第82話 【魔王オルドヴァン視点】笑うがいい、地上で足掻く小さな命を
イシュティムフォート国の王都イシュティムフォート。
街は山に囲まれた盆地に作られている。
盆地は建物と畑であふれている。
王城は山を背に建っている。
その一室、一番高い部屋の窓から街並みを眺めている。
家々には灯りがともり、それぞれの暖かい生活を思い起こさせる。
俺はこの光景が好きだ。
魔族の国はこの国よりさらに北、山脈を越えたところにある。
冬は厳しく、雪に覆われ、一面色のない世界となる。
土地は痩せ、農業には適さない国だ。
小麦は採れず、ライ麦を作っている。
俺たちが食べているのは酸味のある硬いパンだよ。
こちらで食べるような小麦のパンじゃない。
それでも、こちらの暮らしを知らなければ、幸せに暮らしていける。
だが、こちらの暮らしを知り、そして、人間を俺たち魔族よりも下等であると定義する者たちがいる。
どの時代にだっていくらかはいるもんだ。
彼らは常に人間の国への侵略を主張する。
しかし、魔王、魔族が侵略を成功させた事例はない。
そう、皆ことごとく勇者に倒される……
それは歴史が証明している。
この部屋は人間のもの。
魔族である俺には少々狭く感じる。
だが、ここは王の居室。
それなりに大きく、ゆったりと作られている。
山岳のそれほど資金のない国だと聞いていたが、それでも調度品は高級なんだろう。
魔族の国では見られないような、精巧な柄の絨毯が敷かれている。
机も重厚で重みのあるもの。
壁には絵画が飾られている。
山の風景だ。
四季それぞれの山の絵。
春に色づき、夏は緑が映え、秋は紅葉し、冬は雪に閉ざされる。
魔族の国にはない風景が描かれている。
魔族が喉から手が出るほど欲している風景だ。
俺たちはただそれを求めているだけ。
過酷な土地ではなく、豊かな土地で、幸せに暮らしたいだけ。
どうして魔族は北の土地に閉じ込められる?
我々が罪を犯したというのだろうか?
神は、我々に何を期待しているのだろうか……
「オルドヴァン様、失礼します」
「よい。入ってくれ」
「はい」
金の魔将カリヴァナだ。
五魔将には二人の女性がいる。
そのうちの一人だ。
もう女性が何人というのも古いのだろう。
女性だ、男性だと分けて考えるのもナンセンスだ。
「どうした?」
「定時の報告です。エヴァルレンドラ帝国との戦況は引き続きこちらの優位で進んでおります」
帝国か。
人間の最後の砦なのかもしれない。
その南にあるのはアーベランロード王国、ティルヴァール諸島国だったか。
それらは魔族の国が戦った歴史はない。
なぜなら魔族はそこまで侵略することができなかったからだ。
我々もそこまで攻める必要はない。
今の我らの人口ではそこを攻め、占領する必要性がないからだ。
豊かなエヴァルレンドラ帝国の領土があればよい。
強硬派は人間を滅ぼせと言うがな。
そのリスクを取る必要はないと思っている。
見返りの少ない戦争など悪でしかない。
「そちらは心配していない。単純な戦争なら我らが勝つだろう」
「帝国は豪雨による洪水被害が深刻なようです。神の怒りを買ったのでしょうか?」
「神の怒りか……」
洪水はどうでもいい。
定期的に発生し、我らが国を乗っ取った後に起きるのならば困った問題だが、この一回だけなら、大地を潤し、豊かな実りを育てるだろう。
人間は大量に死んだだろうがね。
問題は神、か。
「……勇者はどうなっている」
一番に関心があること。
魔王は勇者に倒される。
「はい。噂ですが、土の勇者は死亡したようです。帝国は必死に隠そうとしていますが、しかし、あの目立ちすぎる勇者が表に出て来なくなったことから、恐らくは本当なのでしょう。確認作業中です。そして、木の勇者が旅立ったようです。そちらの情報は少ない。こちらは調査の部隊を向かわせました。他の勇者は現れていません」
火と金の勇者は排除した。
土が死んだか。
残るは木と水。
しかし、油断はできない。
過去、歴史ではただ一人の金の勇者に倒された魔王がいた。
圧倒的な優勢で戦争を進めていたが、一夜にして倒された魔王がいた。
魔王は必ず勇者に倒されている。
歴史上では。
魔王。
魔族の中に突発的に生じる特異点だ。
俺はその血筋でも何でもない。
ただ生まれたときからすべての属性の魔法を使えた。
魔力が他の者と圧倒的に違った。
体の強靭さが違った。
まったく別の生物……
何を考えて神は魔王をつくる?
この世界には五柱の女神しかいない。
ならば、魔王をつくるのもまた女神。
勇者召喚を手伝うのもまた女神。
繰り返される勇者が魔王を倒す物語……
その意味はわからない。
何かを伝えようとしているのだろうか。
そして俺もまた……
「ありがとう、カリヴァナ。いつも助かっている」
彼女は微笑む。
この瞬間に部下から友人へと戻る。
「オルドヴァン、深く考えないように。私が、私たちが必ずあなたを守ります」
俺の方が強いのだがな。
「俺は君に逃げてもらいたいと思っているよ」
「あら、ここには私しか残っていないのですよ。私があなたを守るしかないじゃない。木と水の魔将は帝国との戦いに、土の魔将はメリハ=ジャラティアの統治に。あら、火の阿呆……魔将はどこへ行ったのかしら?」
フォルカスは阿呆じゃないよ。
カリヴァナも口が悪いからね。
「私はグラティアにあなたのことを頼まれているのです。彼女の望みはあなたとヴィオレシアが生き残ること。私は彼女の望みを守りたいだけ」
「……ありがとう、カリヴァナ。君がいてくれて本当に助かっている。だが、しかし、君は……」
「話はこれで終わりです。私はあなたを守る。ただ、それだけ。わかりましたか?」
言ってもダメなのだろう。
彼女はずっとここにいるつもりで、俺にはそれを覆すことはできない。
命令し、他の場所へ移動させることはできる。
だが、亡き妻グラティアの親友である彼女にそれはしたくない。
彼女の意思を尊重したい。
それが彼女の命を奪うことだとしても。
彼女の命を守るか、彼女の心を守るか……
命があるなら、いつか心は変わるかもしれない。
しかし、妻の親友に恨まれる勇気もないんだ。
そして彼女を説得する力もない。
「私は貴方の後には死にませんよ。貴方の友人としてです。私の意思は、私が決めます。それとも貴方は私に命令を下しますか?」
俺の友人としてか……
「俺は友人に命令するような男に見えるかね」
「ふふふ。そうですね。そんな男の人だったら、グラティアが恋をしなかったと思いますわ」
彼女は笑う。
昔から、グラティアとカリヴァナには敵わなかった。
今後もそうなんだろ。
そして、そうでありたい。
「では、オルドヴァン様、失礼いたします」
彼女は金の魔将の顔に戻り、礼をして、部屋を出て行った。
サイドテーブルの水を飲む。
ピッチャーからコップへと水を入れて、それを一気に飲み干す。
勇者が旅立った。
殺すことができるのだろうか。
俺が生き残るために。
歴史上、どの魔王もできなかったこと。
いや……きっと俺は死ぬ。
それは確定した未来なのだろう。
覚悟はできている。
しかし、魔族が負けるのは……魔族が殺されるのは……
もし、戦争を回避できていたのなら……
ああ……フォルカスのやつはちゃんとアーベランロード王国へ行けただろうか?
あいつは方向音痴だからな。
なかなかたどり着かないだろう。
木の聖女の排除を命じてみたが、しかし、それは間に合わないだろう。
きっと、聖女が旅立った後に到着する。
それならあいつは負けない。
戦闘力だけなら、五魔将の中で最強。
勇者を除いて、あいつを倒せる人間はいないだろう。
どんなに数を集めたとしてもな。
そして、重要なこと。
娘のヴィオレシアが行方不明なこと。
部下たちは必死に探しているようだが、しかし見つかっていない。
……カリヴァナには何も聞かれなかった。
彼女は俺の企みなどお見通しなのだろうな。
ヴィオレシアはきっとフォルカスと共にある。
娘はあいつのことをことのほか気に入っているからな。
あいつが任務に出るなら、確実にくっついていく。
あいつはバカだが、真面目だからな。
娘の命令を拒否することなどできない。
困りながらも一緒に聖女討伐に連れているだろう。
娘はそれほどの力を持たない。
魔王というのは特異点だから、それが血に受け継がれるわけではない。
まあ、ほどほどには強いのだがな。
だが、魔王を継げるほどの力を持っているわけではない。
勇者がここに攻めて来るなら、そこにいたとしたら、確実に殺される。
俺を殺すような勇者だ。
魔王の力を持たない娘は殺されるんだ。
だから、逃がした。
俺が勇者に殺された後も、娘は生き残る。
俺の復讐は考えないでほしい。
勇者には勝てないんだ。
世界の隅の方でいい。
ただ、生き残ってほしい。
俺とグラティアが愛し合った証。
俺の一人娘。
彼女には生き残ってほしい。
魔王としては失格だろう。
しかし、父親としては当然の行為だろう。
俺は魔王より前に父親だったということだ。
そんなものなのだろうな。
俺はきっと勇者に殺される。
それは定め。
逃げたとしても地の底まで追って、殺されるのだろう。
しかし簡単に殺されてやるつもりもない。
命の続く限り抵抗してやろうと思う。
神が何を望んでいるかはわからない。
しかし、足掻くことは個々人に認められているだろう。
神たちの敷いたレールを外れることができたなら……
もしも、それに届いたなら……
窓から夜空を見上げる。
月が出ていた。
少し右に傾いだ上弦の月が黄色く輝いている。
まるで俺の望みを嘲笑うように。
笑うがいい、地上で足掻く小さな命を。
だが、その足掻きはいつか神に届くだろう。
俺はそう信じている。
そのために血を残す。
何代も、何代もその先に、魔王が、魔族が勇者に勝つ、そのときを望み。




