第75話 時間が経てば、きっと祝福できると思う
魔王軍の侵攻状況が気になる。
冒険者ギルドの情報ってのは精度が高いんだが、しかし、その分遅れることがある。
そして情報源は複数あったほうがいい。
つーことで、いつもの娼館だ。
通いなれたとは言えねえな。
それほど金がなかったからな。
金ができたときだけ来させてもらっている店だ。
二階建ての店で、一階は客の待合室になっていて、今日も数人の男性が待っている。
一番人気のお嬢ちゃんを狙っているんだろうな。
「おや、フェルドさん、お久しぶりね。今日はヒルダに会っていってくれないかね」
いつものおばちゃんが、しかし、いつもと違うことを言いやがる。
言われねえでも俺はヒルダがいいんだ。
「ああ、ヒルダをお願いするわ」
「あいよ。あの子も待っていたからね」
待っていた?
また、客の機嫌を取るようなことを言う。
商売人だねえ。
「あら、フェルドさん。……本当にお久しぶり。Aランク冒険者になったのだから、もう少し通ってくれても良いと思うわ」
ヒルダはいつものヒルダだ。
黒く長いまつ毛がとても色っぽい。
そして甘い匂いが、頭を少しだけ麻痺させるように感じる。
「すまねえな。子育てってのは大変なんだ」
イーナを育てていることに逃げる。
本当は来れるんだ。
金はあるんだ。
だが、イーナを育てていると少しだけ満たされる。
女性を抱くっていう欲望が少しだけ減るように思う。
もしかしたら、俺の年齢か?
いや、まだまだ俺は男だと思うぜ。
そこは自信を持っていこうや。
女性からしたらいらねえ自信だと思うが、男性に取っちゃあ重要なことなんだぜ。
「ふふふ。そういうことにしてあげましょう。ねえ、フェルドさん。今日、私、激しくしたい気分なの」
妖艶に笑う。
なんか、喰われちまうんじゃねえのか?
ま、それもいいのかもしれねえなあ。
「それで、勇者と魔王のことよね」
ヒルダが俺の腕枕で横になっている。
「ああ、その情報が欲しい」
「……そう」
何故かヒルダは寂しそうな表情をした。
それは一瞬で、すぐにいつもの無表情のヒルダに戻る。
「エヴァルレンドラ帝国と魔王軍との戦いが始まったわよ」
「本当か?」
「複数の情報があるわ。たぶん事実」
魔王軍は、やはり帝国まで来ている。
「簡単には帝国は落ちねえよな」
「そうね。だけど苦戦しているみたいね。魔王には勇者しか勝てないから」
問題はそこだよな。
魔王が強すぎる。
普通の人間じゃあ勝てねえんだ。
何故かそうできている。
じゃあ、勇者はどうやって勝っている?
俺にはわかんねえな。
「五天王っていう幹部も強いらしいわよ。帝国は前線を後退させているらしいわ」
厳しそうだな。
とすると、イーナの出番が近い。
そういうことか……
「帝国の勇者は?」
「……その話は後にしましょう。それよりもアーベランロード王国の勇者の話ならあるわよ。あなたが一番欲しい情報よね」
「ああ」
「エトムントが勇者と一緒に王都を出たらしいわ。こちらに向かっているわ」
「エトムントの仕事ったあ、そういうことか……」
エトムントは王都に呼び出されていた。
なるほど勇者を聖女と会わせるために、勇者をここに連れてくるか。
聖女を王都に呼び出すのが普通だと思うがな。
どうしてなんだろうか?
「さあ、私のところには情報は入ってきていないわ。推測はできるかもね」
「どう思う?」
「問題があるのかもしれないわね、うちの国の勇者に」
「問題ねえ……」
「どんな問題かはわからないわよ」
可能性はあるか。
俺とイーナが王都に行った際、勇者と会わなかった。
問題があったからだとすると、納得ができる。
問題はその問題がどんなもんかだよなあ。
変な奴だったら?
イーナを預けるのはなあ……
「だけど、イーナちゃんは勇者と一緒に魔王退治に旅立たなければならない。どうするの、フェルドさん?」
「ああ、わかんねえよ。そのときにならなきゃわかんねえなあ」
率直な感想だ。
どうするか、今から悩んでおく必要がある。
だが、答えなんかでやしねえんだ。
だって、勇者を見たこたねえんだからな。
そいつの問題だってしらねえ。
「そのフェルドさんに悪いことを話さなきゃいけないの」
「まだあるのかい?」
「そうね……この話はどうかしら? 水の聖女のお話」
水の聖女?
「リディアか……」
「そう、リディア・ミッドウィンター様。そして、ユージン・ミッドウィンターのお話……」
「金の剣聖がどうしたよ!」
「フェルドさんはユージンさんと仲がよかったわよね。そう……死んだわ、彼」
死んだ……?
あの剣聖が……
「なんで……」
「殺されたのよ、勇者に。帝国の土の勇者が、金の剣聖を殺したのよ」
ヒルダはしっかりと俺の目を見ている。
冗談じゃねえんだ。
少なくともヒルダが掴んだ情報ではそうなっている。
あの強い男が死んだのかよ……
じゃあ、リディアはどうしているんだ?
彼女はユージンが大好きだったはず。
「噂話だけどね、聞く?」
「お願いするよ」
帝国は土の勇者を異世界召喚した。
彼を訓練し、戦力とし、魔王に対抗しようとした。
リディアとユージンは帝国を訪れた。
そして、土の勇者は水の聖女を気に入る。
しかし、リディアが愛しているのはユージンただ一人。
嫉妬に狂った勇者がユージンを殺害。
そんなことしてもリディアを手に入れることはできねえんだがな。
もちろんリディアは嘆き悲しむ。
そりゃあ勇者を憎むさ。
……勇者はリディアに殺されたらしい。
聖女は勇者より強いのかよ……
いや、恨みを持つ女が、驕った男を殺しただけか。
彼女の悲しみはそれで納まるはずがなかった。
長く、長く雨が降り続いた。
帝国を水害が襲った。
川は氾濫し、人を家を畑を家畜を飲み込んだ。
それで帝国の国力が低下しているらしい。
魔王軍との戦争への影響も出ているということ。
「で、その後、リディアは?」
「行方不明らしいわ。誰も彼女を見ていない」
「それじゃあ、対魔王で、彼女の力を借りることはできねえってことか」
「きっとね。ティルヴァール諸島国は水の勇者を召喚しているでしょうけれど、水の聖女を失ったわ。彼女が戻ってくる可能性は低いでしょうね。まともに勇者が残っているのはうちだけっていうことになるわ。イーナちゃんへの期待も大きいわね。彼女が負ければ、人間は滅ぶのかしら? それとも魔族の奴隷として生き残るのかしらね」
「イーナは負けねえよ。きっと勝つ。そして、この街に帰ってくるんだ」
「そうよね。きっとイーナちゃんは勝つわ」
そうだ。
イーナは強いんだ。
負けねえよ。
負けやしねえんだ……
娼館を出る。
重い情報を聞いて、頭は混乱している。
あのユージンが死ぬなんて信じられねえ。
だが、ヒルダの情報を信じている俺もいる。
「ねえ、フェルドさん」
珍しくヒルダが見送ってくれる。
もうだいぶ深い時間だ。
道に人は少ない。
待合室で待っていた男たちは中に入ったのだろうか、そこには人はいなかった。
ヒルダが俺を見つめている。
「どうした?」
「もう一つ、話があるの。私のこと。あなたにとって悪い話だといいんだけど」
どういうことだよ、そりゃあ。
今以上に俺を混乱させるのかよ。
「私、この仕事を辞めるわ。私をね、欲しいって人が現れたのよ。こんな私でも愛してるって言ってくれる人が現れたのよ」
ヒルダが娼婦を辞める?
ああ、そりゃあ、そういうこともあるかと想像はしていたが、しかし、突然……
「だから、私、彼のところに行くことに決めたわ。今日ね……」
「ああ……」
なんて言っていいのかわかんねえ。
「……ふふ。そうよね、止めてはくれないわよね」
「い、いや、俺は!」
「いいのよ。フェルドさんはイーナちゃんを大切に思っている。そんな優しいフェルドさんが私は好きだったんだから。だから、ここで私を引き留めるようなフェルドさんは嫌い。この結果しかなかったのよ。私はお別れなんだわ」
「……すまねえ」
「いいの、この結果しかなかったのよ、私たちには。私、幸せになるわ。きっと、幸せになる。だから笑ってね」
だが、ヒルダは泣いている。
「最後に」
ヒルダは抱きつき、キスをした。
「フェルドさん、今までありがとう。私、あなたのことをとても好きだったわ。本当よ」
俺は……
「そう、もう一つだけ、お願いね。私が頼めるのはフェルドさんだけだから」
ヒルダはもういつもの表情に戻っていた。
強いってわけじゃねえと思う。
強がっているのかもしれねえ。
だが、俺は、最低な俺は、彼女の覚悟だけは受け入れようと思う。
「なんだよ、言ってみろよ。俺にできることならなんでもするよ」
「その言葉、聞いたわよ。さあ、ドロシー出てきて、挨拶しなさい」
ヒルダが娼館の中に呼びかける。
一人の少女が出てくる。
体は細く、ずいぶん若い。
「ドロシー・スノーと言います。ヒルダ姉さんにはお世話になっておりました」
ドロシーは不器用にお辞儀をする。
彼女は少し不幸げな顔をしている。
ああ、娼館では人気が出ないかもしれねえと、失礼にも思っちまう。
男ってもんは、娼館に性欲と、それと安らぎを求めてくるんだ。
せっかく買うんなら、美人で、優しいほうがいい。
この子は難しいかもしれねえな。
「フェルドさん、この子をお願いね。あなたの指名にして」
「ああ、そういうことか。しかし、俺はヒルダに情報を……」
「それも引き継いでいるわ。この子は優秀よ」
ああ、そういうことか。
抜かりねえなあ。
俺はヒルダには勝てねえよ。
「わ、私じゃダメでしょうか?」
「ドロシーこそ、俺みたいなおっさんに抱かれていいのかよ」
「わ、私、フェルドさん、好きです。ずっと、ヒルダ姉さんからお話は聞いていました。とても憧れています!」
どんな話をしているんだよ、ヒルダ。
「大丈夫よ、ドロシー。フェルドさんはしっかり男性ですからね。裸の女性が抱き付けば、しっかりと抱くわ。問題ないわ」
……どんな認識だよ、ヒルダ。
「フェルドさんもわかっているでしょう。この子は人気がないわ。だけどとてもいい子なの。本当に私の代わりに勧めているの。彼女がいるから、私、フェルドさんを置いて出ていけるのよ」
ヒルダにそう言われちゃあ、引き受けねえわけにはいかねえじゃねえか。
「ああ、ドロシー、よろしく頼むよ。俺はそれほど来れねえかもしれねえが」
「ダメよ、フェルドさん。もう少しちゃんと来てくれないと、ドロシーがクビになっちゃうじゃない」
「ああ、そうかよ。頑張るよ」
しょうがねえなあ、俺はヒルダには勝てねえんだから、言う通りにするよ。
イーナになんて言い訳をすりゃあいいかな。
「フェルドさん、彼女に触れてあげて、ちゃんと彼女を見てあげて」
……ドロシーの顔に触れる。
彼女は俺の手の上に自分の手を重ね、目を閉じる。
「ああ、大きい手。これがフェルドさんの手なんですね」
「そうよ、ドロシー。彼の手が一時的にあなたのものになるのよ。受け入れて、ちゃんと彼を感じるのよ」
「はい、ヒルダ姉さん。私、ちゃんとできると思います。はい、大丈夫です。がんばります」
ドロシーは少し泣いていた。
それはヒルダとの別れのためなのだろうか、それとも……
なんだかすごく疲れちまった。
寝たんだが、しかし、疲れている。
翌朝、ベッドからなかなか出ることができなかった。
ダメな男だよ俺は。
イーナが気付いちまったじゃねえか。
「どうしたのフェル? 辛そうな表情をしている」
「いや、どうもしねえよ。俺は大丈夫だよ」
「……うん、フェルドは大丈夫だよ」
イーナが俺を背中から抱きしめてくれた。
温かいな。
柔らかい。
いい匂いがする。
優しい感じがする。
「私がいるから大丈夫。フェルドには私がずっとついているから大丈夫だよ」
少しのあいだ、イーナに抱きしめられていた。
ああ、情けねえなあ、ダメな男だよ。
少しだけ、少しだけ時間が経てば、立てるんだ。
それまでは、少しだけ甘えさせてくれよ……
数日後、ヒルダが男と街を出たと聞いた。
俺は見送りにも行っていねえ。
娼婦と客。
ただそういう関係だ。
しかし、それだけじゃなかったと思いたい。
俺とヒルダはただそれだけの関係じゃなかったと思いたい。
ヒルダにはきっともう会えない。
人生には出会いがある。
だから、別れだってある。
ヒルダは幸せになるために旅立ったんだ。
悲しむことじゃねえ。
理性的に考えりゃあ、そういうことだ。
だが、素直に喜べねえ、俺がいるんだ。
なんだかすごく寂しい気持ちがする。
時間が経てば、きっと祝福できると思う。
だから今は言葉だけだがな、幸せになってくれよ、さよなら、ヒルダ……




