Ⅷ. 確定(CONFIRMED
組織の追跡がマドレーヌの身に迫る中、市場の底辺では、もう一つの「悲劇のアルゴリズム」が進行していた。
ファンチーヌという名の、若い女性プログラマーがいた。彼女は、イタケ・リンクの末端のデータアノテーション(AIの学習データ作成)を請け負う外注企業で働いていた。
しかし、シングルマザーであった彼女は、一人娘の「コゼット」を、強欲な闇金業者が運営する違法な無認可保育所に預けざるを得ず、法外な管理費用を要求され、多額の債務を抱えていた。
ある日、彼女の元に一通の電子通知が届いた。
それは、彼女の「信用スコア」が、債務超過と、競合システムへの二重登録という規約違反(実際には同僚の陥れによるものだった)により、最低ランクに引き下げられたという、冷徹な「システム解雇」の通知であった。
イタケ・リンクの管理AIは、コンプライアンスの自動最適化に基づき、彼女のアカウントを即座に凍結した。デジタル社会においてアカウントを失うことは、経済的な死を意味する。
ファンチーヌは絶望した。娘の養育費を稼ぐため、彼女はダークウェブの「闇バイト」へと身を落とした。自らの生体データ、網膜パターン、ひいては遺伝子情報までを違法なバイオデータ市場に切り売りし、体も心もボロボロになっていった。
数ヶ月後、黒羽市の総合病院のICU(集中治療室)。マドレーヌは、生活困窮者施設の視察中に、死の淵に瀕したファンチーヌと出会う。彼女の肉体は、度重なる違法なデータ抽出と劣悪な労働環境によって、修復不可能なレベルにまで破壊されていた。
「マドレーヌ……市長……」
人工呼吸器の向こうから、彼女は血の混じった声で、手元の古いスマートフォンをマドレーヌに差し出した。画面には、遠く離れた山奥の施設で、奴隷のように働かされている幼い娘、コゼットの画像が映し出されていた。
「私のコゼットを……あの闇のシステムから、救い出してください。彼女の信用スコアが、私の罪で汚される前に……」
マドレーヌはその画像を凝視した。彼の脳裏に、かつてイタケの国に残してきた、自分の愛する娘の面影が重なった。システムを最適化するあまり、このような悲惨な個体を生み出してしまう社会。これこそが、自分が戦うべき「目に見えない怪物」ではないか。
「約束する。私の命と、この街のすべてのリソースをかけて、コゼットを必ず救い出す」
その直後、ファンチーヌのバイタルサインはゼロを示し、画面の心電図は平坦な直線へと変わった。マドレーヌが彼女の冷たくなった手を握りしめ、静かに祈りを捧げたその時、病室の自動ドアが開き、重い足音が響いた。
ジャベール警視正であった。彼の後ろには、電磁警棒を持った二人のサイバー警察官が控えていた。
「そこまでだ、ウーティス・バルジャン」
ジャベールは、自らのデバイスをマドレーヌの顔に向けた。画面には、十年前の囚人写真と、現在のマドレーヌの顔認証データが、99.8%の確率で一致したことを示す「確定(CONFIRMED)」の文字が鮮やかに点滅していた。
「お前の隠れ家のソースコードの解析が完了した。どれだけ名前を変え、善人の仮面を被ろうとも、お前の知略のバグは消せなかったな。お前は国を欺き、偽名でユニコーン企業を操った国家詐欺罪、および逃亡罪の現行犯だ。大人しくシステムに従え」
病院の廊下に、冷徹な法のアルゴリズムが満ちていく。
マドレーヌ――いや、ウーティス・バルジャンは、ゆっくりと立ち上がった。彼の強靭な背筋が、現行犯の重圧を撥ね退けるように真っ直ぐに伸びる。その眼光には、もはや逃亡者の怯えはなく、愛する者を守るためにシステムを突破せんとする「王の知略」が、かつてないほどに激しく燃え盛っていた。




