第三十六話 サイタマーの『最も残酷な……』
~~~~「アンゼリク・ブリンキパル」[王国新体詩全集]より引用~~~~~
わたしのかわいい愛しい子、澄んだ瞳で何を見る
虚空に差し出すその掌に、いずれは何を掴むのか
冴えた風が胸の奥、やがて扉を叩くとき
こうして私を見つめていた、わたしだけを見つめていた
無垢なる瞳の、うつろうがまま
自由なこころの、求めるがまま
あなたは強く、羽ばたいて
あなたは無情に、羽ばたいて
何も残さず、飛び去った
天使とは何と、無慈悲なもの
天使とは何と、美しいもの
悲しみすら残さず、飛び去った
わたしを残して、ただ飛び去った
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……私達は結局、依然として多忙な日々を送っています。
事件を何とか無事に収めたとは言っても、街の被害は甚大なものがあった。
被害の爪痕は各所に残され、略奪を受けた商店の復旧もこれからである。
その前途の途方さには、もはやため息をつく他無いだろうか。
「ああもう……『炊き出し』への協力でしょう? 分かってますって!」
いい加減焦れているのか、キットも少し言葉が乱暴になってしまったようだ。
さて、先の『大暴動』の後、この街には『更なる危機』が訪れている。
破壊と暴力そして興奮と陶酔の悪夢から覚めてみれば、其処に待つのは『現実』と言う名の無慈悲な存在。
虚脱状態の人々が正気を取り戻したとき、破局は既に最終段階であった。
サイタマーは『一つの都市』として巨大な胃袋を抱えているが、本来それを支えているのは周辺に散らばる幾多の農村である。
街の旺盛な食欲は、農民たちの或る意味献身的な食料生産によって賄われていた。
しかし今回の『騒ぎ』は、そういった仕組みをまとめて吹き飛ばしてしまったのだ。
近郊の農村の幾つかでは、サイタマーの事件に先立った『暴動』が発生していた。
その焼失による食料生産力の低下は、決して無視出来ないものがあるだろう。
それらに加え、商店の破壊による『流通の混乱』は状況を更に悪化させていて。
気付いてみれば、何処の軒先にも一グレインの小麦も無し。
辻々にあふれるのは、腹を空かせたおびただしい貧民たち。
……それはすなわち『食料危機』というものであった。
流石に『吝嗇』を本義とする評議会もこれを放置することは出来ない。
先例を曲げて『ウラワン城』と協力体制を取り、王国の支援を求めた。
加えて構成員には、上に立つ者は「時に身を以って範を示すべし」とのお達し。
すなわちそれぞれが持つ伝手を最大動員しての『食料供出』が求められる。
こういった状況に対し、ふと私がひらめいたのが……
「まあ……結果として『ンニャックー』を輸出することには成功した訳だ。」
「兄様は結構喜んでたのだ。塩にお茶に鉄に……とにかくいっぱいなのだ、大もうけなのだ。」
これも或る意味『怪我の巧妙』と言うべきだろうか。
味については発展途上の余地を多く残すが、とにかく安価に需要を満たせるもの。
ここで私が思い出したのがグンマーランドの『ンニャックー』だったのである。
今は非常時ということで食料全般の価格は統制によって低く抑えられている。
しかし、私達のンニャックーについては元々値段など有って無いようなものだ。
小麦の半額以下という『法外な安値』を提示して、周りに随分と驚かれた。
と同時に、評議会のかなりご大層な『御歓心』も頂けることとなる。
やがて行われた炊き出しに於いてンニャックーは主要な食材として注目を浴びた。
とにかく大量に持ち込まれたそれによって、かろうじて大勢の胃袋を満たすことが可能となったのだ。
「でも今はウチも完全に『持ち出し』ですわね。ギルド札は順当に貯まって行ってますけど……これがもし『不渡り』にでもなったら」
それは勿論『とっっても大変なこと』であろう。
今回の『供出』に当たっては、当座の処置としてギルド札で支払いが行われている。
元よりこれ程大量の現金など、評議会の金庫にも存在していなかったからだ。
……そしてギルド札には、『不渡り』という特有の危険性が存在している。
すなわち我がキット商会は既に危機に片足を突っ込んでいたのだ。
キットの不機嫌さも、むべなるかなと言うところであろう。
「(でもなあ……とか言いつつ『決して』損はしていないんだよなぁ……)」
これはすなわち新規商品を『独占で』供給する故の先行者利益である。
元々値段は『有って無い』、それはすなわち此方の『言い値で』ということなのだ。
実際、ンニャックーの基の仕入れ値は『小麦の半額』どころでは無い。
現状の統制経済下ですら利益を稼ぎ出せる、それは恐ろしいものであったのだ。
ゆえに、もう一度キットを横目で眺めてみれば……
口角が上がって、ご満悦そうな様子も見て取れたのだった。
* * *
「……ふう、最近はどこ行っても人に囲まれるですの、疲れるですの。」
「聖女様、これも全て聖女様のご威徳によるものでございますよ。」
不機嫌な様子の少女を、世話役のエルフはなだめる。
さて『あの一件』以来、聖女ルミナスの人気はもはや最高潮に達していた。
実際無理もないだろう、何しろ都市を揺るがすような騒動を彼女は殆ど一人で収めてしまったのだから。
そしてその際に使われた手段が武力では無く『歌』であるという事実。
それら全てが、もはや一つの『生ける伝説』としての評価を彼女に与えている。
「聖女様……出来れば『爵位』の話も受けて頂けると有難いのですが」
困り顔の騎士を、聖女は冷たく突き放す。見ている私達も反応に困る。
王国上層部も対応に苦慮していると、ゼフィなどは愚痴っていたか。
今回の『功績』に関し、王国も最大限の誠意を以ってそれに応えようとしていた。
聖女ルミナスに『爵位』を与え、正式に王国貴族として遇しようと提案したのだ。
本来アカデミーの成員と見なされている彼女については、これは異例でしかも望外の名誉に当たるだろう。
普通の境遇ならば、『望んでも得られない』こんな機会を袖にする事など有り得ないのであるが……
「(まあ……『栄誉栄達』とやらも、この娘にとってはただ煩わしいだけのものなんだろうな……ルミナらしいと云うか)」
むしろ気持ちの良さすら感じられて、私はふと口の端がゆるむ。
だがそこで鋭い視線がこちらを向いて、
「アイン殿……貴殿も『他人事』のような顔をしないで欲しいのだが? 叙任の話などはそちらにも行っている筈。」
ゼフィの台詞に、思わず息が詰まる。矛先がこちらに向いたようだ。
言い訳を必死でひねり出そうとしたところで、
思わぬ援けが入ったのだ。
「今の段階でご主人様が『叙任』など受けてしまうと、こちらとしても身動きが取れなくなってしまいます、どうかお見逃しを。」
慇懃無礼な言葉が発されてそののち、
「何しろ『グンマーランドと』ここまで深く付き合えてるのは『ウチだけ』なんですから。この機会を上手く使えば『評議会の掌握』だって可能な筈ですよ……!」
キットの口角が邪悪な形に跳ね上がる。
とりあえず、その極論には絶句する他無かった。
そんな困った状態の空気の中へ、
「主様お喜び下さい! 森の奥より『ミナグンマーダイショーグン』の冠が届けられました……!」
喜色満面、遠慮は無用といった感じでアルスラが乱入して来る。
ミナグン何とかって……何ですかね。
「ダイショーグンですよ『ダイショーグン』! ああ! 主様にお仕え出来て本当に幸せです。なんと素晴らしい名誉でしょうか!!」
「兄様が、今度の『お礼』に主様に贈り物なのだ! 褒賞の品なのだ!」
彼女たちは完全に興奮状態だ。
台詞からして、グンマーランド絡みで何か贈られて来たらしい。
よく見ると、手には何かの骨製の『不気味な冠』らしきものがあるが……
「ささ! まずは『コレ』をかぶるのです! 栄誉の証ですよっ……!」
ぐねぐねとねじくれた骨から成る物体は、見るからに『禍々しい』外見でした。
思わず躊躇していると、
ポンデの一声に、配下のメイドさんたちは機敏に行動する。
がしっ!
肩が掴まれたかと思うと、手早く髪が整えられて次の瞬間には、
がぽっ!
何か頭にかぶさっていました。
そしてしばしの沈黙、やがて、
聖女がやはりそれを破る。
次の瞬間、皆が大爆笑。
こちらの事情にはお構いなく、ひっくり返るように笑う。
しかも元凶のこいつらまで一緒に笑っている。
……こうも一方的に笑いものだと、何だかムカついて来た。
とりあえず『コレ』を脱ごうと思い、手を掛けるが、
がっちりとはまった冠はびくともしなかった。
「きゃははははっっ! お兄様、そのポーズ何かヘンですのっ……!」
慌てふためく様が、更に何かのツボにはまったようで爆笑は続く。
……結局この日は一日中大騒ぎでした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……そちらの事情は理解したとは言え、それはちょっと躊躇ですねぇ」
依然殿下は渋い顔を崩さない。この話を持ちかけたときからそうだった。
「いえ、どうかお気になさらず。殿下にはこれから『矢面』に立って頂くのです、むしろ当然のことですよ。」
「しかし……自分のものでも無い『功績を譲られる』というのは……」
「いやいや、殿下も充分に活躍されましたよ、大したものですって。」
こちらも少し気まずいが、それでも説得は進める。
結果として、これが双方に最も利益になることなのだから。
王国からの『叙任』がどうのこうのという点について、あれから対策を考えてみた。
とりあえず断ってしまえば話が済むかと思ったら、そうはいかないのだとか。
「……私は所詮『平民』なんですから、報奨金だけ頂いてそれでおしまい、で十分だと思うのですが?」
「そうですよ。勿論それなりの金額と、あとちょっとした勲章の一つぐらいが『相場』ってものじゃないですかね、この場合。」
ゼフィが物憂げに息を吐いた。
「聖女様のほうが結局断られてしまったからな、御上としても引っ込みが付かなくなっているのだろう……どうにも強情なんだ。」
「ただ……その割に『強制任官』とかしない辺り、微妙に遠慮しているようでもあるし……まったく何が何だか」
かぶりを振って、
「とにかく、私たちも板ばさみでね、本当に困っているのさ……」
彼女は困惑し切った顔をしていた。
「書記官やら補佐官やら、下っ端の奴らが不景気なツラで毎日のように泣きついてくるんだぞ……私の身にもなって欲しいよ。」
キットが反論しようとするがそこで、
「王国としては『信賞必罰は国の基』。これ程の『功績』にはちゃんと報いないと周りに示しが付かんという訳さ……勝手な理屈と言われるかも知れんが。」
ゼフィは肩をすくめる。
「……しかも近頃では大貴族まで騒いでいるようでね。御国の有難き下賜を断るとはけしからん、何たる増長かとか何とか……やれやれ」
彼女の苦慮はそれなりに理解出来た。
しかし、こちらにもこちらなりの内情というものがあるので……
とりあえず唸るぐらいしか出来ない。
だがここで、
「……そうだ! この際『身代わり』を立てるというのはどうでしょう?」
キットの顔が、小狡いものになっていた。
「活躍って……僕がやったのは手順通りに魔法具を組み立てたのと、あとは後ろで少し調整をしたぐらいなんですけどねぇ……」
「そ、そうですよ。それと聞いた話では、アカデミーに『最初に』連絡を取って頂いたのは、殿下からだと言う事なんですが……」
こちらとしても少々心苦しいが、それでも説得を続ける。
なにしろ、『彼』こそが状況的に最も『ふさわしい人間』であるのだから。
「ああ、それですか……確かに、自分は『学者王子』なんて呼ばれてる位ですし、アカデミーとの付き合いは結構長いですからね……そんな事もあったような。」
「……でしたらやはり、殿下の『功績』は無視出来ません。あの『魔法具』は実に大したものばかりでした。」
「アカデミーの協力無しには、あれ程の成果は覚束無かったでしょう。人脈こそ『力』ですよ、どうか自信をお持ち下さい。」
お、少し目が出て来たのだろうか。
「お願いしますよ。自分達『下っ端の庶民』としましては、上の方に正しく光が当たってもらわないと安心してご褒美の一つも頂戴出来ないんですから。」
彼の顔に、多少の迷いが見える。よしここは……
「(ひそひそ)……ここで上手く出世しておけば、ゼフィとも釣合いが取れるんじゃありませんか? これは『良い機会』ですよー……」
お、これは効いたか? クラフツ殿下の顔色が明らかに変わった。
「……わ、分かりました! そこまで勧められては、断るのはむしろ失礼に当たるでしょう。」
殿下が破顔する。
……よっっし、説得成功! これで一安心だ。
一方でゼフィは、少し怪訝そうな顔をしていたのだったが。
「(ひそひそ)それじゃゼフィ様、後はこっちで上手く纏めてしまいましょう。ええと全体の指揮は殿下が取っていたという事にしますから……」
「(ぼそぼそ)……そ、そうだな、奏上書は怪しまれないようにしないと。アラや突っ込みが出ない為にも……」
ともあれ、後の『悪だくみ』は彼女に任せてしまおう。
一仕事終えたあとは、実にお茶が美味しかった。
* * *
さて、世間的な論功行賞も一通り収まりつつある。
「……ええっ? どうして僕が『全体の指揮者』みたいな事になってるんです? 全然実態と違いますよ!」
少々騒ぎもあったようだが、まあ良いことにしよう。
今回の件を振り返ったとき、『勲一等』が聖女ルミナスであることは論を待たないだろう。
実際、こうして私達が平和にお茶など嗜んでいられるのもやはり彼女の『力』に因るところが大きい。
魔力の篭った『歌声』は、正に奇蹟を呼んだのだ。
「ふーーん? 王太子殿下からのご招待? ……面倒ですの、ルミナは此処を離れたくないですの。お土産の『お菓子』だけ受け取っとくですの。」
とは言え、あの煌きの少女は『その程度の偉大さ』など毛先程も気に留めない。
ただ、その透明な笑顔と少々の我侭でもってひたすら周囲を振り回すのだ。
絢爛たる名聞名利すら、きっと聖女の微笑み程の価値も無い。
そう思うと、何だか少し妙な気分になる、でもそれは愉快だった。
となると次に個人的に『やるべき事』を片付ける必要があるだろうか。
勲一等は聖女で決まりであるとしても、それでも『功一番』はもう一人。
他ならぬ『彼女』が居なければ、やはり全ては無に帰したであろうから。
ゆえに私は、彼女の名を口にする。
アルスラが、優しく微笑んでいた。
ふと呼び止めて、すうと彼女が近付いて、ほつと心臓が高鳴って体温が上がる。
次の言葉に、何故か悩んでしまう。
アルスラが、優しく微笑んでいた。
「……ええとアルスラ、この前は大変だったね、あれから体とか壊してないかなあんな無茶をしたからちょっと心配だよ。」
唇から出ずる言の葉はからからとして妙にたどたどしく。
アルスラが、それでも優しく微笑んでいた。
「それでアルスラ……やっぱり一番『活躍』したのは誰かなということになったら、それはきっと君だと思うんだ君がいなくてはやっぱりどうしようもなかった」
やはり自分は、こういうとき不器用に口がまわらなくて、
「ええとアルスラ、アルスラ、だから私はすごく感謝しているんだ」
アルスラが、ずっと優しく微笑んでいる。
「だからねアルスラ、何か欲しいものとかないかな? してもらいたいことでもいいよ、とにかく、何か君にお礼がしたい。」
彼女はただ静かに沈黙していて、
軽く首を振り、次に、
「私は主様のお側に仕える者として、ただ主様のお役に立てれば良いのです、本当に。」
彼女の言葉は、はっきりと。
彼女の決意は、しかとしていた。
今度は私が沈黙する番。
少しの間緊張するような静けさが続いたが決して心地悪いものではなかった。
アルスラの瞳はそれでも慈愛と優しさにあふれたものであったから。
やがて、ふと……
言葉と共に、
体が持ち上げられる感触があって、動き出す。
軽く抱きかかえられて運ばれる。
たんたんと階段を軽く持ち上がって
私が問うと
彼女は応えた。
顔を寄せると頬に当たる熱い感触。
扉を開けて暗がりに逃げ込むと混じり合う熱い吐息。
帳の隙間から弱く光が差し込んで彼女と私の横顔を照らす。
影絵みたいに今の私たちはただの輪郭のような存在になって、そして、
そしてひとつにとけあう。
濡れたような声が喜ぶみたいに泣いてやがてもっともっとと責め立てる。
彼女の長い手足が絡まると自分はこの優しい牢獄に閉じ込められた。
首筋にくちびるを寄せてふつと落としてほつと落として熱が渦になる。
肌がすれ合う感触はなんだかとても心地がよくていつまでもこのまま、
このままずっとひとつでいたい。
……ああ、幸せだ。
誰かと繋がるのは、こんなにも気持ちが良かった。
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最近は外出が続いたので勉強がおろそかになっている。
放っておいても何か困る、というものでは無いが後でシルヴィが煩いのだ。
それにするべきことをしないというのも尻の座り心地が悪くなってしまう。
だから本日、ルミナスはそれに専念して来客なども断ることにしていた。
静かな部屋でひたすら本を読み続ける時間はただ流れてゆく。
だがそこでふと、感覚に『何か引っかかる』のを知覚する。
それは微かなものであったが自分はこういうときの直感は疎かにしない。
実際、それで難を逃れたことなど幾度あったことか。
改めて神経を張り巡らし、魔力を循環させて、呼吸を整えた。
ふと部屋の端に視線を移動して、そこに、
一点を睨んだとき『在り得べからざるもの』は姿を現す。
悪びれもせず、女の声音、透き通るように。
其処に『居た』のは、まさかのレニ・ライヘンスターだったのだ。
不審げな声音、とげとげしく。
「いえ別に。普通に、当たり前に扉をくぐって入っただけですわ。」
視線は互いの相手から決して外れることは無い。
レニは軽く手を組んで、
「ええ、『認識阻害』って意外と便利ですわね。あの子達に教えてもらったときはそんな都合の良い効果なんて有り得ないと思っていましたのに。」
「……ねえご存知かしら? あの子達はいつもこれを使って身を護ったつもりになっていたようだけれど、『こういうもの』は必要なときに、必要なだけ使ったほうがもっとずっと効果的なのよ……」
言葉は歌うように響いた。
聖女の舌打ち。
挑発的な台詞と冷却される距離感、空気の成分に危険な微粒子が混ざる。
だがそこで……
拍子抜けしたような雰囲気で、
彼女は透き通るように笑ったのだ。
* * *
話し合いには自室は不適なので客間を使う。
冷え冷えとした雰囲気のまま、ルミナはただ卓に着く。
レニは既に席に着いていて、豪胆にもすました表情をしていた。
傍らのシルヴィは困惑した顔を隠し切れていない。
手が鳴らされて給仕が呼ばれ、それは侍女長のメアリーですら緊張の様子。
少しかたと器が音を立てたのも無理からぬことなのだろう。
彼女が静かに口を湿らせると、どうやら準備は整ったようだ。
場の始まりは、最初は滑らかに。
そして一方は沈黙を保つ。
「今度のことは、あなたの『勝ち』だわ、大勝利。ええ、おめでとうございます聖女様。」
ときどき見せる白面の表情で、彼女は流暢に祝辞を述べる。
「……これであなたの『輝かしい未来』は約束されたも同然ね。」
少し口の端が歪む。
少女は表情筋を少しも動かさず、
鼻息が僅かに漏れて、
「……なら一通り聞いてやるから、済んだらさっさと帰れですの。」
言葉はあくまでも突き放すようだった。
ここで初めてレニの顔面が僅かに痙攣する。だがそれは直ぐに、
「あらぁ……ひどいですわ聖女様! 慈悲深きあなた様ですもの、『哀れな私達』の運命を、少しは悲しんで頂いてもよろしくてよ……?」
少し過剰な演技じみた動作は、彼女の心理を表しているようだった。
「ええ、あなたの勝ちよ、そして私達の『負け』。勝利者は全てを受け取り、敗者は全て失う。」
「私のライヘンスター商会も『これでおしまい』だわ、結構歴史のあるものだったのに。父から受け継ぐことになってしまったときは忌々しくも感じたけれど」
かぶりを振って、
「今はこんなにも寂しく感じているなんて、本当に可笑しなものね。」
そしてこの時彼女は、本当に寂しそうな表情をしたのだ。
「……ねえ、私どこで『間違えた』のかしら? 教えて下さらない……?」
それは演技のように、鮮やかな悲しみだった。
だけれど聖女は、何も言わない。
「あの子達のこと聞きたい? 聞きたいわよね、教えてあげる。」
詠うような響き。
「あの子達は光に『還った』わ。キラキラとして、きっと元の場所に還ったのね。最後だけはさすがに殊勝なこと言ってたけれど、後悔でもあったのかしら?」
「ねえ、あの子達って『哀しい』わよね。だって本当に消えてしまったんですもの。影も残さず、跡も残さず、思い出も、心残りも何もかも。」
「これは『恨み言』なんかじゃないわよ。あの子達はいろいろあなたについて言っていたけれどそれでも心底羨ましそうだったきっとあなたはあの子達にとって希望と期待の存在だったのね。」
するすると繰り言は自然に湧いて出る。言った自分が戸惑いすら感じるほど。
「……そんな相手を結局滅ぼしてしまって、あなたは今どんな気分?」
相手の口が微かに動いて、それは「知らない」とでも言ったようだった。
「でもこれって非道いと思わない? あの子達はこれほどあたしを巻き込んでおきながら、最後に謝ってお礼を言って消えてしまったの。最後だけ綺麗に終わらせようなんて……本当に身勝手だわ。」
少し、空白、そして
「結局あいつらはあたしを置いて行ったのよ……ひどい! 腹が立つ!」
忌々しげに吐き捨てる。
「あなたたちって、本当に、心底『我侭』なのね……そう思わない?」
やはり聖女は、何も言わない。
「……ねえ、この事は知ってるかしら? 私もしかしたら最初に『アイン様』と会えてたかもしれなかったの彼がこの街に来たとき直ぐに話をしに行こうかと思ったのよねぇ。」
「……ああ、あの時躊躇なんかしなければ良かったわ。例え冒険者ギルドと云ってもやり様は幾らでも有った筈ですもの。」
「……そうすればきっと、彼を『味方』に出来ていた、そうなのよ。」
少し、寂しい顔、そして、
「そしたら今頃、あなたと私、立場が逆だったかもね……そう思わない?」
彼女は空虚に笑う。
聖女は何も言わず、鼻で笑ったように見えた。
「ああでも良かったわあなたと話せて。こうして私は『失敗の原因』に気付くことが出来た、次はもうきっと同じ間違いは仕出かさない。」
「……これで『収穫』ひとつ。あなたには『貸し』がひとつよ、だから」
彼女は次に会うときにはという言葉を喉の奥にしまい込んで、
しばらく、何か考えているようにも見えた。
そして聖女は、何も言わない。
「それでは聖女様、これはレニ・ライヘンスターの心からの『お願い』です。」
居住まいが正される。
少女が僅かに目を見開いた。
「ねえ? 『私達』って、きっと『似たもの同士』よね。だったら……」
レニが薄く笑い。
ルミナが薄く笑い。
それは或いは魅力的な提案に思えたかも知れないが彼女はやはりそうでは無かった。
吐き捨てる言の葉は明確な拒絶の意思。
発された言語はもはや後戻りすることは出来ない。
彼女は少し残念そうな顔をした。
そうして次にレニは壮絶な笑顔で言うのだ。
それがレニ・ライヘンスターの捨て台詞であったという。
……その後の彼女の行方は、誰も知らない。




