テレス・ルイアード
テレス・ルイアードという薬師は風変わりな人だった。
身長は160cm程度で、かなりの痩せ型。伸びた紺色の髪で右目が隠され、その隙間からは爛れた皮膚が少し見えていた。まるで、怪奇譚に登場するゾンビみたいだ、なんて思ってしまうほどには、彼女に生気は無かった。
曰く、違法な薬物の製造に関わっている。
曰く、その過程で人体実験に手を出し、孤児を攫っては日夜悍ましい研究を行っている。
曰く、その瞳は昏く、その目を直視した人間は廃人になってしまう……とか。そんな悪名を良く聞いた。
そんな彼女のことを頼ったのは、単純に消去法だった。
まず、真っ当な医者に診てもらうのは不可能だ。そんなお金は無い。そしてスラムに居る藪医者というものは、大抵医療の知識など皆無な詐欺師だ。
最悪、身柄を抑えられて売り飛ばされるだろう。特に、わたし達のような人種はその格好の獲物だから。そのために、わたしはまだ交渉の余地がある彼女を選んだのだ。
駄目で元々。もし彼女が本当に人体実験をしているのなら、自分を検体として差し出す代わりに治療をしてもらうつもりだった。
「……とりあえず、中に入りな」
だというのに。彼女……テレスさんの対応は、私が想定していないものだった。
わたし達は見かけからして孤児だ。金払いなど、望むべくもない。そんなことはテレスさんも分かっていたはずだ。
けれど、テレスさんはしっかりと処置をしてくれた。食べ物を食べさせて、いくつか薬を飲ませて、清潔な寝床まで提供してくれた。
おかげで、ヴェルとスクルドは体調を僅かに回復させ、今はスースーと寝息を立てて眠っていた。
本当にテレスさんには感謝してもしきれない。未だ疑惑の念は晴れていないが、それでも幸運だったと言えるだろう。
「うんしょ……よい、しょ……!」
でも……! ちょっとコレは、あまりに重労働ではないかなぁ……!?
わたしは減らない薬草を横目に見ながら、乳棒で必死にすり鉢の中を粉砕していく。思っていた以上に、これは辛い作業だった。
「調子は……あぁ、芳しくなさそうだね」
「終わるまで頑張ります。コツとかありますか?」
「……腕の力じゃなくて、体重を使うと楽だよ。こうやって……」
テレスさんの教え方は丁寧だった。声色は一定で、とても聞き取りやすい。質問をすれば、少しの逡巡の後に一から十まで教えてくれた。
不思議な感覚だった。わたしの知っている大人と言うのは、意地汚くて、自己中心的で、弱い者イジメが大好きな人達だったから。
「テレスさんはどうして、わたし達を助けてくたのですか?」
「助けてないよ。ウルズは私に治療を依頼し、私はそれを受けた。料金もきちんと払って貰うからね」
ピクリともテレスさんの表情は変わらなかった。まるで、本当に損得勘定などないようだ。
彼女はわたし達がどういう人間なのか、分かっているはずなのに、その顔からはあの下卑た欲望の色を全く感じない。どうしても、その点だけは納得できなかった。
「…………それが変なんですよ」
確かに、テレス・ルイアードという女性は今まで出会ったことのない人種だ。それ故に、彼女の行動理念が、わたしには理解できない。
取り繕わずに言ってしまえば……彼女の無償の奉仕とも取れる行動が、ほんの少しだけ怖かった。
5
「おいおいおい……! なんだよ、また子供の魔法兵かよ……!」
「年齢は重要ではない。使えるか否か、重要なのはそれだけだ」
「あぁ!? おめぇに人の心はねぇのかよ!?」
スキンヘッドの強面男が、幾つも徽章をぶら下げた白髪頭の男性と口論していた。懐かしい。これは私が隊に配属した時の記憶だ。
その時の私は戸惑いながら、背筋を伸ばして二人の会話を聞いていた。慣れない軍服と革靴で、私は本当に戦地は来たのだと緊張したのをよく覚えている。
「これは戦争なのだよ、アストラ大尉。我が国の勝利のために、あらゆる手を尽くす。君は一個人の感情で、部下達を危険に晒すつもりか?」
「チッ……! ふざけたことを……!!!」
アストラと呼ばれた男は舌打ちをすると、深呼吸をしてから私を見た。顔は怖いが、その瞳は柔らかく、それ以上の恐怖は感じなかった。
「……了解しました、大佐殿。魔法兵、テレス・ルイアードの配属、謹んでお受け致します」
「よろしい。一週間やる。それまでに使えるよう教育をしておけ」
部屋を出ると、彼は気まずそうに頭を掻いて、ゆっくりと歩き出した。私は彼の後ろについて、苦手な笑顔を浮かべながら自己紹介をした。
「アストラ大尉殿、ご存じのようですが改めて。ユグドラシル魔法科所属、テレス・ルイアードです。今後は魔法兵としてこの国のために――」
「そういうのは良い。俺も堅苦しいのは嫌いだ」
「……そう、ですか。では、何とお呼びすれば?」
「アストラで良い。もしくは大尉だ。よし、まずは飯を食おう」
「は……? しょ、食事ですか?」
「そう、飯だ。前線に出れば粗末なモンしか食えん。今のうちに食えるだけ食っておけ。特に、お前のような年頃は栄養が必要だからな」
まるで子供を相手にするような口ぶりに、私はムッとした。我が国ディースでは15で成人となり、飲酒も出兵も認められる。だから、私はここにいるのだ。
「……子供扱いはよしてください。戦場に出ると決まった時から覚悟はできています」
「ガキが一丁前なこと言うな。良いから食え、ほら」
「わ、ちょ……! そ、そんなに食べられませんから!」
食堂に到着すると、アストラは芋とパン、それと肉厚のステーキが二枚乗った皿を私へ押し付けた。私が不満を口にすると、彼は少し悲しそうな顔をしながら、私の前へ座った。
「俺にも娘が居るんだ。今年で10歳になる」
「それとこの行動に何の関係があるんですか……?」
「そうだな……強いて言うなら、おっさんのお節介ってやつだな」
その時の私には、子供だと侮られているという風にしか受け取れなかった。
けれど、今なら分かる。彼はこの狂気の最中にありながら、己が正義を信じていた。
私のような人間ではなく、アストラのような人間こそが生き残るべきだった……なんて、彼が聞いていたらきっと怒るようなことを、私は考えてしまうのだ。
6
「……? テレスさん? どうかしましたか?」
「あぁ……ごめん。ちょっと昔のこと、思い出してた」
小さなお手伝いさん……ウルズの質問に答えていると、不意にあの強面の顔が思い出された。
アストラには色々なことを学んだ。兵士としての心構え。銃の扱い方。身体の効率的な動かし方。その全てが苛烈で、16の学生崩れに仕込むには些か度が過ぎていたようにも思える。
彼は教えるのが下手で、根性論ばかりだったから、私は良くあの人と喧嘩した。それを副官だったカーティンスが止めて、遠くからリラがまたやっていると顔をしていて、部隊の人達は私とアストラの喧嘩を囃し立てていて――
「……ちょっと休憩にしようか。サンドイッチ、食べる?」
「ありがとうございます! でも、本当に良いのですか……?」
「その分働いて貰うから。それに、子供はちゃんと食べないとね」
台所へ向かいながら、私は必死に頭を切り替えた。いつまでも感傷に浸っていると、あっちに行きたくなってしまう。今は調理に集中しよう。
とはいっても、パンとハム、それとレタスを挟んだだけの簡単なサンドイッチだ。あとは、果物をすり潰して食べ易くしたもの。
数分と経たずに完成した。それをいくつか作ってウルズの元へ持っていく。
「――く、にげ――」
「待って、ヴェル! そんなに慌てなくても……!」
「はぁ!? だってここ、あのヤバい薬師のとこなんでしょう!? だったら早く逃げないと――!」
「……んん? あぁ、起きたんだ。体調はどう? 平気そう?」
「っ……!? な、何が目的なの!?」
紅い瞳と、汚れていても尚美しい銀髪の少女……ヴェルは、ウルズと未だ眠るスクルドを守るように、彼女達を背に私に向き合ってきた。
身体は震え、瞳からは恐怖が滲んでいるというのに、中々勇ましい子だった。
「別に何も。君のお姉ちゃん……ウルズに助けてくれと頼まれたから、私が保護した。それだけだよ」
「嘘ばっかり……! あたしらを実験のモルモットにするつもりなんでしょ!?」
「ヴェル! そんな言い方って……!」
「おねぇだって分かってるはずだよ! どうせこの人だって、あたしが……あたしらが『亜人』だから、助けたんだって! 魔法研究の実験のためのね!」
「……! それ、は……」
ヴェルの言葉に、ウルズは心当たりがあるようだった。私にも、彼女の告げた『亜人』という単語には深い関係があるのは当たっていた。
私の国ディースと、隣国であるノルン。両国が争う原因となり、そして巻き起こった戦争が『最悪の5年』と呼ばれるに至ったのか。彼女達『亜人』の存在はまさにその中枢にあった。
そして……私が彼女達を助けようと、そう思った要因もまた、彼女達が『亜人』であると分かってからの行動なのも、事実だった。




