。
「それに、こっちは相手の居場所を知ってるしね」




