第十九話 サイタマーの宴の後始末
~~~~~~「蒼が白くなってゆく」[王国新古詩選集]より引用~~~~~~
僕らは軽く馬鹿騒ぎをしながら
床の上でぐるぐると廻った
もうすっかり船酔いみたいになっていたが
奴らはもっともっとと要求したんだ
部屋はますます飛び跳ねて
天井も吹っ飛んでしまった
もう一杯飲れそうな気分だった
それはずっと後のこと、その人が話をする
それを聞く彼女は、最初まるで幽霊みたいで
やがて白くなってゆくよ、蒼の貌
彼女は言っていた
理由なんか無いわ、でも実際はご覧の通り
でも僕は別なことをしながら迷っていて
彼女を可哀想な目に合わせたくないと思ったんだ
僕の目は開いていたはずだけど
ひょっとしたらそれはもう閉じていたのかもしれない
それはずっと後のこと、その人が話をする
それを聞く彼女は、最初まるで幽霊みたいで
やがて白くなってゆくよ、蒼の貌
彼女は言っていた
次の休暇には、家に居るつもり
でも実の所、休暇どころか僕たちは海の上行きだった
彼女を鏡の前に連れてきて、無理に約束させた
君は海の幸を連れて来る人魚になるんだ
でも彼女があんまりにも悲しく微笑むものだから
僕はもう怒ることも出来なかった
もし、音楽が愛の糧なら、笑顔はその女王だ
後ろも前も分からないこんな世界じゃ
キタナイものは本当はキレイなのかも知れない
僕の口はうねうねとひん曲がり、頭から真っ直ぐに滑り落ちる
そして僕たちは真っ逆さまに潜って、海底にぶち当たった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
……私達は、ようやくサイタマーに戻って来ました。
とは言っても、私自身はそのときの事をよく覚えていない。
何故なら、疲れ切っていて深い深い眠りの中にあったからだ。
あの一件の後は、確かそんなやり取りだったと思う。
微笑んで見つめる彼女の顔や、心配そうに見る彼女、彼女達の顔を眺め……
そこで私の意識は途切れる。
それからは、ひどく、柔らかくて、暖かい、感触だった。
後からキットに聞いたが、そこからが結構大変だったらしい。
色々と物資は残されていたが、誰かさんの魔法のせいで使える物が結構少ない。
やたら腐っていて、生ものなんかは全滅に近かったそうだ。
とりあえず金目のものを適当に、それから馬車を確保。
ここまでは良かったのだが肝心の『馬』がなかなか見つからない。
オマケにうろうろしていたら一部の死体がゾンビになって襲って来る始末。
ルミナとノノワが大活躍したそうだ。
で、あとは私を含めた『荷物』を積み込んで、未だ混乱の続くレッドフェザーの宿場を急いで通り抜けた、という訳である。
警備の兵たちも、忙しくてこちらを構う余裕も無かったらしい。
ほとんど素通りだった、とのことである。
そして、私はその間の記憶は殆ど全く無い。
ただひたすら眠っていた。
あんまり眠りが深くて長いので、心配したアルスラやルミナが側を離れなかった。
それからもう一人、遊撃隊の『ミキ』も起きてからずっと私の側に居たとのこと。
そんな訳だったから、私が目を覚ましたとき彼女達に顔を覗き込まれていたのだ。
よく分からなくて手を伸ばすと、
ものスゴイ声が響き、一発で目が覚めてしまった。
それからの騒ぎは、まあ想像の通りである。
アルスラが喜んで抱きすくめて来たのだが、折り良く腕が首すじに嵌った。
必死の思いでタップして知らせようとしたが、彼女は気付いてくれない。
死線をくぐり抜けた先には、臨死体験が待っていた。
「(ギブ、ギブ! はまってる、はまってるよ! ああ……死んだお母様の姿が……)」
お母様、もう一度あなたに会えるなんて、思いもしませんでした……。
そんなこんなの騒ぎの中、ミキが訳有り気な視線を送って来ていた。
私も何となく思い当たったので、御者をしていたキットに声を掛ける。
彼女に言って少し道から外れてもらい、ミキと二人だけにさせてもらう。
ルミナやポンデが不満げな顔をしていたから、あとでなだめないと。
そう声を掛けると、ミキは急にその場に平伏してしまう。
彼女からあったのは、いきなりの謝罪。
さすがに戸惑ったが、先ずは詳しい話を聞くのが先決だろう。
こちらも色々とよく知っていない部分も多いし。
そうして、ミキが彼女側の事情を説明してくれたのだ。
遣いに出されたが、大した役に立てなかったこと。
だが偶然キットと繋ぎが出来たため、つい有頂天から警戒心が緩んだこと。
ウラワン城に書状を出したので、恐らくそれで目を付けられたこと。
……そして、彼女は後を尾行られ、そのせいで私達を危険な目に合わせてしまった、ということを。
私は、彼女の話を黙って聞いていた。
彼女は涙目と共に、その身を堅くしている。
私は、体を竦ませているミキの元に近付くと……
頭に"軽く"拳骨を落としてあげた。
「……まったくもう、普段は『普通に』喋ってくれって言ってるだろ?」
「いいって……第一、その状況から言って君を責めるのは酷だよ。」
「いいかい? そもそも情報が不足しているから、それでは冷静な判断はまず出来ないだろうし……」
その後は、彼女に私の考えを説明する。
ミキの話を聞く限り、判断を責めるのはむしろ酷というものだろう。
「時間を節約するために早便を使おうとした事は、充分理に適っている。決して間違ってはいないよ。」
実際、仮に私が彼女の立場なら、同じことをした可能性は高いと思う。
まさか『宿場町ごと』敵になっている、なんて普通考えはしない。
結局、何が問題だったかと言えば、私達が『本当に王都守備隊そのものに狙われていた』という事実に尽きるだろう。
でなければ、外れに近いとはいえ『王国本領で千人以上の軍隊』をマトモに動かせようハズも無い。
完全に、『グンマー族の姫』と『光の聖女』は、王国から襲撃を受けたのだ。
この事が意味する事態に、私は少しばかり憂鬱を感じそうになる。
「……だからね、いいかいミキ、今回の件は決して君のせいじゃないんだ。」
まだ表情が堅いな、こういうときは……
彼女のほっぺたを両方つまんで引き上げる。
むう、これは柔らかくてくせになりそうになるな。
ミキが、やっと笑ってくれた。
せめて彼女には笑っていて欲しいと、私は思った。
……大変なのはむしろこれからなのだから。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
枢機卿の執務室に、にわかに声が響いた。
「何事ですかロッティ? 仕事は常に冷静、沈着に。私は日頃からそう言っているはずですが……」
抑えた口調で、部屋の主人は答える。しかし、
「王領境、レッドフェザー近郊にて『王国軍二千名が壊滅』しました!」
この知らせには、彼も流石に顔色を変えた。
さて、これはいったいどういう事なのであろうか。
王弟カルマン殿下の下に密かに情報を流した結果、彼がその職権を濫用して最大限度の、本当に最大限度の動員を掛けたことは既に掴んでいた。
その数、後方要員も含めてとは言え『およそ二千人』。
その概要を聞いてネクロスは思ったものだ。
ああ、これは『聖女さま』の命運も尽きたな、と。
如何に強力な魔法使いとて、一人で二千人はどうにもならない。
それこそ入念な準備でもして、儀式魔法の大技でも用いない限りは。
今回に限って言えば、そんな余裕は何処にも無い筈であったのだ。
であるからこそ、彼は『事が終わった後』に備えて既に手を打っていた。
そのはずだ、そのはずであるのに……
……全ては『真逆の結果』へと導かれている。
「……くそっ! 情報だ、情報を集めろ! アカデミーの全ての繋がりで、事の経緯を探れっ!!」
ネクロスは、日頃の紳士然とした態度をかなぐり捨て、乱暴に叫ぶ。
副官は敢えて表情を動かさず、答えのみを返した。
「(いったいこれはどういう……いや落ち着け、落ち着くのだ……)」
「(証拠を残すような真似はしていない筈、とにかくここは下手に出て……)」
ネクロスは、本当に久しぶりに心からの『恐怖』を感じる。
緊張の中、それでも剃刀そのものの思考力を全開で回す。
彼は、内心の不安を覆い隠すように、思考に沈んでゆくのであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
この時間、街道は静かで、他に人も居なかった。
道を進んでいると、やがて前方から音がしてくる。
騎馬が数騎、こちらのほうへ向かってきた。
一瞬緊張し、どうやり過ごそうかと考えるが、キットが急に声を出す。
騎馬のほうも、さらに速度を上げてこちらに近付いて来る。
キットは御者台に立ち、手を振っていた。
よく見ると、その騎馬は『ラン』と『スー』だったのだ。
二人とも、ゼフィの『遊撃隊』の一員である。
「キットあんた、いったい今までどうして……っって! アイン様?!」
私が顔を出すと、何故か思い切り驚かれてしまった。
やがて彼女達の後ろから、続々と騎馬の団体がやって来る。
当たり一帯が、たちまち騒々しくなってしまった。
そして……
「何をしている! このような所で止まっている場合では……っっ?! アイン殿! 無事だったか!!」
ゼフィにも、思い切り驚かれてしまう。
ゼフィは鋭く命令を発すると、騎馬の兵たちが直ちに反応した。
馬車の周りが、ぐるりと囲まれるようになる。
やがてポンデとルミナも顔を出す、すると……
ゼフィの表情が更に驚愕に歪んだ。
彼女は直ちに馬から下り、その場に跪いて畏まる。
周りの者たちも、慌ててそれに従っていった。
その一方で、私達は途方に暮れていたのだったが。
その後、ゼフィ指揮下による完全警護のもと、私達はサイタマーの街に入る。
私は早く自分の家に帰りたかったのだが、馬車はウラワンの城へと向かった。
周囲はゼフィ以下、遊撃隊が常に張り付き大変な警戒だ。
あまりの物々しさに、自然と口数も途絶えがちになる。
やがて静かな部屋に案内された。
壁は分厚そうだし、窓には鉄格子らしきものもはまっている。
このまま『軟禁』とかされてしまうんじゃないかと、少し心配になった。
「……アイン殿、疲れているだろうがすまない。しかしこちらも、色々と確かめねばならぬ事があるのだ。」
私も、自分でも分かるぐらい表情が堅くなっている。
「城の中とはいえ、"耳"は何処にでもあるのでね。この部屋ならば話が漏れることは無い、安心してくれ。」
ゼフィがぐるりと辺りを見回す。
「……まずは、そちらの詳しい話を聞かせてはもらえないだろうか。」
不安な気持ちを抑えるためにも、私は問いを投げる。
「無論だ……貴殿らの身の安全は、私の職務に賭けて保障しよう。」
そしてゼフィは即答し、こちらを真剣に見つめて来る。
少なくとも、彼女のこの目は信用出来るものだった、私は積もる話を語り出す。
王都からの帰り、アカデミーの別荘で襲撃を受けたこと。
いろいろあって、聖女を伴って逃げて来たこと。
レッドフェザーの宿場町まで逃れたが、そこで見つかってしまったこと。
……そして、やむなく敵、すなわち『王都守備隊』を返り討ちにしたということを。
ゼフィは嘆息し、考え込むように暫く目を閉じた。
「はい。レッドフェザー近郊にて、王軍が『悪魔の術』で壊滅させられたと、既に噂になっております。」
私は内心「あちゃーーー」という気分になった。
しかし、『悪魔の術』とは有る意味『言い得て妙』な表現である。
あの惨劇は、まさにそうとしか云い様があるまい。
思いがけず、『元凶そのもの』を拾って来たという訳だ。
私は、当たり前に言葉に詰まった。
「……あ、あの……師匠が、ひょっとして『処罰』されるとかは……?」
そしてノノワが、言葉の爆弾をその場に投下する。
直ちにアルスラ以下が反応し、たちまち私の周りを固めた。
「……ゼフィ、お前とは友人だったが、主様の事となれば加減は出来ぬぞ。」
アルスラが凄む。既に一部の隙も無い警戒態勢を取っていた。
ゼフィは一時、アルスラを見つめる。
「落ち着け……アルスラ。お前と本気でやり合ったら、この狭い部屋では周りを巻き込むぞ。アイン殿に決して手は出さぬゆえ、安心しろ。」
ゼフィのその言を聞くと、ようやくアルスラも矛を収めた。
少し、その場の緊張が和らぐ。
ここで、駄目押しのようにルミナとポンデが強がった。
ゼフィはしばし、拍子抜けしたような顔をしていたが……
「くっ……くくくっ、あはははっっ! アイン殿! 貴殿、やはりモテるな!」
その後のゼフィは笑い転げて話にならない。
ただ、こちらをからかうような視線でしきりに見て来るのだ。
「……ちょっ…ちょっと、からかわないで下さいよ……参ったな……」
さすがに、いたたまれない気分になるのであった。
場が和んだところで、この後の次第を色々と話し合う。
あれだけの『事件』の後だ、何かしらの『後始末』はやはり不可避であろう。
これ以上の『政治的な事柄』は、ゼフィに任せるしかないようだった。
「アイン殿、ミキの命を救ってくれたこと、礼を言う……ありがとう。」
最後にゼフィは、小さくそう言う。
職務に於いては厳格な彼女の、珍しい『公私混同』であった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ぽつりとポンデが呟いた。
ウラワンの城の北門をくぐると、そこには既に迎えの者達が居る。
それは黒い人間の集まり。
いつぞや程の大人数では無いが、それでも百人近いだろう。
姫を迎えに来た、グンマー族の使いの者達である。
そして、『勇者オオグンタマー』は口上を述べる。
訳:よく来られた、友よ!
よし、今回は仮面の特性に合わせて加減が上手に出来た。
『以前のような』失敗はもうやらかさない。
姫に引き続いて、そろそろと門前を進んだ。
これより私こと『オオグンタマー卿』は暫しの旅に出る。
グンマーの姫君を護衛してグンマーランドへと赴くこととなるのだ。
門の上で見送るゼフィ・ベンガラムール卿や光の聖女様に向け、手を振る。
見守る王国の兵士たちの間には、僅かにほっとした空気が流れた。
『仮面の魔導師』オオグンタマー卿は、これにて王国を離れることとなった。
以後の消息はようとして知れず。後の歴史書にも、正式にはそう記されている。
だが、実際のところは……
「……勇者様、本当に森に来ないで良いのか? みんな歓迎するのだ。」
ポンデが心配そうな顔をする。
「ポンデよ、そなたの気持ちも分かる。だが主様には『使命』があるのだ。」
「女は、男の使命を邪魔してはならぬ、それが女の道だ。分かるな?」
ポンデは、小さく答えた。
気落ちした少女の姿は、ますます小さくなって見える。
せめて、元気付けてあげるべきだよな。
「もちろん! 君はもう、私達の仲間……いや『家族』も同然じゃないか、遠慮は要らないよ。」
するとポンデの笑顔が一気に輝く。
「家族……! 家族か、家族なのだな! うん、分かったぞ!!」
その言葉と共に、グンマーの姫は前に歩き始めた。
そして、グンマー族の一団は進み始める。
「すぐに、すぐに行くから、待ってるのだ、きっと待ってるのだぞ!」
ポンデが、それでも何度も振り返り、手を振る。
再会を願って、私も手を振ろう。
あの娘の声が、遠くまで響いていた。
彼女は、こちらが見えなくなるまで手を振っていた。
さあ、私達はサイタマーに戻らねば、これからが忙しいはずだ。
私は、『転移』の魔法の発動を準備した。
* * *
秘密裏に私達はサイタマーに戻る。
ゼフィによると、『後始末』については準備にもう数日かかると言う。
なので、家で『大人しく』待っていて欲しい、とのことであった。
思いがけず、休暇を取ることになる。
「……目立たないようにしないといけないらしいから、ゆっくりしよう。」
私は、皆にそう声を掛ける。しかし……
「はぁはぁ……ポンデや小娘がいたので、ずっと我慢していたのです……」
……なんか、アルスラの息が荒かった。
「も……もう我慢しなくてよいのですよね主様! ええ辛抱できません!」
アルスラが、その鍛えた手業を駆使し、力ずくで私を……
「……あぁっっ、アルスラ! まだ湯浴みもしてないから汗臭くて……!」
「そうですわ! 私達もずっと我慢してたんですからここは……!」
……その後、絹を裂くような悲鳴が聞こえたような聞こえなかったような。
ゆっくりするつもりでしたが、激しい激しいとても激しい大変に激しい休暇でした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて、ようやく「準備が出来た」との連絡が入った。
心なしか、太陽がと~~~っても黄色い気がする。
正直、あと二三日長引いたら生命の危険があったかも知れない。
言われた通り、私達は極秘裏に入城した。
具体的には、真夜中に裏口からこっそりと。
客観的に見ると、かなり怪しい行動に見えただろう。
案内された部屋に入ると、そこには大量の『薬ビン』が山積みされていた。
ルミナが正解を言う。
キットが声を上げる、私も驚きだ。
『魔力薬』はその名の通り、魔力を回復することが出来る薬である。
当然貴重で、値段も回復薬の何十倍もする。
それがここには、大量に置かれていた。
「材料に『ノンデルコーテの花』を使うから、すごい高価なんだよ。」
『ノンデルコーテの花』とは、貴重な薬草の一種である。
アルスラでもたまにしか採取出来ないぐらいに貴重なものだ。
「……ああまったくだ。やり繰りの事を考えると頭が痛いよ……」
ゼフィが嘆息する。
「でも王都で買うよりずっと安いですの。それにどうせ、後で王国に請求するから平気ですの。」
ルミナが軽口を言い、さらにゼフィは深い深いため息を付いた。
「さあ! お兄様には『コレ』ですの、しっかり頼むのですの!」
そう言ってルミナが渡して来たのは……
それは一本の麦わらだった。こんなもの、何に使うというのだろうか……
* * *
「……あんなに苦労して逃げ出したのに、また来るとはなぁ……」
私は、馬車から外を眺め、ため息を吐く。
あれからおよそ一週間、車窓には王都の風景が広がっていた。
聖女ルミナが大型馬車を仕立て、王都に帰還する。
碌に連絡もせず、先布令を出すことも無く、半ば強行軍に近い。
現状、王国本領の警護は『王都守備隊』が大被害を受けた関係で混乱状態にある。
ルミナ、そして私達は、その『隙』を最大限に利用した。
「……素早く上都し、王城に『一撃』を与えるのだ、聖女様の。」
方針について聞くと、ゼフィはそれだけを答えていた。
流石に『一撃』と云っても、武力によるものでは無いようだが。
周りをゼフィ配下で護り、側は私達で固めた『不正規混成部隊』は急進する。
とにかく、今必要なものは巧守では無い、拙速の攻めなのだ。
「任せるですのお兄様、『とっておきの魔法』をご披露するですの!」
作戦について聞くと、ルミナはそれだけを答えた。
まさか『とっておきの魔法』って、王城を吹っ飛ばしたりはしないよなぁ。
なんだか不安になって来た。
……しない……よね? 大丈夫な……ハズ……だよね……??
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
馬車が王城前の広場へと近付いた。
ルミナも私達も、既に『衣装』に着替えている。準備は完璧のはずである。
ルミナは言う、これから『お芝居』が始まるのだと。
争いと殺し合いの果てに『ペテン』が待っているというのは何とも皮肉な事だ。
だが、それが世の中というもの。
それでもルミナは、もうひとは殺しませんわ、と笑う。
……そうか、ならばそれでも、いいじゃないか、ずっとましだ。
そして馬車は止まる。
ルミナが僅かに頷き、私も目で合図する。
ここからが、本番だ。
……さあ、舞台の幕を、開こうじゃないか!
白い装束の乙女が降り立った。
輝くような纏いもの、整ったかんばせ、気高き御身、光の聖女。
楽は無く、始まりに楽は無く、静けさとともに。
花のような微笑み、舞のように手が動いて、呪文は紡がれる。
彼女の、いつもの高速詠唱では無かった。
極めて普通の速度、詠うように。
澄んだ声音があたりに流れ、人々が足を止める。
幾人かが振り返り、こちらを窺う、「聖女さま」、と囁き合う。
「地に平和を、人に安寧を、無垢なるものに祈りを、願いを天に……」
白き御姿、尊き御しるし、煌きを纏いて、輝く聖女。
空が翳り、雲が湧き起る、人の世の不安、写すやうに。
されど聖女に光残りて、輝きありて、煌きおいて。
広場は少し暗くなる。
それでも聖女は光を失うことはない。
人々の視線が彼女に集まる、まるでそれが必然であるかのように。
……そして、てんより、ひかりあれ
雲が切れ、光が差し、聖女が、光に、包まれた。
俄かに、楽鳴り響く。
其は、音に非ず、耳に聞こえず。されど、楽鳴り響く。
やがて声あり、囁きあり。
而して、聖女に祝福あり。
てんしたちが、まいおりた
それは、美しい光景だった。
ルミナには光が降り注ぎ、真に天からの御遣いであるかのようだった。
音は無いはずであるのに、それでも魂に響いてくる、天上よりの調べ。
やがて、白い衣の、愛らしい、羽根の生えた、天使たちが、
天使たちが舞い降りて、ルミナの周りを飛び、舞っていた。
まるで、一つの名画のように。
シルヴィが膝をつく。私達も慌てて続いた。
それを合図として、王城前広場にいた人々も、次々と跪いてゆく。
そこに居合わせた兵士など、統制が取れているので一斉に跪いた。
ざっという音が、私の耳に響く。
全ての人々が、その場に膝をつく。
その中心には、ルミナが立っていた。
天使たちは、ルミナの周りを飛び回る、ゆっくりと。
なるほどこれは強烈だ。
光を纏い、天使たちを招いて、従わせる。
人の世のカリスマ、ここに極まれりだ。
これに逆らえる者など、居ようはずも無い。
ルミナが王城の門に向かって進む。
人々が、兵士すらも、その前を開けて道を作る。
誰も止めることは出来ない、誰も止めることは無い。
門を守るはずの兵士でさえ、跪き、涙を流す始末だ。
当然、全ての兵士たちはその言葉に従う。
何事もなく門は開き、道が開けられる。
ルミナは堂々と前を行き、私達は悠然と歩を進めた。
さて、優雅な光景のその一方で、私は大変であった。
以前のように『一気に』では無いが、それでも大変な勢いで……
……『魔力』が吸い取られていく。
なるほど、『あの魔法』は天使を呼んでいる間中、魔力を消費し続けるようだ。
遠慮無くゴリゴリと魔力が削られてゆく、ガリガリと。
これは結構、『精神にクるものがある』……な。
そろそろやばそうだ、私は懐に隠し持った『魔力薬』を持つと……
……『麦わら(ストロー)』で中身を吸い上げた。
すると、体を薬効が巡り、魔力が回復してゆく。
まさか、麦わらにそんな意味があったとは、魔力薬にそんな理由があったとは。
今の私は大きめのローブを羽織っている。
なので、手許で何かしていても外からは分からない。
麦わら(ストロー)と併用すれば、隠れて薬を飲んでいるなどとは判別出来まい。
白鳥は優雅に水面を進むとき、下で必死に水を掻いている、と云う。
光輝く聖女様の、華麗なる行進のその裏には、私の隠れた苦労があるものなのだ。
『裏方も楽ではない』と、私はしみじみ思うのであった。
王城の中を進んで行く。
ルミナは何処に向かえば良いのか最初から承知しているようだ。
広い廊下を傍若無人に進み、よく兵士に止められないものだと思う。
と思っていたら、肝心の兵士達はルミナを見るなり、跪いて畏まる。
所謂、『よく訓練されている』というやつであろうか。
聖女が天使を引き連れているので、権威に従うのが慣れた人間では対抗出来ない。
要はそういうことだ。
少し開けた広間のような場所に出る。
廊下の一種には違いないが、やや異質な印象だ。
前のほうには豪勢な扉が見えるので、何か重要な部屋なのだろう。
だが豪華そうな衣装や、華美な装飾をされた甲冑の一団が前方を塞いでいる。
そして中央に居たひときわ豪華な服の男が話しかけてきた。
「……聖女様、こ、この先は『玉座の間』にて御座います。どうかここは、私に免じて……その…お引き下さいませ……」
彼は、見た所相当に高位の貴族のようだが、それでも自信なさげにのたまう。
彼を支えているのは、もはや周りに控える甲冑の圧力だけのようだ。
ルミナは一瞬、眉を顰める。
どうなるかと少し心配をしたが、彼女はやがて、
小さな声でつぶやく。
……すると、そこに光が下りて、美しい『大人の姿をした天使』が現れていた。
あれは……『正天使』か!
普通の天使よりも位階が上の、高位の存在である。
そんなものまで召喚することが出来たのか、ルミナは!
やがてルミナは軽く微笑むと、
短くそう宣告する。と同時に……
天使たちが、向こうを『じーーーっ』と見詰めていた。
これは……きっついな。
ご覧、天使たちが、『無言の圧力』を掛けているよ。
タービュラン卿と呼ばれた男は、それでも逡巡していたようだが、やがて項垂れる。
周囲の者達も、それに続いた。
そして聖女の声に合わせ、扉は静かに開いていった……。
* * *
扉をくぐったその先は、『玉座の間』と呼ばれる空間だ。
而してそこには、多くの人々が集う。
着飾った衣装、煌く宝石、取り澄ました表情、つくられた礼儀。
この王国を動かす、権門のひとびと。
そしてその中央には、果たして『この場の主』が其処に居た。
ルミナが代表して口上を述べる。あくまでも、晴れやかな笑顔。
対して、国王は一瞬けげんな表情を浮かべるが直ちにそれを消す。
流石にこの国最高の『貴人』だ、場の礼儀を良くわきまえている。
その場の大勢の表情にも、緊張が奔る。
互いの立場を慮ってか、誰も自分から言を発しようとはしない。
まあ、確かに難しいだろうな、状況が状況なのだし。
暫しの間、そこには沈黙が存在する。
だがその沈黙を破ったのは、意外にも陛下ご本人だった。
玉座の間に、さらなる緊張が広がる。
一方ルミナは、そんな場の気配をものともせず返事を返す。
この辺の度胸は、まったく大したものと言わざるを得ない。
「皆様のお蔭を持ちまして、此度無事に『グンマーのポンデラ姫』をお見送りしたところに御座います……姫もお喜びのご様子でしたわ。」
ルミナが堂々とその『奏上』を述べると、その場の全員の顔が凍りつく。
実際、これはかなりの『皮肉』を含んだ台詞に思えるのだ。
詳細は知られていないだろうが、それでも聖女及びグンマーの姫に何かしら『騒動』が起きたであろうことは、この場に居る者が知らぬ筈が無い。
そして、その件に王国が何らかの『関与』をしているのは『疑い無い』ことも。
ルミナは、それらの事情を理解した上で、斯くの如き奏上を述べてみせたのである。
あくまでも、彼女特有の、無邪気な笑顔で、澄んだ声で。
対する国王は、あくまでも威厳を崩さず。
そう、今のルミナは、お構いなしに台詞を紡ぐ主演女優。
「姫とご一緒出来て、わたくしたち、すっかり打ち解けてしまいましたの!」
ルミナは、あくまでも、少女らしく。
「いつまでも、仲良しですわ、『親友の契り』を結びましたの!」
ルミナは、あくまでも、無邪気に。
ルミナは、あくまでも、澄みきった笑顔で。
そしてルミナは、言葉の氷塊を投げ込んだのだ。
国王陛下は、言葉に詰まっているようだった。
およそ立場のある者というのは、『言質を取られる』ことを嫌がる。
それは、王国最高の権力者にしても同じことである。
王国はグンマーランドと『和平条約』を結んだ、確かにそれは事実。
だが、それを手掛かりに、何処かがこれ以上の友好関係を結ぶのも困る。
ましてや、それが国内最大の勢力を誇る『アカデミー』であるというのは。
ルミナが突いたのは、国王陛下の、そんな『微妙な立ち位置』であった。
ゆえに、国王は言葉に詰まっているのである。しかも……
天使たちが、国王を『じーーーっ』と見詰めていた。
これは……とてもきっついな。
ご覧、天使たちが、『無言の圧力』を掛けているよ。
ちなみに私も、『それら』の影響を受けて忙しい。
「(……あぁっっ、魔力が、魔力がどんどん削られてゆく……!!)」
魔力薬を、隠れてまた一つ消費した。
「……それは良いのですが、少々『困ったこと』がありましたわ。」
沈黙を暗黙の肯定と受け取ったかの如く、ルミナは話を変える。
「ええ、お見送りの道中『不躾な連中に襲われ』ましたの、怖かったですわ……」
そして、本日最大の爆弾が投下された。
その場に居る人間は、文字通り凍りつき、青ざめてすらいる。
国王すら、色を変え、様子が落ち着かなくなった。
陛下については、実は同情の余地も多いらしいのだが。
というのも、あの事件、実際には『王弟カルマン』の独断による暴走だったのだ。
和平派の『王太子』は無論のこと、国王陛下も現状、『事』を構える気など更々無かったのが真実である。
だが、実際には『事件』は起きてしまった。
そして、最高責任者というものは『起きてしまった事』について責任を取る必要がある……。
国王陛下の立場は、実に難しいものだった。
そしてルミナは、お構いなしに台詞を紡ぐ主演女優。
「……でも、忠義の騎士、いえ『最強の魔導師さま』に護って頂きましたの!」
ルミナは、あくまでも、少女のように。
「あぁ、素晴らしき『オオグンタマー卿』、高潔なる勇者なのです!!」
ルミナは、夢見る、少女のように。
「あのお方の御力で、『不逞な賊共』などひとひねりでしたわ!」
ルミナは、恋する、少女のように。
聖女の言葉は、事の成り行きを、他人事じみて軽く俯瞰してしまう。
国王は、暫く黙っていた。
だが、やがて聖女の言葉に一つの『手がかり』があるのを見出す。
おや、これは面白いやり取りだ。
『後始末』というから、どういう決着を付けるか気になっていたが、こういう事か。
成る程、これは妥協点としてはアリなのかもしれない。
聖女であるルミナを何者かが『襲撃』した。
それを『王国の人間』であると認めさせるのは、幾つもの問題点を含んでいる。
最悪、王国とアカデミーが、『戦争』になる可能性すら有るのであるから。
ならば、あれは『賊』『不逞の輩』としてその正体を不問とする。
そして王国は、その過程で受けた被害に目を瞑る。
またアカデミーは、その過程で起きた醜聞に目を瞑る。
そうしてこの件を、『零したミルクを嘆かない』ものとするのだ。
天使たちは、再び国王を『じーーーっ』と見詰めていた。
そして私は、魔力薬をまた一つ消費した。
次にルミナは、微妙に話をそらす。
国王は一瞬、言葉に詰まった。
が、結局言を進めさせることにしたようだ。
先ほどの事もあり、国王は既に心理的に不利な状況にある。
ゆえにルミナは、お構いなしに台詞を紡ぐ主演女優。
「ええ……ポンデラ姫には、大層『怖い思い』をさせてしまいましたわ。」
ルミナは、あくまでも、やさしく。
ルミナは、あくまでも、慈愛に満ちて。
「陛下、ルミナは姫に、何か『お見舞いを贈りたい』ですわ!!」
そしてルミナは、大胆にも『王国に要求』をしたのだった。
今度こそ、国王は返答に困る。
ルミナは、あくまでも、微笑む。
だがその一方で私には聞こえた。
聖女が、さらに呪文を唱えたのを。
……そして、そこに光が下りて、麗しい『四枚羽根の天使』が現れていた。
整った姿、白く輝く衣、美しい顔、そして煌く四枚の羽根。
あ、あれは……『智天使』……!!
高位の天使、なんて簡単なものじゃない、支配者クラスだぞ!
そんなとんでもないものまで召喚することが出来たのか、ルミナは!
しかし、そんなものを呼びだして何をするかと思えば……
天使たちは、相変わらず国王を『じーーーーっ』と見詰めていた。
これは……とてもきっついな、おい。
ご覧、天使たちが、『無言の圧力』を掛けているよ。
これは参ったね、こんなものに逆らえる訳、無いじゃないか。
『天使召喚』というのは、対人交渉用の切り札魔法だったのか。
天使たちを招いて、相手を『精神的に』圧迫するもののようだ。
凄いんだか、凄くないんだか、よく分からないなこれは。
そして私も、『それら』の影響を受けてさらにさらに忙しくなる。
「(……あぁっっ、魔力が、魔力がもっとどんどん削られてゆく……!!)」
魔力薬を、隠れてまた一つ消費した。
魔力薬を、隠れてまた一つ消費した。
魔力薬を、隠れてまた一つ……
しばらくして、国王陛下が結局折れてくれたようだった。
王国からグンマーランドには、『お見舞い』という名目で賠償金が支払われる。
その一部は、おそらくアカデミーにも還流されるのだろう。
一連の『襲撃』は、あくまでも『賊』によるもので王国とは無関係。
謎の魔導師『オオグンタマー』による魔法の被害については、これを不問とする。
……そして、王弟カルマン殿下の『病死』が発表された。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ルミナが別れの言葉を口にする。
事は片付いた、私達はサイタマーに帰り、ルミナ達は王都に残る。
そう、ここで『お別れ』なのだ。
寂しさが、つのる。
「承知した。アイン殿、そなたには何とお礼を言ったら良いか……」
「……いいよ、世話になったのは、むしろこちらの方なんだから。」
シルヴィとも、大分マトモな会話が出来るようになった。
思えば、彼女とも色々あった、本当に色々と。
合図だ、馬車が動き出す。
風景が動き、景色が遠ざかる。私は最後に……
「……ルミナ! またいつでも、遊びにおいで! サイタマーに!」
聖女は、いつまでも手を振っていた。
馬車が去った後、ルミナは傍らに向けて声を掛ける。
そこには、一見誰もいないように見えた。
だが果たして、ネクロス枢機卿は姿を現す。
彼の態度は、あくまでも慇懃で、そして丁寧で、その分『不誠実』。
シルヴィも、幾分警戒気味に前に乗り出す。
彼女ですら、既に『彼』には不信感を持っていたのだ。
その場には、非友好的な空気が流れる。
「あなたには……色々言いたい事がありますけど、まあ、それはどうでもいいですの。」
ネクロスが短く応じる。
「枢機卿様! 聖女様は、あの時『アカデミーの助けが無かった』こと、不審に思っておいでです!」
だがシルヴィが、不満をはっきりと口にする。
そう、状況を後になって整理すると、幾つか不審な点が出て来たのだ。
最初の襲撃の直後、『何故王国の兵が先ずやって来た』のか?
その後も、『何故アカデミーの救助が来なかった』のか?
それらの『疑問』に答えられる者、それは……
「シルヴィ、私は『どうでもいい』と言ったですの。だからもう良いですの。」
だがルミナは、それらをまとめて断ち切り、全てを流す。
シルヴィは、不承不承、その言葉に従う。
「それよりも、面白い物を見付けたですの。『護符』ですの。魔法を防ぐ、不思議な護符ですの!」
ルミナは懐から『それ』を取り出し、ちらと見せる。
ここで初めて、枢機卿の鉄面皮に僅かにひびが入った。
彼は直ちにそれを取り繕ったが、それでも『その一瞬』は確かに見て取れた。
ルミナは、一瞬微笑を浮かべる。
そして愛らしい猫なで声が、何かを囁こうとしていた……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
こうしてようやく、私達は『日常』に戻ってきた。
「……報酬は貰えましたけど、日数と苦労を考えると『割りに合わない』ような気が……」
そもそも今回の報酬は、本来は『姫様の付き添い』に対応したものであった。
荒事も想定しておらず、金額としてはあまり大したものではない。
しかも、額を最初に決めてしまっていたので途中の『苦労』は想定外なのだ。
「アカデミー辺りに、追加で要求でも出しません? 責任は向こうですし。」
ノノワはそう言うが、私としてはそれは避けたい。
彼らと『かかわる』のは、やはり最小限度にしたいのだ。
「主様、それについてはゼフィが『追加報酬』を出す、と言っていました。」
「へぇ! それは良かったですね! でもあの人らしくないというか……」
そう、世の中は、『持ちつ持たれつ』である。
『悪徳の都サイタマー』といえど、仁義はやはり必要なものなのだ。
しまり屋のゼフィが契約外事項に配慮することだって、有り得なくは無いのだ。
「……とりあえず、今は仕事のことは忘れて、ゆっくりしたいよ……。」
今回の件は、本当に疲れた。
しばらくは、のんびり『休暇』を楽しもうと思う。
* * *
しばらくは休暇ということでごろごろとしてすごす。
だが、或る朝のこと……
朝一番から、うるさい音が響いて来る。
しかもそれは、外はおろか、敷地内からもしてくるようであった。
「えと……何でも『追加報酬』らしいですよ。この家の『増改築』をするって言ってました……ご存知なかったです?」
キットから朝のお茶を受け取りつつ、私は結論付けた。
職人ギルド辺りから『供与があって、安く済む』とかそういう理由なのだろう。
今朝はアルスラの姿を未だ見ていない。私は疑問に思った。
いいかげん、ごろごろしているのも良くないか。散歩でもしよう。
私はそう思い立って、外に出てみることにした。
「……なんだ、『うるさい』と思ったらウチだけじゃなくて隣もじゃないか。」
外に出てみると、自宅だけではなく、隣の家も工事をしていた。
道理で騒々しいはずだ。
ここは長いこと『空き家』だったはずなのだが……
もともとこの家は、何か『よくない事』があったとかで住む人がおらず、近所の子供からも『幽霊屋敷』とか呼ばれていた場所だった。
だからこそ、かなり安く手に入れる事が出来たのだったが。
また、その辺の関係で近所も空き家が多かった。
などと言っていると、遠くの方からも『音楽』が流れて来るのに気が付いた。
太鼓や笛、鐘の音が、不協和音気味に響いてくる。
キットがしばらく耳を澄ます。
「……いえ、このメロディーは『結婚式』ですね。花嫁行列ですよ、きっと。」
「こっち……というか辺境領の一部です。それこそアルスラ姉さんのとこのような田舎ですね。」
その後は「へぇ」という感想を呟く。
その曲は、素朴で、稚拙で、ごちゃごちゃしていた。
でも何故か力強く、足に響き、体に響き、心に届く、大地のようなうた。
地に根を張り、作物を愛し、森を慈しみ、実りに感謝する、生活のうた。
ふと、音楽に聞き入る自分がそこにいた。
そこでノノワが違和感を述べる。
確かにその通りだ、さっきより音楽が大きくなっている。
というか、行列の姿も既に視界の中だった。
明らかに、『こっち』に近付いて来る。
……何だろうか、何となく『妙な予感』がする。
ちょっとした『騒動』の予感。
あの騒がしかった『和平条約騒動』を思い起こさせる、波乱の予感。
キットも声を出した。
見れば、反対側の方角から、一台の馬車が近付いて来る。
大型の馬車で、私はなんとなく『それ』に見覚えがあるような気がした。
……何だろうか、何となく『変な予感』がする。
ちょっとした『騒動』の予感。
あの騒がしかった『逃避行』を思い起こさせる、波乱の予感。
そうして、そこに、声は響くのだ。
「主様ーーーっっ! 『家族』になりにきたのだーーーっっ!!」
「お兄様ーーーっ! 『隣に』越して来たですのーーーっっ!!」
……悪徳の都サイタマーは、今日も、平和です。




