第二十話 サイタマーの吸収Chu!
~~~~~~~~「恋の只中」[王国近代詩選集]より抜粋~~~~~~~~~
教本の端 戯れに貴方の顔を描いてみる
顔を朱色に彩る まるで私に恋しているような
嗚呼 鼓動が高鳴る 奔るように疾るように
講義の後 貴方を待って居る庭の片隅
物陰に隠れ 貴方を見る 皆と笑っている貴方を見る
私は夢見る 貴方と繋ぐその手
嗚呼 望みは只一つ 我が想い伝えたくて
いつの日か 私は勇気振り絞り この想い伝えられるのか
嗚呼 貴方の愛よ 全て私のものと成れ
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……私は今、柄にもなく『講義』などしております。
「……呪文の詠唱時には無意識に行っている『イメージの想起』を、呪文の助けを借りずに独自にやってみてくれ。」
そう言ったあと、二人とも黙り、意識を集中し始める。
この前『魔力を大きく消費』した影響なのか、最近は私も『魔力の動き』のようなものを感じられるようになっていた。
自分の場合、感覚としては風を感じるのに近い。
彼女たち二人に向かって魔力が吸い込まれていくように知覚された。
そして、流れが、一瞬止まる。
ノノワが目を見開くと、標的目掛け小さな炎が飛ぶ。
破裂音に似た吹き上がりの音が鳴り、火が標的の表面をなめる。
威力は敢えて抑えてあった。火の魔法の発動に成功する。
一方……
ルミナの周りには、明らかな魔力の乱れがあった。
どうやら、発動に失敗してしまったようだ。
小さな呟きが漏れる。
「まぁ、二人とも、適当な所で休みにしよう。あまり集中し過ぎるのもかえって良くない。」
頃合のようなので、今日の訓練はこれまでにする。
ノノワのほうは、機嫌が良いようであった。
さて、最近は時間に余裕を作り、魔法使いの二人に『呪文詠唱省略』の訓練兼実験をさせてみるようになった。
自分の場合、魔法研究の過程で『いつの間にか』出来るようになったこの『特技』だが、それを他人が体系的に学習出来る程には整理していなかった。
何分、『主観的要素』が多々なので、自分一人ではまとめるのも困難だったのだ。
……元々、『この秘密』は死ぬまで一人で抱えていようかと思っていた。
だが、実際に『死にかけて』みると、僅かなものであっても自分の『業績』を後の世に残したい気持ちが強くなる。
私は、何かを、残したくなったのだ。
ルミナの表情は未だ冴えない。
「ルミナの場合、既に魔法使いとしては『完成された』存在だからね。かえって困難なんだろう。」
「ええと……でも、結構『惜しい』ところまで行ってるのは確かですわ。」
「そうだね……いっそ、私みたいに最後の『呪文名』だけ口にすれば良いんじゃないかな?」
詞をつくるというのは案外効果的な方法だ。
一つの切っ掛けから、連想されるイメージが具体的な形を取ることが出来る。
ルミナに逡巡の様子が浮かぶ。
彼女には、彼女なりのこだわりがあるようであった。
ともあれ、ルミナには好きにさせることにしている。
彼女たちの『試行錯誤』そのものが、今は一番大切な過程と思われるからだ。
『直ぐに答えが出せないのなら、色々やってみる以外に方法は無い。』
かつて私の教師だった人も、そう言っていたのを思い出す。
* * *
陽が傾き、街が紅く染まると空気が少しさざめく。
夕飯時が、近付いていた。
気が付けば、この二人は完全に馴染んでいた。
さて、アカデミー中央を『強引に』押し切って隣に越して来たこの二人である。
何でも、信用の置ける『使用人』を雇うにはもう少し時間が掛かるとかで、結果として食事は『全部』こっちにタカるようになっていた。
諸経費については『後で』精算することになっているのであるが、その条件については目下絶賛交渉中であった。
水面下の熾烈な駆け引きは、今も続いている。
「今日は珍しくお米も手に入りましたから、うんと腕を振るいますね!」
キットはこれについては実に頑固だった。
折り良く、アルスラたちも戻ってきたようだ。
表情から見るに、狩りの成果はまずまずのようである。
今日のメインは、美味しいお肉となるのであろう。
とりあえず、今日の糧に感謝し、楽しい食事を味わうことにしよう。
そうそう、ポンデは『越して来て』以降、私のことをいつの間にか『主様』と呼ぶようになっていた。
この呼び方はアルスラに合わせたのだそうだが、その理由が……
「ポンデは主様のものになったから『主様』なのだ。姉様といっしょなのだ。」
早い話、彼女的には『嫁入りして来た』ということらしい。
はいとかイエスとかアグリーとか言った覚えは無かったのだが……
「あのとき、『家族にする』と言われたときは、うれしかったのだ!」
別れ際の『言葉』がそういう意味に受け取られた、ということのようだった。
いまさら違うよなんて言うわけにもいかず、私はこの問題を先送りすることにした。
暫定処置というものは、意外と長続きするものなのである。
彼女は背負い籠をがさがささせると、『それ』を取り出す。
両手のひらに少し余るほどの、茶色っぽいかたまり。
柔らかそうな毛が生えていて、こげ茶の縞模様になっている。
顔の先に平ぺったい鼻が付いていて、足は短か目で頼りない感じがあり。
全体的に楕円形に近く、ころころした印象。
先ほどまで眠っていたらしいその『小動物』は、取り出されて目を覚ましたのか甲高く一声鳴いた。
私、キット、ノノワ、シルヴィが、飲んでいたお茶を吹く。
私は思わず叫んでいた。
さて、『ウリボー』というのは猪を大きくした"モンスター"、ワイルドボアーの子供のことである。
名前の語源は『東方語』らしいのだが、詳しい意味は不明だ。
ころころしていて、毛がぽわぽわと生えたその姿は、まさに『毛玉』と呼ぶに相応しく大層愛らしいものなのであるが、彼らの場合その『親』が問題であった。
『ワイルドボアー』は危険なモンスターである。
堅い毛皮は生半可な剣や矢など跳ね返し、お返しの突進にやられた冒険者はそれこそ枚挙の暇も無い。
雑食性で人間を積極的に襲ったりなどしないが、縄張り意識が強くテリトリーに不用意に侵入すると果敢に攻撃を仕掛けて来る。
熟練のパーティーでも、対応には要注意の相手であった。
森でウリボーを見掛けた場合、付近に『親』が潜んでいることが多いので充分に注意すること、というのは初心者の冒険者が必ず言われる鉄則の一つである。
その際、「どんなに可愛くても決して手を出さないこと」の注意と共に。
これを守らないで『親』にボコボコにされても、決して文句は言えないのだ。
「うむ、しばらく見ていたが親は現れなかった。どうやら完全にはぐれたか殺されでもしたようだ。」
『ワイルドボアー』を積極的に狩りに行く時点で、色々有り得ないような気がしますが、いいのでしょうか。
さて一方、ルミナは先ほどから卓上にいる小動物から目が離せないでいた。
瞳がきらきらと綺麗な輝きを放っている。
彼女は、すっかり『それ』に目を奪われているようだった。
おずおずと指を伸ばすと、ウリボーはびくっとした。
しばらく迷うそぶりを見せたのち、すんすんと鼻を鳴らして近付いてくる。
好奇心が、恐怖に打ち勝ったようだ。
「(はうぅぅ~~~~っっ♪ か、かわいいですの~~~っ!!)」
魅了の魔法が、ルミナに炸裂! 効果は抜群だ!
「このままじゃ『食いで』が無いから、太らせてから食べるのだ!」
やがてルミナが声をかけたとき、ポンデの話が丁度佳境になっていた。
彼女の心積もりは、連れて来たのにも『そういった』理由からなのだが……
それには当然、ルミナが絶叫することになる。
* * *
しばらく騒ぎが続いたが、最終的にそう決着した。
シルヴィは説得を試みたようだったが、ルミナの意思は固く途中で諦める。
猪肉を食べたがるポンデが最後まで抵抗したが、「こんなに可愛いのに……」と涙目になるルミナを前にして、遂に折れたようだ。
「くっ……やむを得んか……一頭分はちょっとなぁ……(苦り顔)」
金銭保障に関しても、一定の結論が得られたようだった。
「さあ! そうと決まればこの子に早速『名前』を付けてあげるですの!」
モンスターを飼うのも、名前を付けるのも初めての経験だ、勝手が分からないな。
「なら『お肉』にするのだ。どうせ適当に育ったら運命は一緒なのだ!」
……しょっぱなからポンデが『非道い』意見を口にする。
「やはりここは、すくすく育つのを願って『背脂』と名付けるべきであろう。」
畏まった口調と表情で、アルスラはやっぱり『非道い』見解を口にした。
さすがに見かねて、ノノワが口を挟む。
「確かに背脂なら『すくすく育つ』のは間違い無いですわ。でも、人ごとじゃないですし『縁起でもない』ですわ、その名前は……」
「確かに、『背脂よく育ってるね』なんて聞きたくもない台詞ですね。」
……背脂というのは、種族を問わず育ち易いものらしいです、知らないけど。
「でしょう? ですからここは、もっと優雅に『カットレット』と付けるのがよいですわ!」
勝ち誇った表情で、ノノワもやっぱり『非道い』試案を口にした。
「……えぇと……でもカットレットってのは豚肉を使うとは限らないから、ちょっと無理があるのでは?」
「ですから、ここは素直に『ポークソテー』で行きましょうよ。」
やや神妙な様子で、キットがやっぱり『非道い』候補を口にした。
「あぅーーーーーーっっ!! 皆ヒドいですの、食い物から離れろですの!!」
流石にここまで聞いてルミナがブチ切れた。
「……なんで揃いも揃って食べるの前提ですの?! 可哀想ですの!!」
シルヴィが宥めに入った。エルフ的な『センス』で、ここは何とかしてもらおう。
オル○リストとかグラ*ドリングとか、カッコイイのがあるはずだ。
「(こほん)……ならば、『シャーロット』などは如何でしょう?」
私は即答する。
「いいかい? 『シャーロット』を豚に名付けるのは許されないんだ。その名は、雌の蜘蛛かアラクネ族の女性にしか付けるのは許されない。」
そう、これはこの世の真理である、と思う。
ちなみに、『アラクネ族』というのは今では半ば伝説となっている、蜘蛛の獣人の一族のことである。私も実物は見たことが無い。
「……こうなったら、ルミナが何とかするですの……うーーーん」
ルミナがウリボーを抱え、顔を近づける。
しばらく考えこんだのち……
「よし、決めた! 『ナマハム』、お前は『ナマハム』ですの!!」
ルミナが高らかに宣言する。小動物もそれに続いた。
「ルミナも良く知らないですの、昔見た『東方語』にあったですの!」
アブラハムの親戚か何かだろうか、私にもよく分からない。
だが、彼女が決めたのなら、それで良いのだろう。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて、それより暫く、サイタマーの街に『名物』が一つ増えた。
甲高い声が響き、小さいものがとことこと歩く。
可憐な美少女が、愛らしい小動物を連れて歩く。
ウラワン城前の中央広場に、絵画のような微笑ましい光景があった。
……聖女ルミナが、ウリボーを連れて『お散歩』にいそしんでいた。
通りすがりの人々は足を止め、思わず顔を綻ばせる。
ただ、うつくしく、あいらしく、ほほえましかった。
そこには、確かにしあわせが存在したのだ。
珍しく訪ねてきたゼフィが、そう切り出してきた。
彼女も、役職持ちとなってからは忙しく、来る機会が減っている。
「この調子なら、聖女様の警備に城の人間を出すのも抵抗は少ないだろうか。」
要は王国とアカデミーとの微妙な力関係の問題であるらしい。
「アカデミーってのは結構『しみったれ』でね、警護依頼だけは寄越して費用は王国持ちにするのが常なのさ。」
ゼフィが皮肉な面持ちで内情を披露する。
「当然、こちらとしても面白くないから、どうにも身が入らないんだよ。」
彼女は肩をすくめ、仕方ないという顔をした。
「……しかし、それで『何か』あったら、お城は非難轟々ですよ。」
「分かってる、そうならないようにあたしも気を使ってるしね……。」
やはりそうだったか、時々、人影や人の気配が感じられることがあった。
あれはやはり、ゼフィ配下が密かに動いていたらしい。
「アイン殿のところはそれに加えて『もう一人』、いるんだよなぁ……。」
そしてここで、ゼフィが恨みがましい目付きをした。
『もう一人』とは、すなわちポンデのことである。
最近忘れがちだが、彼女はグンマー族の『王族』なのだ、ゼフィにとっては要注意の警護対象であるのは間違い無かろう。
思わず、こちらも低姿勢にならざるを得ない。
「……結局、アイン殿はこうなる運命さ。『力』有る者の周りには、人が集まって来る……言った通りだろ?」
ゼフィがふと、呟く。
「それで、立場も力も強くなってゆくのだろう。でも『しがらみ』も生まれ『責任』も増えていくものだよ、本当にね。」
ゼフィが、しみじみと、呟く。
「君は、『もう逃げない』んだろう? 今はそんな目をしているよ。」
私は、それでも彼女の問いには、答えられなかった。
「……ま、そういう訳だから気を付けて欲しい。アルスラの奴に、『今度また手合わせしよう』って言っといてくれ。」
そういい残して彼女は帰っていった。
結局、ゼフィは愚痴をこぼしに現れたらしい。
やはり、宮仕えというのはあれで色々と大変なようであった。
ふと、外に魔力の気配がうずまいていた。
「……おおきくなぁーーれ、つーーよくなぁーーれ♪ かしこくなぁーーれ、げんきになぁーーれ♪♪」
ウリボーのナマハムが、聖女の廻りをくるくると踊る。
楽しげな歌に合わせて、少女も廻る。
くるくる、くるくる
光をまとい、少女は踊る、小さいケモノも、跳ねる。
聖女の御許、歌が溢れ、光が巡り、そして、魔力も、うずまく。
何気無い遊びのいっときにも、魔力が動いてしまう。
それが、彼女という存在だった。
それでも、しあわせなひとときだったのだ、この時は……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて、一月ほどが過ぎた或る日……
甲高いとはとても『言えない』重低音が響く。
続いて、重苦しい足音。
暗がりに一瞬、目が光り、地を這う獣が姿を現す。
逞しい巨体、硬そうな剛毛、周囲を睥睨する鋭い目。
そこにいたのは、まさしく『元』ウリボーであったもの。
……すなわち、巨大な猪『ワイルドボアー』であった。
ウラワン城前の中央広場に、緊張が走る。
聖女ルミナが、『元ウリボー』を連れてお散歩にいそしんでいた。
通りすがりの人々は足を止め、思わず顔が引き攣る。
ただただ、すさまじく、おそろしかった。
嗚呼、少し前まではあんなにも可愛らしかったというのに。
時間の流れというのは、実に非情なものであるらしい。
思わず嘆息が漏れる。
「ルミナにこんな才能があるとは知らなかったのだ。ウチの里で飼育係に雇いたいぐらいなのだ。」
これは……多分アレだろうな、魔力を巡らせた影響だろう。
ものがモンスターということもあるが、驚異の成長速度だった。
「言いたくないが……こっちにも苦情が来ている、どうしたものか。」
さすがにゼフィが直接やって来て言う。対応に苦慮しているようだ。
シルヴィも歯切れが悪くなる。
「いやでも、ルミナにはよく懐いているから、見た目ほど危険じゃないよ『あの子』は……」
まあそりゃそうだろう、見た目は私だって怖い。
「……やはり、彼女には『ちゃんと言い聞かせた』方が良いんだろうか……」
私は今後のことについて思い悩む。
一方アルスラたちは、そう言って包丁やナイフを研いでいる。
お前ら、頼むからルミナに見えないところでやってくれ。
「ルミナには、『代わり』を用意してやるのだ、そしたらさみしくないのだ!」
さすがにゼフィも怒る。というか、我が家をイノシシ牧場にしないで欲しい。
気が重くなるが、それでもやらねばならないことはあるものだ。
私は、彼女に掛けるべき言葉を考えるのであった。
* * *
で、『案の定』ルミナからは大反発をくらった。
何を言ったのかといえば、「ナマハムは、もう十分に大人になった」から、そろそろ自然に還してあげるべき、ということ。
さらに「モンスターと人間では、住む世界が違う」ことを説いて、いつまでも一緒にはいられないのだと伝えた。
……そして結果は、斯くの如くとなる。
素直なはずのルミナにしては、えらく意固地な様相であった。
シルヴィも、普段は結構厳しいほうなのだが、それでもルミナは涙を浮かべ、強情に強固に拒絶していた。
そうなるとさすがに、シルヴィでもオロオロと迷うしか出来なくなる。
そんな彼女たちの様子を見るのは、少し辛かった。
ルミナは涙をため、服の裾を握りしめる。
私も、どうしてよいか分からない。
しばらく、時間を置こうと思ったのだった。
次の朝、シルヴィが青い顔をして駆け込んでくる。
その手には手紙を携えていた。
「たびにでます。さがさないでください。」
そこにはそう書いてある。
確かに、今朝から姿が見えないと思ったら……
間の悪いことに、今はアルスラたちが出かけてしまっている。
こういうときは、彼女が一番頼りになるのだが。
「よし、私も手伝おう。キットは、ゼフィとそれから冒険者ギルドに応援を!」
しかし、ルミナがここまで思いつめるとは想定外だった。
やはり、可哀想なことをしてしまったのだろうか、胸が痛む。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その頃、ルミナとナマハムはチチブー山脈ふもとの森の中にいた。
彼女の足ではだいぶ歩いた感覚であるが、実際はそれほど遠出した訳ではない。
アルスラ辺りなら、『散歩』程度のものだったであろう。
ふと、ルミナは昨晩のことを振り返る。
歩いていると、何故か感情が整理されてゆくように感じられたからだ。
元々、自分は常に『いい子』であろうとしていたハズであった。
尊き使命を帯び、地上に遣わされた存在。
人々を導き、天使の御術をふるい、マナを集める。
それが、わたしに、かせられた、しめい、であり……
よく分からないですの、よく分からないですの
じぶんでじぶんが、よくわからない。
いままで、いいこであった、はずなのに、
なぜか、あんなにも、ごうじょうで、いじっぱりで……
『わがまま』に、なって、しまった。
ルミナは、自分を持て余していた。
「……でっでも、これはお兄様が悪いですの。お兄様がルミナの言うことを一番に大事にしてくれないからですの、そうですの。」
「しばらくしたら、きっと『反省』するですの。そしたら許してあげるですの、そうですの。」
ルミナの独白に、忠実なワイルドボアーは応えているかのようだった。
それでもふと、呟きが漏れる。
『あのとき』、あれほどの冒険を繰り広げた自分であるから、少しの間ぐらいならなんとかなると思っていたのだ。
でも、今は、傍らの『ともだち』を除けば自分独り。
いつも側にいるエルフも、或いは頼もしく思う兄様も、今はいない。
いまは、ほんとうに、ひとりだった。
恐らくは不安な気持ちが彼女の『勘』を鈍らせたのだろう。
ルミナは、迫りつつある危険に気が付かなかった。
そしてそれは、突然、やって来る……。
既に相手の『攻撃圏内』に入ってしまっていた。
ふと、後ろを振り返ると、そこに大きな灰色の影があるのが分かる。
獣の形を取った、死の気配、命を奪おうとするもの。
ルミナはかろうじてそれだけ声を出す、ナマハムも低く唸る。
そこには大きな熊のモンスター、『ランブルベアー』がいた。
ルミナが、魔法の詠唱準備に入る。だが……
轟音、咆哮、恐怖を与えるもの。
ランブルベアーが吼え、一瞬で身が竦まされる。
ルミナはたちまち、集中を乱す、隙が出来る。
咆哮と共に、灰色の死が眼前に迫ってきた。
彼女は、恐怖を感じてしまった。
何故かゆっくりと感じられる、世界が、モノクロのように
大きな爪が、スローモーションで、ちかづいて…………
破滅の瞬間を、それでも身を挺して救ったのは彼女の『ともだち』であった。
体ごと相手に立ち塞がり、壁となる。
堅いはずの剛毛が、それでも抗し切れず、爪に引き裂かれる。
だが、ナマハムはそれでもひるまず、
ランブルベアーに突進を仕掛けていた。
巨体同士がぶつかり合い、肉の当たる音がする。
ワイルドボアーの突進だ、人間程度ならば簡単に吹き飛ばす。
だが、相手は、残念ながら、人間では無かった……。
熊は突進を受け止めると、そのまま爪を振り下ろす。
皮が裂かれ、血が噴き出していた。
ナマハムは悲痛な声をあげる、でも怯まない、停まらない。
大事な『ともだち』を守るため、相手に向かってゆく、突進する。
ぶつかる、そして切り裂かれる。
ぶつかる、そして切り裂かれる。
血が流れてゆく、地面が、樹が、岩が、獣たちが、血に染まる。
ルミナが悲鳴を上げた。
何とかしなければ、ともだちが死んでしまう。
何とかしなければ、ともだちが死んでしまう。
……わたしが、なんとか、しなければ!!
イメージを想起せよ。
憎しみ、怒り、業火、貫くやいば
我が魔力よ、わたしの敵を……屠れ!
一瞬、空白があって、次の刹那、
ルミナの視線から、『光』が放たれた。
光はランブルベアーの眉間を貫き、動きを止める。
そして次の一瞬、幾重にも分かれて広がった。
何か、ことりとしたような音がする。
次に、動きがあると……
……ランブルベアーがばらばらと、小さな肉片に、分解されていた。
* * *
目撃した人の話から、私たちは森に入っていた。
とりあえず手当たり次第に魔力探査していると、急に反応を感じる。
突然、強力な魔法の反応だ、直ちに向かってみる。
辿り着くとそこには、血まみれのワイルドボアーが倒れていた。
そして、その傍らには……
ルミナがいた、ナマハムに縋り付いて、泣いている。
「…………うっ……うぅ…ダメですの……もう、魔力が…治癒が……」
やがてこちらに気付くと、少し明るい顔になる。
「……お兄様っ! よかった! はやく、はやく治癒魔法を……!!」
私は、傷付いたワイルドボアー、ナマハムの容態を確かめた。
だが、残念ながら……これは……
心臓が止まっていた、血も流れ過ぎていた。
体はかろうじて温かいようだが、やがて冷えてゆくだろう。
手の施しようが無かった、少し遅すぎたのだ。
ルミナが震える体で、それでも蘇生魔法を試みる。
だが、動揺のあまり魔力の展開すら上手く出来ないようだ。
いつもなら、この辺で魔力を吸い取られる感覚があるのに、それが無い。
無理も無い、精神が、意識が集中出来ないのだから。
たまらず、シルヴィがルミナを抱きしめる。
彼女の泣き声は、ただ、ただ、辛かった。
一息ついた後、今度はシルヴィが泣きっぱなしになる。
ぽろぽと零れる涙は、何故かとても美しく感じられた。
それを見て再びルミナも泣き出す。
しばらくは涙、ひたすら涙の時間であった。
* * *
ノノワの土の魔法で手伝ってもらって、ナマハムを埋めてあげる。
適当に石を置いて、花を添えた。
そして、みんなで祈りを捧げる。
勇敢だった『ともだち』に、安らかな眠りを、どうか。
帰りは皆無口だったが、ルミナには一言だけ言う。
彼女にも、これは堪えたようだった。
少し、そっとしておこうと思う。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……さて、やることは前と同様だ。『イメージの想起』を、呪文詠唱無しに頭の中で作り出してみてくれ。」
そう言ったあと、二人とも黙り、意識を集中し始める。
やがて……
二人が目を見開くと、標的目掛け二つの小さな炎が飛ぶ。
破裂音に似た吹き上がりの音が鳴り、火が標的の表面をなめる。
威力は敢えて抑えてあった。火の魔法の発動に成功する。
……そう、『二人とも』成功していたのだ。
この瞬間、『無詠唱魔法』の扉が開かれた。
学習メソッドや方法論など、未だ研究すべき課題は沢山ある。
だが、それでもここに、第一歩は踏み出されたのは確かなのだ。
ルミナが、無邪気に笑う。私も笑顔が零れた。
* * *
台所でそんな話をしていると……
丁度アルスラたちが帰って来る。
何やら、『いいもの』があったらしいのだが、さて……
夕食は確かに『いいもの』だった。
アルスラたちが持って帰って来た『お肉』が大層美味だったのだ。
柔らかく、濃厚で、噛み締める度に味が染み出て来る。
いままで経験したことが無い程の、美味しい肉であった。
私も美食家という訳ではないが、それでも感嘆せざるを得ない。
これには流石に驚かされた。
「あぁーーっと、『肉は腐る直前が美味い』とかいうアレですね、聞いたことがあります。」
「はい、確かに充分火を通しました。アルスラさんに言われたので。」
なるほど、とは思った。しかし、熟成ねぇ……
ん…………?
「……はい、実は今日行った森で『大イノシシが埋めてある』のを見付けたのです。多分熊か何かが、後で食べるためにそうしたのでしょうね。」
「もちろん程度にもよりますが、かなりの部分は捨てないといけません。でも、残りの肉が『大層美味』であるのは、森の民ならば皆知っています。」
「森では稀にあることなので、我々はそれを『森の恵み』と呼んでいます。森の精霊が、我々に幸運をもたらしてくれたのだと……。」
……ええと、何か頭に引っ掛かるのですが。
それも、つい最近あった出来事が……
「違うですの! 最後までとっておいたですの! 返すですの!」
幸いルミナたちは、アルスラの『台詞』は聞いていなかったようだ。
『大イノシシ』、『埋めてあった』、『森の中』
『掘り出しもの』、『熟成肉』、『森の恵み』
ええと、大丈夫だよな、気のせいだよな……
とりあえず、『この話』は絶対にルミナにはしないことに決めたのだった。
……因みに『ナマハム』というのは生ハムが語源となっております。




