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快速四号  作者: ヤーツツ・トモミ
第二章 快速四号
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第14話ー① 日付が変わる夜

女は一緒にいてくれと言った割に、話しかけてはこなかった。ヘッドホンから、電話口で聞いたトランスビートが漏れている。時折口ずさむが、表情は放心したままだった。


 午前零時近くになり、女が突然、鞄を指した。


「その大きな荷物は何ですか?」


 すっかり忘れていた。

 クラウフの壺を取り出すと、女が覗き込んだ。


「これ、何ですか?」

「僕もよく分からないけど、宗教のありがたい壺らしいんだ」

「へえ」


 すぐに興味を失ったように、女は時計へ目を戻した。


 二十三時五十九分。


 今日中に死にたいという願いは、叶えられなかった。

 薬のために待つしかないと、高橋は自分に言い聞かせた。


 表示が零時に変わった。


「今日は、一年前、私がレイプされた日なの」


 女がぽつりと言った。


「机の写真は、その一週間前に友達と京都へ行ったときのもの。見るたび、戻りたくなるの。何もなかった、普通の日に」


 涙が床に落ちた。


「最初は、あいつらへの復讐のつもりで、この日を選んだ。でも、いざ明日だと思ったら、あのときのことが蘇ってきて……昨日のうちに死にたくなった。もう、この日を迎えたくなかったの」


 こんな出会い方でなければ、何かできたかもしれない。

 いや、今からでも説得すればいい。


 下心の混じった正義感を、高橋は押し殺した。

 俺は薬を渡すために来たのだ。


「私、今日死ぬために生まれたのかな。あいつらに、あんなことをされるために?」


 女は拳を握った。


「そんなわけないだろ」

「じゃあ、何のため?」

「生まれた理由なんて、初めからあるものじゃない。どう生きるかに意味があるんじゃないか」


 何を熱く語っているのだろう。

 依頼どおりにすればいいはずなのに。


「思いとどまらせようとしてるの?」

「ただ、思い違いをしたまま死ぬのも、どうかと思って」

「じゃあ、自殺を選ぶのは間違い?」

「……考え抜いて決めたことなら、俺には否定できない」

「もう、決めたの」


 女は唇を噛んだ。


「そうだね」


 それ以上、言えなかった。

 彼女への言葉で、自分の決断も確かめようとしていたのかもしれない。


 


「どうして、こんな仕事をしてるの?」


 しばらくして、女が尋ねた。


「俺も、君と同じだから」

「あなたも、この薬を飲むの?」

「ああ。近いうちに」

「そう……残念ね」

「自分も同じことをするくせに、人の心配かよ」


 女は目を伏せた。


「私、あなたに似た人に、ひどいことをしたの」

「ひどいこと?」

「あのとき、まだ処女だった。だから一度でいいから、ちゃんと付き合った人と結ばれたくて。それだけのために付き合って、すぐ別れた」

「その男が、俺に似てる?」

「顔も少し。でも、雰囲気が。今なら分かるけど、すごく優しい人だった」


 女は高橋を見た。


「あのときから、男の人が近くにいるだけで怖かった。でも、あなたとはこうしていられる。あの人に似てるからかもしれない」

「君が死んだら、その人は悲しむだろうね」

「そうね……。私、仕返しをしたかったのかも。あいつらの代わりに、誰かを苦しめたかった。ひどい別れ方をしたから」


 少しためらい、女は続けた。


「その人の代わりに、あなたに謝ってもいい?」

「俺は、その男じゃない」

「分かってる。私の気持ちの問題だから」

「……それで、少しでも気が済むなら」


 女は正座し、何度も頭を下げた。


「ごめんなさい」


 高橋は黙って見ていた。


 顔を上げた女の表情は、いくらか和らいでいた。


「あなたに会えてよかった。だから、あなたには死んでほしくない。私の分まで生きてほしい。勝手だけど」

「ああ……ありがとう。できれば、そうするよ」


 否定するのは、ひどく悪いことに思えた。


「少し寝ます。時間が来たら、起こしてください」


 女はヘッドホンをかけ、布団にもぐった。


 


 六時半まで、あと六時間弱。

 高橋は横になる気にもなれなかった。


 壺を手に取り、紫がかった表面に指を滑らせた。内側を覗くと、縁から底へ続く螺旋模様に吸い込まれそうになる。


 クラウフ。やはり、クラインの壺から取った名前だろうか。


 出口を探して進んでも、同じ場所へ戻ってしまう。

 俺たちも、そんなところを回っているのかもしれない。


 生と死も、どこかでつながっているのだろうか。


 高橋は苦笑した。

 宗教など信じていないくせに。


 それでも、壺を机に置き、手を合わせた。


 次があるなら、彼女が幸せに生きられますように。

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