きっかけ
その場所は異様な空間だった。本来であれば重い罪となるはずの行為が推奨され、他者を害すことが最も尊ばれる。
すなわち、それは戦場だ。
そこでは敵軍を殲滅するために人を殺すことが許されていた。鉄片と魔法が飛び交い、毎日夥しい量の屍を作り上げる。まさに地獄だった。
『最悪の5年』と呼ばれたその戦争は、今も様々なモノに傷跡を残していた。
経済は停滞し、貧困は加速し、国民は減っていく。失ったものは多く、得たものは何一つとして無い。少なくとも、私は失うばかりで何も得られなかった。
未来を失った。仲間を失った。身体の自由を失った。手元に残ったのは僅かな報奨金と、戦争の終わった今では何の役にも立たない殺しの技術だけ。
つまり……そんな忌々しい戦いで生き残った兵士になど、行き場は無かった。多くの犠牲者を生み出した魔法兵などには、特に。
1
弾倉に弾を込め、額に銃口を当てる。発射準備の済んだその銃は、引き金を引けばすぐさま私の人生を終わらせてくれるだろう。あとは、覚悟だけあれば良い。
震える手を空いた方の手で押さえ込み、私は――
「っはぁ……! はぁっ……!」
そのまま銃口を降ろして、何度目かも分からぬ自己嫌悪に陥った。私にその終わり方は許されない。いくら苦しかろうと、それだけは許されない。そんなこと、分かっているのに。
それでも、毎日こうして死ぬことを考えていた。
「……馬鹿みたい」
アストラならきっと、血相変えて止めただろう。リズなら、何も言わずにビンタしてきただろう。カーティンスは……馬鹿真面目に諭してきたかな。
そんな仲間達はもう居ないと言うのに。私は自分の作り上げた幻影に義理立て、生き残ってしまったことを悔やんでいる。愚かしいにもほどがある自傷行為だった。
「……早く、行こう」
組合はとうに開いている時間だ。死ぬのを辞めたのなら、次は生きるために行動しなければならない。それがどんなに苦痛であろうと、そうしなければならない。
それが、生き残った私の……テレス・ルイアードという女の罪科なのだから。
2
いつものように調合した薬を二束三文で売り払う。知識があれば誰でも調合できる止血剤と打ち身に効く軟膏だ。その後は買い出しと材料の調達を行い、後は自宅で調合を行う。
それが私の生活だ。人と極力関わらず、抜け殻のようにただ息をして生きている。
「…………はぁ」
数年前を思えば、今の生活は格段に楽だ。夜は安心して眠ることができて、金さえあれば大抵のものは手に入れられる。何より、命を脅かす危機が殆ど無い。
だが、楽なのと幸福なのはイコールではないのだ。実際、私は現状を全くもって幸福だとは思わない。
戦争で負った顔の怪我のせいで、街行く人には意味もなく恐れられる。右足に負った障害のせいで、碌に仕事を選ぶこともできない。毎日が苦痛に満ちている。
「全ては主の望むままに……なんて、ね」
6年前まで、私は夢を追う学生だった。神秘の技術である魔法を探求し、学院で勉学と研究に勤しむ、ただの16歳の少女だった。
それが、ある日戦争が起こり、私は徴兵された。魔法兵として敵軍を蹂躙する人間兵器として。
以来5年間、私は戦争に従事した。言われるがままに魔法を振るい、撃ち込み、人々を殺戮した。
そこではこの世で最も美しいと信じていた神秘はただの兵力としか扱われず、私もまたそのように使用した。してしまった。
私の手はすっかり汚れ、穢れてしまった。もう神秘の追求など望めない。
だというのに……学院で学んだ知識で、私は日銭を稼いでいた。なんとまぁ、未練がましいことだろう。もうあの頃になんて、戻れないのに。
あぁ、神様……もし、そんな存在が居るのなら。どうか、お願いします。
今すぐ私の人生を終わらせてください。それだけが、私の望みです。
……なんて。無益なことばかり、今日も考えている。そんな自分を自嘲していると、一人の少女が家の近くの路地から飛び出してきた。
「ん……?」
「あ、あの……! 4番街の死んだ目をした薬師さんって、貴女、です、か……?」
「……まぁ、そうだね。それに似たようなことはしてるよ。死んだ目も否定はしない」
「なら、お願いがあります……! どうか、どうか……! 妹達を助けてください!」
「………………」
その日、いつも通りの無味乾燥として生活の中で、私は彼女達と出会った。泣きそうな顔をした金の髪の少女と、そんな彼女に抱えられる二人の妹と思われる子達。
二人を背と両手で抱えた子……ウルズと名乗った少女は、人相も評判もすこぶる悪い私に、涙を流しながら助けを求めてきた。
「……とりあえず、中に入りな」
「っ! あ、ありがとうございます! お姉さん!」
薄汚れたその恰好から、彼女達が孤児であることはすぐに分かった。まぁ、そうでもなければ私のところになんて来ないだろう。きっと、治療費も持っていない。
それでも私は、少女達を自宅へ入れた。私にとってそんなことは重要ではなかったのだから。
ただ……こんな血に塗れた私の手でも、誰かを救えるのなら。こんな手を取ってくれるのなら。
私はそれに応えたいと、そう思ったのだと思う。
3
「……発汗と発熱、こっちの子は喘鳴も出てるか」
「あ、あの……! 妹達は……ヴェルとスクルドは、助かりますか!?」
「落ち着いて。そんな深刻なモノじゃないから」
長女と思わしき金髪の少女……ウルズは顔を真っ青にし、半ば混乱状態だった。大丈夫だと私が言っても、彼女はそわそわと所在なく身体を動かし、落ち着きがなかった。
「はぁ……! はぁ……!」
「……ごほっ……! がはっ……!」
身体の細い銀髪の少女……恐らくはヴェルと呼ばれた少女は発熱が酷かった。健康的な生活をしているとは思えない体躯の彼女には、少々辛い症状だろう。
ゼーゼーと独特の音ともに咳をする黒髪の少女……スクルドと呼ばれていた少女は症状こそ大したことはないものの、咳が止まらない。恐らくは持病が併発してしまっている。
だが、二人とも重篤な病気に罹っている訳では無い。単なる風邪とその合併症だ。治療法は単純で、それほど難しくはないだろう。
「ウルズ、ちょっと来て」
「は、はい! 何でしょうか!?」
「これで消化の良い食べ物買ってきて。果物とか、穀物とかね。急がなくていいから」
「わ、分かりました!」
今日の分の稼ぎと、タンス貯金の一部を取り出してウルズに渡す。彼女はずっしりとした硬貨の重みに一瞬目を白黒させたが、すぐに意識を元に戻して家を出て行った。
その間に仕事部屋から常備薬を取り出す。私は医者ではないので、民間療法や経験則に基づく処置しかできない……が、何もしないよりはマシだろう。少なくとも、今よりも状態が酷くなることはない。
「……あっちじゃ、こんなの病気とすら扱って貰えなかったしね」
腕や足が千切れるのは日常茶飯事。負傷兵で病床はいつも満員で、重篤でない怪我や病気はないものとして扱われるのが常だった。
そのせいで破傷風や肺炎になって死んだ奴らを沢山知っている。あんな環境でなければ、救えたはずの命だった。
「駄目だな……すぐにそっちのことを考えるのは」
戦争は終わった。もう終わったのだ。そんなことは分かっている。
でも……私の中では、未だ戦争は終わっていなかった。私の心は、まだあの地獄に取り残されたままだった。
4
「ふぅ……とりあえず、こんなものかな」
「こ、これで妹達は助かりますか……!?」
「……ま、死にはしないよ。意識はあるし、少しだけどご飯も食べられた。日数はかかるけど良くなる……はず」
「そうですか……良かったぁ……」
ウルズは深く息を吐くと、崩れ落ちるように床へとへたり込んだ。それと同時に、彼女はもの凄く重大なことに気付いたようにその身体を震わせた。
「あの……わた、わたし、お金、持ってなくて……で、でも! 何とか工面します!私なんかで良ければ、実験体に使っても良いですから!」
「ちょっと待って。実験体って何?」
「え……? だって、噂でそう聞いてて……違うの、ですか?」
「自分で薬の効能を試すことはあっても、他人でそれをやったことはない。事実無根だよ」
道理で近所の人間から距離を置かれる訳だ。一体誰だ、そんな訳の分からんことを広めた馬鹿は。まさか、薬の買い取りがやけに安いのもそういう理由なのか……?
「はぁ~……まぁいいや。じゃ、ウルズちゃん。君にお願いしたいことがある」
「はい! わたし、頑張ります」
「じゃ、これ全部すり潰して。これくらいになるまでお願い」
「え……これ、全部ですか?」
「うん。大丈夫大丈夫、ちょ~っと肩と腕がぶっ壊れるだけだから」
彼女の前に今日摘んだばかりの薬草をドカッと置く。鉢にこんもりと盛られたそれを全て粉砕するのは、私でも時間がかかる。だが、それ故に単純で誰でもできる作業だ。
「は、はいぃ……任せてくださいぃ……」
「…………」
涙目になったウルズを見て、私は若干の罪悪感に駆られた。そんな自分に苛立ちを覚えながら、私はぼそっと、ウルズに聞こえるように呟いた。
「……3時間後に休憩ね。ご飯、用意しといてあげる」
「……! は、はいっ! ありがとうございます!」
私のその言葉に、ウルズはパッと笑顔を浮かべた。少し汚れていても、その表情は明るく、私なんかよりもよっぽど生気に満ちていた。
「何勘違いしてんだろ……私」
そんな彼女を背に、私は仕事場に引っ込んだ。あの子を見ていると、苦しくなるから。
私のやったことは偽善だ。治安の悪い場所に踏み込めばあの子達に似た境遇は腐るほど居るだろう。私は今までそれらから目を背け、生きていた。
あの姉妹を助けたのは、あの子が手を伸ばしたからだ。勘違いするな。私が助けた訳じゃない。お前の救える命なんて、無いのだから。
私は自分を自戒しながら、新たな薬の調合を始めた。
「……ちょっと怖いけど、優しい人だったな」




