第13話ー④ 一人にしないで
薬の受け渡しは、予定どおり彼女の家で行うことになった。家族は明後日まで旅行だという。
帰宅して彼女の亡骸を見つけたら、どう思うだろう。高橋は浮かんだ想像を追い払い、自分の役目を思い出した。
玄関には芳香剤の匂いが漂い、ミッキーマウスのぬいぐるみや置物、ジグソーパズルが飾られていた。
幸福な家族の姿しか思い浮かばなかった。この家の娘が、今から死のうとしているとは。
玄関脇の階段を上がると、彼女の部屋があった。
上村の部屋と同じように、物が少なく、整いすぎていた。
机には写真が一枚だけ置かれていた。
友人との旅行写真らしい。五人の左端で、彼女がはしゃいだポーズを取っている。今とは、まるで違う顔だった。
何があったのだろう。
だが、本人が話さない限りは聞かない。それが自分で決めたルールだった。
芳美の目はうつろで、焦点が合っていないように見えた。
すでに何か薬を飲んでいるのかもしれない。
「希望された薬を持ってきました。これを飲めば、確実に安楽死できます」
試作品だということは、言わなかった。
「ただ、他の薬を飲んでいると、うまく作用しないかもしれません。何か飲みましたか?」
芳美は、ベッドに転がる小さなガラス瓶を指した。
高橋は手袋をはめて拾い上げた。知らない薬の名前だった。
「抗うつ薬です。まとめて飲みました」
高橋は眉をひそめた。
どんな影響が出るのか、彼には分からなかった。
「それなら、今は渡せません。薬の効き目が切れてからでないと」
「切れたら、私が私でなくなる」
「でも、今日のところは……」
「いや! 今、死にたいの!」
芳美はその場に崩れ、声を上げて泣いた。
高橋は立ち尽くした。
やがて芳美は泣きやみ、ベッドに腰を下ろした。
高橋も、できれば今日のうちに終わらせたかった。だが、どれだけ待てばいいのか分からない。
彼女の前にしゃがみ、声を和らげた。
「いつも、どれくらい効いてるの?」
「六時間くらい……」
飲んだのは三時間前だという。
量が増えても時間は同じだと芳美は言ったが、確かめようがなかった。
高橋は、翌朝六時半まで待つと告げた。
そこまで待てば大丈夫なのか。根拠はなかったが、今すぐ渡すよりはましだと思おうとした。
芳美は抵抗したものの、高橋が譲らないと分かると、しぶしぶ頷いた。
「じゃあ、九時間後に戻ります」
高橋は立ち上がった。
仕事で来たのだ。女の部屋で一晩過ごすのは、違う気がした。近くで時間を潰すあてもないが、いったん帰るしかない。
「待って」
腕を掴まれた。
芳美は両手に力を込め、高橋を引き止めた。
「一人にしないで」
そのまま床に座り込み、また泣き始めた。
「お願い……」
高橋は、掴まれた腕を見下ろした。
振りほどくことはできなかった。
彼女の最後の九時間を、ここで一緒に過ごすことにした。




