第13話ー① 古巣
久しぶりに登る大学への階段は、足取りが重かった。今日で最後だというのに、哀愁など微塵もない。夏休みで人影は少なく、付属高校の生徒の列がないだけ歩きやすかった。
学生課では、背広姿の学生たちが順番を待っていた。就職活動も追い込みなのだろう。その焦りと、盆休み明けの職員ののらりとした対応には、ずいぶん温度差があった。
退学届には、自分と保護者、それにチューターの印鑑が要るらしい。学科の担任のようなものだが、高橋は授業以外で顔を合わせたこともない。そのチューターは、今日は来ていなかった。
「ご本人と保護者の欄を埋めて、また来てください」
実家には一年以上帰っていない。
退学届を見せた時の両親の顔が浮かび、ひどく憂鬱になった。
用事を終えた高橋は、以前のアパートへ自転車を向けた。
大森たちが待ち構えているかもしれない。それでも、退学の手続きを始めたことで、何かが吹っ切れた気がした。
大学から十分ほどの、学生アパートが密集する一角。何も変わっていなかった。
三〇二号室には、自分の拳で潰したチャイムと、NHKのシールを剥がした跡がある。
つい先日まで暮らしていたのに、ひどく遠く感じた。
あれから俺は、自分の理想のもとに一人の男を殺し、また次の人間に接触しようとしている。
戻れない時間の壁をこじ開けるように、高橋は鍵を回した。
天門賛美の会の事務所では、松野が大会の結果をパソコンに入力していた。
「松野さん、あの斉藤って信者、どうするんですか。あれから来てないみたいですけど」
傍らで、眼鏡の女がうちわを使いながら、次の集会のパンフレットを作っていた。
支部は今期の業績が振るわず、信者が来ていない日はエアコンを切っていた。今期から運営を任された松野にとって、抜擢は名誉であると同時に重荷でもあった。
数字に追われ、経費を削り、上からの評価を気にする。世間の会社員と、そう変わらない。
「あはは、諦めるわけないじゃない。クラウフの壺を買ってくれる上客なんて、めったにいないわ。おかげで幹部にも顔が立ったし。ちょっと面倒な子だけどね」
「そう言うと思いました。調べておきます? 確か大学生でしたよね」
「そうね。明日か明後日、大学に行ってみて。あなたくらいなら、学生に混じっても怪しまれないでしょう」
「ついでに、他の学生も誘ってみます」
「欲張って、下手な芝居を打たないでね。あ、ごめん。このプリント、ラミっといて」
松野の脳裏には、ぎこちなく笑う高橋の顔がちらついていた。




