第九話 長元坊、呉須に染め上げて
一期一会、諸行無常――人生万事塞翁が馬。
兎にも角にも、昨今の澪の近辺には、また少しだけ変化が訪れていた。
先日の逃亡劇より、早くも一週間が経過。
つまりは、澪のチームへと――先日においてのクライアントであった、透華が加入していたのであった。
あの後、双方五体満足で無事脱出は願ったものの、そのまま報酬を受け取って解散というわけには行かなかったのである。
建物より脱出したところで、透華の抹消が為されるまで水仙慈は探し続けることであろう。
故に、透華を一人で健全な街中へと返すなどとは愚の骨頂。
『水仙慈』という存在に近づかなければ、幾許かリスクは軽減されることであろうが――それもまた、このまちで生きてゆく上では中々に難しい。
だからと言って、透華が一人で別の都市へと移るということもまた、非常にリスキー極まるのだ。女の身一つで生きてゆけるほど、この世界は人間に優しくは無い――利劫は、例外。
したがって、澪のトルッパへと勧誘する流れとなったのである。
――透華自体は、高度な水準の教育を受けてきたためか、澪の目から見ても十二分な戦力となりそうであった。
無論、細腕の彼女に銃弾飛び交う前線で殴り合いなどをさせるわけには往かないし、澪にもそのつもりは無い。
要するに、澪やナナでは中々に手の届き難い部分を任せることにしたのであった。
スラム育ちで教養の無い澪は言わずもがな――社交性に欠けるナナよりも、対人・対話能力に優れた透華を交渉係として起用することに決まった。
利劫は論外――彼女の行うことは、交渉では無く威圧である。
と言うよりも、彼女の本業はあくまで高利貸し――澪たちにとっては、上司と言うよりもパトロンの様なものである。
金は出すし、段取りの口出し程度であればまだしも――基本的に、実行するのは澪とナナ……其処に透華が、此度加わった形となった。
されど、完全に丸投げするわけでも無く、それなりに彼女よりの助力もあるため――全くの冷に徹しているというわけでもなかったのである。
結局の処、利劫もまたお人好しの類であったのであろう――と、澪が思い浮かべたとき、自身へと声が掛けられた。
目前の端末より――何処か機械的な口調で発したのは、ナナである。
珍しく、皆が揃って事務仕事――此処は、利劫の事務所であった。
「――本日の業務、全て終了致しました」
「お疲れさま、ナナ。僕の方も今片付いたよ」
「あっ、此方も書類整理が終わりました」
そして、ナナの言葉に返事をした澪へと、隣のデスクで作業を行っていた透華が顔を上げたのである。
――更に其処へ、利劫より澪たち全員へと、
「あら、意外と早かったわね――皆、ご苦労様」
労いの言葉を掛ける利劫は、座っていたソファより立ち上がった。
その声に各々が返答し、一日の労を癒すべく、これより皆で食事へと向かうのだ。
事務所の扉を開いて、ナナと透華が先に出て、澪も退出をする直前に――利劫より、一つの問い掛けが為されたのである。
「――ねぇ、澪?」
「何ですか、利劫さん?」
振り返って返事をする澪へと、利劫は淡く微笑んでから唇を開いた。
「結局……貴方の望みって、何かしら?」
「……あぁ、最初に僕が利劫の元を訪れたときに、言ったことですね」
「えぇ、そうよ――澪ってば、本当に必死だったんだもの」
可笑しそうにくすくすと笑う利劫へと、澪は軽く頭を掻きながらこう言った。
「ははっ、そうですね――でも、まだ……それは、また今度と言うことで」
「あら、人に聞かれたら恥ずかしいことなのかしら?」
「いえ、恥ずかしいって言うか……僕にとっては、何よりも大事な目標なんで――それが叶う時にでも、お話しますよ」
「……そう。では、その時を楽しみにしているわ」
利劫のあっさりとした言葉に、少々照れ臭さを覚えながらも――澪は、事務所へと背を向け、夜の街へと皆と共に向かうのであった。
人工の光が瞬く世界で、其処だけは――暖かかった。




