XV. 無限のデータ・オーシャン
「組織」がその肥大化した自己防衛機能を最大化させるとき、それは国家権力という名の冷徹な物理的暴力となって、反抗する個人を圧殺しにかかる。
二〇三六年、冬。街を占拠した若者たちの「電子の城壁」に対する、国家の最終鎮圧作戦が開始された。
午前四時、電波妨害を無効化する軍用仕様の防衛省ドローン編隊が夜空を埋め尽くし、機動隊の大型装甲車がスクランブル交差点のバリケードを次々と押し潰していった。
「マリウス! しっかりしろ、マリウス!」
若者たちの指令本部であった地下室の崩壊した瓦礫の中で、ウーティス・バルジャンは叫んだ。
国家の自動鎮圧兵器が放った催涙弾と電磁パルスの嵐の中で、コゼットが愛した青年マリウスは、頭部から血を流し、意識を完全に失っていた。周辺の通信網は警察によって完全にクローニング(制圧)され、もはやSNSによる外部への救援要請も不可能だった。
地上の退路はすべて、顔認証カメラを搭載した機動隊の包囲網によって完全に封鎖されている。
「ここでこの青年を死なせるわけにはいかない。あの子の未来を、コゼットの幸福を奪わせはしない」
老境に達したウーティスの肉体に、かつてカストル徒刑場でクレーンの鉄鎖を支え上げたあの「王の怪力」が再び蘇った。
彼は動かなくなったマリウスの身体をひょいと担ぎ上げると、部屋の隅にある重厚な鋳鉄製のハッチへと向かった。
そこは、明治期から昭和、平成を経て、地下深くに入り組んだ「旧都心通信管」の入り口であった。
現代の光ファイバーや5Gの基幹回線のさらに下層に埋もれた、防犯カメラもGPSの電波も一切届かない、都市の「物理的な死角」である。
ウーティスはハッチの錆びついたレバーを、その圧倒的な腕力でねじ切るようにして開けた。
それは、かつてオデュッセウスが故郷へ帰る旅の途上で、予言を求めて足を踏み入れた「冥界下り(ネキア)」そのものの光景であった。ウーティスはマリウスを背負い、冷たい泥水が流れる暗黒の迷宮へと、その身を投じた。




