Ⅶ. 不都合な脅威
「奇跡」というものは、しばしば中央の権力組織にとっての「不都合な脅威」となる。
東京の警察庁直轄・サイバー犯罪対策総局。そこは、国家の全通信ログと信用スコアを監視し、社会の「予測可能性」を担保する、ジャベール・システムの中枢であった。
その組織の切り札とも呼ばれる冷徹なトップデータアナリスト――ジャベール警視正が、黒羽市の臨時セキュリティ監査官として赴任してきたのは、イタケ・リンクが経産省の推奨プラットフォームに指定されようとしていた、ある初夏の朝であった。
ジャベールという男は、人間の「善意」や「更生」という概念を一切信じない。彼にとって、世界は「法という名のアルゴリズム」によってのみ統治されるべきであり、一度でもそのシステムにバグ(犯罪)を生じさせた個体は、一生涯、社会の脅威として排除され続けなければならないという、狂信的な秩序論の持ち主であった。
「黒羽市の経済指標は異常だ。中央の金融監視網から独立した暗号トークンが、これほどの規模で流通している。これは国家の通貨主権に対する挑戦であり、その背後には必ず、高度なサイバー犯罪のロジックが潜んでいる」
ジャベールは、着任早々、市長室を訪れた。
そこでマドレーヌ市長と対峙した瞬間、ジャベールの脳内の高性能なプロファイリングAIが、かすかな違和感を検知した。
「はじめまして、マドレーヌ顧問。あなたの経歴を拝見しましたが、実に見事なものです。数年前まで、どの主要データベースにもあなたの足跡が存在しない。まるで、ある日突然、この世界にバグのように現れた人間のようだ」
マドレーヌは、穏やかな微笑みを崩さなかった。
「私は長年、海外のオフショア(租税回避地)のラボで、非公開の分散型プロトコルの研究に没頭していましたから。デジタル上の履歴よりも、今この街の市民がどれだけ豊かになっているかという『データ』を見ていただきたい」
「フン……私は結果の数字よりも、そのプロセス(構造)の潔白性を重視するたちでしてね」
ジャベールは冷たく言い放ち、退出した。
だが、ジャベールの追跡はそこから始まった。彼はマドレーヌの過去の防犯カメラ映像、発言の音声データ、そして何よりも「プログラミングの癖」を、国家の最高機密データベースと照合し始めた。
技術の世界において、ソースコードの書き方やエラー処理の論理構築には、書き手の「指紋」のような固有の癖が残る。ジャベールは、イタケ・リンクの根幹システムを形成する超高度な暗号化アルゴリズムの中に、十年前、国家金融システムを麻痺させたあの伝説のハッカー「ウーティス・バルジャン」の、独特な「知略」の痕跡を見出そうとしていた。




