第15話ー⑤ 怒りから生まれた悲しみ
高橋は、もう二度と天門賛美の会へ行くつもりはなかった。
本も返した。
松野にも会った。
透明なプラスチック容器の中で、カプセルが蛍光灯を反射して鈍く光っている。
心が満たされているとき、死の美学は人をそこへ誘わない。
最後の一押しには、怒りが必要なのだ。
何に怒ればいい。
もう、自分の情けなさに怒るしかなかった。
涙は出なかった。
――怒りはもう十分に、俺の中に溜まっていたんだな。
高橋はこれまで、怒りが溢れそうになるたびに他人から遠ざかってきた。
他人に怒りを向けないために。
だが今回の事件は、長い間溜め込んできた怒りが外へ漏れ出した結果なのかもしれない。
死にたい人間にカプセルを渡した。
あのとき自分が理性だと思っていたものさえ、本当は怒りに操られていたのではないか。
人間関係を閉ざしてからも、高橋は他人の幻影に怯え続けていた。
怒りはその幻影へ向かい、それをすり抜け、何倍にもなって自分へ返ってくる。
怒りが悲しみを呼び、悲しみがまた怒りを作る。
逃げ道がない。
――多分、あのとき俺が理性と呼んでいたものは、悲しみだったのだろう。
怒りから生まれた悲しみ。
爆発的な怒りが、静かに持続する悲しみへ姿を変えただけだった。
あのとき感じていた冷静さは、理性ではなかった。
悲しみそのものだった。
常に悲しみの中にいる俺に、涙は出なかった。
高橋は蛍光灯を消した。
暗闇に目が慣れてくると、自分の体と闇との境界がぼんやりと見えてくる。
指先。
膝。
足の裏。
そこに微かな熱を感じた。
――確かに今、俺は生きている。
カプセルを探す手が震えた。
昨日の夕方とは違う。
今は落ち着いている。
だからこそ、自分が死ぬということを冷静に考える余裕があった。
指先がカプセルに触れる。
カサッ。
乾いた音がした。
高橋は暗闇の中、触覚だけを頼りにプラスチック容器からカプセルを取り出した。
口元まで運ぶ。
そこで、手が止まった。
音楽が聴きたい。
そう思った。
カプセルが効くまで、ただ音に聞き入っていたかった。
もう何も考えたくない。
やがてスピーカーから、子供の頃、親父の車で聴いた懐かしいメロディーが流れ始めた。
高橋は怒りから解放されていく心を感じながら、
静かにカプセルを飲み込んだ。




