XIV. 永久消去(完全初期化)
地下街の闇へ逃れたジャベールは、激しい自己矛盾の渦の中にいた。
彼の脳内を支配していた「一度でも法を破った者は悪であり、法を守ることのみが正義である」という完璧だったはずの論理アルゴリズムが、ウーティスの放った「無償の善」という名の巨大なバグによって、完全にクラッシュしていた。
(ウーティス・バルジャンは悪人ではなかった。彼は法を破ったが、私という仇敵の命を救い、無条件で赦した。ならば、私が信じてきた『法の絶対性』とは一体何だったのだ? システムのために人間を切り捨てる国家の秩序こそが、真の悪だったのではないか?)
ジャベールにとって、自らのアイデンティティの根幹であった「組織の正義」が崩壊することは、精神的な死を意味していた。彼は二つの正義の板挟みになり、彼の精神という名のプログラミングは、修復不可能な無限ループへと陥った。
彼はスマートフォンの画面を見た。彼自身のマイナンバー、警察庁の最高権限アクセスキー、生涯のキャリアデータがそこに表示されていた。
「私は……もう、この冷徹なシステムの歯車には戻れない」
ジャベールは、みずからの指で、国家の全データベースにアクセスするための自身の暗号鍵と個人データを、一滴の猶予もなく「永久消去(完全初期化)」するコマンドを実行した。彼の存在を証明するすべてのデジタルデータが、ネットワークの海から消滅していく。
深夜の渋谷川の濁流を見つめながら、ジャベールはスマートフォンをその闇へと投げ捨てた。
彼は法という名の組織の奴隷であることを辞め、自らの意思でデジタル上の「ゴースト(誰もいない人間)」となることを選び、東京の喧騒の闇の中へと静かに姿を消したのである。
国家の最高インフラであった監視AI「ジャベール・システム」は、その設計者みずからの手によって、完全に崩壊を迎えたのだった。




